淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「キース・リチャーズになりたいっ!!」POD・電子書籍絶賛発売中/【外国映画・海外TVドラマ編】 2020年12月刊行予定!

2021年08月26日 | Weblog

【外国映画・海外TVドラマ編】 2020年12月刊行予定!

「詩集(タイトル未定)」、「日本映画編」、来年以降随時刊行予定!



キース・リチャーズになりたい!! 音楽編 ~この厳寒の街、青森で生きてゆくということ~

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「12月24日木曜日、ブログ、再開します」

2020年08月26日 | Weblog


          Don't Sweat the Small Stuff. And It's All Small Stuff.










「プリテンダーズ」の女性ヴォーカリスト、クリッシー・ハインド68歳。このスレンダーでセクシーな着こなしと尖がったカッコよさ! これがまさしくロックなんだ!

2020年08月25日 | Weblog
 人生、生きていると、それなりに面倒臭いことに巻き込まれたりすることが多い。もちろん、自分自身でそれを引き寄せたり、自分の油断や傲慢から大変な事態を招くことだってあるだろう。

 人生の大半は、日常生活から生じるちょっとした煩いや思いがけずに降り懸かる面倒や他人との軋轢やお金から生じるトラブルや恋愛や友人関係の悩みなんかの処理に、その大半が費やされる。つまり、雪掻きみたいなもんだ。

 フランスの作家カミュの書いた「シーシュポスの神話」という有名な随筆がある。
 シーシュポスは神を欺いた罪で罰せられ、大きな岩を山頂に押して運ぶという苦難を与えられる。彼が、やっとの思いで山頂まで重い岩を運び終えたその瞬間、岩はまた下へと転がり落ちてしまう。シーシュポスはまた下まで降りて、そこから同じように重い岩を担ぎ、頂上まで運ばなければならなくなる。そしてその行為は永遠に繰り返される・・・。

 岩をひたすら山頂へと運び続ける。あるいは、降って来る雪をただひたすら片づける。そこに人生の意義だと目的だとか、そんな前向きなものは一切ない。それが人生だ。
 人生とは不条理なのである。

 ならば、人生に降り懸かる不幸の雨あられに、どうやって耐えてゆくか? いや、どうやったらその逆境から徹底した反撃を試み、正々堂々と向き合い、敵を完膚なきまで叩きのめすことが出来るか?
 そしてそれらを、強かに、しなやかさを保ちながら、ポジティブに捉え直すことは出来るのか?

 そんな、答えがあってないような難問を、何気に薄ぼんやりと考えていた時、目の前に飛び込んできたのが、イギリスの老舗ロック・バンド「プリテンダーズ」のニューアルバム、「Hate For Sale」のモノクロ・ジャケットだった。

 ふてぶてしい格好でカメラに向かって立つ4人の右から2人目、彼女がこのバンドのヴォーカルとギターを担当する、紅一点、クリッシー・ハインドだ。まあ、紅一点という歳でもない。なんと、現在、68歳! 68歳!
 それでも、カッコいいストレートな剛速球ロックを、ギターを鳴らし声を張り上げ叫び続けてる。70歳まじかの婆さんが!
 
 ジャケットに写るクリッシー・ハインド、とても68歳には見えない。68歳だよ(しつこいよ)。
 細身のジーパンにバイクのライダー・ジャケット。シンプルだけど、とことんセクシーだ。
 色気がある。惚れてしまう。

 それにもまして、この攻撃的な、何かに挑むような鋭い眼光はなんなんだ? ふつうなら、引退して悠々自適な人生を送っているはずだ。それなのに、まだまだ満足なんかするもんかという挑発するポーズで、こっちに向かって誘いかけてくる。

 「プリテンダーズ」のニューアルバム、「Hate For Sale」は全曲たったの30分!
 でも、短い曲の中に最大級のエネルギーが詰まっていて、まさに激しくロックン・ロールしてる!

 これがロックなんだ。
 ロックって、人生なんだ。

 クリッシー・ハインドなら、たとえシーシュポスみたいに不条理な苦役を与えられても、エッジの効いたロックン・ロールを大声で歌い、まるで神に挑むように、激しく挑発するように、頂上を目指して登り続けるんだろうか?

 「プリテンダーズ」のニューアルバム、「Hate For Sale」にその答えのすべてが詰まってる。
 ロックである。








映画「セッション」、「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督が製作総指揮と2話分のエピソードを撮った、NETFLIXオリジナル「ジ・エディ」を観る。

2020年08月24日 | Weblog
 前にもここで書いたことがあった。
 数年前、東京は新宿歌舞伎町で一本の映画を観たときのことだ。「ダークナイト」や「インセプション」のクリストファー・ノーランが監督をした「インターステラ―」だった。
 歌舞伎町のど真ん中にあったかなり大きな映画館だったけれど、客は数十人しかいなかった。広い場内に入って席に座る。とにかく広い映画館で、座った座席の周りには誰もいない。つまりゆったりと映画を堪能できる、そう思って嬉しかったことを覚えてる。

 とにかく、近くに誰かがいると落ち着いて映画に集中できないのだ。
 過度の神経質ときている。隣でガサガサゴソゴソ音をたてられると、もう怒り浸透して映画どころの騒ぎじゃない。
 ちっちゃい些細なことに拘るのである。気持ちが小さい。どうでもいいことに対してくよくよと思い悩む。

 やがて映画が始まった。
 ああ、今日はゆっくり映画の中に集中できるなあ。クリストファー・ノーラン監督も大好きだし・・・。
 すると、数十メートル離れた場所に座っている観客だろう、暗闇の劇場でそこだけが眩しく光っているのである。「眩しいなあ。携帯いじってんのかよ。あったま、クルな!」。

 それでも映画に集中しようとスクリーンに目を向けた。しかし、やっぱり気になる。だいたい、映画館の中で携帯なんていじるんじゃねえよ。上映中だぞ!
 そこから、中々映画に入り込めない。ああ。俺はなんてツイてない人間なんだろ。よりによって、こんなにガラガラな上映回でラッキーと思っていたのに、なんでまた運悪く、携帯いじりのマナーに欠けた人間と遭遇しなきゃならないわけ?

 マイナス思考がグルグル回って、負の連鎖で膨れ上がる。なんでいっつも、こうなんだ?
 それにしても、長い時間、スマホ開いてんな。メールしてるのか? 最低な奴だな!
 映画は佳境に入っている。すんごく面白い映画だと思う。でも。スマホが。スマホが眩しくて、それが気になって仕方ない!

