淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

全米を熱狂させたテレビドラマ「ブラックリスト」遂に日本上陸! その第1話を観たぞ。

2014年01月31日 | Weblog
 それにしてもジェームズ・スペイダー、ずいぶん老けましたなあ。

 びっくりしちゃった。
 年月というものは本当に残酷だ。
 これが、あの甘いマスクで映画「セックスと嘘とビデオテープ」(スティーブン・ソダーバーグが脚本と監督)の主役として、颯爽とスクリーンに登場したクールで洗練された青年なのだろうか。

 未だに信じられない。
 禿げちゃったし・・・。太っちゃったし・・・。

 まあ、その禿げ具合はいいとして、遂に観ました。
 いま話題沸騰の全米TVドラマ、「ブラックリスト」。

 とにかくこのドラマ、前評判が半端じゃない。
 放映している「スーパー!ドラマTV」のホームページを見たら、その凄まじいまでのアメリカでの盛り上がりがよくわかる。

 初回の「ブラックリスト」はアメリカで9月にオンエアされたらしいのだけれど、なんと約1,258万人がこのテレビドラマを視聴したのだとか。
 そして、続く第2話がオンエアされた時点で、既にシーズン1全22話の製作が決定したのだという。
 確かにアメリカ人好みの犯罪ドラマではある。

 その余波は、そのまま日本にも伝播しているようだ。
 色んなマスコミでも特集が組まれていて、各誌大絶賛、「スーパー!ドラマTV」での番宣も凄まじい。

 第1回目の、「ブラックリスト」。
 冒頭から、飛ばす、飛ばす。

 「犯罪コンシェルジュ」と呼ばれ、世界中の凶悪犯罪者たちの手助けをしたり、裏取引に協力をしていた国際的な最重要指名手配犯レイモンド・レディントン、通称レッドと呼ばれる男が、突然FBI本部に出頭して来たところから物語はスタートする。

 出頭して来たレッドは、これまで数多く関わってきた犯罪者達に関する情報を提供することと、彼らの逮捕に協力すると申し出る。
 ところが何故か、彼の申し出は不可解極まりない。

 新人捜査官のエリザベス・キーンという女性を自分の担当に充てることが彼の条件であり、彼女以外には一切何も話さないという。
 しかし、2人には何の接点すらない。

 新人捜査官のエリザベス・キーンは、愛する夫と2人暮らしをしている。
 しかも、いきなりレッドから指名された当日は、子どものいない2人が養子縁組をするために夫とその手続きに向かうという、とても大事な日でもあった。

 レッド、つまりレディントンの持つ「ブラックリスト」はいったいどんな類いのもので、彼の真の狙いは何なのか、はたまた、何故に見ず知らずの新米捜査官を指名したのか?
 混乱する捜査陣・・・。

 そんな矢先、ブラックリストに載っているという一人の凶悪犯がひとりの幼い少女を誘拐するという情報が、レッドから漏らされ、捜査陣は色めき立つ。
 その誘拐は、数多くの市民も巻き込むある凶悪な企みが隠されていた。

 ドラマ「ブラックリスト」、まだ第1話だけしか観ていないので、これからの展開はよく分からないけれど、心理的な駆け引きだけではなく、ド派手なカーチェイスや銃撃戦もあって、中々ハイ・スピードである。

 それに、第1回目から様々な謎が視聴者側に提示されていて(例えば、新人捜査官エリザベス・キーンの夫が抱えている秘密が最後で暴露されたりとか・・・)、先の読めない展開になるのは必至である。

 それと、天才的な犯罪者である主人公のレディントンと、新人捜査官エリザベス・キーンとの、知力を尽くした駆け引きがとても面白い。
 エリザベス役のメーガン・ブーンという女優、結構頑張っている。

 ファースト・シーズンが全22話ということなので、まだまだ序の口、これから二転三転するだろうし、最後には大きなどんでん返しが用意されているだろう。

 「ブラックリスト」、まずまずのスタート・ダッシュである。







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土砂降りの雨の夜、アル・クーパー+マイク・ブルームフィールド「フィルモア・イーストの奇蹟」を聴く。

2014年01月30日 | Weblog
 雨が降っている。
 けっこう大粒の雨だ。

 今日は1月30日の木曜日。
 いつもなら凄まじい吹雪に見舞われるか、大雪警報が発令されてるか。そんな時期なのに、街には雨が落ちている。
 ツルツルの道路の上に水溜りが幾つも現れ、そこが滑るからとても歩き辛い。
 
 昼から某ホテルで行われた昼食付の会合に出席し、国内外の経済動向についての講話を聴き、その足で中心市街地にある某施設へと赴いて仕事の打ち合わせを行った。

 気が滅入るような案件が続く。鋭利な棘が心のあちこちに刺さってゆく。
 ちょっとしたボタンの掛け違い、ちょっとした意思の疎通、ちょっとした人間関係の溝、ちょっとした指示の勘違い、ちょっとした・・・。
 そんなちょっとしたことが少しずつ積み重なって、誰もがみな、仕事の蟻地獄へと落ちてゆくのである。

 仕事を生き甲斐に出来る人は、世界一の幸せ者だ。
 仕事が趣味だという人もまた、世界一の幸せ者である。

 というわけで、雨の降り注ぐ木曜日もまた、あっという間に過ぎてゆく。
 夕方、仕事が終わり、ラインに書き込みが入って中心市街地にある珈琲ショップの2階で待ち合わせ。
 いつもの3人で、暫しの雑談。

 終わって外に出たら、土砂降りの雨が降っている。
 えっ? 今日ってほんとに1月30日なの?

 びしょ濡れになって家へと到着した。
 夕食を終え、いつものように部屋に籠る。

 昨日、「アマゾン」から届いたアルバム数枚。
 その中の1枚、アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドの名盤「フィルモアの奇跡」のもう1枚、「フィルモア・イーストの奇蹟」(Fillmore East: The Lost Concert Tapes 12-13-68)-買ったのは輸入盤です-を、ターン・テーブルに乗せて聴く。

 お蔵入りとなっていた伝説のライヴ、いわゆるもう一つの「フィルモアの奇跡」とも言うべきアルバムを輸入盤で買ったのである。
 
 既に、アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドが1968年に発表したライヴ・アルバム「フィルモアの奇蹟」は、ずーっと昔LPレコードで持っていた。
 様々な音楽雑誌による「ロック名盤」アルバム紹介記事では、必ずといっていいほどその「フィルモアの奇蹟」はエントリーされていて、当時、すぐさま買い求めて聴いていたのだけれど、その時はそれほど心を動かされなかった。

 「フィルモアの奇蹟」は、サンフランシスコにあったフィルモア・オーディトリアム(フィルモア・ウェスト)で3日間にわたって行われたライヴを収録していて、エルヴィン・ビショップ(懐かしい!)やカルロス・サンタナも加わっていた。

 そして今、聴いているアルバムが「フィルモア・イーストの奇蹟」である。
 少しややこしいけれど、前作が「フィルモアの奇蹟」で、今作が「フィルモア・イーストの奇蹟」。

 時系列的には、名盤の誉れ高い「フィルモアの奇蹟」から3カ月後に演奏されたライヴがこの「フィルモア・イーストの奇蹟」ということになる。
 これも少しややこしいけれど、「フィルモアの奇蹟」はフィルモア・ウェストです。

 僕はアル・クーパー自体が大好きなので、このアルバムも大いに楽しめた。
 こういうブルースもいい。
 少しヴォリュームを上げて、部屋の照明もちょっと暗めに落として「フィルモア・イーストの奇蹟」を何度も繰り返して聴いている。
 若い頃のジョニー・ウインター(デビューする前の大変貴重な音源である)の演奏も凄いしね。

 ただし、最初の「イントロダクションズ」は長過ぎる。
 アルバム買って、長々とした喋りを聞いてもしょうがない。しまいには苛々してしまう。もうちょっと短くしてほしかったと思う。

 それと、やっぱこのアルバムも、2枚組でしょう。








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「もう水曜日。まだ水曜日。今日は、芦田愛菜・鈴木梨央『明日、ママがいない』の放映日」

