淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「キース・リチャーズになりたいっ!!」POD・電子書籍絶賛発売中/【日本映画編】

2024年08月26日 | Weblog
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キース・リチャーズになりたいっ!!【日本映画編】 ~この厳寒の街、青森で生きてゆくということ~ 
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キース・リチャーズになりたいっ!!【外国映画・TVドラマ編】 ~この厳冬の街、青森で生きてゆくということ~ 
          
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キース・リチャーズになりたいっ!! 音楽編 ~この厳寒の街、青森で生きてゆくということ~

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「さようなら」366

2024年07月14日 | Weblog


     どんなことも、必ず、いつかは終わる。
     心配することなんて何もない。
     なんとかなる。きっとなんとかなる。

     小さいことにくよくよするな。しょせんすべては小さなこと。
    

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「太陽の季節ー」365

2024年07月13日 | Weblog
 今日で、ブログを1日も休まず365日間毎日書き続けたことになる。
 長かった。
 1日目として書いたのが、去年、2023年7月15日で、今年は「うるう年」ということもあって、明日の7月14日でちょうど366日(1年間)ということになるわけだ。
 それを一つの区切りとして、一旦ブログは休止しようと思ってる。
 毎日必ずブログを書いてそれをアップし続けるという行為は結構しんどいものだ。人間、そんなに毎日毎日劇的な出来事が待っているわけがなく、波乱万丈な日々を送っているわけでもない。何も書けない日だってあるし、単調な仕事に追われて特に書くべき出来事が見つからない日だってたくさんある。
 365日間一日も休まず書き続けるのって、本当にきつい。まあ、好きだから別段苦にはならないけれど・・・。


 そんな今日は3連休の初日の土曜日。朝、どんよりと曇っていたのだけれど、少しずつ青空が覗き晴れ間が広がって来た。
 よし。ランニングしよう。
 そう思い立ち、予約していた「ジム」をスマホでキャンセルしてランニング・ウェアを着込み、ウォークマンを装着して外に出た。
 ウォークマンで「サザンオールスターズ」を聴きながら、いざ出発。いつもの海へと向かう。
 それにしても暑い。夏の太陽が燦々と降り注いでいる。
 国道4号線を東に向かって走り、青森港へと出た。岸壁に車を停めて釣りを楽しんでいる人たちがたくさんいた。
 石森橋付近でUターンして「アスパム」横の「ねぶた団地」に入り、一昨日「台上げ」をしたねぶた小屋を覗いてみたけれど、制作者を含めて誰もいなかった。喉がカラカラで水をわけて貰いたかったのだ。残念・・・。
 それにしても暑い。走っているので全身びしょ濡れで、とにかく水が飲みたくてフラフラになる。
 仕方がないので、そのまま「ねぶた団地」から「新町通り」を抜け、自宅までの道を必死で走った。
 水・・・水・・・水・・・冷たい水が飲みたい・・・。
 やっと家へと辿り着く。「アップル・ウォッチ」を見たら約10キロ走っていた。
 すぐさま冷蔵庫へと走って、冷たい水をゴクゴク飲み干す。



 一息つき、飛び散る汗を拭きながらまた外に出て、温い風に火照った身体を暫しの間晒していた。
 ちょっとした充実感。それから、ちょっとした幸福感。
 でもそれだって束の間で、一瞬の夏風みたいに、いずれは目の前から静かに消えてゆく・・・。
 収まらない汗を何度も拭きながら、7月の明るい青空をひとり仰ぎ見た。
 そうかあ、こうして一日一日を生きてゆく、ただそれだけのことなんだな、人生なんて・・・。何もかも、その一切合切を決めるのは、単に自分自身の心でしかない。

 こうして今年もまた、新しい太陽の季節が始まってゆく。







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「悪夢の日々ー」364

2024年07月12日 | Weblog
 毎晩毎晩、夢を見る。
 ほとんどが意味不明の奇妙な夢で、悪夢を見ることが多い。
 連続性のない色んな場面が次々と機関銃のように連射されることもあれば、自分自身がその短いストーリーを創り上げながら夢自体が進んでゆく(ように感じられる)ということもある。
 とにかく、よく分からないのだ。勝手に脳に降り積もった記憶の断片たちが一斉に踊り出しているのか、それとも無意識のまま、自らが創作している確信犯ともいえる、そんな造り込まれた夢なのか・・・。



 昨日の夜(7月11日木曜日)、テレ朝系の「アメトーーク」3時間スペシャルを観てそのまま「報道ステーション」へと移り、「全力坂」、深夜の「アメトーーク」と観続け、眠りについたのは深夜の12時過ぎだった。
 そしてまた夢を見た。
 いつもの悪夢だった。
 悪夢にうなされて目が覚め、枕元に置いてある小型の卓上デジタル時計を見たら、午前4時ちょうどだった。もうすぐ夜が明ける。
 暫くの間、その見た悪夢のことを考えていたら、そのまま眠ってしまったけれど、今回は朝になっても夢の内容を鮮明に覚えていた。
 起きた瞬間、それまで見ていた夢の内容をすっかり忘れ去ってしまうこともよくあるけれど、何故か昨夜の夢だけは起きた後も覚えてる。



