淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

9月最後の土曜の夕暮れ。佐野元春の最新アルバム「SINGLES 1980-2004」を聴く。

2006年09月30日 | Weblog
 飛行機が乱降下するような感情の乱れに疲れ切っている。

 昨夜もちょっとした大きな会合があって、代表としての挨拶やら何やらと、結局、懇親会へと続いていったのだけれど、お開きの合図とともに会場のホテルを抜け出し、独りで行きつけのバーに寄ってサザン・コンフォートをゆっくり飲んでいた。

 土曜日や日曜日が快晴だったりすると、またまた落ち込んでくる。
 周りの環境の清々しさや華やかさと、自分とのギャップが余りにもありすぎて、ちょっと面食らうのかもしれない・・・。
 
 そうはいうものの、明日10月1日の日曜日は「弘前あっぷるマラソン大会」なのだ。
 42.195キロを走り抜く、いわゆるフルマラソンにエントリーしているのである。走れるのかよ、おい。体は疲れ切っているし、練習不足だし。

 なので、今日はゆっくりと部屋の中で音楽を聴いている。
 佐野元春のベスト・アルバムも発表されたことだしね。
 「SINGLES EPIC YEARS 1980-2004」という二枚組のベスト・アルバムである。

 僕が始めて佐野元春のコンサートに行ったのは、ちょうど「ヤング・ブラッズ」がスマッシュ・ヒットした頃で、これまで僕が観た数多のコンサートの中でもベストの部類に入る素晴らしいものだった。
 佐野元春のメッセージ性や音の先駆性は、これまでにもよく言われることだけれど、やはり彼の魅力はナルシストでありながら、それをも消し去るような前向きな力強さと清潔感のようなものだろう。
 純粋にかっこいい。ただ、それだけなのかもしれない。

 今回は、エピック・レコード時代に発表したシングル・コレクションで、「ガラスのジェネレーション」を一番最初と、ラストに2006年バージョンを入れている。このことからも、彼自身のこれまでの総括と、これからの再起を伺わせる内容となっている。

 僕は佐野元春のこれまでのベスト・アルバムは「VISITORS」だと思っている。
 一曲目の「コンプリケーション・シェイクダウン」にも心底驚愕したし、このアルバムを貫く、ポップと、それと相反する実験性が、見事に調和した素晴らしいアルバムだと思うからだ。

 そういう意味でも、この「SINGLES EPIC YEARS 1980-2004」、やはり圧巻は一枚目だ。
 旬の頃の、怒涛の佐野元春魂が流れている。勿論、二枚目も悪くはない。

 もう、街に夕暮れが忍び込んで来た。
 この、ハイになったり、ローになったりする、どうしようもない感情の渦はいつになったら収まるのだろう? もうマジでしんどいよ。

 って言うか、明日本当に俺、フルマラソンなんて走れんの?
 冗談だろう・・・。



 

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映画「フラガール」。この映画なかなかいいなあ。不覚にも5回ほど泣いちゃった。

2006年09月29日 | Weblog
 映画「フラガール」。
 今では誰でも知ってる、福島県の「常磐ハワイアン・センター」のハワイアン・フラダンス。
 昭和30年代には炭鉱で大いに栄えた町も、時代の波には打ち勝てず、会社は大量解雇を発表し、スパ・リゾート構想の実現に向けて方向転換を模索する。

 炭鉱の町の廃れゆく日常が淡々と描かれる。
 そして、いきなり浮上するリゾート開発に伴う、女性フラダンサーの募集が始まり、炭鉱夫たちの若い家族が募集に応じてゆく辺りから、映画はゆっくりと動き出す。

 ここまで書くと、多分、ははーんと思うかもしれない。
 そうなのだ。これまで数多制作されてきた映画のパターンを、この映画も勿論踏襲している。
 日本映画で言えば、「スウィング・ガールズ」、「ウォーター・ボーイズ」、「シムソンズ」、あるいは、外国映画でも飽きるほど語られてきた、様々なスポーツやイベントを通して、主人公や周囲の仲間たちが反発や友情を得ながら成長してゆくという、あのパターン化されたドラマのことである。

 確かに映画「フラガール」、ラストまでの筋立ても簡単に読み切れるし、予定調和の泣き節もラストのベタな展開も、観客が思った通りに進んでゆく。
 でも、何とも言えない味を醸し出しているのだ。

 主役の松雪泰子がいい。
 元松竹歌劇団に所属していたダンサーで、今はある理由から自暴自棄になっているのだけれど、「常磐ハワイアン・センター」立ち上げの際のフラダンサー・チーム育成を頼まれることになる。
 そしてそこに集まって来た連中が、蒼井優や南海キャンディーズのしずちゃんたち。当然、踊りはど素人。ハワイアンなんて踊ったこともない。
 最初は全くやる気のなかった松雪泰子も、やがて彼女らの熱意に打たれ・・・。