2014年01月29日 | Weblog
 青森市の積雪は、29日午後1時現在で46センチ。気温がマイナス2.6度。

 昨日あたりから結構雪が降り続いている。
 そろそろまた雪片付けをしないと、玄関先に積もった雪で車庫から車を出せなくなる。
 確かに去年の冬に比べたら雪の量は少ないけれど、でもまだ分からない。1月末からいきなり何日も雪が降り続け、真冬日が1週間以上も連続した冬だってあった。

 油断大敵、火がぼうぼう。
 火じゃなくて、雪のほうですけどね。

 水城せとなの「失恋チョコラティエ」を第7巻まですべて読み終えた。
 というか、3巻あたりからは一気に読んでしまった。
 面白い。
 こんな面白い少女漫画も久しぶりに読んだ(本当はもっと面白い少女漫画がたくさんあるんだろうけど)。

 月曜日のフジ月9ドラマももちろん欠かさず観ているけれど、原作のほうがやっぱり数倍面白い。
 主人公である小動爽太(こゆるぎ そうた)の、紗絵子さんに対する片思いが漫画の主な主軸であるけど、友人のオリヴィエ・トレルイエ、仕事仲間の薫子(かおるこ)、爽太の妹のまつり、そして爽太のセフレ加藤えれな、このそれぞれの愛憎関係がとにかく面白いのだ。

 第7巻は衝撃的な展開でちょっと吃驚した。
 これって、テレビでそのまま放映できるの? まあ、月9のテイストとしてどうなの、って感じだけど・・・。

 早く次の巻が読みたいけれど、第8巻は春になんなきゃ発売されないみたいだし、ということはテレビドラマのほうが先に終わってしまうわけで、漫画とテレビのラストが異なるということになっちゃうんだろうか?
 うーむ。

 そんな、今日は1月29日、水曜日。

 今晩夜の10時からは、今何かと話題沸騰のドラマ「明日、ママがいない」が放映される。
 このドラマ、マスコミ報道も過熱気味で、番組のスポンサーも既に何件か降板したらしく、今日の放映をもって全社が降りるというニュースも流れている。
 その周辺ネタでいうと、あの「高須クリニック」が番組救済に動いているようで、新たなCMスポンサーに名乗り出たのだとか。

 確かに、ドラマの中に出てくる子どもたちが付け合う「あだ名」はちょっと酷過ぎると思う。
 そういう細やかな配慮が最初からなかったのだろうかと、製作者側の姿勢に対して違和感を覚えるし、ドラマの中で「ポスト」だとか「ドンキ」(親が鈍器で殴ったからドンキというあだ名を付けたという設定だ)だとか、あまりにも過激過ぎる「あだ名」ではある。

 ドラマ「明日、ママがいない」は、親のいない子供たちを一時的に引き取って、里親探しに力を貸す施設であるグループホーム「コガモの家」で生活する子どもたちを描いていて、非情な対応をするホーム長だとか、学校での虐めだとか、里親の極端な対応だとか、テレビならではの過剰なデフォルメが目に付くということもないわけじゃない。

 ただ、これまで放映されたすべての回を見てみても、前段で述べた部分を除けば、芦田愛菜と鈴木梨央の2人は健気に頑張っているし、同じ日テレの「家なき子」あたりのテイストと似ている部分がかなり感じられる。
 匂いがおんなじなのだ。
 そう思っていたら、やっぱりこのドラマの脚本、「家なき子」を企画した野島伸司(脚本監修)だった。

 誤解を恐れずに言い切ると、表現の自由という大きな問題まで直面する。
 このドラマを即刻中止せよと叫ぶのであれば、もっと差別的で、もっと過激で、もっと残酷で、人間を、あるいは子どもたちや女性やハンディを背負っている人たちを、真っ当な人間として扱っていない、そんな映画や雑誌や本などはこの世の中にはごまんと存在する。嫌悪感を通り越して、心が折れそうな表現を繰り返している映像媒体は星の数ほど存在している。
 まずは、最後まで放映すべきである。
 そして、堂々とそこから批判をし、反論をさせるべきである。

 それにしても、吃驚したのは芦田愛菜だ。
 実は正直に告白すると、この子役、好きじゃなかった。
 「あの可愛い笑顔の後ろには、大人びた計算とか打算が隠れているんだろうなあ」というような、強い偏見を抱いていたからだ。

 しかし、この「明日、ママがいない」を観てよくわかった。
 芦田愛菜、いい。
 それから、鈴木梨央もいい。

 でもたぶん、このままだと、途中で放映中止ということになっちゃうんだろうなあ。
 







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「ローリングストーンズ東京ドームは仕事で行けなくなるし、そんな仕事もムカつくことだらけだし」

2014年01月28日 | Weblog
 やっぱり、愉しいことがあったそのあとっていうのは、厭なこととかムカつくこととかが、手薬煉(てぐすね)引いて待っている。

 そんなもんだ、人生なんて。
 巧い具合に出来ているんだ人生は。
 絶対、愉しい時間だけを神様は与えてくれはしないのである。

 火曜日。
 朝起きて出勤しようと外に出たら、大きな牡丹雪が空からぼたぼた落ちて来た。
 濡れ雪に見舞われて、オフィスに入った頃には完全にびしょ濡れ状態。東京の抜けるように澄み切った青空が今はとても愛しく感じられる。

 仕事場に着いて2月から3月までの日程表を眺めると、な、な、なんと、ローリングストーンズ来日公演初日である2月26日水曜日と、そこから続く27日木曜日に、絶対抜けられない重要会議が組まれているではないか!

 ああぁぁ・・・。

 参ったよ。
 これじゃあ、ストーンズ観に行けないじゃん!
 もう、たぶん日本には来ないだろうし・・・。

 なんで、365日のうちでたった年4回だけしか組まれることのない日が、ちょうどローリングストーンズのコンサート日とぴったり重なってしまうわけ?

 食欲が失せる。
 といいつつ、しっかり「うどん どんべい」と手巻き寿司、お昼には食べましたけど。

 キース・リチャーズ、観たかった。というか聴きたかった。
 もう一生、ナマで観ることは出来ないだろう。
 悔しい。ショックが抜けない。
 その無念な気持ちを引きずったまま、仕事だけが続いてゆく。
 
 仕事場にだって人間関係は存在する。否、仕事場だからこそ、組織の中で働いているからこそ、人間関係は必ず目の前に存在する。
 この人間関係という魔物が一番の厄介者である。

 些細なことでもコミュニケーションは一瞬で崩れるし、信頼関係以前に、好き嫌いという単純だけどとても大きな難関がそこには控えている。
 傷つけようと思って故意に発言するわけじゃなくても、相手にとっては激しく傷つく言動だってあるし、不意に洩らした言葉が原因で二度と取り返しのつかないような関係だってそこには生まれることになる。

 組織で生きてゆくのは難しい。
 近所づきあいも、友人関係も、親戚や親子関係も、複雑怪奇で難しい。そういう図式で人の関係は成り立っているのである。

 そして今日もまた、仕事で、人間関係で、心がゆっくりと瓦解してゆく・・・。
 
 夕方から青森駅前で、仕事がらみで人と会う約束があって、待ち合わせ場所までタクシーを飛ばした。
 相変わらず、湿気の混じった大粒の雪が激しく降って来る。
 「雪まつり」会場を眺めながら、相手と濃厚な意見の遣り取り。

 ひとり、心の中で呟いた。
 「ああ・・・オレはいったいここで何やってんだろ・・・」

 宿題や重い課題だけが増えてゆく。それを急いで片付けたとしても、また同じように別な宿題や課題が増え続け、それは仕事を辞めるまでしつこく付き纏ってくるだろう。

 それにしても、少しずつだけれど日が長くなってきたようだ。
 5時ごろになっても空がちょっぴり明るい。

 やっと仕事の遣り取りを終え、激しい雪が降り続ける中、家路を急ぐ。
 車庫から車を出し、八甲田の麓の学校へと車を飛ばした。
 吹雪で前がよく見えない。
 雪が積もった狭い道だと、ライトを点灯した対向車両とすれ違うのにも難儀する。轍(わだち)があって、ハンドルを切るのが難しい。

