淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「もう一週間連続で真冬日が続いている。片付けても片付けても雪は減らない! そんな今夜は『シーナ&ロケッツ』、『サザン』、『柳ジョージ&レイニーウッド』を聴く」。【30日後の春へ】

2023年01月31日 | Weblog
 もう、ウンザリする。
 片付けても片付けても雪が降り続け、積もってゆく。真冬日もずっと続いていて、気温がプラスになる日がない。
 一瞬、青空が覗いたと思うとすぐに分厚い雪雲が空を覆い、雪がこれでもかというくらい激しく落ちて来る。
 昨日も一昨日もその前日も、ただひたすら重い雪を片付けていた。心底参る。いい加減にしてほしい。
 一つの救いは明日から2月が始まるということだろうか。冬でも2月だけは好きな月だ。春の兆しがふいに現れることがあったりするからだ。
 雪がひと段落ついて、しーんと静まり返った、ひんやりした大気に包まれる夜の街も大好きだ。なので、よく2月は夜の街を散歩することがある。
 まだ小さな春の匂いを嗅ぎたくなって・・・。



 「テレヴィジョン」のトム・ヴァーレーンが亡くなったことを知ったその夜、博多の「めんたいロック」バンド、「シーナ&ロケッツ」のボーカルでギタリスト、鮎川誠が膵臓がんで亡くなったとのニュースが流れた。
 鮎川誠とバンドのヴォーカルだったシーナは夫婦で、その最愛の妻だったシーナも2015年にこの世を去っている。

 「シーナ&ロケッツ」の1979年にリリースされたセカンド・アルバム「真空パック」は、確かLPで買ったと思う。
 その中の「 ユー・メイ・ドリーム」だけを何度も繰り返して聴いていたことを今では懐かしく思い出す。



 1979年。80年代突入前夜・・・。
 ちょうど「サザンオールスターズ」が「愛しのエリー」でブレイクして、青森市文化会館でコンサートを開いた頃だ。
 当時、はっきりした年月日まではもう覚えていないけれど、女の子と2人で観に行った。アンコールで、桑田佳祐が会場のみんなに「愛しのエリー」の歌詞を配って、観客全員と歌ったことを今でも覚えてる。



 あの頃「柳ジョージ&レイニーウッド」もブレイクしていた。「雨に泣いてる」はよく聴いたし、アルバム「Y.O.K.O.H.A.M.A.」は当時の音楽barでよく流れていた。



 それから、竹内まりやがセカンド・アルバム「UNIVERSITY STREET」をリリースした時期でもある。
 アルバムの中の「ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風~ 」も大ヒットしていた。
 このアルバム、東京から青森へと「都落ち」してアルバイト生活を送っていた時期、家庭教師を頼まれて行った先の高校生が持っていて、聴かせてもらった記憶がある。その頃は、「女子大生のアイドル歌手かよ」ぐらいにしか思っていなかったけれど・・・。



 そういえば、ちょうどユーミンが「オリーブ」のアルバムを出した時期とも重なるのではないか。
 「オリーブ」もよく聴いた。
 東京での生活に疲れ果て、二度と戻るまいと思っていた青森に帰り、未来も全く見えず、将来への不安と戦っていたあの頃、「シーナ&ロケッツ」のシーナが歌う「 ユー・メイ・ドリーム」もまた、きらきらと光り輝く未来に向かうための楽曲だった。

 人生は短い。
 あっという間に終わってゆく。
 鮎川誠。享年74歳。
 常にロックだった。
 
 











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「土日の雪は凄かった。雪片付けが終わったのは日曜日の夜8時。そんな中、今度はテレヴィジョンのトム・ヴァーレインが亡くなった」。【31日後の春へ】

2023年01月30日 | Weblog
 土日の寒波は凄まじかった。
 12月にもいきなり大雪が降ってビックリしたけれど、1月最後の週末は大雪と猛烈な地吹雪で、市内を車で走っていても完全にホワイトアウト状態!
 それに加えて気温がまったく上がらないので、道路にザラメのような砂状の雪だまりが出来ている箇所がたくさんあって、そこにタイヤが嵌ると中々抜け出せないのだ。何度もヒヤッとした。

 そしてこの大雪である。
 片づけても片づけても降り積もる。怒りの感情が爆発しそうになる。
 日曜日も午後は雪片付けに追われた。
 本当は午後の1時から3時まで2本のエクササイズをジムで予約していたのに、キャンセルをする羽目に。もしもジムに行ってたら、雪片付けは真夜中まで掛かっていただろう。