 南海キャンディーズのしずちゃんが、熱演している。
 しかし、それよりも凄いのが、蒼井優。彼女は上手くなった。いいね。
 特にラストの大団円。フラダンスを華麗に踊る蒼井優には、思わず息を呑む。

 不覚にも5回ほど泣いてしまった。
 2時間の上演時間は少し長いかもしれないが、起承転結の流れの中に程よく「山場」が用意されていて、それがまたグッとくるのである。演出と脚本の勝利だろう。

 この映画は実話に基づいていて、松雪泰子のモデルにもなったフラダンスの女性指導者は、現在も現役でフラダンスを教えているのだとか。

 でも何か近頃、涙もろい・・・。



 

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キーファー・サザーランド主演の全米大ヒットTVドラマ「24」。新作「Ⅴ」はめっちゃ面白い!

2006年09月28日 | Weblog
 全米で大ヒットして、現在シーズン「Ⅴ」まで続いているTVドラマ「24」。
 日本でもビデオレンタルを中心に大ヒットを記録している。
 最近では「24」だけをテーマにした、シリーズものの雑誌まで登場していて、映画化も検討されているほどの人気なのだ。

 前にも確か書いた事があるけれど、シーズン「Ⅰ」よりも「Ⅱ」が面白く、「Ⅱ」よりさらに「Ⅲ」が面白く、それよりも「Ⅳ」が数倍面白いという、何とも凄いTVドラマになっている。

 そして、日本でいよいよレンタル開始になったのが、「24」のシーズン「Ⅴ」だ。もう、レンタル開始日、即早起きをして近くのレンタル店に駆け込んだら、最後の一本が辛うじて残っていて、マジで冷や汗を掻いてしまった。

 で、まずは1から3巻までを一気に観る。
 って言うか、販売側も心得たもので、すべての巻を一斉にレンタルするのではなく、一ヶ月に3巻ずつ小出しに出して、観たいというこちらの欲求を煽る作戦に出ているらしい。

 ネタバレになるので詳しくは書かないけれど、いきなりシリーズ常連の○○が殺されるなど、のっけから過激なスピードで観る者を画面にのめり込ませる。さすがだ。
 制作陣のプレッシャーもあるのだろうけど、前作を超えることが至上命題であることからか、あの手この手で次々と見せ場を作ってゆくのだ。

 主役のキーファー・サザーランドが演じるジャック・バウアーの悲壮感漂うハイテンションな演技が一番人気なのだが、個人的には、国家組織CTUのスタッフであるクロエ・オブライエンという女性がなかなかいい味を出していて好きだ。
 当初は、不細工で不機嫌でちょっと屈折した人物設定だったけれど、前回のシーズン「Ⅳ」辺りから、ジャック・バウアーの様々な危機を、機転を利かせながら回避されるという役回りに変わり、主役を食うほどの存在感を示しているのである。

 先週は4から6巻がレンタル開始され、シーズン「Ⅴ」は、このまま年末まで連続して登場することになる。
 シーズン「Ⅴ」から観ても楽しめることは楽しめるだろうけれど、初めて「24」を観る人は、やはりちゃんと「Ⅰ」から順を追って観る事をお勧めしたい。

 そうか。全巻一気に発売しちゃうと、徹夜組が相次いで、次の日は日本中で居眠りする人間が続出し、事故が多発すると困るからなのかあ。
 まあ、それなら確かに納得する。



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スガシカオの新作『PARADE』は、とてもポジティブで、未来に対して素直に開かれている。

2006年09月27日 | Weblog
 村上春樹って、スガシカオが好きらしい。
 彼の音楽エッセイ「意味がなければスイングはない」の中でも語っているように、スガシカオの音楽に流れている「黒っぽさ」は、誰が何と言おうとやはり捨て難い独特の味がある。

 ただ、僕は個人的に、スガシカオのアルバムが出たら全てを買い求めるというほどではなく、その都度、出来るだけ聴いてきたという程度の好きさ加減だった。
 スガシカオの魅力の一つは、あのちょっとハスキーな嗄れ声から繰り出される、ソウルフルでファンキーなメロディラインだろう。
 
 SMAPの名曲、「夜空ノムコウ」も彼による作品だけれど、単にファンキーで黒人音楽をベースにした楽曲だけではメジャーで売り続けてゆくことなど不可能だし、大衆性を常に意識するということはマーケティング上においても必要なことだと思う。