 もう耐えられなくなって、怒り心頭。注意してやろうとスクッと立ち上がり、その暗い映画館の中でずっとスマホを開いているとおぼしき輩の前に出た。てめえな!

 そこには誰もいなかった。誰ひとり、いなかったのだ。
 ただ、誘導灯がぼんやり灯っていた。それだけだった・・・。
 俺が、館内の誘導灯を誰かが開いているスマホだとひとり勘違いして、慌てふためき、何十分もひとりで興奮し、果ては、自分のツイてなさを呪い、なんでこんな目にばっかり遭うんだと嘆き、頭にきて、注意してやろうと立ち上がって行ったその場所は、映画館に備え付けられた、ただの誘導灯だったのである。

 よくよく考えてみると、こんなこと、恥ずかしながら日常茶飯事だ。
 勝手にちっちゃな悩みをこしらえて、それを大きく大きく膨らませ、まるで人生で起きた最強の不幸のように仕立て上げる。
 いっつもそうだ。
 今日もまた、それと似たような出来事に遭遇し、結局それは単なる「杞憂」に終わった。
 そうか。俺は不幸になりたがる、それだけのどうしようもない人間だったんだ。

 落ち込んだまま家に帰って、「ジ・エディ」を観る。
 映画「セッション」や「ラ・ラ・ランド」を撮ったデイミアン・チャゼル監督が製作総指揮と2話分のエピソードを監督した、NETFLIXオリジナル・ドラマだ。
 全編、ジャズが流れる。
 フランスのパリで、ジャズクラブ「ジ・エディ」を経営するミュージシャンのエリオットがこの物語の主人公だ。

 ドラマは、淡々と進む。
 でも、彼もまた小っちゃいトラブルが、あられのように空から次々と落ちてくる。
 クラブの共同経営者が何者かに殺されたり、娘の問題やバンドの仲間たちとの煩わしい問題が噴出してきたり・・・。
 八方ふさがりの状況が彼の人生にも降りかかる。

 「ジ・エディ」のなかで蠢く人間たちは、それでもドラマが終了した途端そこで消えてゆくからいいけれど、現実に生きているこの俺の被害妄想的「不幸の嵐」って奴は、自分を変えない限りは収まらない。

 誘導灯までも煩わしさの種にしているわけで、んなもん、ほんと救いようがない・・・。








「そんな八月、夏の終りの気怠い日曜日。ああ、この凄まじいまでの自己嫌悪をどうしよう」

2020年08月23日 | Weblog
 日曜日、朝8時に起きて、寝惚け眼(まなこ)でテレビを点ける。
 たまたま日本テレビの「24時間テレビ」がやっていた。この一年に一度の恒例イベント、あんまり好きじゃない。なるべく観ないようにしている。善意の押し売りが鼻につくのだ。もちろん、この24時間テレビに出ている出演者たちに罪はない。不治の病に倒れても歯を食いしばっている人たちや、生まれた時から様々なハンディキャップを背負っていても、泣き言一つ言わないで懸命に今日を生きている人たちをテレビで見ると、やはり目頭は熱くなる。純粋に励まされる。
 それでも、放送局の、強引に泣かせよう、感動してもらおうという姑息な演出や、計算された手法を目にすると、やっぱり白けてくるし、虚しさが込み上げる。
 「愛が地球を救った」ためしなんてこれまで有史依頼あったのだろうか? 人間は一皮剥けば、悪意に満ちた、自分勝手な利己主義の塊だろう。
 そんなことを考える一方で、別の自分がまたこんなふうに問い掛ける。「いやいや、じゃあ、お前は誰をこれまで救って、誰を助け、誰に優しい手を指し伸ばしてきたんだ? 偽善だっていいじゃん。それで何人かの飢えた子どもたちを救うことが出来て、誰かの難病を治して新しい人生を歩ませることが出来たのなら」と。
 そうかもしれない。
 3.11で家を失って途方に暮れていた避難民の人たちに、俳優の杉良太郎がボランティアで食料を配っているところに現れたTV局のレポーターが、「杉さん、これって単なる芸能人のパフォーマンスで、偽善だとは思いませんか?」と批判した際、杉良太郎は平然とこう答えたという。
 「そうです。単なる偽善です。偽善者じゃ駄目ですか?」
 そしてまた、杉良太郎は、行列を作って彼の配る食料を待っている人たちのもとへと小走りに走っていったという。

 俺は、寝惚け呆けた格好で、ただテレビを観ながら、上目目線で安全な場所から御託を並べているに過ぎない。
 自分だけが一番可愛く、他人が前を走ればそれに激しく嫉妬して、後ろでへこたれていれば振り返って優しい笑顔を作って安心する。
 毎日毎日、どうでもいいようなことで悩み、神経質で、プライドだけは高い。そして、そういう自分を激しく呪っているその姿を見ながら、妙に納得したりする。自分を責めているという事実があればそれでいいのだ。保険なのだ。
 そんな激しい自己嫌悪に襲われ、午前中は何もせずに部屋の床に伏せったまま目を閉じていた。

 午後になる。
 雲一つない青空が広がっている。夏の残り香がする、8月23日の日曜日の昼下がり。
 行こうか行くまいか迷ったのだけれど、意を決して「スポーツ・ジム」へ。
 2時から始まる「ターゲット・アブス」をやろうと、人数制限のために事前に配られるチップを貰いに列へと並んだ。
 早めに並んでスタジオの一番前の場所をゲットしよう。そう思ったのだ。そんな小っちゃなことだけを考えて行動している姑息な自分に対して、無性に腹が立ってきた。

 んなもう、どうでもいいだろうが。
 スタジオの何処に立って「ターゲット・アブス」をやろうがやるまいが、それがいったいなんだっていうんだ?
 一番前で、さも上手なフリして、参加者たちの注目を集めたいわけ? たかが、スタジオのいちエクササイズだぜ。くだらねぇ。
 なんでも一番じゃなきゃダメなわけ? 誰もお前なんか見てねえよ。
 ああ。いい大人が、スタジオの最前列のポジションを取るだ取らないだとか、ほんと、どうでもいい。もっと大きなことで悩んだり行動しろや。情けねぇ。

 結局、「ターゲット・アブス」を最前列でやって、お風呂に入ってジムを出て、落ち込んだまま、家に帰る。
 こんなふうに、どうでもいいような些末なことに毎日毎晩拘り、大局を見るということがない。そんな気持ちの小さな人間が目指すべきゴールになんて辿り着けるわけがない。当たり前だ。
 だからお前は、何をやっても中途半端なんだよ。