 それはこんな夢だった。
 目の前に、こっちと同じ学問領域を学生たちに教えているという男性が現れる。新しく赴任してきた先生らしい。
 夢の中に出て来たその男の顔はよく分からない。夢が天然色なのかモノクロームなのかもよく分からない。ただ、背が高く体型もよく似ていて、周りの人間たちが彼のことを褒めちぎっている。素晴らしい人間なんだと。
 ところが・・・。
 ところが、その優秀だと褒めちぎられている男性は、何故かこちらに対してだけ一切挨拶もしてこないし、終始小馬鹿にしたような態度を示し続けている。
 で、ここからが意味不明なのだが、こっちが所有しているスーツを何かのタイミングでそのいけ好かない男性に貸したのだけれど、それがいつになっても戻ってこないのである。なんでスーツ?
 夢には、早く貸したスーツをこちらが着なければならないのに、それを返してくれない男に対して苛々する自分が、しつこいくらいに出てくるのだ。激しい怒りもある。



 あとはとにかく、その優秀だといわれている男性へ抱く、深い嫉妬や嫌悪や憎悪やコンプレックスなんかが渦巻く、負のドロドロした悪臭漂う感情が、夢の中でグルグルグルグル何度も何度も回り続け、夢なのに滅茶苦茶気分が悪くなってくる。
 この悪夢を文字にするのはとても難しく、自分の中に巣食っている一切合切の負の感情が涌き出てしまう、そんな最悪な夢だった。
 もう勘弁してほしい。疲れる。いい加減にしてほしい。
 こういう悪夢が連日連夜続いてゆくのだ。朝起きてからも気分が悪いのも分かるだろう。



 いつになったらこの悪夢は終わるんだろう。
 完成して台上げをした、勇壮な新作「ねぶた」を仰ぎ見ながらそう思った。
 まだ夢の残り滓が残っていてかなり気分が悪いので、「ねぶた小屋」を離れ、海風の匂いを嗅ぐためだけに海へ出た。
 潮の香りが海峡の先から流れてくる。今日はとても穏やかな凪で、夏の微かな香りが辺り一面に漂っている。
 同じ間隔で備え付けられた木製ベンチに、たった独り、20歳ぐらいだろうか、ぽつんと若い男性が海に向かって座っていた。
 とても淋しそうに見える。
 近くまで行って何気にちらりと若い男性を見てみると、夏の真っ青な海を眺めているわけじゃなく、ただベンチの端の一点だけをずっと凝視しているのだった。深刻そうな表情を浮かべながら・・・。
 失恋でもしたんだろうか?
 それとも何か大きな悩み事でもあるのだろうか?
 暗くて、この煌びやかな風景にまったくもって似合わない。



 声など掛けられるわけもなく、そーっと静かにその場を立ち去った。
 誰も行き交っていない、夏の午後の穏やかな海沿いは、夏の直射日光だけが降り注いでいて、あとはほかに何にもない。 
 いま起きている、ただそれだけが真実だ。
 あとは全部、夢幻で、この真夏の一瞬さえ、いつかは消えてなくなってしまう。
 いま目の前で起きていること、ただそれだけが正しい。






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「人生の黄昏ー」363

2024年07月11日 | Weblog
 人生には必ず大きな落とし穴が待ち構えている。笑いながら歩いているその瞬間、突然深い穴の中へと落ちて大怪我をすることが必ずある。絶対ある。断言する。
 誰もが毎日楽しく、心弾む日々を一生涯送り続けるなんてことはあり得ない。嬉しいことや幸せだと思う瞬間が連続的に長く続いていたとしても、それはいつの日か何かの要因で遮断され、大きく崩れ去る。
 人生は過酷で、そして苦しみに満ち溢れているからだ。
 それでも、もちろん楽しい時間や充実した時間を過ごすことだっていっぱいあるだろうし、毎日毎晩が苦痛に塗れているわけじゃない。でもこの世界は、混乱が有史以来収まった試しなんか皆無であり、絶え間なく続く悲惨な内戦や過酷な弾圧や大規模な戦争が途切れることなど決してない。
 そしてまた、乱高下しながら一人ひとりの人生は今日からも続いてゆく。
 でもその先に待ち構えているは、「死」という誰もが通らざるを得ない、絶対的な真実だ。


 それなりに長いと思える人生を生きてきた。
 楽しいときもあったし、死んでしまいたいと真剣に思った日々だって勿論あった。このまま生きているのが苦痛で、どこか遠くに消え去ってしまいたいと思った日々だってあったし、満面の笑顔を真っ青な太陽に向かって投げ掛けた日々もまた確かに存在した。
 人様に誇れるような恋愛だったり模範的行動をしてきた優等生なんかじゃなかったし、他人を裏切ったり嫉妬したり憎んだりしたことだってたくさんあった。お天道様に対して、ずっと正直に真っ当な人生を歩んできましたなんて真正面から言えるような立場じゃないし、恥ずかしい生き方をしてきたことだけは紛れのない事実だろう。
 そんな日々を思い出すと、苦笑いがこぼれ、自己嫌悪に陥ることだってあったりする。



 温かい珈琲を淹れ、机の周りを見渡して一息ついてみる、そんな今日は雨降る木曜日。
 いまだに読んでいない壁のようになった書籍の山が、自分を囲むように睨みつけている。やるべきこと、やらなければいけない基本的なこと、それがいつも中途半端に終わってしまい、達成感もないまま燻った心を引き摺っている。
 何もかもが食い散らかし状態で、満足出来ずにそこいら辺をふわふわ漂っている、そんなどっちつかずの感情だけが心の奥底で蠢く、それだけだ。



 人生の黄昏が近づいている。そのことを最近強く感じることがある。
 もう若くはない。何もかもが無常に終わってゆく。
 青春などという名のぎらついた季節は疾うの昔に過ぎ去って、人生なんてこんなもんだろうと嘯く自分がここにいる。
 あと、いったい何が出来るのだろう? この中途半端で不満たらたらな人生の途上で、あといったい何を残していけるのだろう?