 彼は、一時期、サラリーマンも経験している。
 かなり優秀な社員だったらしく、将来を嘱望された人材だったらしい。それを振り切って音楽の道に進むということは、それなりの覚悟があったに違いない。
 まったく売れなかった不遇時代、三食のご飯もろくに食べられなかったという話を聞いたことがあるけれど、スガシカオがブレイクし始めた年齢はかなり遅く、ある意味遅咲きの部類に入るだろう。
 でも、彼は自分の信じる夢のために、絶対妥協しなかった(何処かの誰かさんとはまるで違う)。

 そして今作「PARADE」である。
 これまでの少しダークで重いリズムや、ファンクなテイストは勿論消えていない。消えてはいないけれど、随分前向きな音の群れである。
 先行シングルの「19才」も2曲目にちゃんと入っているし、アップテンポとスローなナンバーの配置もいい。

 そして。
 今回の超目玉は、なんと言っても「午後のパレード」という必殺の名曲だ!
 この曲は本当に素晴らしい。当然、シングルカットされ、現在オリコンでもチャート・イン!
 もう、毎日狂ったように聴きまくっている。
 アップテンポで、まるで70年代ソウルの世界。歌詞もいい。物凄くポジティブ。メロディが素敵だから、朝の憂鬱もこれで奇麗に洗い流せる。

 村上春樹の「意味がなければスイングはない」の本の帯に書かれた文句ではないけれど、『月が消え、恋人に去られ、犬に笑われても、なにがあろうと音楽だけはなくすわけにはいかない』。

 しっかし、元気が出て来る!
 もう「午後のパレード」を聴くだけでも、このアルバム買う価値がある。
 うん。

 


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全米ボックス・オフィス第1位、映画「もしも昨日が選べたら」は何故日本でヒットしないのか?

2006年09月26日 | Weblog
 アダム・サンドラーって、何で日本じゃあこんなに人気がないのだろう?
 不思議である。
 とにかく本場アメリカにおいては、主演映画は何れも大ヒット。そのほとんどがボックス・オフィス一億ドルを超えている。
 ところが、それらの映画が日本で上映されると、がらりと様相が変わってしまう。つまり、コケる。ヒットしない。打ち切られる。

 確かにコメディ映画は、とても難しい部分があるのかもしれない。
 日本の笑いとアメリカの笑いのツボって、微妙に異なるし、アメリカとイギリスの笑いにも少し温度差がある。特に、ハリウッドのおバカ・ムービーにはちょっと辟易するところがあって、全くその笑いに乗れないことも多い。

 今回のアダム・サンドラー主演のコメディ映画は「クリック」である。当然、全米初登場第一位、軽く一億ドルを超えるメガ・ヒットになった。さすがである。

 でも日本上陸に向けて、日本の配給元であるソニーは考えた。またこの映画売れないかもと。で、考えたのがタイトルの変更。付いた映画タイトルは「もしも昨日が選べたら」。
 おいおい。ちょっとダサくない? ナーバスになる気持ちは分かるけど、やっぱり「クリック」そのままでしょう、普通。

 まあそれはいいとして、肝心の映画のほうは。
 アダム・サンドラーは建築家。仕事の上司は駄目上司だし、家庭では、奥さんが仕事優先の彼にストレスを溜め込んでいる。と、何やかやで主人公も最近ちょっと疲れ気味。
 ある日、家電製品に対応する万能リモコンを買いにふと立ち寄った量販店で、奇妙な技術者が作ったリモコンを買う羽目になる。
 ところがそのリモコン、早戻しをすると自分の過去に行け、早送りすると未来に飛ぶというように、変幻自在。一時停止をクリックすると時間さえ止まってしまう万能リモコンだったのだ・・・。
 ここから、彼の人生は激変し、最後はとても重いツケを払わされることになってしまうのだけれど、それは観てのお楽しみ。

 監督は、これまでもアダム・サンドラーと「ウェデイング・シンガー」や「ウォーター・ボーイ」でタッグを組んでいるフランク・コラチ。
 まあ、手馴れた手腕ではあるけれど・・・。

 ただ、笑いのほうはちょっとだるい。平坦で余り笑えない。
 途中で、何度か時計を見てしまった。あくびも数回程度。
 でもそんな駄作かと言われると、いいところも少しはある。ラストの数十分間だ。
別にお涙頂戴だからとか、感動的だとかではなくて、映画の後半、人の一生のはかなさや人の運命などが描かれてゆくと、個人的に、コメディだろうがシリアスドラマだろうが、どうしても点数が甘くなってしまうのである。それに、ファンタジーの要素も若干あるし。

 こんなリモコンがあったらいいだろうなあ。
 だって、もう一度自分の過去に戻ったり、煩わしい日常も早送り出来ちゃうんだよ。
 あの輝かしい日々をまた再現できたとしても、今となっては、それはそれで辛いのかもしれないけどね・・・。