 もう一度、田坂 広志氏の「運気を磨く 心を浄化する三つの技法」を引っ張り出して、ぺらぺらと捲ってみる。
 落ち着け。
 心を静かに浄化させよ。
 ポジティブにものを見ろ。ネガティブな言葉を使っちゃだめだ。

 小さいことにくよくよするな。しょせん、すべては小さなことだ。
 






仕事を終え五所川原市内のホテルに一泊して「エルム」の街に寄って帰る。ネットを見たら「るろうに剣心」最終章The Final/The Beginning完成のニュースが載っていた。

2020年08月22日 | Weblog
 金曜日は仕事の打ち合わせでH氏と二人、車で五所川原市。
 五所川原市役所からほど近いホテルにチェックインして、大学のゼミでゲスト・スピーカーをしてもらうための依頼と、ゼミ生の「卒業論文」の協力依頼で、雨が降る中、市役所に向かった。
 市の某幹部の方と詳細な打ち合わせを終え、夕方6時前後に待ち合わせて軽い会食を行う。密にならないよう、4人での会食に止める。

 やはり、新型コロナウイルスの関係で、街の経済もかなり落ち込んでいるようだ。とにかく、フットワークの軽い、公務員らしからぬ身のこなし方に共感してしまう。
 地方都市の少子高齢問題について五所川原市出身のゼミ生が卒論をしたためたいということなので、その協力をお願いして、快く快諾され、その後別れた。

 夜の8時前にはホテルの部屋に入る。
 ここ数日、いつもの寝不足状態が続いていたので、少しでも早くベッドに横になりたい。そして、出来ることなら深い眠りにすとんと落ちてしまいたい。
 ホテルの3階にあるという浴場に行って熱いお風呂に浸ってから、部屋に戻ってベッドに潜り込んだ。

 ぼんやりと天井を眺める。軽い睡魔が襲ってきたので、それを逃さずに部屋の電気をすべて消して眠りについた。時計は22時だった。
 それでも途中、何度か真夜中に目が覚める。色んな雑念が浮かんでは消えてゆく。

 道端に落ちていたかなり大きめの汚い木箱を、なぜか拾って、その中をまさぐっている夢を見た。
 かなり汚れていて、木箱の中には様々な汚物が泥まみれで詰まっている。それを両手で掻き分けているのである。イヤーな気分になったところで目が覚めた。意味が分からない。

 いっつもこんな感じだ。眠りは浅く、寝ているのか起きているのか、よく分からない。
 そして、とても奇妙で不思議な夢を見て目が覚める。
 まだ、外を見ると真っ暗闇だった。また浅い眠りに入る。目覚めると8時ギリギリだった。
 ぐっすり眠ったという爽やかな感覚が一切ない。ぼやーっとしている。

 H氏が部屋のドアをノックしたので、起き上がって最上階にあるレストランで朝食を摂った。
 雲が混じった青空が広がっている。穏やかな土曜日の朝だ。
 「立佞武多の館」が正面に見える。そこから目を右に逸らすと、県内最大級の大型ショッピング・モール「エルムの街」の一角が目に入った。

 10時前にホテルをチェック・アウト。
 帰りはその「エルムの街」に立ち寄り、少し買い物をして「スタバ」で珈琲を飲んでから青森市内へ車を飛ばす。
 家に着いたのがちょうど正午。
 曇り空で、むっとする暑さだ。

 部屋に入って、ネットを覗いたら、「るろうに剣心」最終章The Final/The Beginningが完成したとのニュースが載っていた。
 コロナがなければ、もうとっくに劇場で上映していたはずなのに、延期され、2021年ゴールデン・ウイークに2部作連続ロードショーが決定した映画である。主演は佐藤健、監督が大友啓史。

 この映画は早く観たい。というか、とても楽しみにしている邦画の一本だ。
 「YouTube」で最終章The Final/The Beginningの予告編を観てみる。
 うーん。やっぱり面白そう。明かされなかった剣心の過去と、剣心の顔に刻まれている十字傷の謎が最終章では解き明かされるらしい。

 時間はあっという間に午後の1時になる。
 急いで「映画編」の原稿に取り掛かる。あと4日。あと4日で仕上げなければ・・・。
 BGMは「蜜蜂と遠雷」のピアノ全集「完全盤」から、バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第5番ニ短調。

 ひたすら書き進めるしかないな・・・。






サンダーキャットの「It Is What It Is」を聴く熱帯夜。Amazonのトップレビューに「寝静まった深夜に聴くと最高です!」とのコメントあったけど、確かにその通り!

2020年08月21日 | Weblog
 今年は中止だった「ねぶた祭」の期間が過ぎて、「お盆」も終わり、季節は秋へ向かって一直線なのに、まだまだ夏が土俵際で踏ん張っている。

 木曜日もまた日中は30度超えの茹だるような暑さに見舞われた。
 毎回おんなじことを言ってるけれど、「研究室」に籠っていると、午後がマジで怖くなる。午前中はそれでも何とか過ごせる。ところが、12時を回ったあたりから西日が猛烈な強さで部屋の中に差し込んでくる。

 暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。
 パソコンを置いている机の上が、腕から垂れた汗で濡れている。何本ペットボトルを飲んでも足りるということがない。

 やっと夕方の5時になり、鍵をかけて部屋を出る。やっと脱出だ。
 それでも駐車場に停めてある車に乗り込むと、ここもまたサウナ室のようだ。クーラーを目いっぱいにして、音楽を流す。今日は「カーティス・メイフィールド」のベスト・アルバム。暑い夏の終りに聴くブラック・ミュージック。これまた熱い。

 家に帰って軽めの夕食を摂り、部屋に籠る。
 なんとなく夜が早くなってきたような気がする。夕方の6時過ぎになると宵闇が静かに迫って来る。

 サンダーキャットのニューアルバム「It Is What It Is」を聴こう。サンダーキャット、雷猫である。
 ニューアルバムといってもリリースされたのは4月の初めのころだった。もう8月だから5か月も経ったことになる。