 時間は残り少ない。もうすぐ終わるに違いない。そして人生は今日も続いてゆく。
 だったら、このままでいいわけないじゃないか。満足顔でいい人生だなんて見栄を張ったって、それはそれで詮無いことだ。 
 「死ぬ気でやれよ、死なないから」と、名言を残したロック・ミュージシャンが昔いたっけ。でもそのロッカーもまた、首を吊って独り淋しく死んでいった。
 人生とは不可解極まりない。
 徹底して不可解極まりない。







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マイケル・マン監督、アダム・ドライバー主演映画「フェラーリ」。後半のカーレース・シーンも凄いけど、やはりフェラーリ自身の闇に切り込んでゆくその過程が素晴らしい。362

2024年07月10日 | Weblog
 映画「フェラーリ」を「イオン・シネマ新青森」で観た。
 監督は、ご贔屓のマイケル・マン。
 「ラスト・オブ・モヒカン」、「ヒート」、「インサイダー」、「コラテラル」、「マイアミ・バイス」、「パブリック・エネミーズ」などなど、重厚で男臭い、そしてクールでダークな雰囲気の映画をずーっと撮り続けてきた監督で、マイケル・マンと聞いただけで作品を観たくなる。
 映画館「イオン・シネマ新青森」は、思ったよりも閑散としていて客足も疎らだった。予めスマホで予約していたので、待つことなくスマホの画面をかざして直ぐに場内へ。
 大きな場内に入って、一番後方の端っこに腰掛ける。とにかく、いつも近くに人がいない場所、離れた場所を陣取るように心掛けている。
 見渡すと、お客さんは全部で10人しかいなかった。うーん・・・。



 イタリアの自動車メーカー「フェラーリ」の創始者エンツォ・フェラーリの伝記ドラマである。
 1957年に行われたというイタリアの公道レース「ミッレミリア」が映画最大の見せ場となってはいるけれど、この映画にレース・シーンのみを期待して観に行くと、ちょっと肩透かしをくうかもしれない。
 あくまでも監督のマイケル・マンは、手に汗握る迫力あるカーレースを描くというより、人間エンツォ・フェラーリの車に賭ける異常なまでの情熱と、彼のどうしようもない身勝手でいい加減な私生活へと切り込んでいるのがメインになっているからだ。それにしても、よくこの映画化をフェラーリ一族が許可したものだと思う。



 
 物語の舞台は1957年。
 59歳のエンツォ・フェラーリ(アダム・ドライヴァー)は、妻ラウラ(ペネロペ・クルス)と2人で築き上げた「フェラーリ社」をイタリア屈指の自動車会社へと成長させたものの、今では経営状態が最悪で、経理顧問からはこのままの状態が続けば倒産か買収されるしか生き延びる道はないとまで告げられる。
 その一方で、フェラーリ夫妻は最愛の息子の突然の死によって夫婦関係自体が破綻していて、妻のほかにも別宅を持ち、愛人(シャイリーン・ウッドリー)に子どもまで産ませていた。
 会社経営が破綻寸前、しかも愛人の子どもの認知問題でも苦境に立たされているフェラーリは、起死回生を図るべく、イタリア国内を走破する過酷な公道レース「ミッレミリア」へと挑む・・・。



 面白い。
 アダム・ドライバーとペネロペ・クルスの演技が凄まじい。
 特にアダム・サンドラーの、狂気を常に纏った冷徹な表情がいい。さすがである。
 そして、ラストの見せ場、イタリア国内を走破する過酷な公道レース「ミッレミリア」。最悪な事故シーンには、観ていて唖然とするほどだ。
 マイケル・マン監督、アダム・ドライバー主演映画「フェラーリ」。確かにカーレース・シーンも良かったけれど、メインとなる、フェラーリ自身の深い闇へとぐんぐん切り込んでゆく過程がとにかく素晴らしいのだ。
 いい映画だ。





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「降り積もれ孤独な死よ」361

2024年07月09日 | Weblog
 7月スタートの各局新ドラマ、まだ序盤でこれから始まるドラマも何本かあるけれど、どれも中々出だしは好調のようだ。前期ドラマよりも全体的に充実しているような感じがする。もちろん、始まったばかりなので良い悪いの判断までは出来ないですが。
 そしてその中でも特に印象に焼き付いたドラマが、日本テレビ系日曜ドラマ「降り積もれ孤独な死よ」(日曜夜10時30分から)だろうか。
 このドラマ、最初はまったくのノーマークだったのだが、予告のスポットを観て俄然興味が湧き、直ぐに観てみることにしたのである。
 7日の夜がその初回だった。



 主演が成田凌。
 ある大きな屋敷の地下室で、白骨化した遺体13体が発見される。
 遺体はすべて子どもと見られ、地下室の壁には六角形の謎のマークが描かれていた。調べでは全員餓死と見られ、壁には子どもたちが抜け出そうと試みたのだろう、強く掻き毟った痕がいくつも消えずに残されていて、もがき苦しみ泣き叫んだ様子が垣間見える。そんな凄まじい室内だった。
  担当刑事の冴木(成田凌)は、屋敷の持ち主でありながら行方の分からない灰川という男(小日向文世)の行方を追うなか、警察署に灰川を父親と呼ぶ若い女性が自ら現れ、灰川とは血の繋がりも戸籍上の繋がりもないものの、母親から酷い虐待を受けて育児放棄された自分を救ってくれ、6年前までは本当の家族のように暮らしていたということを告白する。



 そして担当刑事の冴木たちが捜査してゆく過程で、屋敷で暮らしていた子どもたちは全員で19人いたことも判明し、13人の遺体は19人の子どもたちの誰かである可能性が高いと考えられ、残る6人を早急に探し出すことになるのだが・・・。
 ドラマは初回から飛ばす飛ばす。
 様々な謎が提示され、伏線がはられてゆく。
 このドラマ、過去の13人に及ぶ大量殺人事件と並行するかたちで、現在の謎の通り魔事件が絡み、今は担当刑事だった冴木が、警察を辞めて道路工事の作業員として暮らしていることも観る側に提示される。
 どんな理由から彼は刑事を辞めてしまったのか?