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「独り、海へゆく」

2006年09月25日 | Weblog
 日曜日、5時に目が覚める。
 この一週間、まともに熟睡したことがなく、それに加えてジョギングしてるから、滅法きつい。ろくに三食食べてないし。ちょっとフラフラ状態。

 快晴だ。
 清々しい空気が、夜明けの街を包んでいる。
 こんな気持ちのいい朝、一年のうちでも、そうはないかも。

 無理やり朝食を採り、また寝ようと試みるのだけれど、中々眠れない。
 また、あの重いドロドロした塊が襲って来ないかと身構える。でも、自分にこう言い聞かせる。
 いいんだいいんだ。俺はすべてを真正面から受け止めるんだ。この生を、とにかく前向きに突き進む。それでもう十分だと。

 しかしなあ。こんな快晴の一日、部屋にいるとまた落ち込んじゃうかも。
 ということで、小さな一日旅行を思いつき、駅まで自転車を走らせた。
 ぽかぽか陽気。暑いくらいだ。

 駅の窓口で、近郊フリー一日切符なるものを買い、列車を探した。
 北は竜飛岬、南は岩手県の久慈まで、乗り放題で2000円。別に、それを所望したわけではなく、駅員がお得だと教えてくれたのである。
 よし。じゃあ、南へ向かって行ってみようか。

 まずは八戸まで。
 列車は満員だ。太陽の光が車内を照らす。空は高く、真っ青なセルロイドを敷き詰めたよう。
 僕の家が見えた。午前中の静かな街。どこもかしこも、秋の匂いが蔓延している。
 
 八戸駅で乗り換え、八戸線に乗り込んだ。
 超満員。東京からの三陸ツアーの一行らしく、みんながそれぞれ大きな声でお喋りに興じている。
 僕は、缶ビールとちくわを買って(だって、キオスクでちくわしかなかったんだもん)、ちびちびと独り静かに飲んでいた。

 海が見えた。
 太平洋の穏やかな海。サーフィンをしている若者たち。海辺を歩くカップルたち。久慈までの二時間近く、ただ車窓からぼーっと外の景色を眺めていた。

 岩手県の久慈に到着。
 少し、駅前を歩いてみた。シャッターがほとんど閉まっている。小さな洋服屋さんに、寂れた喫茶店。人影もまばらな歩道に、競馬中継のアナウンスが流れる。
 でもいいなあ。このひっそり感。うん。いい。
 午後のひっそりと佇む街中に、太陽の光だけが激しく落ちている。

 ああ。でも一体俺は何やってんだろう。いやいや。否定的な考えはもうやめよう! いいじゃん。こんなふうに、ささやかに生きてけば。ねっ。
 帰りの列車はガランとしている。また午後の海を眺めながら、缶ビールをちびちびと飲む。

 帰りの青森までの列車待ちに、近くの飲み屋に入って、独りで淋しい夕食とお酒を少々。いいんだ、これで・・・。

 夜の9時過ぎに青森駅に到着。少し酔っている。
 そうかあ。明日からまた仕事だなあ。まあいいか。
 意味などない。意味など何もないのだから・・・。


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「彼は、幸福への願望を捨てることによって、彼の最後の妄想を振り落とした」

2006年09月24日 | Weblog
 正直に書きます。

 これまで、僕は、ちょっと深刻ぶった顔をしながら(もちろん、実際は見えないけれど)生は無常だとか、一切は過ぎ去るのだとか、生きる事に意味などないとか、訳知り顔で言ってきたように思います。そして、少し斜めに人生を構え、ふん!と突き放すように遠目で他人の人生を眺め、本当は他人の幸せが妬ましいくせに、そんな事は一切表面に出さず、うわべは平然とした顔で颯爽と歩いていたのです。

 まるで、駄々っ子が泣き叫ぶように、あれが欲しい、これが欲しいと喚き続け、仮にその欲しいものが手に入ったら満足し、入らなかったら手に入れるまで泣き止まず、入ったら入ったで直ぐに飽き、何事もなかったようにポイと捨て去るのです。つまり、単なる阿呆です。馬鹿です。未熟者です。

 でも、心の中はもうグチャグチャでした。
 絶えず他人を意識し、幸せを妬み、自分と比較し、落ち込み、もがき、苦しみ、すべての責任を他人のせいにし、自分は被害者だと決め付け、自分を哀れみ、自分を卑下し、そうかと思うと、逆に自分を誇示し、悲劇のヒーローを演じ、同情を買おうと必死にアピールするのです。

 だから、本当にもう心の中はグチャグチャでした。
 本当は、大きな壁を越えて羽ばたきたいのに、それを超えるための努力もせず、責任転嫁を繰り返し、自分を責め、他人を責め続けてきたのです。