 今作はフライング・ロータスとの共同プロデュース。チャイルディッシュ・ガンビーノ、カマシ・ワシントン、スティーヴ・レイシーらがアルバムに参加している。
 2017年に発表した前作「Drunk」も中々評判が良かったけれど(あのジャケット写真だけは除いて)、今回は、本人の私生活がちょっと色々あったみたいで、そういう心情がアルバムにも深く投影されているようだ。
 サンダーキャット自身も、インタビューで「このアルバムで表現しているのは、愛、喪失、人生、それに伴う浮き沈みだ」と言っている。

 当然、基本はこれまでの、ソウル、ファンク、ジャズ、AOR、ヒップホップ路線を踏襲してはいる。でも、どことなくメランコリックな感じがしないでもない。
 ただし、とろけるようなメロウネスとアーヴァンな感覚だけは今回もまたきちんと死守しています。

 そして今日はもう金曜日。
 常套句、あっという間に一週間が過ぎてゆく。
 昨日とは打って変わってとても涼しい。朝からどんよりとした曇り空で気温も20度台を保っている。少し雨もぱらついている。
 午後からは一泊でG市に向かう。仕事の打ち合わせがG市であるからだ。

 そういえば、サンダーキャットのアルバムのタイトル名の、「It Is What It Is」。
 しょうがないね、仕方がないよ。そんな意味の英語表現らしい。
 It Is What It Is・・・このフレーズ、なかなかいいな。

 Shit happens! Life goes on! 仕方がない。人生は谷あり山ありだ!
 







「短編画廊 絵から生まれた17の物語」はとても面白いアンソロジー。エドワード・ホッパー18枚の絵画にインスパイアされた作家たちの短編が素晴らしい。

2020年08月20日 | Weblog
 エドワード・ホッパーの歴史的絵画「ナイト・ホークス」の実物の絵を観たのは、アメリカの「シカゴ美術館」だった。
 アメリカのシカゴとニューヨークに行った際、「シカゴ・ブルース・フェスティバル」が開催していたその合間をぬって美術館を訪れたのである。棟方志功の版画も同じ館内に飾られていた気がする。

 とにかく、エドワード・ホッパーの絵が大好きだ。
 美術画集もちゃんと買いたいのだけど、それはまだ購入していない。今は時々、ネットの画廊でホッパーの絵を観て過ごしているだけだ。

 なんなんだろう? この、何処にでもあるような日常の断片を捉えているだけの絵の中に潜んでいる、ひんやりとした質感の、孤独や、寂寥や、たった独りぼっちで世界から取り残されているような疎外感は・・・。

 都会の片隅にひっそりと佇む、オフィスや劇場やアパートやバー。それからアメリカの郊外に点在している寂びれたガソリン・スタンドや、ぽつんと建った小さな家の外観や、田舎町の風景・・・。
 それらが、単純化された構図を伴って、外部から差し込んで来る光と、それと同時に生まれる陰との絶妙なコントラストのなかで描かれている。
 明るく開放的なスケッチなのに、圧倒的な寂しさと哀しさが襲って来る。

 そんな大好きなアメリカの画家、エドワード・ホッパーが描いた18枚の絵画にインスパイアされた著名な作家たちが、それぞれの絵から着想した短編小説を紡ぎ出したアンソロジー「短編画廊 絵から生まれた17の物語」を読んだ。
 この短編小説集は、いい。とてもいい。
 読みながら、本当に至福の時間を過ごせた気がする。それほど画期的な短編集だ。
 小説を堪能しながらエドワード・ホッパーの絵も同時に観ることができるのだ、一度食べて二度美味しいに決まってる。

 ミーガン・アボットの「ガーリー・ショウ」に始まって、「キャロラインの話」(ジル・D・ブロック)、「夜鷹 ナイト・ホークス」(マイクル・コナリー)、それから、これまた大好きなミステリー作家のジェフリー・ディーヴァーによる短編「11月10日に発生した事件につきまして」や、スティーヴ・キングの「音楽室」などなど・・・。
 どの小説を読んでも、最後のオチがあり、どんでん返しがあり、小説の前段で提示した伏線の見事な回収がある。
 たとえばスティーヴ・キングの「音楽室」は、ホッパーの「ルーム・イン・ニューヨーク」という一枚の絵から想像を巡らして書かれた短編なんだけど、よくまあ、こういう奇抜な発想が出てくるものだと驚いてしまう。

 監修したローレンス・ブロックも(彼もまた本のトリを飾る短編を載せている)、ホッパーの作品は絵の中に物語があり、その物語は語られることを待っているのだと述べていた。
 まさに、その通りだと思う。

 「短編画廊 絵から生まれた17の物語」、小難しい内容の小説は一編もない。なので、どこからでも気軽に読んで楽しむことが出来る。
 これから少しずつ暑い夏がひけて、夜が長くなってゆくけれど、そんな夜、この本はミステリー好きを含め、万人にお勧めできる。

 個人的には、ジェフリー・ディーヴァー「11月10日に発生した事件につきまして」と、スティーヴ・キングの「音楽室」が中々面白かったです。











柴田元幸責任編集「MONKEY」という雑誌はいつ読んでも刺激的で面白い。そのVol.21は特集「猿もうたえば」。アレン・ギンズバーグやグリール・マーカスまでテンコ盛り。

2020年08月19日 | Weblog
 研究室は西日が強烈で、午後になると夏の日差しがもろに窓硝子を直撃するから、まるでサウナに着たまま入っているかのようだ。
 もちろん、クーラーもないので、パソコンに打ち込んでいると、背中から後頭部にかけてじりじりと直射日光があたって、猛烈な汗が噴き出し、クラクラしてくる。

 昨日の火曜日も暑くて死にそうだったけど、今日の水曜日も30度越えの猛暑で、午後の時間帯はまるで拷問されているような気分だった。
 たまらず、誰も使っていない会議室を開けてその部屋に設置してあるクーラーを点けて緊急避難した。

 昨日は仕事を終えて家に帰り、寝転がって雑誌を読んでいた。
 もちろん、クーラーを全開にしながら。熱いブラック・コーヒーを飲んで。

 読み耽ったのは大好きな「MONKEY」である。
 今回は、特集が「猿もうたえば」ということで、アレン・ギンズバーグやチャールズ・ブコウスキーの詩や、「全ロック史」を書いた西崎憲氏と翻訳家の柴田元幸氏による「音のいいバンドは歌詞もいい? -『全ロック史をめぐって』」、それからアメリカの音楽ライターであるグリール・マーカスの「消える、忘れる」、ジーシーワイリー「最後の優しいことばブルース」の柴田元幸訳が載っている。