 やはり4か所の雪処理はマジでキツイ。
 家の玄関周辺、庭を潰してフラットにしてしまったエリア、そして駐車場が2か所。これが辛いのである。
 スノーダンプで湿って重くなった雪の塊を除雪用の大きなソりに入れ、それを近くの雪捨て場まで運んでゆく作業。
 でも、そこはもう捨てた雪で一杯になっているから、雪山にスロープを作って重い雪を入れたソリを頂上までセッセと運び上げるしかない。それを何度も何度も何度も何度も何度も繰り返す。

 苦行である。
 ジムのエクササイズより数倍疲れる。
 極寒なのに汗が滴り落ちてくる。
 肉体を鍛えているんだ、修行をしてるんだと、開き直ってひたすら積もる雪を片づけるしか自分自身を納得させられない。

 終わったのが夜の8時過ぎだった。
 ヘトヘトに疲れた。熱いお風呂に浸かって早く眠りたい・・・。
 すべての作業が終わって、雪が止んで綺麗な星さえ見える、澄み切った夜空を仰ぐ。
 真っ白な雪道の向こうに、淡いライトが光る三角の形をした「アスパム」が輝いている。



 そして月曜日。
 朝、出勤途中、車のディスプレーで外温を見たらマイナス7度。それでも雲一つない快晴だ。
 何日振りだろう、こんな青空の下に眩しい太陽が降り注いでいるのは。



 FMラジオで、ニューヨーク・パンク「テレヴィジョン」のギタリストだったトム・ヴァーレインが逝去したと伝えている。
 享年73歳だった。
 「テレヴィジョン」は「マーキー・ムーン」のアルバムをよく聴いていたし、ソロになってからのトム・ヴァーレインも好きだった。

 それにしても、亡くなるなあ。色んなロック・ミュージシャンが次から次へと・・・。
 じゃあ今日は、「マーキー・ムーン」を追悼の意味を込めて聴こうかな。

 合掌。











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「哲学者エピクテトス曰く、『苦悩の元は事柄ではない。その事柄についての自分の思いである』」。【32日後の春へ】

2023年01月29日 | Weblog
 しんしんと降り積もる雪を見て、なんて美しい冬景色なんだと感じるひとがいる。そしてその一方で、ひたすら降り注ぐ雪に対して心底うんざりし、憂鬱な気分に陥るひとだっているだろう。
 長年愛した女性が何らかの理由で突然目の前から消えてしまったら、絶望のあまり死にたいとまで思い詰める男性がいるその一方で、いきなりの別れを告げられたことなど直ぐに忘れ、また新しい恋愛を求めて貪欲に行動する男性だっているかもしれない。
 要は、その目の前で起こった事実や事象や事柄なんて、そのことをどう捉え、どう理解し、どう自らの心の中で受け止め、そしてどう認識するかなんて、ひとそれぞれで全く違うということだ。
 同じ映画を観て、「くだらない」という人間がいれば、「素晴らしい傑作だ」と絶賛する人間がいる。同じ音楽を聴いても、心の底から感動して人生を変えてしまうくらいの衝撃を受けるひとがいれば、反対に、心の襞に一切沁み込むこともなくそれをただの雑音にしか聴こえないひとだっているだろう。



 たとえば。
 どうしようもなく心が荒む日がある。ふと過去のある一場面を思い出して激しく悔いる日がある。信じていた人間に裏で陰口を叩かれていることを知り心から傷つく日がある。
 曇っていたり冷たい雨が降っていたり氷点下で地吹雪が舞っていたり、その時々の天候で気分が塞ぐ日がある。
 心はいつも乱高下して静かに落ち着くということはない。怒りに震え寂しさに悶えることだってある。
 絶えず人間の心は移り変わり、他人の心は絶対思い通りになんてなりはしない。



 哲学者エピクテトス曰く、「苦悩の元は事柄ではない。その事柄についての自分の思いである」。



 すべては自分自身の心が決めるのだ。
 苦悩すら思い込みである。気のせいである。
 いつか、何もかもが終わってゆく。永遠に残るものなど何一つない。

 今を生きるしかない。ものの見方を変えるしかない。
 考えるな、感じろ。

 明日からもそのセンで。明日からもクールでゆく。明日からも風を切って明日からもそう強気で。
 ユーミンだって歌ってる。








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「冬の底、心の底」。【33日後の春へ】

2023年01月28日 | Weblog
 1月28日午後6時現在の積雪量76センチ、気温マイナス6.2度。
 家の周りを除雪しても除雪しても、またすぐさま雪が降り積もる。片付けてもキリがない。このままいったら100センチ超えは時間の問題だろう。



 朝起きるのが億劫で、ジムで10時半から予約していた「ヴィンヤサ・ヨガ」をドタキャンした。遅めの朝食を食べてまた蒲団に潜る。
 昨日の夜は同じ職場の3人と前から約束をしていた夕食会。それでも2次会には行かず、その場も2時間程度で切り上げ、タクシーを呼んでもらい早めの帰宅をして、珍しく11時前には寝てしまったのに、朝になっても疲れが溜まっている。