 実は昨日の夜、独り部屋の中で天井を見つめたまま蹲(うずくま)っていました。テレビも音楽も、とにかく音という音そのものが煩わしく、シーンとした部屋の中でただ天井だけを見つめていたのです。
 また、いつもの「アレ」が襲って来ました。
 言いようのない、どす黒くて重々しい塊のようなものが、胸の辺りを這い上がって来るんです。これにはちょっと耐えられません。息苦しくなって、マジで何でもいいからしがみ付きたくなってきます。

 圧倒的な、空虚感、孤独、寂寥感、絶望、そんな否定的な感情が、一斉に襲い掛かってくるんです。「来やがったか、このやろう!」という感じだけれど、勿論勝ち目はありません。

 僕は、思わず作家であるサマセット・モームの大河小説、というよりも20世紀における世界文学の金字塔、「人間の絆」の最も気に入っていた部分を、またゆっくりと読み出しました。
 何ていうのか、これまでも同じ言葉、同じ内容なのにも関わらず、今回は、はっきりと、そしてとても明瞭に「生きた言葉」として沁み込んでいきました。
 ビックリしました。涙が流れてきました。それはこういう言葉でした。全部は書き切れないので、途中、端折る部分もあるのでご了承を。

『人生に意味など何もない。宇宙を突進している一恒星の、そのまた一衛星にすぎないこの地球上に、ある諸条件がそろった時、人間はただ偶然に生まれたものであり、したがって、他のある諸条件が整えば、それは永久に消えてしまう。人生も無意味なれば、人間の生もまた空しい営みにすぎぬ。生まれようと、生まれまいと、生きようと、死のうと、それはなんのことでもない。生も無意味。死も無意味。フイリップ(主人公の名前です)の心は喜びに震えた・・・。彼は完全に自由な人間であった。彼の存在の無意味さは、むしろ力と変わり、瞬時にして彼は、今まであんなに苦しめてきた冷酷な運命と立派に対等な立場に立った・・・』

 文章はまだまだ続くのですが、最後に主人公フィリップは、幸福への願望を捨てることで彼の最後の迷妄を振り落としたのです。

 何故か心が穏やかになりました。すーっと、黒い塊は去っていきました。
 僕はこれまでの長い間、他人を操作し、他人が自分のほうを向いてくれることだけにその意を用いて来たように思います。
 他人など変えることは出来ません。すべては自分の心だけが決めることです。だから、僕はもう幸福など一切求めません。今ただこの時間を生きてゆきます。

 物凄く、物凄くきつかった。
 本当に、本当に苦しかったんです。
 死ぬかと思いました。


 

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遂に発売されるソニー次世代ゲーム機「PS3」。でも今回は任天堂次世代ゲーム機「Wii」が勝つでしょ。

2006年09月23日 | Weblog
 遂に、ソニーが社運を賭けて発売する次世代ゲーム機「PS3」。

 ゲーム業界は、当初、任天堂の独り勝ちだった。
 任天堂の「ファミコン」と「スーパー・ファミコン」は、たかがTVゲームと揶揄(やゆ)されていた当時の世論を変え、一つの文化にまで登りつめたといっても過言ではない。
 確かに、「ゲーム脳」とまで批判されるものの、TVゲームは絶えず進化し成長を遂げていった。

 その任天堂独り勝ち状態に、果敢に攻め入ったのがソニーだった。
 最初の「プレイ・ステーション」は、セガのゲーム機と同時発売された。しかしマスコミやゲーム業界は、王者任天堂の牙城を崩すことは絶対に不可能との見方が大半で、僕もその見方を支持し、プレステは買わなかった。

 でも当時の任天堂の態度は、とても褒められるようなものではなかったと思う。マスコミのインタビューなどでも、任天堂の首脳陣は、その頃の最新ゲーム機「ニンテンドウ64」のソフトが一本9800円もすることへの批判に対し、確か「9800円は決して高くない。こどもたちは一本のソフトで繰り返し遊べるからこの値段でも大丈夫!」などと豪語していたのである。

 驕る平家、久しからず。
 その後、スクエアの超人気ソフト「ファイナル・ファンタジー」のソニー陣営参入を機に、任天堂に変わって、今度はソニーのゲーム機が全世界を制覇することと相成った。
 PS1からPS2に至る、ゲーム機戦争での勝利を糧に、今度は王者ソニーは「PS3」でまた次世代ゲーム機戦争に打って出るのである。
 そう、これも次世代DVDブルーレイ・ディスクを引き連れて。

 僕の予想で行けば、今度は任天堂が勝つと思う。
 だってPS3、最初62790円っていう価格だよ。高い! 余りに高すぎる!
 対する任天堂の新ゲーム機Wiiは、25000円なのである。
 勿論、反論もあるだろう。PS3にはスーパーコンピューター並みの機能が搭載された怪物ハードだし、ブルーレイ・ディスクも観ることが出来る。

 でもなあ。
 もうゲームは、行き着くところまで行ってしまったのではないだろうか?
 複雑で敷居が高すぎて、プレイしていて逆にストレスが溜まってしまう。だから、小型ゲーム機の「ニンテンドウDS」があんなに売れるのだ。簡単で、しかも面白い!