 初回があまりに面白かったので、ネットで調べてみたら、なんと原作は「マガジンポケット」で連載中の「降り積もれ孤独な死よ」(原作・井龍一、漫画・伊藤翔太)だというではないか。
 これは読んでみたいと思い、今週末になったら本屋さんに駆け込んでみようかとさえ考えた。ただ、未完で現在も続いているというのがちょっと気になるけれど・・・。
 まあそれはそれとして、テレビドラマとしての「降り積もれ孤独な死よ」、今後の展開が滅茶苦茶気になる。初回からこんなり飛ばして最後までもつんだろうかと、いらぬ心配までしてしまった。
 まだ間に合います。今からでも是非!


 
 


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嵐の二宮和也が主演するTBS系日曜劇場「ブラックペアン シーズン2」が遂に始まった。「シーズン1」が面白かった記憶があるので期待は大きく膨らんだけど・・・。360

2024年07月08日 | Weblog
 7月8日月曜日。朝から蒸し暑い。今にも雨が降りそうな空模様だけれど、天気予報によれば一日中曇り空が続くという。
 激しい倦怠感とまったく出ない「ヤル気」のせいで、身体も重く、昨日ジムで体重を量ったら、なんと減量した時期より5キロも体重が増えていた。
 そりゃそうだろう。
 16時間断食はずっと進めてはいるものの、食べていい時間帯に食べる量が半端ない。昼夜2回分の食事のほかに、甘いスイーツ類やお菓子を食べまくり、糖分を取りまくる。これじゃあ太らないわけがない。
 とにかくこの怠さと倦怠感を払拭しようと、日曜日はジムで久々の走り込みと「シェイプ・ザ・ボクシング」のエクササイズを無理やり頑張ってみた。
 クタクタになるまで自分を苛めてみたら、少しずつキレが戻ってきたように感じ、ヤル気がちよっとだけ漲って来た。
 頑張って、このまま突っ走るしかない。



 疲労困憊で家に帰り、軽い夕食を摂っただけで、あとは一切何もお腹に入れないことにした。
 珈琲も飲まず、ひたすら耐えた。疲れてはいるけれど、気分がいい。やはり運動だ。一刻も早く、錆びた肉体を取り戻したい・・・。
 お風呂に入って、部屋へと戻り、嵐の二宮和也が主演するTBS系日曜劇場新ドラマ、「ブラックペアン シーズン2」(初回15分拡大版)第1話を夜9時から観る。
 海堂尊氏の小説のドラマ化、第2弾である。
 2018年4月期に二宮和也主演で放送された「ブラックペアン」の続編で、シーズン1から6年後の物語が描かれるという。
 その「ブラックペアン」シーズン1は、現在「ネツトフリックス」でも配信されているけれど、今さら改めて観るのも時間的余裕がなく、昔観た記憶を手繰り寄せるも、ほとんどストーリーは浮かんでこなかった。


 
 大学医学部の付属病院で働く熱血漢溢れる青年外科医(竹内涼真)が、ある日病院長(内野聖陽)から、オーストラリアの医学学会に出席して、現地で働いているという医師の「天城」なる人物に必ず渡すよう、一通の手紙を手渡される。
 本人に渡すまでオーストラリアに滞在していいとも告げられるのだが、中々会うことが叶わず、遂に、やっと会うことが出来たものの、そこにいたのは、6年前、大学病院を去った渡海という天才外科医と瓜二つの男だった。
 そしてその彼こそが、医療界のディアブル(悪魔)と呼ばれ、多額の手術費を患者に請求する、天才外科医の天城(二宮和也)という名の医師だった・・・。
 初回のドラマを観ているうちに、だんだんと「シーズン1」の記憶が蘇ってはきたものの、それでも所々しか思い出せず、ストーリーもすっかり忘れたままだった。
 でも、シーズン1の内容が知らなくても、別に難なく観てゆくことは出来なくもない。
 ただなあ。
 ルーレットで患者の生き死にを決定したり、手術をアートだとうそぶいてみたり、私は天使に愛されている悪魔なんだと見栄を切ってみたりと、カッコつけ過ぎなセリフが飛び交い、クールなキャラクター設定なのは重々分かるけれど、今一つ主人公自身に感情移入できない自分がいる。
 まだ初回なので、これから色々な謎が解明されることで、主人公のダークサイドじゃない部分も明らかにはなってゆくのだろうが・・・。
 「シーズン1」はすんごく面白かった印象があるので、今後の展開を大いに期待したい。










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「シネマ・ディクト」で映画「プリンス ビューティフル・ストレンジ」を観てガッカリ。家に帰って口直しに「ビバリーヒルズ・コップ アクセル・フォーリー」も観たけれど。359