 西崎憲氏と翻訳家の柴田元幸氏による「音のいいバンドは歌詞もいい? -『全ロック史をめぐって』」が面白かった。
 イギリスのロックとアメリカのロック比較論を語り合う中で、アメリカがオリジネイターでイギリスはイノベーターだという論理展開が斬新だった。ずっとパンクも含めてロックのオリジネイターってイギリスなんだと思い込んでいたからだ。
 確かにストーンズもビートルズもアメリカの音楽からインスパイアーされ、そこから次なる音楽のイノベーションが生まれてきたわけで・・・。

 それと、「MONKEY」の最後のページに掲載されていたバリー・ユアグローという作家の超短編「鯨」が素晴らしかった。
 コロナ禍のニューヨークを舞台にした、詩のような短編である。
 注釈で、彼が今年の4月から5月にかけて書き上げたという「ボッティチェリ 疫病の時代の寓話」という本が柴田元幸訳で緊急出版されているらしく、「Amazon」を覗いてみたけどこの本だけ販売されていなかった。読んでみたい。

 それにしても、疲労が溜まっている。
 それなのに昨日(火曜日の夜)もまた、うまく寝つけなかった。ただ、断食をする月曜日だけは夜の10時ぐらいになると睡魔が襲って来て、眠くて眠くて仕方ない。すぐに寝てしまうのだ。この差、いったいなんなんだ?

 火曜の夜も悶々と寝返りを打ち続け、時々枕元の時計で時間を確認するのだが、焦れば焦るほど眠れない。
 まだ1時・・・まだ2時半・・・少しうとうとして・・・3時半かぁ・・・。そうしているうちに夜明けになってしまった。

 なので、今日の水曜日は真夏日のうえに寝不足気味。
 「運気を磨く」を読んで目から鱗だったというのに、またまたネガティブな想念だけが頭の中を過り続けるから困ったもんだ。
 何とかしないと・・・。

 ちょっと一回、ひと呼吸入れるとしよう。









「Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.」

2020年08月18日 | Weblog
 月曜日から、またいつものような日常が始まった。

 8時前には大学の「研究室」の鍵を開け、西側に面した4階の窓を開ける。月曜日は一日断食日なので、机の横に置いたペットボトルの水をちびちび飲みながら、溜まったメールをチェックして返信する内容を打ち込み、学生から届いた前期レポートを学部ごとに振り分けてチェックする。
 こうして少しずつ、いつもの生活が戻って来る。

 独りぼっち、9時間近く部屋の中に籠っていると、猛烈な人恋しさに襲われる。もちろん、何人かの関係者がやって来て話し込んだり、携帯の電話が鳴って相手とやり取りしたり、メールやラインでの情報交換もしているけれど、やはり、独りでずっとディスク・ワークしていると気が滅入る。
 いつもなら、学生たちで行き交うキャンパスもひっそりと佇んでいて、蝉の鳴き声だけが聞こえている。

 苦しい断食をクリアして、続く火曜日もまた、仕事場へと定時に到着した。
 今日は朝から青空が広がっていて、千切れた白い雲がぷかぷか夏空に漂っている。
 新聞を見ると、浜松では41.1度の厳しい暑さで国内最高タイを記録したとのニュースが一面で躍っていた。

 パソコンに打ち込んでいると、友人からラインが届いた。
 地元のペンクラブの役員でずっと作家活動をしていたY氏と、某ホテルの支配人で商工会議所のメンバーだったM氏が亡くなったという、突然の訃報を知らせるラインだった。
 ペンクラブに入れよと誘ってくれたY氏、いつも笑顔で「どうしてる?」と声掛けをしてくれていたM氏、どちらも素晴らしい先輩だった。

 特にY氏とは、市内中心部にある伝統小学校の統廃合問題では真っ向から対立する立場となり、互いに公式の場で激しく戦った。
 でも、議論していてもまったく不快感や徒労感はなく、Y氏はこちらがガチンコで議論を挑んでも、ちゃんと冷静に最後まで聞き通し、自分の意見も正々堂々と述べ、ある意味とても清々しかったことを今でも鮮明に覚えてる。

 ラインを読み終えて、何回かのやり取りを相手と繰り返す。
 ラインを閉じた後、言いようのない寂寥感というか、虚しさというか、そんな気分が襲ってきた。
 誰もが死んでゆく。どんな人間も必ずこの世から去ってゆく。ただ、健常者(だと勝手に思っているだけかもしれないけど)だけが、死への自覚が希薄なまま、あるいは死への恐怖を隠したまま、今いる世界をなんとなく生きている。

 お昼になったので、学内にあるコンビニエンス・ストアに寄って、日本経済新聞と読売新聞、ヨーグルトとサンドイッチ、それに甘辛チキンを買って戻る。
 ひとりぼっちのランチ。静かな館内。遠くに臨む山々の峰が、夏の青空よりも濃厚な色合いで聳えている。太陽がぎらぎら燃え滾っている。
 暑い。
 相変わらず、凄まじい鳴き声を出し続け、必死に蝉たちが叫んでいた。一瞬の夏に泣き叫ぶ、短い命を持った哀しい蝉たち・・・。

 ジョン・レノンが言っている。
 Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
 終わりにはすべてが大丈夫なんだ。もしも大丈夫じゃないのなら、それは終わりじゃないってことなんだよ。









「アルプススタンドのはしの方」

2020年08月17日 | Weblog
 日曜日の午後、スポーツジムで「4DAYボディメイク」の最終4日目をやり終え、30度超えのなか、どこにも寄らずに家に帰って、すぐさまパソコンの前に座り「word」にキーボードで打ち込んでいたら、ふと「うん? 確か、昨日からシネマ・ディクトで『アルプススタンドのはしの方』やってるんじゃなかったっけ?」と思い出し、急いでネットで上映時間を調べてみる。

 午後3時50分から最終上映回だった。観に行こう。
 パソコンを消して、自転車を出して「シネマ・ディクト」へと向かった。ギリギリ間に合いそうだ。
 夏の終りかけの真夏日の街は、暑さでまだムンムンとむせ返っている。ペダルを踏んで熱い大気を割くように走る。汗が額にじんわりと滲んできた。
 家の近くで市のお偉いさんであるN夫妻とばったり出くわした。

 「シネマ・ディクト」の前に自転車を置き、エレベーターで3階へと上がる。
 T館主に「映画編」に寄稿してもらう原稿を頼んでいたので、ついでに原稿を貰っていこうと思ったら今日はあいにくの不在だった。