 ローリングストーンズに逢えるから、辛いことがあっても、こうして何とか頑張ってこれたのに・・・。
 






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「東京スカイツリーの天望からデッキから見下ろす、真冬の午後の光に沸き返る街」

2014年01月27日 | Weblog
 それにしてもここ数ヶ月の間、プライヴェートを含めて、結構頻繁に東京へと足を運んでいる。
 やっぱり、それも冬が多い。
 自然と体が温かい街へと向かっているんだろうか。

 日光もそうだったけど、あの「東京スカイツリー」も、前に一度真ん前まで来たのに「天望デッキ」へと登らずにそのまま引き返してしまったことがあった。
 なので、次に上京した際は絶対「東京スカイツリー」に登ろうと心に決めていた。

 最近は、本当に真面目に思っていることなのだけど、「あともう2度と来られないかもしれない。あともう2度と見られないかもしれない。あともう2度と聴けないかもしれない」このことが絶えず自分の頭の中で回っている。

 今を逃したら絶対後悔するだろう、これが最後になるかもしれない、今行動しないとあとになって悔やんでしまう、そんなことがいつも頭を過(よ)ぎるのだ。

 これっていいことだと思う。
 今がすべて。この瞬間が全部。あとはない。
 いつもこういう姿勢で人生に臨めたら、もと人生って充実する。そんなことを考える。

 で、行って来ました。東京スカイツリーへ。
 押上駅で降りて、すぐ目の前は東京スカイツリーの本体。
 天望デッキ入場券を買い求めるために大勢の人たちが並んでいて、約1時間待ちだった。土日だとこの何倍になるんだろう。

 高速スピードで上がるエレベーターに乗り込んで、天望デッキへと上る。
 混雑はしているものの、360度パノラマデッキは都内が一望できる見晴らしの良さだ。
 
 遠く、ディズニーランドのスペース・マウンテンが見えた。
 新宿高層ビル群、六本木ヒルズ、隅田川、浅草寺、高尾山・・・少し霞んでいるけれど、明るく照り返す冬の淡い太陽の光がそれらをより一層眩しくさせている。

 新幹線でも飛行機でも、電車でも車でも、ビルの中からでも家の窓からでも、とにかく何処でもいい、とにかく外の景色を眺めるのが大好きなのだ。
 一日中眺めていたって全然飽きるということがない。

 昔、大手町にある老舗ホテルPでアルバイトをしていたころ、休憩時間になるといつも、そこから眺める皇居のお堀端や周辺道路を走る車の流れや赤坂・青山方面に聳(そび)えるビル群を眺めていた。
 何にも考えず(いや、色々と考え事をしていたのかもしれないけど)、ただぼんやりと目の前に広がる都会の景色を眺めていたら、バイトの先輩に「お前、外眺めるの好きだねー」とからかわれたこともあった。それほど大好きだったのだ、昔から。
 ということで今回も大満足で「東京スカイツリー」をあとにした。

 そしてもう一つ、東京で印象的だったことがあった。
 それは、「伊勢丹」新宿店本館6階と7階で開催されていた「~パリ発、チョコレートの祭典~サロン・デュ・ショコラ」展で、これでもかと美味しいチョコを食べ尽したこと。

 会場は身動き出来ないほどの大混雑状態。
 それも大半が女性である。
 全世界から選りすぐりのブランド店が立ち並び、各国の有名ショコラティエ・パティシエたちが、自らサインや店頭販売をしている。

 「ゴディバ」の限定商品「ショコリキサー バレンタイン ストロベリー」も中々美味しかったけれど、「エスキス」の「ローズドサブール」というサクサク感満載のチョコ菓子と、名前は忘れてしまったけれど、抹茶ベースのマカロンそのものを「お焼き」のようにチョコ生地ですっぽり包んだスイーツが美味しかった。

 そのほか、チョコのソフトクリームも食し、最後は7階にある「ボナ」のイートインで締めの珈琲を飲む。
 これもまた、大満足のチョコ・ツアーでありました。

 有名ショコラティエの中の一人に青森県出身の方がいて、その人、イタリアの三ツ星レストランのシェフ・パティシエやニューヨーク、台湾でも修行を積んできたらしく、僕も青森から来ましたというと、買い求めたチョコを割り引いてくれた。
 その後、名刺まで頂いて、今度その銀座に構えるお店に行く約束まで取り交わしてしまった。

 それにしても、燦々と降り注ぐ陽の光を全身に浴びながら、勝手気ままに歩く街中散歩って、本当に愉しい。

 まあ、得てして、そういう愉しい時間を過ごした後に待っているのは、苛々だけが募る日常生活ってやつなんですが・・・。







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「宇都宮餃子のみんみん、日光東照宮の眠り猫、澄んだ男体山と中禅寺湖、癒しの華厳の滝」

2014年01月26日 | Weblog
 数年前、プライヴェートで東京へと出向いた際、ついでに日光まで足を延ばしたことがあった。
 その時「日光東照宮」の真ん前まで行ったのだが、結局、中には入らず、周辺をぶらっと散策して「ゆば料理」を食べただけで帰って来てしまった。

 学生時代にも一度行こうと計画をして、それも結局行けずに終わっている。
 日光って、ちょっとした因縁がある。
 それがやっと今年の冬、その念願が叶い、行って来ました冬の日光へ。
 
 まずは東京駅から東北新幹線に乗って「宇都宮」駅で下車。
 駅の東口にある宇都宮餃子の「みんみん」で腹ごしらえ。

 お昼前なのに、すでにかなりの行列が出来ていた。
 それでも店の従業員がテキパキと誘導してくれるので、10数分待っただけで店内へと案内された。
 水餃子と焼き餃子と揚げ餃子をそれぞれ注文してみる。
 6個で240円。かなり安い。

 水餃子はそれなりに美味かった。その他の餃子も悪くはない。
 でも正直言っちゃうと、これなら青森市内の「れもん」や「ワンミ」の餃子のほうが数倍美味しい。
 ニンニクや詰まった肉の量が全然違っているし、個人的にこういうアッサリ感のある餃子より、濃厚で肉厚な餃子のほうが好きだ。
 ただ、安さは半端じゃない。

 餃子を食べて満腹となった躯体を引きずって、宇都宮駅始発の「日光線」へと乗り込む。
 所要時間は約40分。すぐ日光駅に到着した。
 首都圏から近いというのが日光観光の利点だろう。

 まずは前回入らなかった「日光東照宮」へと向かった。
 拝観受付所で入場料を払い、最初は「神厩舎」の「三猿」を見る。あの見ざる、言わざる、聞かざるである。
 意外と小さい。

 そこから、有名な「眠り猫」を見て、坂下門から長い石段を登って「奥宮」へと向かう。
 最後は、「本地堂」の有名な「鳴龍」。
 本堂の天井に大きく描かれている龍が、住職の鳴らす鐘の響音で、まるで鳴いているように聴こえて来る。

 そして今回の冬の日光、どうしても行きたかった場所が、「戦場ヶ原」と「華厳の滝」と「中禅寺湖」だった。
 とにかく、そこが見たかった。

 快晴で雲ひとつない天候ということもあったのだろうが、濃い青色した中禅寺湖から眺める「男体山」は絶景だ。
 薄っすらと雪を被り、それが湖と空に挟まれるようにして屹立している姿は素晴らしいというしか、ほかに喩えがない。

 戦場ヶ原も美しかった。
 どこまでも広がる原野に、痩せ細った裸木の群れと白い雪が敷き詰められていて、それが真冬の日の光に照らされ、鮮やかに輝いている。
 地元のガイドさんが言うには「ここ数年、こんな小雪の年も珍しい」のだとか。
 また、「日光周辺は霧が凄くて、濃霧が立ち込めると中禅寺湖でさえまったく見えなくなる」らしい。
 今日はとても運がいいと言っていた。

 最後は「華厳の滝」。
 華厳の滝が一番見たかったかも。
 有料のエレベーターがあって、それに乗って滝つぼの下まで降りる。
 そこから数十メートルあるトンネルを潜ると、展望台があってそこから真正面に「華厳の滝」と対峙できるという仕立てになっている。