 ソニーは、今回完全に戦略を間違えたと思う。
 値段も急遽、49980円に値下げしたらしいけれど。
 うーん。でもどうなんだろう?
 2006年のソニーの赤字が1000億円を超えるらしいし・・・。


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矢沢あいの漫画「NANA」のコミック第16巻が出た。この恋愛模様ってかなり屈折しているね。

2006年09月22日 | Weblog
 その昔、友達に「お前は慢性恋愛病だ!」と言われた事があってちょっとショックだった。
 恋愛依存症という言葉もあるけれど、夢中になるとほかの事は一切顧みないくせに、それを表面に出さず冷静を装いガードしまくる。当然、相手にはクールに見える。
 ところがである。恋愛バランスがきちんと取れていて上手く機能している時はいい。とても心地よい。しかし。それが一旦崩れるとどうなるか?
 心の中は、もう沸騰寸前なのに、それを隠し続け、奇妙な均衡のもとで恋愛しているわけだから、相手側に主導権を取られるものなら、雪崩のように一気に加速してしまう。
 これはキツイ。
 っていうか、もうどうしようもなくなってしまう。
 これまでの堪えていたもの、抑圧していたもの、それらが一気に爆発するわけだから。

 矢沢あいの漫画「NANA」は、二人のナナ・奈々の物語だ。
 もう映画にもなったし、アニメも日本テレビ系で毎週水曜日23時25分からオンエアされているから、詳細は省くけれど、この漫画の主人公ナナの恋愛感もかなり屈折している。

 漫画「NANA」は、少女コミックにおけるこれまでの世界観を踏襲していて、女性ロックバンドを巡る男女の青春群像というかたちで進行するのだけれど、奈々の独白はいつも、誰かの別れや死までを予感させるものだし、その基底には絶えず「無常観」が漂っているのである。

 今回も、ナナは、急遽タクミと婚姻届を出してあえて一緒になった親友の奈々の幸せな状況に対して、言いようのない空虚感を感じ、パニックに陥ってしまう。
 精神的も不安定な奈々を含めて、この漫画に登場する人物は、誰もが孤独と傷と葛藤を抱いている。そこに笑いや、バンド活動や、恋愛関係が絡まってくるから、この漫画は大多数の支持を受けているのだろう。

 そして、映画も遂に「NANA2」が12月9日から全国ロードショー開始となる。前作は個人的には凄く物足りなかった。確かに音楽だけはよかったけれど。
 余り、NANAファンに媚びることはしなくていいんじゃないかなあ。
 この漫画の隠し味ともなっている、どこかヒヤッとした感覚、屈折している人間関係と愛、これらがちらっとでも見えたら成功なんだけどね。


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「さよなら、ホテル・カルフォルニア」

2006年09月21日 | Weblog
 ずっとアメリカの西海岸に憧れていた。特に1970年代はそうだった。
 どこまでも青い空に青い海。爽やかな潮風とカルフォルニアの女の子。

 一年間の約半分が雪で埋まり、曇天の空と吹き荒ぶ風雪だけ見続けて生きることを強いられる人間にとって、やはり「南的なるもの」に対して、強い憧れを抱いてしまう。
 太陽。群青の海。灰白色の砂。夏。微風。萌える草花。
 そこに息づいているのは、死と正反対にあるとても肯定的なものたちだ。どこまでも爽やかで、いつまでも光り輝いている気がしてしまう・・・。

 僕がイーグルスを初めて聴いたのは、もちろん「TAKE IT EASY」だったけれど、ちゃんとアルバムを通して聴くようになったのは「呪われた夜」辺りからだ。

 「ホテル・カルフォルニア」のアルバムは、確か新宿の輸入レコード専門店で買ったのだと思う。
 僕は駆け足で新宿駅までの道を急ぎ、池袋で乗り換え、東武東上線の大山駅を目指した。そこから歩いて15分。そこに僕のアパートがあったからだ。

 早速聴いて、これは傑作だと思った。
 一曲目のイントロが流れ、ラストの曲が終わるまで、それは一冊の美しい小説を読むみたいに文脈が綺麗に統一され、一瞬の隙さえ見当たらない。

 でもそこに描かれていたのは、カルフォルニア幻想でもアメリカ謳歌でもなく、息苦しいまでの絶望と苦悩と諦めである。
 カルフォルニアは、「約束の地」でも「南的なるもの」の到達点でもなかったのだ。イーグルスは、その空虚感と閉塞感を哀愁と惜別を込めて歌っていた。