2024年07月07日 | Weblog
 映画館「シネマ・ディクト」で映画を観る。
 57歳で急逝した天才ミュージシャン、プリンスの足跡をたどるドキュメンタリー映画、「プリンス ビューティフル・ストレンジ」だ。
 休日の午後ということでそれなりに混んでいるのかと思って劇場内に入り、いつもの通路を挟んだ2人席を占領して座る。お客さんは10人だった。
 それも若者の姿は見当たらない。ほとんどが中高年の男女、みんな独りで観に来ている。
 確かに、プリンスがデビューしたのは1978年だったし、彼の主演映画「パープルレイン」が大ヒットしたのは1984年だ。あの頃プリンスに夢中になった若い男女も、今ではみんな中高年になってしまったということか・・・。そういえば、映画「パープルレイン」を観たのは青森市内の新町通りに当時あった「スカラ座」という映画館だったっけ・・・。
 ということで、予備知識もないままに観た、映画「プリンス ビューティフル・ストレンジ」。
 映画の冒頭、テロップが流れて「この映画はプリンス財団とは一切関係ありません」という趣旨の文字が出る。なんか、嫌な予感。
 思った通り、プリンスのオリジナル楽曲は全編一切流れず、ライブの様子も映されない。ひたすら関係者らへのプリンス賞賛インタビューが次から次へと映し出される、ただそれだけなのだ。動くプリンスも、ただのアニメ映像だけときている。
 これは酷い・・・。
 予め映画の内容を知っておくべきだった・・・。



 がっかりして家に帰る。
 ああ、時間の無駄だった。
 こうなったら、スカッとしたアクション映画でも観ようと思い、そういえば「ネットフリックス」で7月3日から独占配信された、エディ・マーフィ主演の大ヒットアクション映画「ビバリーヒルズ・コップ」シリーズ30年ぶりの続編となる第4作、「ビバリーヒルズ・コップ アクセル・フォーリー」を観てみることに。口直しである。



 高級住宅街ビバリーヒルズで数々の難事件に挑んだデトロイト市警の型破り刑事アクセル・フォーリー。
 ある日彼は、今は離れ離れに暮らしている弁護士の一人娘が、警察官殺人事件の弁護を引き受けたことから謎の集団に命を狙われていることを知り、単独で愛娘を救うべく立ち上がるが・・・。
 これが粗々のストーリーなのだが、映画の冒頭から除雪車を使っての市街カーチェイスを見せつけられ、「おお、これはこのまま最後まで突っ走るのか!」と大いに期待したのだけれど、そこからちょっと失速してしまい、途中はかなりダレる。



 ラストの銃撃戦で少しは挽回するのだが、やはり映画全体を通して観るとそこそこの出来で、可もなく不可もなくという感じで終わってしまう。
 アクセルの新たな相棒がジョセフ・ゴードン=レビットだし、悪役にはケビン・ベーコンを持ってくるあたり、さすがプロデューサーのジェリー・ブラッカイマーだと感心はするけれど、全体的に大味なアクション映画となってしまった。
 残念。

 それにしても、「プリンス ビューティフル・ストレンジ」と「ビバリーヒルズ・コップ アクセル・フォーリー」の2本を立て続けに観たのに、その2本ともガッカリだなんて、そんな日もあるんだなあ・・・。








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「ねぶたの季節ー」358

2024年07月06日 | Weblog
 今日土曜日の青森市、気温が30度超え。蒸し暑い。
 昨日の夜もまた悪夢を見た。いつものように浅い眠りに終始して、ぐっすり眠ったという実感が全くない。だから、朝目覚めてもメチャクチャ眠い。
 これが起因しているんだろうか?
 昨日も同じようなことを書き綴ってしまったけれど、無気力、倦怠感が半端なく、ヤル気が全然起きない原因って。
 もしかしたら、浅い眠りがその無気力や倦怠感なんかのせいではないのかもしれない・・・。年齢を重ねることによる体力の減退や気持ちの問題かもしれない・・・。



 そんな今日は、青森駅前で行われる「ニコニコ通り商店街」の主催する地域ねぶた運行式に招待されていて、そのために午後から予約していたジムの「ターゲット・アブス」をキャンセルした。
 ねぶた運行式は午後2時からなので、午前中は家でまったりしていた。
 いつもなら、空いた午前中は勿体ないからと外をランニングしたりするのだけれど、今は面倒臭くてその気も起こらない。
 こんな自分、今までなかった気がする。いくら何でも、こんな長い時期に渡って無気力感が続くなんてこと・・・。



 お昼は冷たいソーメンを食べて、夏用の黒いスーツに着替え、外に出た。
 歩くのも面倒だ。暑くて汗が滲む。
 青森駅前はそれなりに賑わっていた。
 商店街のメンバーの人たちが汗だくて準備に追われている。市選出の某国会議員も招待されていて、久しぶりの挨拶を交わした。
 商店街で制作された地域ミニねぶたは全部で2台。これを曳いて中心市街地を練り歩く。
 それをもう20年も続けているのだ、頭が下がる。


 セレモニーが終わり、ねぶた運行までの空いた時間を使って、民謡の手踊りや地元のジャズ・バンドの演奏が行われた。
 会場となった「青森駅前公園」広場には、一体何ごとが始まったんだろうと、通行人たちが次々に集まって来る。ねぶた本体の写真を撮る人たちもいた。



 セレモニーを見届けたので、関係者の方々に挨拶をしてそのまま家へと戻った。駅前のスタバにも寄らず、ウォーターフロントを歩いて夏の海を眺めることもせず、本屋に行って好きな本を探すこともなく、そのまま家へと戻った。
 どうしちまったんだ?
 もう終わっちゃったか?
 人生、走り疲れちゃったか?
 こうして人間は皆、歳を重ねて老いてゆくんだろうか?
 参っちゃったなぁ。
 今年もまた、熱狂の「ねぶたの季節」がやって来たっていうのに・・・。