 マイナスイオンが凄いらしい。
 雄大な光景なのに、そこにじっと立ち尽くしていると、不思議と気分が和らいでゆくのが実感できる。
 滝の周りの岩肌に白い雪が積もっているのが、またなんともいえずに美しい。

 ただし、あとで聞いたら、なんとこの「華厳の滝」、夜になると役所が滝への出水量を機械で調整して、滝の流れを最小限に止めているのだとか。
 なんだぁ、「華厳の滝」って人工の滝だったのね・・・。

 (そのときは)満足してエレベーターを登って外に出た。
 近くのお茶屋さんで「ごへい餅」を頬張っていたら、テーブルの横に「猿避け」の棒が置いてあるではないか。
 店の人に聞いたら、本当に猿がドアを開けて中に入ってくるので、見かけたらその棒で追い払ってくださいとのことだった。
 へえ。

 東京から近いので、首都圏に行った際にはお勧めですよ、日光は。

 華厳の滝は、人の手が入っているけど・・・。








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遂に出ました! ビートルズのアメリカでリリースされたオリジナルCD版「U.S. Albums」

2014年01月25日 | Weblog
 なんだかんだ言っても(なんだかんだ言わなくても)、やっぱり最後はビートルズに戻ってしまう。
 もちろん、まったく聴かない時期もあったりするけれど、結局、最後はビートルズということになってしまうのだ。これが。

 そういう意味じゃあ、ちょっと恐ろしくなるくらいこのバンドって神懸かり的なグループだったと思う。
 そのことを、聴き直すたびに再確認する。

 僕のビートルズとの邂逅は、忘れもしない、あの映画「ヘルプ! 4人はアイドル」だった。
 ちょっと記憶が薄れてしまったけれど、その映画を観たのと、ビートルズ日本公演をテレビで観たのと、どっちが先だったかは今ではもうすっかり忘れてしまった。

 とにかく、あまりにもその出会いは衝撃的だった。
 僕の映画と音楽に関する原体験は、「ヘルプ! 4人はアイドル」と「エレキの若大将」、この2本にほかならない。

 この2本の映画を観てしまったことで、僕は非常に高い志と理想と夢を抱いてしまい、人生のハードルを愚かにもかなり高く上げ過ぎちゃって、今、こういうふうなとんでもない状況へと追い込まれてしまったのである。

 掲げていた夢と希望と、今いるこの現実との、あまりにも違い過ぎる落差!
 今すぐ、これまでの人生返してよ、ビートルズと加山雄三さん!
 もしも、あなたたちと出会わなかったら、僕はもっと真っ当でささやかな人生を歩んでいたんだから。

 ほんと、どうしてくれるんだろ?
 この責任をどう取ってくれるんだろ?
 ああっ。本当に憎たらしい。

 そりゃあ、そうだよね。
 原体験で見せられたものが、こういう行く着くところまで行ってしまったような最高の音楽で、若さっていうのは誰もが成し遂げられる可能性を秘めているんだと映画の中でこれでもかと見せつけられたら(若大将シリーズですね、きっぱり)、純粋な田舎暮らしの少年なら純粋に信じるわ。
 いくらそれが虚しい虚構で、現実はそんなに甘くないってこと、心の奥底では知っていたとしても・・・。

 そんな、憎たらしくて、それでも大好きなビートルズ。
 今年2014年は、アメリカへの初上陸、そして日本でのデビュー50周年である。
 そのアメリカ上陸50年を記念して、USオリジナル盤がこのたび CDで復刻発売された。

 値段は、日本盤ボックス・セットが31.500円。
 それから輸入盤だと少し安くなって、18.365円(いずれもアマゾンにおける現時点での価格です)。
 買おうか買うまいか、なかり迷ったけれど、結局物欲に負けて輸入盤のほうを買っちゃいました。
 しっかし、それにしても、お金がいくらあってもこれじゃあ足りません。次から次と色んな仕掛けをしたリイシュー盤が発売されるので、買っても買ってもキリがない。

 ビートルズだけじゃなく、ストーンズもそうなんだけれど、彼らの初期のアルバムはアメリカと本国イギリスとでは曲やジャケットが若干異なっていて、しかも同じジャケでも曲が数曲違っているので、本当に困ってしまう。

 僕はどちらかというと物凄く几帳面なほうなので(こういうことだけに関しては)、ストーンズに関してもイギリス盤とUS盤も、どちらも買い集めた。
 なので、ビートルズも、アメリカ編集アルバム13組がCDボックス・セットで復刻されることになったと聞いて、実は小躍りしたほうのくちである。

 今回の13枚組のボックス、未だCD化されてこなかったUS版「A Hard Day's Night」と「Yesterday & Today」と「ヘイ・ジュード」が入っているのが嬉しい。
 ひとつ残念なのは、唯一の公式ライブ盤「Hollywood Bowl」が今回CD化されなかったことだろうか。

 その中で、「Yesterday & Today」のアルバムは、なんと、あの幻のブッチャー・カヴァーなのだ。
 ブッチャー・カヴァーとは、当初、「Yesterday & Today」のアルバム・ジャケットに採用されたフォト―それをブッチャー・カヴァーという―のことである。
 ところが、ブッチャー・カヴァーが余りにも残酷な写真だということで、発売直後に別な写真へと変えられてしまったために、希少価値となったそのアルバム・ジャケットLP、今度は凄まじい値段が付けられてファンの間で取引されることになったのだ。

 僕も一度、青森市内の中古レコード屋で実物を見たことがある。十万単位の値段がついていたと思う。

 そういうことで、何かと話題の多い今回のボックス13枚組。
 まだすべてのアルバムを聴いてはいないけれど、やっぱり後期のビートルズに手が伸びてしまう。

 ヘビー・ローテーションは今のところ、「ラバー・ソウル」、「ヘイ・ジュード」といったところでしょうか。










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「失恋ショコラティエ」。月9ドラマが面白いので、水城せとなの原作漫画も全巻買って読んでます。

2014年01月24日 | Weblog
 いやあ、フジテレビ月曜日夜9時からのドラマ「失恋ショコラティエ」が面白い。
 久々に月9ドラマ、面白いと思った。
 最近、ほんとこの時間帯は不振続きだった。

 さすが松潤、そして石原さとみ(別に贔屓目で見ているわけじゃなくて、石原さとみが出るとドラマ自体が締まる)、それから水川あさみ(今回の水川あさみ、すんごくいい。これまであんまり好きなタイプの女優じゃなかったけれど、このドラマの彼女はいいと思う)、水原希子、溝端淳平、有村架純、みんな適役である。

 それと、ドラマ主題歌の、嵐が歌う「Bittersweet」。
 この曲がまた素晴らしい。
 個人的に、嵐の楽曲ってこれまでイマイチ食指が伸びてこなかったのだけれど、この「Bittersweet」はいい出来に仕上がっていると思う。

 先日、飲み会である人が、「松潤ってSだからいいんであって、Mっぽい『失恋ショコラティエ』の小動爽太(こゆるぎ そうた)役は似合わない」といっていたけれど、こういう松潤も中々いいんじゃないかなあ。

 それに今回のドラマ、特に輝いているのが、石原さとみ、そして水川あさみである。
 小悪魔的な役どころの石原さとみもしっかり光っているけれど、井上薫子(いのうえ かおるこ)役の水川あさみがいい味を出している。

 ドラマ「失恋ショコラティエ」が面白いのは、全員が片思いだという、その相関図が面白くて惹き付けられるのである。
 そして、そこにシリアスさがないからいい。
 ここに深刻な恋愛模様が描き出されてしまうと、途端につまらなくなってしまうだろう。ラブコメだからこそ、ストレスをまったく感じずに安心して観ていられるのだ。

 なので、とにかくドラマの先が気になり出して、アマゾンで原作漫画ってどうなってるんだろと調べてみたら、まだ完結とはなっておらず、既に第7巻まで出ているらしい。

 原作者は、水城せとなという人。
 当然、これまで一冊もその著作を読んだことはない。

 仕事を終え、吹雪舞う街を歩き、中心市街地にある「N本店」2階のコミック・コーナーへと駆け込んだら、ずらりと原作コミックが立て掛けられていた。
 ネットで買う分には全然恥ずかしくないのだが、店頭で女性店員の前にいい歳をした怪しげな男性が少女コミックを差し出すのって、ちょっぴり恥ずかしい。