 それでもお昼には頑張って家を出た。
 雪が凄い。車を運転していても一面真っ白で前方がよく見えない。完全なるホワイトアウトだ。
 いつまで続くんだ? この氷点下の真冬日は・・・。



 所用を済ませ、午前のジムをキャンセルしたので午後2時15分からの「シェイプ・ザ・ボクシング」を予約した。でもほぼ満員で残り2名分しか空きがなかった。
 2週間ぶりのジムである。
 腹筋を100回やって、45分間のエクササイズを終え、サウナとお風呂に入って髭を剃り、頭と身体を洗い、着替えてまた厳寒の外に出た。



 車にたくさんの雪が積もっている。
 吹き荒ぶ雪の中、青森ベイブリッジを登って家路を急いだ。
 家に帰って車庫の前に車を停めたら、またまた雪が積もっているではないか。
 仕方がないので荷物を玄関先に投げ、スノーダンプを押して雪掻きをする。
 貴重な時間が雪掻きという行為で潰れてゆく。雪国暮らしの宿命だろうか。こうして何10年間も長い長い冬時間を過ごしてきた・・・。

 近所に住む、もう90歳近いお爺さんが、黙々と家の周りの雪を集め、それをその家から50メートル近く離れた雪捨て場へせっせと運んでいた。
 その男性を、朝も見るし昼も見るし夜も見る。とにかく1日中雪掻きをしているのだ。まるでそれが自らに課す責務みたいに。

 スノーダンプで雪を掬いながら、そのとても単調でとても純朴な光景を、暫くの間、ぼーっと見ていた。
 ひたすら寡黙に雪を運ぶ行為が、とても崇高なものに思えてくる。

 ふと、ヘミングウェイの「老人と海」を思い出した。
 







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「韓国のサスペンスドラマ『悪の花』、筒井康隆と蓮實重彦の往復書簡『笑犬楼vs.偽伯爵』、初ジョギングは絶対『missing summer』を聴きながら走るぞ」。【34日後の春へ】

2023年01月27日 | Weblog
 最近観たり読んだり聴いたりしているもの。
 まずはドラマ。

 やっぱり韓国ドラマだろう。観始めたら止められないドラマが多過ぎて本当に困る。今ハマっているのが「ネットフリックス」で配信されている「悪の花」。
 このドラマ、2020年に既に放送された韓国ドラマだけれど、去年の暮れ辺りから 「ネットフリックス」で配信されていて、評判も頗る高く、いつか観ようと思っていた。
 ある事件に関する過去をひた隠し、優しい完璧な夫として、優秀な刑事の妻と可愛い長女の3人、幸せな家庭を送っている金属工芸家の男がいる。
 ところがある日、刑事である妻がある連続殺人事件の捜査に加わったことで、少しずつ夫の異常なサイコパスが露わになってゆく・・・。
 これまた、途中で観るのを止められなくなってしまうほどの面白さ。なので、ほかのことがほとんど出来なくなってしまう。
 困ったものだ・・・眠る時間がまた削られる・・・。



 次は読んだ本。
 筒井康隆と蓮實重彦の往復書簡、「笑犬楼vs.偽伯爵」。これも一気に読んだ。
 88歳の作家と86歳の映画批評家である同世代の巨匠二人が、大江健三郎について語り、蓮實重彦の小説「伯爵夫人」と筒井康隆の「時をかける少女」を論じ合うという濃厚な内容だ。
 蓮實重彦の書いた映画評論が大好きなので、書いた本が出ると必ず買って読むようにはしているけれど、この人の吐く毒舌というか一刀両断にぶった切るというか、あまりにもストレートな物言いに、少し引いてしまうところもないわけじゃない。でも確かに最後まで読ませる。
 実は蓮實重彦って「大江健三郎論」を書いていたこともあって(実はこの本は未読ですが)、大江健三郎が嫌いなんじゃないかとずっと思っていた。まさか、ここまで読み込み、密かに敬愛していたなんて・・・この本を読むまで知らなかった。
 ということで、今、「大江健三郎」を本棚から引っ張り出して再読しています。



 そして音楽。
 音楽はずっと変わらず毎日のように聴いているけれど、去年の暮れに偶然知った「GOOD BYE APRIL」という4人組バンドの「missing summer」を、とにかく毎晩ひたすら聴き続けている。
 前のブログでも書いたけれど、この曲は本当にいい。角松敏生や山下達郎なんかの曲を彷彿させると言っていた人がいたけれど、夏を感じるアンセムたる必殺の1曲だと思う。
 ただ、真冬の荒れ狂う吹雪と氷点下のなか、寒さに震えながら車の中で聴く「missing summer」は、夏を感じる爽やかイメージと今過ごしている厳寒の日々との落差があり過ぎて、少し切なくなってしまう。
 でも思う。
 いつか雪が融けて最初に外をランニングするときは、絶対にこの「missing summer」を聴きながら走ってやるぞと!