 映画館の中に入ると、こちらをいれて8人の観客だった。
 3密にならないよう、何列かの椅子を座れないように止めてある。
 映画「アルプススタンドのはしの方」は、第63回全国高等学校演劇大会で最優秀賞となる文部科学大臣賞を受賞した、兵庫県立東播磨高校演劇部の舞台戯曲を映画化した作品だ。

 夏の甲子園出場をかけた、その第一回戦。
 暑さの中、懸命に母校を応援している、スタンド席の学生やブラスバンド部や野球部員の関係者たち。
 そんな観客席の一番隅っこに陣取っていたのが、同じ高校の演劇部の女子生徒2人と元野球部員だった男子生徒、そして学内で成績がトップなのに他人と壁を作って孤立している眼鏡をかけたガリ勉女子生徒だった。その成績優秀な女子生徒は、応援団席で一生懸命トランペットを鳴らす吹奏楽部部長に、それまでの学年1位の座を明け渡した直後でもあった。

 それぞれの思いを秘めながら、相手の強豪校となんとか互角に試合を進める母校の野球部だったが、試合が後半戦へと突入すると同時に、一人ひとりがそれまでじっと隠していた互いの複雑な感情もまた、大きく爆発してゆくことに・・・。

 監督は城定秀夫という人らしいのだが、まったく知らない。調べてみたら、数々のピンク映画を撮ってきた人らしい。
 これまで、ピンク映画やロマンポルノで腕を磨いてきた監督たちって、誰もみな才能豊かで、素晴らしい作品をたくさん作っている人が多い。城定秀夫監督にも今後に期待が持てそうだ。

 映画「アルプススタンドのはしの方」、そもそも戯曲がベースということもあってか、野球の試合そのものを映すシーンはまったくない。ただただ、主要な生徒たちを執拗に追い掛けてゆく、それだけだ。
 正直に言うと、映画が始まった前半、少し眠くなってしまった。おおよその筋書きのようなものは「ははーん。そういう展開ね」と分かっちゃったし、ラストもだいたい予想がついた。

 でも、さすが、第63回全国高等学校演劇大会で最優秀賞となる文部科学大臣賞を受賞した作品を映画化しただけのことはある。
 中盤から、俄然、物語は動く。
 それぞれのキャラクターたちの秘めた感情が観る側に提示され、予測はついていたものの、怒涛のラストへと昇りつめてゆくのだ。

 そして、ラストのラスト。
 ネタバレになるのでここでは一切書かないけれど、これまた青春ものによくある、予定調和の、その後のちょっぴりビターな後日譚が描かれるのだけれど、これもそれなりに良しとしよう。

 こうなると、オリジナル舞台のほうも俄然観たくなってくる。




岡村靖幸の躁、S氏の還暦パーティー、今日で夏休みが終わって明日からはまた仕事が始まるんだ、「Summer vacation 2020」9

2020年08月16日 | Weblog
 現実がつらいよ あんなにしたいと思わせぶりなキスをして 
 天国はつらいよ なんでもない広い平原があるだけ
                            「成功と挫折」

 寂しいから 笑って
 虚しいかな 笑って
 遊ぼう 変わらぬ日常から
 今すぐ飛んで 抜け駆け
                            「ステップアップLOVE」

 このどうしようもない日常から突き抜けたい。平凡に染まったこんな毎日から一目散に逃げだしたい。生きることの息苦しさや遣る瀬無さを一瞬で破壊してしまいたい・・・。
 そうです。そんな時は、岡村靖幸がかなり効きます。速攻で効きます。聴いてください。
 前作アルバム「幸福」から4年ぶりのアルバムだ。タイトルは「躁」。そうきたか。
 思わず笑っちゃう。だって、躁である。
 こんなに屈折して純愛に飢えている(と思われる)岡本靖幸の、ポジティブなパラドックスがなんとも可愛い。
 アルバム「躁」には、DAOKOとコラボレーションした「ステップアップLOVE」や、
 シングル・カットされた「少年サタデー」(アース・ウインド&ファイアーの「セプテンバー」がちらっと流れるのがまた微笑ましい)、スローな「遠慮無く愛してよ」、「岡村靖幸さらにライムスター」名義のシングル「マクガフィン」と、今回も全曲全開である。
 ファンキーでアゲアゲな曲がアルバム全体を貫いている。濃厚で黒っぽい。ダンサブルでビートが熱い。自然に身体がゆれてくる。
 岡村靖幸の頭の中の複雑怪奇な部分が、ぶっ飛んだ歌詞に如実に現れているところもいい。

 昨日の土曜日の夜は、現在所属している組織の幹部であるS氏の還暦パーティーに出席して(凄くいい還暦のパーティーだった。ラストの本人のスピーチを聞いていたら目頭が熱くなってしまった)、そのまま2次会に寄らずに家に帰って、パソコンの前に座ってキーボードを打ちながら、岡村靖幸のアルバム「躁」をずっと聴いていた。
 元気が出る。

 そして、あっという間に夏休み最後の日となる日曜日。8月17日。
 明日からは仕事が待ち構えている。大学そのものはまだまだ夏休み期間だけれど、こちらはやることがたくさんある。成績もつけなければならないし、後期の講義のパワポも作らないといけない。
 今日も朝から暑くて室内の温度計は軽く30度超え。薄い膜を張ったような空にくすんだ太陽が照っている。
 午後からはジムに行って、「4DAY ボディメイク」のラスト「脚」編のエクササイズをしたら、それで「Summer vacation 2020」も終わりとなる。
 今月いっぱいは猛暑が続くようだ。でもそれだっていつかは終わる。9月になれば落ち着くだろう。

 やがてこの街にも淋しい秋がやってくる。
 その先には、北国の厳しくて辛い冬が控えている。
 人生は、あまりにも短い。







運気を磨く―心を浄化する三つの技法(田坂広志著)、関東地方から帰省していた60代会社員男性の新型コロナウイルス感染が判明、「Summer vacation2020」8