 でも、読みたいのだから仕方がない。
 勇気を出して、まずは①から③までの3冊だけを買い求める。

 帰りの雪道も何のその、早足で家へと帰り、寝っ転がって「失恋ショコラティエ」の漫画を第1巻から読み始める。
 絵自体はそれほど惹きつけられるものはなかったけれど、でもこれはこれで面白い。
 当然、続く巻も速攻で買っちゃいました。

 ストーリーは完全にドラマとおんなじ。
 っていうか、原作漫画を丁寧になぞっているのが月9ドラマなので、逆といえば逆ですね。

 高校時代から憧れ続けていた吉岡紗絵子(サエコ)と付き合っている(と自分で思っている)のが、主人公の小動爽太。
 バレンタインデーの前日にも、徹夜状態で一生懸命作ったチョコレートをプレゼントするも、サエコは受け取ってくれない(彼女は次々イケメンたちと付き合っている)。
 衝撃的な失恋を負った傷心の爽太は、何も持たずにフランスの有名パティスリーである「ボネール」を訪れ、強引に雇ってほしいと頼み込む。

 それから5年の月日が流れる。
 ボネールの日本上陸が決まり、爽太はサエコを振り向かせるただそれだけのためにショコラ専門店「ショコラヴィ」を開店させることに。
 ところがなんと、愛するサエコさんは既にバツイチの男性と結婚が決まっていた・・・。

 まあ、こんな具合に、出だしのざっくりした物語は漫画もテレビも同じである。
 ここだけ押さえていれば、今からドラマを観たとしてもまったく問題ないだろう。

 漫画は先を行っちゃっているので、まだ原作コミックを読んでいない人にとっては、ここに書くとネタバレになるのであえて書きませんが、物語はそこから二転三転して、次の展開に目が離せなくなる。

 久しぶりに少女コミック(こういう表現ってもう古いんですかね)を読んだけれど、これはハマりますなあ。

 この勢いをかって、随分昔に取り揃えているのに未だに手を付けていない、大河少女漫画「ガラスの仮面」、これからじっくりと読もうかな。










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映画「ザ・コール 緊急通報指令室」はスピード感があって面白い。さすが「マシニスト」の監督だ。

2014年01月23日 | Weblog
 まだ1月の時点なのではっきりとは断定出来ないけど、今冬の雪は中々効率のいい降り方をしている。
 積雪の量も去年と比較してかなり少なめだ・・・なんてことをここで書いてしまうと、1月下旬から2月にかけて大雪が降ったりすることがよくあるので、まだまだ油断は出来ませんが・・・。

 つい先日、お正月が来たなんて思っていたら、もう1月も下旬へと突入してしまった。
 色々と雪掻きするみたいに降り注ぐ色んな案件を処理しているのだけれど、イマイチ心が浮き立たない。
 なんでだろう?

 今週末から、気温もプラスに転じるようだ。そして、あっという間に2月がやって来る。
 その1カ月を乗り切ったら、この街にも春がもうそこまで・・・。

 ということで今の時期、大きなイベントも特になく、なるべく早目に家に帰り、のんびりと、漫画を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たりしながらゆっくり寛いでいる。
 もちろん、仕事は仕事で、色々と立て込んおりますが。

 最近は、映画「ザ・コール 緊急通報指令室」を観た。
 けっこう短めの映画ではあるけれど、しょっぱなからハイテンションを保って最後まで突っ走る。
 監督は「セッション9」やあの「マシニスト」を撮ったブラッド・アンダーソンだ。悪くないわけがない。

 それにしてもブラッド・アンダーソン監督の映画「マシニスト」は面白かった。
 なんと、1年間眠っていない男が主人公だった。
 主演が、バットマンのクリスチャン・ベイル。
 当時話題となった、約30キロ減量して挑んだ鬼気迫る演技が凄かった。30キロである、30キロ!

 映画「マシニスト」は、サイコ・サスペンス映画で、内容とともにサンダンス映画祭やベルリン国際映画祭などでも高い評価を得た。
 そのブラッド・アンダーソンの最新作が「ザ・コール 緊急通報指令室」ということになる。

 今回の「ザ・コール 緊急通報指令室」の主人公の女性には、「チョコレート」でオスカーに輝いたハル・ベリー。
 911緊急通報指令室のオペレーター役である(911は、日本でいうところの110番といったところだろうか)。さすがに、巧い。
 
 911緊急通報指令室のオペレーターには、24時間引っ切り無しに通報が寄せられてくる。
 自殺志願の男性、強盗が入ったとの情報、暴力事件の通報や様々なトラブルの電話・・・、緊急通報が鳴るたび、ジョーダン(ハル・ベリー)は、的確な指示を出し、相手側を落ち着かせ、素早く関係機関へと繋いでゆく。
 そしてその対応は、仲間たちからも厚い信頼を得ていた。

 ある日、ジョーダンの元へ若い女性からの通報が入る。
 見知らぬ不法侵入者から突然襲われているとの叫び声を聞き、ジョーダンは必死で相手への指示を出すのだが、結果、最悪な結果(死体として発見される)に終わり、彼女は仕事に対する意欲を失い、自責の念に苛まれてしまう。

 そんな折、美少女ばかりをターゲットに拉致して最後には殺してしまうという、謎の連続殺人鬼に拉致されて車のトランクに監禁された少女(アビゲイル・ブレスリン、「リトル・ミス・サンシャインン」に出ていた子)から、緊急通報司令室にSOSの緊急電話が入って来る。

 前回の失策からトラウマに陥っていたジョーダンだったが、携帯電話の通話だけを頼りに、全能力を尽くして監禁されている少女の救出にあたる。
 拉致・監禁された少女とジョーダンを繋いでいるのは、たった一本の携帯電話のみ。
 果たして、少女を救出し、謎の連続殺人鬼を逮捕出来るのか?
 
 上映時間を90分程度に縮め、余計な人物周辺は一切描かず、最初に主人公ジョーダンの失敗を描くことで、続けて起こる少女拉致事件に絡む彼女を際立たせ、一気に電話一本だけが命綱という過酷な状況を作り出す。
 上手な演出だと思う。

 ただ、一点だけ難点(というほどでもないけれど)を言えば、ラストのラストにおける犯人への接し方というか、事件への処理の仕方だろうか。
 ネタバレになるのでこれ以上は書けないけれど、もうちょっと犯人への判断を含めて余韻を残すような演出があっても良かったのに。

 でもこれとて、人それぞれの好みなので。
 なーんも難しいことなんか考えず、楽しめますよ最後まで。








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「大好きっ!! 新宿御苑」

2014年01月22日 | Weblog
 プライヴェートで東京に行った際、時間があったら必ず寄る場所がある。
 「新宿御苑」だ。
 ここ、大好きっ。

 癒される。
 心が洗われる。
 花々に囲まれているだけで気分が上向いてゆく。

 「新宿御苑」は、環境省が所管している国民公園だ。
 「ウィキペディア」によると、―もともとは江戸時代、信濃高遠藩内藤家下屋敷のあった敷地で、1879年(明治12年)新宿植物御苑が開設され、宮内省(現在の宮内庁)の管理するところとなる。
 第二次世界大戦後、一般公開され、現在は環境省管轄の国民公園として親しまれ、2006年(平成18年)、「新宿御苑」の名を冠してから100周年を迎えた。
 開園100周年事業の一環として、絶滅が危惧されている植物の保護センターを設置することが計画されており、例年4月上旬には内閣総理大臣主催「桜を見る会」、11月上旬には環境大臣主催の「菊を観る会」が開催される。―
 ということらしい。

 新宿駅を降り、紀伊國屋書店で何冊か本を探し、隣のビルにある「ディスク・ユニオン」に寄って掘り出し物の古いロックのCDを見つけ、隣接している音楽関係の本だけを集めたコーナーでロック関連の本を何冊か買い求める。