 この惨めな場所を抜け出して、彼方にあるはずの「楽園」を目指して旅に出る。そこは、素晴らしい「約束の地」で、安息の時間が待っている。ようこそ、ホテル・カルフォルニアへ・・・。

 今でも、何気なく聴いていたカーラジオから、突然不意に「ホテル・カルフォルニア」が流れ出す事がある。
 懐かしさにふと昔を思い出す。あの頃の俺。未来は希望に溢れていた。何も怖いものなどなかった。いつでも、どうにかなると腹を括っていた。

 もうあの場所には二度と戻ることは出来ない。
 僕たちは途方に暮れる。
 すべては幻想だったのである。
 

 

 
 

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「だいじょうぶと、彼女は言った」

2006年09月20日 | Weblog
 休日の午後、街はまだ来ぬ台風の予感に震えている。
 雲が流れる。薄墨色の空の彼方に、青空が悲しげに顔を出す。

 雨になるかもしれない。
 そう付けっ放しのラジオから、天気予報が告げられる。
 降った時は降った時だ。行ける所まで走ってみよう。もしも、そこで激しい雨が降ったなら、その時は覚悟を決めて、ずぶ濡れのままで走ればいい。

 どうしようもない感情が、胸の辺りから湧き上がって来る。
 昨日は一睡も眠ることさえ出来なかった。詰める所まで詰めるから、もうそこから答えは導かれない。何処までも自分自身を理詰めで追い込み、深い絶望感に苛まれる。

 ずっと走っていないから、自分の体力に自信がない。それに寝てないし。それに食べてないし。
 でも走ってみよう。そこでぶっ倒れたら本望じゃないか。普段からいつも言ってたじゃないか。自分の理想の死に方は、マラソンの最中にばったり倒れて、そのまま道端で死ぬ事だって。

 日曜日の夜のテレビニュースを、ふと思い出す。
 フランス人のマラソン・ランナーが、フランスから日本までの一万数千キロを走り抜いたのである。
 画面は、中国大陸をひたすら走る彼を映し出す。まっすぐに延びた道路。突風で歩くことさえままならない。それから例えば、熱砂に揺れる大陸。寒波の中。大雨。嵐。

 こういうふうに生きてみたい。
 走りながら、森林の彼方で消えてしまうような。あるいは、大陸縦断中にそのまま行方不明になるような。

 まるでお百度参りをしているみたいに走った。ゆっくりと。でも絶対に歩く事だけは避けようと。
 途中で一度だけ嘔吐した。
 それでも休まずに市域の終わる海辺の町を目指した。

 肉体を駆使することで変わる何かがある。
 もがき苦しみ暴れることから見えてくるものがある。それを上手く言葉にすることは出来ないけれど。

 走りながら灰色の頭の中を音楽が駆け巡っていた。これも何故だか上手に説明出来ないけれど、佐野元春の「だいじょうぶと、彼女は言った」だった。

      朝起きて夜まで  狂おしく回る世界を見て
      どうすればいいのかも わからないまま 見つめている
 
 いきなり30数キロ走ったから、右足の親指の爪がまた剥げかかっている。


      
 

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究極の悲観主義者、中島義道の「狂人三歩手前」は、苦しい時こそ心に沁みてくる本だ。

2006年09月19日 | Weblog
 空虚感や漠然とした未来への不安が、心を掻き毟ることがある。
 最近も、ちょっと個人的に色々あって、猛烈な空しさに襲われちょっときつかった。でも、やはりいつもの事ではあるけれど、もがき苦しみ抗いながら、時間とともにそれはまるで潮が引くように静かに去ってゆく。
 もちろん、何も解決したわけでも、悟ったわけでもないのだけれど・・・。

 中島義道は哲学者である。
 大学の教授をしながら「無名塾」という哲学サークルを興し、哲学書やエッセーも多い。
 今回の「狂人三歩手前」は、雑誌「新潮45」に連載されたエッセーを収めていて、わりと気楽に読める部類に入るのではないか。

 彼は言う。
 「生きてゆく理由はない。いつか人間はみんな死んでゆくんだから。いずれ地球そのものだって太陽に飲み込まれ、地上には人類誰一人いなくなる。どうせ死ぬ。だから私は『ぐれる』ことにしたのである」と。

 この人を貫いているのは、虚無感でありニヒリズムであり厭世思考であり、究極の悲観主義である。
 僕は、この「狂人三歩手前」を数時間で読み終えたのだけれど、何故かいいようのない幸福感に包まれた。
 ちょっと誤解されても困るけれど(本当は別に困らないが)、ここまで人生を降りるとすれば、もうある意味「解き放たれる」のではとないか思ったのだ。その「軽さ」の中にも一筋縄では解きほぐせない感情が流れているとしても。