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宮藤官九郎・脚本、フジ新ドラマ「新宿野戦病院」がすんごくいいぞ! サザンオールスターズの主題歌「恋のブギウギナイト」もヘビロテ必至! 357

2024年07月05日 | Weblog
 遂に始まった7月からの新テレビドラマ。
 まだまだ控えているドラマもたくさんあって目が離せないけど、今から密かに期待しているのが、TBS「笑うマトリョーシカ」、同じTBSの「ブラックペアン」、日本テレビ 「降り積もれ孤独な死よ」、テレビ朝日「スカイ・キャッスル」、そしてフジテレビの「新宿野戦病院」だ。
 もちろん、ちゃんと本編を最後まで観ないとその評価なんて出来ない。観たら期待外れで失望することもあるだろうし、また逆に意外に面白いドラマだったという嬉しい誤算だってあるだろう。

 

 そして7月3日からフジテレビ系「水曜22時枠」で始まった新ドラマが、「新宿野戦病院」だ。
 1月TBS系ドラマ「不適切にもほどがある!」の脚本を書いたあの宮藤官九郎が、フジテレビの連続ドラマで脚本を手掛けるのは「ロケット・ボーイ」以来23年ぶりになるらしい。意外だ。宮藤官九郎=フジテレビというイメージがあったからだ。それに、今回はなんと歌舞伎町の病院を舞台とした「救急医療エンターテインメント」ドラマだという。
 期待は膨らむ。
 早速、観ました!



 舞台は新宿歌舞伎町。
 猥雑で雑多なこの街の片隅にある廃れた「聖まごころ病院」には、その歌舞伎町という土地柄もあってか、ワケありな救急患者たちが次々と運ばれてくる。しかしこの病院の「赤ひげ先生」と慕われている院長(柄本明)はアル中で手が震え、しかも高齢から既に引退を宣言していて、外科医が不在ときている。
 院長の甥で、美容皮膚科医(仲野太賀)を含めて何人かの医師はいるものの戦力には到底ならず、それでも救急患者の受け入れ要請の電話がかかってくることから、応急処置だけでてんやわんやの状態が続いている。
 そんなある日、外科医不在だからと緊急の患者を断ったにもかかわらず、頭から大量な血を流したホスト男性と、急性アルコール中毒の謎めいた女性(小池栄子)が運ばれてくる・・・。



 初回から面白いっ!
 宮藤官九郎節、全開である。
 なかでも小池栄子が怪演! 笑わせる。いいねえー、小池栄子!
 色んな伏線も途中途中にばら撒かれていて、これらの回収も楽しみだ。
 それと主題歌!
 「サザンオールスターズ」なのだ。新曲の「恋のブギウギナイト」。ディスコティックなEDM路線で、こういうアップテンポな夏の楽曲を待っていたんですよ、わたくしは!
 もう好き過ぎて、今日も何回も聴いている。いいです。
 フジテレビ系「水曜22時枠」で始まった新ドラマ「新宿野戦病院」。
 観るべしっ!







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真夏日に燃え滾る県内、午後から県南にある某公立高校まで高校生たちに向けての「出前講義」に出掛ける。356

2024年07月04日 | Weblog
 とにかく、最近何をするにも億劫で、面倒くさい。最近って書いたけど、ここ1年ぐらいずーっとそういう状態が続いている気がする。
 これって年齢のせいだろうか? 体力が落ちているんだろうか? セロトニン? テストステロン?
 気力が漲らないのだ。一歩踏み出す力が湧いてこないのだ。
 まず、「飲み会」が滅茶苦茶面倒くさい。特に、懇親会とか何とかの式典とかパーティーの類いは心底ウンザリする。
 なので、1次会でそそくさと退散する。まず2次会には出ない。カラオケにも行きたくないし、女の子の居る店にもまったく行きたいとは思わなくなった(昔は狂ったように通っていたのに・・・)。
 そして一番億劫に感じるのは、ランニングだ。走るのが面倒で、ジムでも45分のエクササイズをなんとか気力を振り絞ってやり遂げるのが精いっぱいで、そこからランニングマシンで走り込みなんて、もうやりたくもない。
 末期症状である。
 それで、春の「さくらマラソン大会」にも行かなかったのだから、ちょっとこれは重症である。


 そんな木曜日は朝から気温が上がり、寝不足も手伝ってダルいったらありゃしない。
 今日は、この街から100キロも離れた県南まで行かなくてはならないのだ。またいつもの「面倒くさい」が顔を出す。
 県南の某町にあるS高校へと出向いての「高大連携授業」である。高校生たちに講義する時間は90分。テーマは「繁栄する都市、衰退する都市」ということで、アメリカの黒人問題も少し取り入れようと、CDラジカセとCDも持参した。都市と音楽との関係性を優しく紐解くために、黒人音楽の変遷を、学生たちに音楽を聴かせることで知ってもらおうと考えたのだ。



 午前10時に青森市を出発。
 暑い。国道と県道を走って、約2時間30分の旅だ。
 途中、「十和田 道の駅」に寄って昼食を摂り、トイレを済ませて出発した。午後の1時過ぎには高校へと到着した。
 校長先生のエスコートで教室に入る。男女半々の高校生たちが備え付けのノートパソコンを開きながら、静かに待機していた。みんな、おとなしい。
 授業の初めに、全員に対して「高校を卒業したら都会に出る人!」と問いただしてみたら、なんと全員が今住んでる街を出て、県外、それもほとんどが東京に行くという。全員が青森県を出たいという。
 ますますこの県は社会減が進んでゆくのだということを、心から実感してしまった。