 そして鞄にその本とCDを詰め込み、そこから10分程度歩いた場所にある「新宿御苑」へ立ち寄って、広い芝生の上に寝転がって空を見上げる・・・。
 ああ、至福の時間である。

 特に冬の「新宿御苑」が大好きだ。
 晴れていたなら申し分ない。
 そういう時は必ず立ち寄ってみる。

 まずは200円を払って園内へ。
 いつも入るのは「新宿門」から。
 ほかにも「大木戸門」と「千駄ヶ谷門」がある。

 面積が58.3ヘクタール。外周が3.5キロある。
 とにかく広い。

 とにかく僕はまず最初に、広々とした芝生地帯を目指すことにしている。
 ここがいいんだなあ。
 寝転がって真っ青な空を見上げながら、ゲート近くの自動販売機で買って来た缶珈琲を飲む。
 ああ、美味いっ。

 西の方角に「NTTドコモ代々木ビル」が見える。
 なんか、ニューヨークのセントラル・パークから見る摩天楼みたい。
 スズカケノキが、冬の陽光を受けて風にゆっくりと揺れている。

 「イギリス風景式庭園」や「フランス式整形庭園」の品の良さや風格も好きだけれど、やっぱり「日本庭園」でしょ。

 シグナル・レッドしたカンツバキが綺麗に咲いている。
 鮮やかな黄色をしたフクジュソウも美しい。
 カンザクラはまだのようだ。ウメもまだ咲いてない。
 でも、ジャノメエリカの薄いモーヴの色が午後のひかりを浴びて輝いている。

 なんで、こんな素晴らしい場所、みんな来ないんだろ。来てるのかもしんないけど・・・。

 「日本庭園」の「下の池」と「上の池」をぐるりと周ってみる。
 年老いた夫婦連れが、ゆっくりと池のほとりで佇んでいる。若いカップルが満面の笑顔をたたえ合いながら手を繋いで歩いている。

 途中、ケヤキやユリノキやシラカシの木々から零れる陽のひかりが身体を包んでくれるから、気持ちが落ち着いてきて、嬉しくなってしまう。

 ハクモクレンが並んでいる茶室の近くのベンチに腰を掛けて、また空を仰ぐ。
 何の鳥かはよく判らないけれど、楽しそうにさえずる声が微かに響いて来て、それが午後の穏やかな大気を静かに揺らしてくれるから、それがまた心地よい。

 「新宿御苑」、どんなセラピストも敵わない。

 無敵の聖地だ。









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マシュー・マコノヒー主演の映画「MUD」は、「スタンド・バイ・ミー」のような少年成長ドラマ。

2014年01月21日 | Weblog
 週末が終わって、また月曜日が来たと思うとすぐに火曜日へと変わる。そしてあっという間に水曜日。それも瞬きするくらいに終わってしまい、いつの間にかもう木曜日だ。

 そうかあ、もうすぐ週末と浮足立っていると、そのうち金曜日も過ぎて、待望の土日が始まってゆくけれど、それさえ一瞬で終わってしまう・・・。
 で、また暗~い月曜日が始まる。
 そんな繰り返しなのだ、人生なんて。
 
 時間なんて儚い。
 そして人生もまた儚く過ぎてゆく。

 青春真っ只中だと思っていても、すぐにそんな黄金の時は終わってしまう―その真っ只中にいる時でさえ、ひとはその素晴らしい輝ける時間のことなど自覚しない―。

 映画では、そういう最も人間が輝いている青春の一コマをこれまで幾度となく描き続けて来た。
 最も多く描かれて来たのは、俗に言うところの「青春映画」のジャンルだろう。
 それは18歳前後における一番楽しい季節―何度も言うけど、それは後でそんなふうに感じて懐かしがるだけで、その青春の只中にいる時は、そういう自覚なんてまったくない―を、恋愛や友情や暴力や生と死などの色んなキーワードを駆使して描いて来たのである。

 青春映画の傑作は多い。
 今、個人的に思い浮かべてみても、「卒業」、「個人教授」、「ウェストサイド物語」、「ロミオとジュリエット」、「ひとりぼっちの青春」、「ビッグ・ウェンズディー」、「トレインスポッテイング」・・・まだまだ数え切れない。

 これに、日本映画と最近の洋画、それとジャンル的には少しずれていても「青春映画」(それにしても曖昧な表現だ!)として捉え直したら、もっともっと面白い映画はいっぱいあるだろう。
 だって、あの「仁義なき戦い」(第1作目と第2作目辺りとか)だって、青春映画の傑作として観ることは可能である。

 マシュー・マコノヒー主演の映画「MUD」もまた、「スタンド・バイ・ミー」のような少年成長ドラマ、青春映画の一つとして捉えることが出来る。

 映画「MUD」主人公の年齢は少し低くて14歳。
 こういう微妙な年齢―青春に突入する少し前の多感で感受性の強い年頃―を扱う映画にもまた傑作が多い。

 監督は、「テイク・シェルター」のジェフ・ニコルズ監督。主役がマシュー・マコノヒー。
 あんまり、マシュー・マコノヒーって個人的には苦手な役者だけれど、ハリウッドじゃかなり持て囃されている。

 映画の舞台はアメリカ南部の小さな街。
 その郊外の川岸に両親と暮らしている14歳の少年エリスは、ある日、無二の親友とボートに乗って出かけた河の無人中州で、謎のマッドという男と出会う。

 マッドは誰かから身を隠しているようだ。そして何かの秘密を抱えているようだ。
 少年2人は家からこっそりと盗んで来た缶詰を分け与え、壊れた古いボートに寝泊まりしているマッドと少しずつ仲良くなって、友情を育んでゆく。

 やがて少年2人は、マッドが人を殺して警察や賞金稼ぎたちから追われていることを知ってしまう。
 マッドは、幼なじみで最愛の女性(リース・ウィザースプーン)と再会するために敢えて中洲の奥に身を隠していたのだが、彼女は殺された家族たちから見張られていて、警察もマッドの行方を追っていた。

 主人公のエリスもまた、両親の不仲による離婚騒動に心を痛めていて、街で知り合った年上の女の子との初恋も絡み、マッドたちの真剣な愛の逃亡に一肌脱ごうと決心するのだが・・・。

 マシュー・マコノヒーとリース・ウィザースプーンの2人が、いい味を出している。
 それと、少年エリスの親友役の少年が、映画「スタンド・バイ・ミー」のリヴァー・フェニックスにちょっと似ていて、これもまたいい。人気が出るかもしれない。

 マシュー・マコノヒーは、この映画で今度のアカデミー賞にノミネートされるのではないかという噂があるけれど、映画自体、全体的に悪くない仕上がりにはなっている。

 ただ、だからといって、この映画があの佳作「スタンド・バイ・ミー」と同列視出来るほどの映画かと問われたら、そこまでは行ってないと答えるしかないだろう。

 ラストがイマイチなのである。
 ここに、ビターな青春前夜の切なさが加わっていたなら、かなりの線まで到達出来たかもしれないけれど・・・。









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「ユーミンの罪」

2014年01月20日 | Weblog
 講談社現代新書から出版された、酒井順子「ユーミンの罪」を一気に読んだ。

 目から鱗である。
 というか、やられたと思った。
 こういう論考を書きたかった、本当は。

 音楽論と、自分史と、それから70年代・80年代・90年代という時代の気分と雰囲気と、そしてそれらが絡み合った日本の文化史とが上手に交じり合っている。
 酒井順子さんに先を越されてしまった。
 狙っていたんだけどなあ、ユーミンと自分史との融合というコンセプト・・・。

 実は、酒井順子ってエッセイスト、あんまり好きじゃなかった。
 彼女の著書「負け犬の遠吠え」という、人生の「勝ち組」と「負け組」をステレオタイプにカテゴライズした(もちろん、読み込めばそこまで表層的に括っているわけではないとしても)提示の仕方に、ちょっとムカッとしていたのである。
 
 でも、今回新たに講談社現代新書から出版された「ユーミンの罪」はとても面白かった。
 ネットの書き込みの中に、「論理的じゃない」という批判があったけど、それは少し違うんじゃないか?