 生きる意味などない。どうせみんないつかは死ぬ。つまらない、つまらない。何をしてもつまらない。
 この本の中で一体これらの言葉が何度踊ったことだろう。でも彼は言う。でも死ぬことも怖い。だから私は、ちょっとだけ「ぐれる」のだと。

 息苦しくて切なくて、生きることが面倒で、他人との関係性で悩んでいる人間は、『表現者』になるべきだと中島義道は説く。
 そうかもしれない。そういう部分で自己を表現するしか『生き苦しい』人たちの救済ってないのかも。でもそれは、世に出るとか出ないとは関係ないけれど。

 本を読み終え、窓の外を眺めると。秋の淋しげな夕焼けが映っている。
 この苦しさから逃れられたとしても、いずれまた別の切なさが襲って来るに違いない。でも人は、それらを潜り抜けることで、少しだけ変化する。

 それだけは間違いない。


 

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蛭児神健の「ある『おたく』の生涯 出家日記」は、ここ数年の中で稀にみる奇書だっ!

2006年09月18日 | Weblog
 ということで、唐突ですが帰ってまいりました。
 「今度、会う時は木枯らしの季節だね」などとほざいていたくせに、もう「キース・リチャーズになりたいっ!!」復活です。
 本当に節操がないですね。

 で、この本。奇書というか何というか。久しぶりです、この衝撃度は!
 ロリコン漫画家の吾妻ひでおが書いた「失踪日記」も確かに凄かったけれど、これを読んだあとは、余りにも凄まじくて、一種の爽快感を感じたほど。
 ここまで人生を極めれば、俺の苦悩なんて屁だね、屁!!

 まずこの蛭児神健という人物、ひるこがみけんと言う。元が付くから今は違っている。
 帯に「昔、ロリコン。今、坊主」と謳っているように、1970年代後半から、80年代にかけて、怒涛の如く社会を席巻した「ロリータ」ブームの中心人物だった人間の自伝である。
 僕はまったく知らなかった。第一ロリコンじゃなかったし。興味をそそられることもなかった。

 しかし、凄まじい内容の本である。
 本当に、というか本当の事しか書いていないと思うけれど、よくもまあこんな波乱万丈な人生を送れるものだ。
 誠実で真摯で生真面目なのである。本質は。
 でも家庭環境や幼児に受けたトラウマが原因で、彼の人生は大きく変わる。

 初のロリコン同人誌の発行や、吾妻ひでおとの交流などはまだ序の口。人間関係や業界のゴタゴタから、彼は精神さえも病んでゆく。
 そして一切のシガラミを断ち切って、業界から身を引してしまう。
 で、彼はなんと僧侶になる!

 後半が凄い。
 僧侶生活における妻との描写がきつい。きつ過ぎる。
 でも個人的には、ロリコン・ポルノ雑誌業界での出来事よりも、その後の彼の人生を描いた後半に惹かれてしまった。

 いやはや。奥さんは重い精神障害に陥り、多重人格者として病んで行くし、僧侶といっても寺を引き継いだわけでもなく、単なる資格僧侶ということで、最後にこの夫婦は生活保護受給者になってしまうのだ。

 最後がいい。僕は深く感動した。
 「私は幸福である。幸福の絶対基準など存在しない。自分が幸福だと思えば幸福で、不幸だと思えば不幸である。それが真理だ」

 ちょっとハードな本なので、好き嫌いははっきり分かれるだろう。途中で厭になって投げ出す人もいるかもしれない。
 でも僕はこの奇書・快書に感動した。

 

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「最後の真贋・裏日記」2006.9.17(日曜日)曇り

2006年09月17日 | Weblog
 どんなに、あがいても、考えても、もがいても、胸をかきむしっても、答えは何も見つからない。目の前には、大きくてどす黒いドロドロとした塊が絶えず横たわっている。
 何もかも捨て去り居直ったら、楽になるのだろうか。悟りなどは求めない。求めないけれど、前に進む力ぐらいは持っていたい。
 たかが、このちっぽけな心が決めていることなのに・・・。

 さようなら。








 
 

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「真贋・裏日記NO.78」2006.9.16(土曜日)曇り

2006年09月16日 | Weblog
 ギャグ漫画家、吾妻ひでおが自らの失踪を赤裸々に描いた「失踪日記」は、手塚治虫賞、文化庁メディア賞、漫画家協会賞などを総なめした傑作中の傑作だった。
 その吾妻ひでおが自主出版して発表していた漫画、「うつうつひでお日記」が遂にメジャー出版社から発表された。
 これがまた面白い。というか、余りにも悲惨すぎて笑っちゃうというか、壮絶で自堕落な人生というか・・・。
 抗うつ剤と貧乏と読書と日々の食事。こういう悲しい人もいるのである。凄い!




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