 90分の出前講義を終えて、関係する先生たちへの挨拶を済ませ、S高校を出る。
 外は午後3時を回ったというのに、ますます暑さが増したように感じる。
 戻って仕事を片付け、研究室から出たのが午後の7時過ぎ。そこから今度は青森駅前の某複合施設へと車を飛ばした。外はすっかり暗くなっていた。
 青森公立大学のO先生による「大学院セミナー」の聴講に参加してくれと頼まれたのだ。でも少し遅刻してしまった。
 O先生、いつもの切れ味を保ちながら、女性らしい優しい会話と分析で参加者を最後まで飽きさせない。さすがである。
 終わって、帰宅したのは午後の9時。それから遅めの夕食を摂ってお風呂に入り、「アメトーーク!」を観る。



 それにしても、この倦怠感というかヤル気のなさというか脱力感、何とかならないものか・・・。
 亜鉛のサプリでも飲もうかな。









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「燕は戻ってこない」355

2024年07月03日 | Weblog
 作家の桐野夏生が生み出す小説は、そのどれもが衝撃的で、今の時代の暗部や恥部を暴き、そしてスキャンダラスだ。
 だから、読んで失望したという彼女の小説は、ほとんどない。
 そんな桐野夏生の小説「燕は戻ってこない」がテレビドラマ化された。同名のタイトルでだ。
 放送は毎週火曜日の夜10時から。このドラマは絶対に見逃したくないと思い、毎週予約録画しているのだけれど、待ちきれず、放送時間になるとNHKにチャンネルを替えてリアルタイムでずっと観ている。
 過激なベッドシーンも多く、セックスにまつわる会話もバンバン出てくるので、「これってテレビでやつちゃってもいいの?」と、観ているほうがちょっと戸惑ったりする。



 小説「燕は戻っこない」は、第57回吉川英治文学賞受賞 を受賞するなど、発刊当時から大きな話題になっていたのは知っていたのだが、読むまでには至らなかった。なので、テレビドラマ化を知った際には、すぐに飛びついた。
 このドラマの主要人物は全部で3人。
 主人公である大石理紀(リキ)。元プロバレエダンサーの草桶基。それから草桶の妻である悠子という女性。この3人だ。
 主人公の大石理紀は、北海道出身者で憧れの東京に出て来たものの、病院事務の仕事を非正規雇用として勤めていて、薄給から困窮を極めている。
 一方、草桶基は足を痛めて引退を余儀なくされた元バレエダンサーなのだが、バレエ界のサラブレッドとしての、自らの優秀な遺伝子を受け継ぐ子孫を残すことを絶えず考えていて、不倫の末に再婚を果たした、今の妻の悠子とともに妊娠に励むも報われず、今はそれを諦め、日本では認められていない「代理母出産」という選択を模索する・・・。



 ここから物語は大きく一つに繋がってゆく。
 困窮を極める29歳の主人公女性リキは、「いい副収入になる」と同僚に卵子提供を勧められたことから、産婦人科クリニックに赴き、そこで代理母になることを勧められるのだ。
 代理母を依頼してきたのは、自分の遺伝子を受け継いだ子を熱望する著名な元バレエダンサー草桶基とその妻悠子だった。
 リキは迷いながら、困窮した生活から抜け出すため、報酬の2000万円に飛びつき、代理母を引き受ける決心をする・・・。



 代理母となる主人公の大石理紀に石橋静河。草桶基は稲垣吾郎。草桶悠子 が内田有紀。
 ここから物語はジェット・コースター的なハイスピード展開をみせる。
 二転三転、そして四転!
 重い主題で、会話もヘビィなフレーズが幾つも行き交う。俳優陣の演技も素晴らしく、毎回あっという間に進んでゆく。ここはやはり、原作自体のテーマ性とストーリー性が起因しているのだろう。
 昨日の最終回もまた、怒涛の展開だった。
 産んでしまった代理母となる主人公大石理紀は、最後の最後でどのような決断をしたのか? このドラマのキモでもあった。
 そうかあ・・・こう来たかぁ・・・。
 ラストでまた、思わず唸ってしまった。






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映画「関心領域」が凄い! 第2次世界大戦でのアウシュビッツ強制収容所所長とその家族を描いた衝撃のドラマだ! 354

2024年07月02日 | Weblog
 最近、青森市内にある、映画館「アムゼ」のラインナップがとても素晴らしい!
 もちろん、アニメ(別にアニメ映画を否定しているわけじゃない)やラブコメなどの万人向けの映画も勿論上映してはいるのだが、必ずその中の何本かの作品に、「おおーーっ!」と思わず驚きの声を上げてしまうような、そんな観たくなる佳作や秀作を挟み込んでいるのだ。
 そこが凄い。
 最近だと、ピンク・フロイドのシド・バレットのドキュメンタリー映画「シド・バレット 独りぼっちの狂気」をいきなり上映したり、今月下旬には、黒沢清監督の最新作「蛇の道」まで上映するのだとか。
 これは本当に嬉しい。
 メジャーなヒット作だけが映画じゃない。観客動員はイマイチだけど、素晴らしい映画だってたくさんある。それらをちゃんとピックアップして上映してくれる、映画館の良心、「アムゼ」。
 いいじゃないか!