2020年08月15日 | Weblog
 友人から一冊の新書を薦められた。男気のある腹の座った友人である。
 本のタイトルは、「運気を磨く―心を浄化する三つの技法」光文社新書。田坂広志という人が書いているらしい。まったく知らない人だ。
 最初、その本のタイトルである「運気を磨く」を聞いて、少し引いている自分がいた。それは運気という言葉に対する違和感のようなものだった。
 どこか、怪しげな宗教団体が布教宣伝活動の一環で書いているような本とか、スピリチュアリストを名乗っている江原啓之の書く啓発本の類いを想像したのである。そういう本ならちょっと勘弁してほしい・・・そう思っていた。
 ところが、著者である田坂広志氏、「Amazon」の中でも掲載されていた著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」)をそのまま抜粋すると、【1951年生まれ。’74年東京大学卒業。’81年同大学院修了。工学博士(原子力工学)。’87年米国シンクタンク・バテル記念研究所客員研究員。’90年日本総合研究所の設立に参画。取締役等を歴任。2000年多摩大学大学院の教授に就任。同年シンクタンク・ソフィアバンクを設立。代表に就任。’05年米国ジャパン・ソサエティより、日米イノベーターに選ばれる。’08年世界経済フォーラム(ダボス会議)のGlobal Agenda Councilのメンバーに就任。’10年世界賢人会議ブダペスト・クラブの日本代表に就任。’11年東日本大震災に伴い内閣官房参与に就任。’13年全国から5200名の経営者やリーダーが集まり「21世紀の変革リーダー」への成長をめざす場「田坂塾」を開塾】と書かれている。
 そうか。この人、理系の人なのか。
 そして、この本「運気を磨く―心を浄化する三つの技法」で何度も繰り返し述べているように、「運気」という問題を「オカルト」的視点からは語らない、基本的に科学的で唯物論的な世界観によって理論的に取り組む、との姿勢が明確なのも気に入った。
 あまりにもその友人が本の素晴らしさを語るので、早速読んでみる。
 確かに、これまで「思考は現実化する」や「ザ・シークレット」なんかの自己啓発本を読んできて、「引き寄せの法則」については知っていたし、そういう「ちから」を自分の元へと吸い寄せている有名アーティストたちや著名人たちも本当にいるのだろう。
 「夢は叶う」(もちろん、ただ受動的に待っているだけじゃ叶わない)し、「今あるこの自分はこれまでの過去の思考や決断が導き出したもの」であるし、「運」や「夢」や「理想形」は、強く強く「引き寄せ」なければ現実化しないことも十二分に知っている。
 この本の凄いところは、「良い運気」を吸い寄せるための具体的な方法論をより具体的に解き明かしてゆくところだろう。そして、さすが原子力工学博士らしく、きちんと論理だてて短く章を区切り、丁寧に「運気」を解き明かすのでとても読みやすい。
 いまここで、この本に書かれている幾つかの重要なキーワードを並べ立ててもあまり意味はないだろう。きちんと最後まで読み切ったあとで解釈しないと、それらの言葉はいたずらな誤解を招き、安易な解釈はこれからの人生を生きてゆくうえで危険となる。
 「運気を磨く―心を浄化する三つの技法」(田坂広志著)は、目から鱗の人生指南書である。いつも隣に置いて、苦しくなったり辛くなったら何度も繰り返して読むことに決めた。
 820円でここまで人生の深みについて教えてもらえるなら、なんて安い買い物なんだろうと思う。バーで飲む一杯のカクテル代じゃないか。
 幸運は「不幸な出来事」の姿をして、やってくる。うーむ、確かに。
 
 そんなこんなで、もう土曜日。夏休みも明日で終わってしまう。
 ああ・・・いやいや! ネガティブな言葉を発してはいけない。否定する言葉は自分へと必ず帰って来る・・・そう「運気を磨く―心を浄化する三つの技法」でも書いていたじゃないか。
 「東奥日報」で、関東地方から帰省していた60代会社員男性の新型コロナウイルス感染が判明との記事。
 少しずつ、また広がって来たなあ。青森県にも。

 今日もスポーツジムへ。
 今日は「4DAYボディメイク」の3日目「お腹」と、「J-POPダンス」ボーイズ編。夜は某ホテルで某氏の「還暦パーティ」が。

 それにしても暑い。
 午前11時過ぎでもう30度超えだ。








傑作!あまりにも美しすぎるウォッシュト・アウトのPurple Noon、J-POPダンス、国際芸術センター青森の命の裂け目展、「Summer vacation2020」7

2020年08月14日 | Weblog
 美しい。
 あまりに美しすぎる音楽だ。
 ・・・透明な浅瀬に身を横たえて、寄せては返す波に無気力に揺れながら、今まさに沈もうとしている淡い真夏の太陽の最後の光を浴びている、まさにその一瞬の永遠のよう。
 真っ白な砂浜は何処までも果てなく続いていて、海風と波が朽ちる音だけが、包み込んだ優しさと同じだけの哀しさを亡き者にしようと、企みの邪魔だてをしている。時間はぴたりと止まったままで動かない。世界の果てでこうして浮かんでいるのはたった二人。
 愛する貴女と、この僕だけだ・・・。
 ウォッシュト・アウトの最新アルバム「Purple Noon」が素晴らしい。
 今年聴いたすべてのアルバムの中でぶっちぎりのナンバーワンである。傑作だ!
 ウォッシュト・アウトは、アメリカのアトランタを拠点に活動するアーネスト・グリーンのプロジェクト名で、これまでに3枚のアルバム「Within and Without」(これがまた素晴らしいアルバムだった)「Paracosm」、「Mister Mellow」をリリースしていて、今回の「Purple Noon」が4枚目となる。
 ジャンルでいうと、チルウェイヴとかドリーム・ポップとかシンセポップとか呼ばれていて、聴いていると、浮遊感のある、まるで雲の上をふわふわと浮かんでいるような不思議な気分に襲われる。
 そして、儚(はかな)げで、センチメンタルで、哀し気な、ひんやりした冷たい質感もあったりする。
 夏の透き通った夕暮れどきや、秋が深まった静かな夜の部屋、真っ白な雪が降り積もるひっそりとした真冬の公園なんかで、独り、ウォークマンで聴いていたりすると、昔こころから愛したひとに無性に逢いたくなって、激しく身悶えしたりするので、そういうシチュエーションでは絶対に聴かないほうがいい。危険です。
 このアルバムの情報を知ったのは、「ロッキング・オン」ドットコムだった。
 山崎洋一郎氏が、【逃避主義ここに極まれり、の大傑作『Purple Noon』がリリースされて、それと同時にアルバムの世界観にピッタリのシチュエーションで配信ライブが行われなのだが、これが最高。海辺に組まれたステージ、夕暮れの空、洗練の極みのようなチルウェイヴ。至福。観てみてください。】と発信していたからだった。
 すぐに配信ライブを観て、そこでぶっ飛んだ。これは凄いと。
 すぐに「Amazon」でアルバムを予約した。
 何度でも同じ言葉を繰り返す。このアルバムは傑作だ。今年のナンバーワンだ(現時点で)。
 この極上のポップネス。極彩色。漂う哀しみとロンリネス。クールでソフィスティケート。究極のエスケイビズム。これこそが真のラブソング!