 この本を、ユーミンに関する音楽的な分析と検証を整理した文献として捉えるべきじゃないと思う。
 あくまでも、70年代からバブル期にかけて、ユーミンが「時代と寝ながら」、そしてユーミンが「時代の一歩先を予言しながら」創り上げた多くの傑作アルバムと、酒井順子を始めとする同世代(あるいはそれと前後する世代の女性たち)との接点を、時代の移り変わりとともに語ってゆくという、そういう類いの本であると思う。

 本の帯がその全てを簡潔に語っている。
 『ユーミンの歌とは女の業の肯定である。ユーミンとともに駆け抜けた1973年からバブル崩壊まで、キラキラと輝いたあの時代、女性達の意識と世の中に与えた影響を検証する。ユーミンが我々に遺した「甘い傷痕」とは? 著者初の新書(単著)』と。

 正直に白状すると、酒井順子よりも早くユーミンに触れ、彼女のアルバムに早い時期から共鳴し、すべてのアルバムを深く聴き込んで来たという、そのプライドと自負はこの「ユーミンの罪」で儚くも崩れ去ってしまった。

 まだまだ俺は甘い。
 表層的な聴き方でしかなかった、それがとても恥ずかしい。悔しい。
 男であることが起因しているのかもしれない。

 酒井順子「ユーミンの罪」は、1973年の処女作「ひこうき雲」から、1991年の「DAWN PURPLE」まで、全部で20枚に及ぶアルバムを紹介しながら、その歌詞に隠されている意図や、時々の時代との接点や、広く社会学的アプローチも含めて書かれている。

 ただ、「紅雀」や「時のないホテル」のアルバムは、ここではセレクトされていない。
 確かにこの2枚、70年代から華やかかりし90年初頭までを一気に駆け抜けたユーミンとしてのアルバムの中で、幾分異質な光を放っていることは事実であり、この本の文脈の流れでは捉えきれない部分だったのかもしれない。
 僕は大好きな2枚ですが・・・。

 酒井順子は述べる。
 ユーミンのアルバム(あくまでも本の中で取り上げたアルバム)の中に描かれている女性たちには「助手席」に座る女性の視点があると。

 「中央フリーウェイ」、「真冬のサーファー」、それから「ノーサイド」もそうだろう。
 彼女は、あくまでも運転している彼氏の隣にいる。
 そして、湘南の海でサーフィンしている彼をじっと浜辺で見つめている。または、ラグビーの試合で最後のゴールを外してしまった彼氏のラガーマンをたった一人スタンドで応援している・・・。

 また、酒井順子はこうも述べている。
 それでもユーミンは、その切り口一辺倒で音楽表現してきたわけではないと。
 
 彼にふられても気丈に振る舞い、強気で前を見据え、時には「ダウンタウン・ボーイ」のように上目目線で愛を語り、時には「パール・ピアス」のように別れ際に片方のピアスを彼のベッドの下に忍ばせて復讐を果たそうとする。

 僕が個人的にその鋭い表現力に圧倒されたのは、1985年のアルバム「DA・DI・DA」に入っている「青春のリグレット」だろうか。
 この歌詞は凄い。女の底力が透けて見えてきて怖くなる。

 女は男をふったのだろう。ずっと愛していた最愛の男だったようだ。でも、女は別の知らない男性と突然結婚してしまう。
 その時の、別れた男に託す最後のメッセージの言葉が、『私を許さないで 憎んでも覚えてて 今でもあなただけが青春のリグレット』である。
 いつ聴いても凄まじい歌詞だ。

 まさに、女の業である。
 女の傲慢さと、恋愛への限りない矜持と、身勝手さと、揺るぎ無い愛の執念と、限りない諦観とが、鮮やかに混合している。

 男は、絶対に死ぬまで女には勝てやしないのである。

 ああ!








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「色んなことが終わって、また色んなことが始まってゆく」

2014年01月19日 | Weblog
 健康な人間にも、日々、癌細胞は生まれている。
 一日、約5000個の癌細胞が人間の身体の中では出現しているらしい。

 ところが、健康な人間の身体はとてもよく出来ていて、そういう悪い細胞をやっつけてくれる頼もしい味方が住んでいる。
 何か?

 それは、NK細胞という名の素晴らしいスーパーマンなのである。
 この強い味方が、日々現れる悪い癌細胞を、えいっ!と片っ端から退治してくれるのだ。
 ところがこのスーパーマンにもちょっとした弱点がある。泣きどころである。

 アンパンマンが水に弱いように、NK細胞はストレスに弱い。ストレスを感じると、途端に弱くなってしまう。
 ということは、様々な病気に罹ったり、ちょっとしたことで風邪をひいたりする人は、このNK細胞が他の元気満々な人よりもそのパワーが弱いということを意味している。

 もちろん、病気に罹りやすい人、癌になりやすい人、それらがすべてストレスから起因しているなんて、そんな乱暴な意見を吐くつもりはない。
 ただ言えるのは、人間の最も手ごわい敵、それは目に見えないストレスであるということだ。
 ストレスの始末が悪いのは、直接的な自覚がないということかもしれない。それは、静かに、そして深く、人間の奥底に侵入して、人の身体を蝕んでゆく。

 となると、僕たちの強い味方NK細胞を、より強力にパワーアップさせるのにはどうしたらいいか?

 簡単だ。
 まずはストレスを極力溜めないこと。
 そしてNK細胞をより強くする食物をいつもマメに摂取すること。
 この二つが大事である。
 ではその食べ物とは何か?

 「R―1ヨーグルト」が、いいらしい。
 インフルエンザや風邪、それからガン細胞にまで効果があるらしい。かなりの免疫力がアップするんだとか。
 なので、最近は毎日この「R―1ヨーグルト」を食べている。別に宣伝料を貰っているわけじゃありませんので。あしからず。

 前置きが長くなったけれど、こうして今日の日曜日も、朝起きて真っ赤なラベルのリスクと闘う乳酸菌「R―1ヨーグルト」を食べ、午後からの仕事に向かう。

 修士論文を提出し、3年振りにやっとのことで短い小説を書き上げたので、それなりに気分はいい(でもまたすぐに落ち込むけれど・・・)。
 あとは「津軽学」の原稿を仕上げるだけだ。

 少しずつ前に進む。少しずつハードルをクリアし、一歩でも先を見続ける。これしかないだろう。
 でも別に、前向きに生きようと、能天気な戯言を叫んでいるわけではない。
 いつもと同じように、何事にも懐疑的で、悲観主義で、自己憐憫に塗れっぱなしの、最低で、嫌な男に変わりはない・・・。

 それにしても、仕事に対する思い入れがまったく無くなってしまった。どうしよう。
 でもそれは、今ある仕事の手を抜くとか、いい加減にうっちゃるとか、適当に妥協するとか、そういう事では決してなくて―いや、それだけは本当にないなあ。いい加減な仕事をしちゃうことで自分自身の評価(仕事の評価じゃなくてね、自分そのものの評価ね)が下げられることに耐えられないというか、プライドが許さないというか―、もう別な場所にある、とても魅力的なものに心を奪われちゃった自分がいる。

 そんな感じで、今日の午後も仕事を片付け、仲のいい、気心の知れた、何人かの仲間たちと(仕事仲間じゃなくてね)、中心市街地に集って珈琲を飲みながらそれぞれの毒を吐き出し合った。
 何でも話せる仲間って、ほんとにいい。
 ストレスがなくなる。

 この余勢を駆って、3月末までに、これもずーっと未完のままほったらかしていた小説をきちんと完成させようかなあ。
 やっぱり、本もちゃんと出したいし・・・。

 しっかし、この心の乱高下って何なんだろ?
 俺って、躁と鬱の周期が余りにも激し過ぎないかぁ?