 そして現在、まさかの「関心領域」も上映している。
 今、巷で話題沸騰の、第2次世界大戦におけるアウシュビッツ強制収容所の所長とその家族を描いた重厚な映画である。原作はマーティン・エイミスの小説で、これはまだ読んでいない。
 ただし、この映画化された「関心領域」、原作を大胆に変えているらしい(原作を読んでいないので比較は出来ないけど・・・)。
 映画は、狂気と殺戮のアウシュビッツ強制収容所の隣で穏やかに暮らす、あの悪名高きルドルフ・ヘス所長の家族の日常生活を映してゆく。
 ナチスドイツ占領下にあった1945年のポーランドである。
 アウシュビッツ強制収容所で所長を務めるルドルフ・ヘスとその最愛の妻、5人の幼気な子どもたち、それから何人かのお手伝いさんたち・・・、彼らは蛮行が繰り返されている強制収容所とは壁を隔てたすぐ隣の広大な敷地の中、穏やかで何不自由のない暮らしを日々続けている。



 映画は、アウシュビッツ強制収容所内での、残酷で忌々しい、殺戮と拷問と悲惨極まりない蛮行の数々は、一切映さない。
 空はどこまでも青く澄み切っていて、風が優しくそよぎ、草木は美しく芽吹いている。近くの川は穏やかに流れ、家族みんなで泳いだり散歩をしては笑い合う。
 ルドルフ・ヘス所長は子どもたちを深く深く愛していて、夜になると暖かいベッドの中で「ヘンゼルとグレーテル」の話を子どもに聞かせ、妻とは心の底から深く愛し合ってもいる。
 そういうどこにでも存在する、平和で愛に満ち溢れたドイツ人家族の日常を淡々と描写してゆく。
 ところが画面には、モクモクと立ち昇る収容所の煙突の煙や、遠く聞こえる銃声や、微かに響いて来る人間の悲鳴だけは、決して逃さない。
 不気味に響きわたる不穏な音楽。モノクロームで幾つか差し込まれる、少女が地面に置いてゆくたくさんの林檎たち。その林檎を争って喧嘩になる、収容されている飢えたユダヤ人の叫び声・・・。
 映画のラストでいきなり映し出される、アウシュビッツ強制収容所の内部映像に思わず目を逸らしてしまう。
 監督はジョナサン・グレイザー。ロック・アーティストたちのPVを数多く撮っていた人だ。

 映画「関心領域」、凄い・・・。







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「よしもと新喜劇」が大好きで、毎晩1本ずつ寝る前に蒲団に入りながら観ているけど、これがなんとも癒されるんだなあ。353

2024年07月01日 | Weblog
 先週から禁酒している。
 それほどお酒自体が好きなわけじゃないので、別に苦痛は感じないけれど、やはり飲み会とか会合とかの席でビールを勧められたりすると、断るのにちょっと躊躇してしまう。なので、はっきり言うことに決めた。「すいません、10月6日の『弘前・白神あっぷるマラソン大会』の日までお酒を一切飲まないことに決めたので・・・」と。
 でも、やはり美味しい料理を食べる際、一緒にアルコール類を摂るのと摂らないのとでは全然違ってくる。
 たとえば冷えたビールを飲みながらの肉料理はまた格別だし、美味い刺身なんかと一緒に飲む日本酒や焼酎なんかは、その料理自体を数倍にも引き立たせてくれる。
 ただ、やはりアルコールを入れちゃうと、ほかのことがあと何にも出来なくなってしまうのだ。酔っ払っちゃうと、もう本は読めないし書き物をすることも出来ない。ましてや、夜、ランニングもジムに行くことも出来なくなる。
 ということで、「青森桜マラソン」を棄権してしまった人間にとって、なんとしてでも10月はフルマラソンを完走しなければならないわけで・・・。



 ということで、土日もまたジムで汗を流し、夜はのんびりと家で過ごす。
 そして今、家での一番の寛ぎ方は、なんといってもテレビで「よしもと新喜劇」を観ることだろうか。とにかく、「よしもと新喜劇」が大好きなのだ。
 大阪に行くと、必ず「なんばグランド花月劇場(NGK)」に寄って、本公演を観る。ナマの「よしもと新喜劇」も中々いい。
 少し前までは、青森地域のテレビでも「よしもと新喜劇」が毎週オンエアされていて、定期録画をして欠かさずに観ていたのだけれど、最近はテレビで放送されなくなり、少しガッカリしていたのである。


 ところが、先日ふと「ネツトフリックス」でも「よしもと新喜劇」が配信されていることが分かり、今はそれを1日1本ずつー観ない日もありますがー寝る前に蒲団に入って電気を消しながら観ているのだ。
 現地の「なんばグランド花月劇場(NGK)」では、新作を毎週火曜日に上演しているらしいけど、そうなると台本を読み込んだり舞台を作ったりと、かなりの突貫作業を強いられているのではないか。立ち稽古も結構ハードだろう。
 でもときにはアドリブをまじえたりしながら、観ているほうもストレスなく楽しめ、何度も笑わせてくれるから、本当に「よしもと新喜劇」って素晴らしい。



 「よしもと新喜劇」は、毎回代わる代わる4人の座長が務めを果たしてゆく。
 すっちーに酒井藍、アキ(この人が座長を務める舞台は、まだ観たことがない)に吉田裕である。すっちーも堺藍も吉田裕も、それぞれに個性的で面白い。
 まあ、出演者たちのキャラ設定がワンパターンでストーリーも予定調和な部分もあるけれど、そこがまた安心して観ていられるという逆効果になっている。
 ただ観る。ただ笑う。あとは何にも残らない。これでいい。
 この、眠りにつく前の数十分間。最高である。






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