 そして今日もまた、ウォッシュト・アウトのニューアルバム「Purple Noon」を聴きながら目を覚ます。
 遥か彼方、成層圏のずーーーっと先まで飛んでいきそうな、そんな素敵な音楽だ。
 午前中、スポーツ・ジムへ。
 「J-POPダンス」45分と「4DAYボディメイク」(今日はお尻だった)を続けて行った。
 今日の「J-POPダンス」はガールズ編ということで、全曲、「AKB48」や「乃木坂46」なんかのアップテンポな楽曲にのせて踊るエクササイズ。まさか、この年で「AKB48」の曲に合わせて踊るなんて夢にも思わなかったけど・・・。

 ジムでたっぷり汗を掻いて、そこから今度は「八甲田連邦」の麓にある「青森公立大学」の「国際芸術センター青森」で開催している「いのちの裂け目―布が描き出す近代、青森から―」展に行く。
 遠藤薫氏による「閃光と落下傘」が良かった。
 観終えてから、少し周りの自然林をぶらぶらと歩く。
 蝉が一匹、羽をバタつかせて草むらで必死に喘いでいた。短い命だ。まあ、人間だって同じようなもんか・・・。どうすることも出来ないので、必死で喘ぐ蝉をそのままにしてその場から立ち去った。
 自然は哀しい。

 こうしてまた今日も終わってゆく。
 
 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

 ああ・・・。
 すべてはただ過ぎ去ってゆく!









私たちはどうかしている、お盆の墓参り、ターゲットアブス・ステップと4DAYボディメイク、「Summer vacation2020」6

2020年08月13日 | Weblog
 このドラマ、なんというか、凄いというか奇妙な味覚というか、これまで食べたことのない癖になる味というか、・・・うーん、一筋縄では語れない、異端のドラマである。
 映画で例えたら、ピーター・グリーナウェイやラース・フォン・トリアーが生み出す作品に似てなくもない、とまで飛躍したら、ちょっとそれはあまりにも褒め過ぎか?
 とにかく、好きか嫌いか、観る人によってその好みが大きく分かれることだけは確かだろう。嫌だという視聴者も多いだろう。
 日本テレビ系で8月12日水曜夜10時からスタートした新ドラマ「私たちはどうかしている」のことである。
 最初、観ていて、妙に腹立たしくなってきて、途中で止めようかと何度か考えた。イライラしてきたのである。主役である横浜流星の傲慢な態度にも嫌悪を感じたし、ドラマ自体のあまりにも強引な展開にもムカついた。
 そして、中盤辺りから「いや。まてよ」と気が付いた。
 まてよ。これって、ピーター・グリーナウェイやラース・フォン・トリアーの映画を観ているときに感じる、あの嫌ぁーーーな感じ、イライラする感じ、それと似ているかもしれないと。
 ピーター・グリーナウェイやラース・フォン・トリアーの作品を観終えて初めて確信する、「大嫌いだけど、でも大好き」というような、矛盾する奇妙な感情とおんなじかもと。
 それから、なんの予備知識もないまま、このドラマを観ていたので、「このドラマ、もしかして漫画のドラマ化なのかもしれない」と気づいたときの、「そういう荒唐無稽さならよく分かる」と妙に納得した辺りからも、このドラマを観る姿勢がガラリと変わった。
 ドラマは、金沢にある老舗の和菓子店「光月庵」を舞台に、和菓子職人の七桜(浜辺美波)と跡取り息子の椿(横浜流星)との恋愛模様が描かれてゆく(たぶん)のだが、実は、二人は15年前、「光月庵」で起こった殺人事件の容疑者の娘と被害者の息子という立場であり、七桜は母の無実を証明するために(母親は犯人として逮捕され亡くなってしまう)、素性を隠して椿と結婚することが第1話で明かされる・・・。
 いやぁ、それにしても、最後までこの破天荒で奇妙なまま突っ走るのか、それともありふれた、ただの予定調和の平凡な恋愛ドラマに堕ちてしまうのか。
 どっちなのか?
 そういう意味でも、この「私たちはどうかしている」、俄然興味が湧いてくる。
 いやあ、ちゃんとチェックしておいてよかったなあ。見逃すところだった。

 翌日の木曜日は午前7時に「アレクサ」に起こされる。
 軽めの朝食を摂って、午前中、青森市内の西部地区にある「三内霊園」へと墓参りに出掛けた。和尚さんに墓前で拝んでもらい、関係する墓石をぐるっと周って焼香をする。
 「無縁仏」と、「戊辰戦争」で地元以外から参戦して戦った人たちを供養する墓所と、「水子の霊」を納める墓所へも出向いて焼香してから帰った。
 いつもの年より今年の「三内霊園」、訪れる参拝者が心なしか少ないように感じられる。
 それとタクシーで行ったので、まったく渋滞に巻き込まれることなくスイスイ「三内霊園」まで辿り着き、お墓参り自体も一時間で終了して、帰りもまた何の渋滞ストレスもなく自宅に着いた。

 家に帰って、今度は、お昼から始まる「ジム」の有料となる「特別営業プログラム」に参加するために車を飛ばす。
 11時45分からが「ターゲットアブス・ステップ」、続いて13時からが「4DAYボディメイク」1日目の「上半身エクササイズ」。
 両方やって、ジムのお風呂に浸かる。
 湯船の背もたれの先にある窓が開け放されていて、ときおり午後の涼しい風が入って来るから、火照った身体にとても心地よい。夏の太陽の光も湯の表面をきらきらと照らし続けていて、これまたとっても心地よい。

 ジムを出て、ガラガラに空いている国道7号線を走って自宅に戻った。
 昼食は抜いたので少しお腹が空いている。でも夕食まで食べるのを我慢して、今日もパソコンの前に座り、ひたすら文字を打ち込む作業。
 とにかく、最後まで書いてみる。矛盾していようが誤字脱字があろうが雑な地の文がおかしかろうが、とにかく目を瞑って立ち止まらず、最後の到達点を目指してひたすら書いてゆく。それしかない。

 もう、あとがないんだ。
 崖っぷちなんだ。