 これって、何かを成し遂げたことによる、気持ちいい達成感だったらいいんだけど・・・。
 なんかそれとは違う気も・・・。
 







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傑作! 映画「鑑定士と顔のない依頼人」このミステリーすこぶる面白い。極上ラブストーリーと言えるかも。

2014年01月18日 | Weblog
 いやあ、面白かった。

 久しぶりに面白い映画に出会う事が出来た。
 その喜びに浸っている。
 心から堪能した。

 最後までまったく飽きさせない。
 とにかく、この先どうなるんだろうと気が揉めて仕方なかった。そういういい意味で、時間が気になって、ちょくちょく腕時計を見てしまう自分がいた。

 これって、個人的にはいい傾向なのだ。
 映画を観ながら時間を気にするのは、「退屈過ぎて、全然面白くない映画」か、それとは真逆の、「あまりに面白くて、この映画って一体どこに進んでゆくんだろ。そういえば、あとラストまで何分残ってるんだ?」という場合の2パターンがある。

 当然にして、今回は後者である。
 その映画は、「鑑定士と顔のない依頼人」。

 監督は、名作「ニュー・シネマ・パラダイス」を撮り、カンヌ映画祭で審査員特別賞、アカデミー賞外国語映画賞などを受賞した、あの名匠ジュゼッペ・トルナトーレ監督。

 ジュゼッペ・トルナトーレ監督は、ほかにも「海の上のピアニスト」や「マレーナ」などの秀作がある。
 そのどれもが素晴らしい作品だと思う。

 今回の「鑑定士と顔のない依頼人」は、「朝日新聞」映画評で沢木耕太郎氏が大絶賛していて、2回観たら前回とは全然違う映画へと変っていたという趣旨の発言までしていたので、なんとしても観たかった。

 実際に、「鑑定士と顔のない依頼人」の映画のポスターでも、「結末を知ったらもう一度 リピーター割引2回目以降は割引1000円」とあって、2回目ではまた新たな発見がたくさんあるらしい。

 主演のジェフリー・ラッシュが素晴らしい。
 とにかく素晴らしいの一言に尽きる。名演というか怪演というか、最高の演技をみせてくれる。

 そして音楽がエンニオ・モリコーネ。これもまたいい味を出している。
 「鑑定士と顔のない依頼人」は、イタリアのアカデミー賞と言われるダビッド・ディ・ドナテッロ賞で作品賞、監督賞、音楽賞をはじめ6部門を受賞した。
 たぶん、2013年外国映画ベストテンにも必ずやエントリーされるに違いない。

 ストーリーも特に複雑で小難しいところがまったくない。
 天才的で素晴らしい審美眼を誇る鑑定士がいる。
 バージル・オドマンというその初老の男性は、潔癖症から手袋をしたまま高級レストランで独りの食事を摂り、決して笑う事のない気難しい、そして孤独な独身者である。

 彼はある日、電話で、資産家の両親が残してくれた絵画や家具がたくさんあるので、その査定してほしいという依頼を受ける。
 高飛車な対応をしながらも、鑑定士バージル・オドマンはその屋敷を訪れることに。

 ところが、その依頼人と名乗る女性クレアは、大きな屋敷内の隠し部屋にこもったままで誰の前にも一切姿を現さない。
 広場恐怖症らしいその謎の依頼人は誰とも対面することが出来ず、あらゆる対応は隠し部屋からの指示で行われていた。

 美術品の鑑定が進んでゆくうち、バージルはひと目彼女の本当の姿を見たくなる。
 彼は、屋敷から帰ったふりをして、クレアが部屋から出て来る瞬間を見届けようと美術品の後ろへと潜み、遂に彼女の姿を目撃する・・・。

 伏線がたくさん映画の中に隠されている。

 めくるめく陶酔とは、こういう映画を観た際に言うのだろう。
 次の展開が待ち遠しくて、心臓は高まり、胸が躍ってゆく。

 こういう素晴らしい映画を観ていることへの幸福感と、心地よい陶酔感に最後の最後まで包まれる。
 これは極上のミステリー映画というよりも、美しくも哀しい愛の物語ではないか。

 そしてラストは、あっと驚くどんでん返し!

 思わず唸ってしまった。
 というより、初老の鑑定士バージルの深い哀しみに、胸がぎゅっと締め付けられてしまった。

 映画「鑑定士と顔のない依頼人」は傑作である。

 またこれは、美しいラブストーリー映画としても大傑作である。
 ああ。生きててよかった。








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「何を見ても、何を話しても、何を考えても、何を行っても、今居る場所への違和感だけが消え去らない」

2014年01月17日 | Weblog
 1月17日金曜日。

 朝5時半には目が覚めたけれど、またゆっくりと眠りに落ち、結局、携帯の音で起こされた。
 朝方の東京の空は曇っている。

 昨日の夜のうちに買っておいたピーナツバター・サンドイッチとパックの牛乳を飲み、「国領」駅を出る頃には雲ひとつない青空が広がっていた。
 駅前で「東京新聞」を買う。110円。

 東京都知事選が実質的に「細川VS舛添」という構図を受けたことで、俄かに選挙自体が活気だってきたようだ。
 そんな東京都知事選の記事で埋まっている「東京新聞」を読みながら、明るい陽射しが差し込む街並みを車内の窓から眺めていた。

 それにしても気持ちのいい青空だ。
 気分まで違って来る。

 それに、新幹線の車内でやっと書き上げた小説のこともあってか、気分は割りといい。
 でも、約3日間で書き上げた短編30枚―前半の部分は前に書いてそのままほったらかしにしていたのだけれど―、じゃあ、これまでの何も書かなかった(書けなかった)空白の3年間って一体なんだったんだ?

 おいっ!

 追い込まれないと書かない、否、書けないこの悪い性分、ほんとになんとか改善出来ないものか・・・自分で自分が嫌になる。
 ただ小説は一応完成したとして、「津軽学」の論考のほうがほとんど出来てない状態にある。
 締め切りが月曜日なのに・・・これもどうしようか。

 今日は新宿で仕事の打ち合わせ。某デパートに向いての細部を詰めた協議ということになる。
 それが終わると、そのまま東京駅から新幹線で青森へ。これで2泊3日間の出張が終わるのだ。

 たくさんの宿題を貰って、打ち合わせをした新宿のビルを出た。
 平日だというのに新宿はかなりの人で賑わっている。
 早足で新宿駅へと戻り、そこから中央線で東京駅。午後3時前発の新幹線にやっと乗り込めた。

 車両の中まで、真冬の暖かい太陽のひかりが入り込んで来る。
 遠く霞んで、新雪を被った山脈が青い空に浮き出るように聳えている。
 なんて気持ちのいい天気なんだろう。

 川沿いで午後の陽光を浴びながらゴルフをしている人たちが小さく見えた。
 人影のない道路にもしっかりと太陽の暖かいひかりが降り注いでいて、長閑な土手の周りに茂っている緑色の草の群れにも、その陽光は優しく落ちている。
 パソコンでキーボードを叩く手を緩め、暫らくの間、その穏やかな景色を車窓から眺めていた。

 ところが仙台駅を過ぎて盛岡に近くなってくると、風景は激変する。
 夕闇が迫って来たことも手伝ってか、白い闇へとその姿をゆっくりと変え、暗欝な雲が覆って来る。

 だんだん憂鬱な気分に襲われる。
 少しずつ夕暮れが遅くなってきたことだけは嬉しいけれど、青森に新幹線が近づくたびに気分は落ち込んでゆく。

 何を見ても、何を話しても、何を考えても、何を行っても、今居る場所への違和感だけが消え去ってくれない。
 だから、愉しいことでも心の底から楽しめない。何処かに虚しさが隠れているからだろう。

 新幹線の車窓に額をぎりぎりまで付けて、山下達郎の「陽だまりの彼女」を心の中で口ずさむ。
 ちょっとだけ心が和らいだ。

 やっぱり、人は何かをやらずに後悔したり、怠けて何かをしてこなかったり、自分を偽って正当化していると、必ずいつか、どこかで躓(つまづ)く。
 ドン詰まりになる。悔いる。激しく悔いる。徹底的に落ち込む。

 そうなると、何をしても今居るこの場所が―それは単なる場所ということだけではなくて、立ち位置だったり、仕事だったり、組織だったりするわけだけど―違和感だらけの最悪の場所になってしまうのである。
 これを悲劇という。

 ですから諸君、わたくしを反面教師にして、悪い見本にして、教訓にして、これからの人生の荒波を乗り切ってくださいませ。

 マジですよ。
 いや、これさあ、ほんと苦しいんだから・・・。









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