 春よ来いっ。





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「黄昏の汐風と優雅な旋律」。【35日後の春へ】

2023年01月26日 | Weblog
 黄昏の暮れゆく海沿いを二人、互いに手を絡めて歩いている。夏の終わりかけの静かな夕暮れ時だ。
 二人は若く、未来はとても不確かだけれど、それでも扉は広く開け放たれ、あらゆる可能性を秘めた明るい明日が待っている。それをもちろん二人は知っている。
 強靭な意志と肉体と、それらをしっかりと引き摺った若さという最強の武器を持った愛し合う二人に、倒せない敵など何処にも存在しないから・・・。
 それでも、そんな最強の二人にだって何れ別れはやって来る。心なんて身勝手だ。肉体なんて浮気者だ。永遠に確かなものなんて存在しない。どんなにお互いの変わらない愛を確かめ合っても、それさえ時間という悪戯な魔物は悪さをし続け、引き離してゆく。それだけのことだ・・・。

 真夜中に突然目が覚めた。
 夢を見ていたのだ。
 10代か20代の頃の自分が同年代(らしい)女の子と二人、黄昏の海辺の優しい汐風に吹かれながら肩を組んで暮れゆく空を見ている。季節は夏の終わり(らしい)。
 とても短い夢だったのに(もちろん、とても短いようでいてとても長い夢のようにも感じたけれど)、そこにいる自分はなぜか天下無敵で、意気揚々、来るべき未来って奴に対して威風堂々としていたのである。
 こんな自信に満ち溢れた強い気持ちなんて生まれてから一度だって持ったことがない(当然、夢の中でそういう意識の流れとか気分とかまでが描かれていたわけじゃない。でも、そんな颯爽とした自分が夢の中に確かにいたのだ。本当に)。



 目を開けて枕元の時計を見たら午前3時だった。
 外は真っ暗だ。
 ゴーゴーという吹雪の雄叫びだけが聴こえている。雪がこびり付いた窓硝子の向こうに点滅している信号機のくすんだ明かりが反射している。
 真冬のど真ん中の真夜中の時刻。



 夢に意味はない。ただ、そんな夢だったというだけだ。
 でも、あそこにいた、威風堂々とした真っ直ぐで純粋で無敵な自分は一体何だったんだろう?
 一瞬でいて、まるで永遠にその海辺にいたような夢、あのデ・ジャブは一体何だったんだろう?



 まだ、眠っているんだろうか?
 まだ、闘志とか負けたくない意志とか勝ちたい意志とかが、心の奥底に眠っているんだろうか?
 まだ、やり直すことに遅くなんかないんだろうか?

 ぜーんぶ投げ去って、ぜーんぶチャラにして、そこからまた新たな気持ちで遠い先まで走って行けるんだろうか?

 
 
 希望はある。







  

 

 
 

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「10年に一度の最強寒波が襲来した。猛吹雪のなか冷えっ冷えっの冷凍庫に閉じ込められて出られない」。【36日後の春へ】

2023年01月25日 | Weblog
 1月25日水曜日午前11時現在の積雪量52センチ、気温マイナス8.2度。
 まるで巨大な冷凍庫の中に閉じ込められたような気分だ。息苦しくなってくる。
 朝の出勤時、両側に田畑があるだけの見通しのいい直線で1キロほど続く県道を走っていたら、横殴りの雪が襲って来て完全にホワイトアウト!
 怖いったらありゃしない。
 やっと勤務先の駐車場に車を入れて7階建てのビルへと歩くも、凄まじい冷気に耳や頬が痛くなる。
 寒々とした部屋に入って暖房を点けたけれど、暖まるまで何分も掛かった。窓硝子から覗く眼下は真っ白な幕を張ったみたいで外の景色は何も見えない。
 全部白! 何もかもが白色一色!



 この最強寒波で、真冬日が一週間以上連続して続くのだとか。それも完全に日本列島をすっぽり包んでいる。さすが「大寒」だ。降参するしかない。
 ただ、それにしても「電気」と「灯油」の請求金額が半端ない。いつもの倍ではないか!
 地球温暖化とは、地球が一年間ずっと気温上昇し続けてゆくということじゃない。地球自体が温暖化することで、いきなりのゲリラ集中豪雨だとか、いきなりの豪雪に見舞われるだとか、地球の気候がかつてないほどの乱高下を繰り返し、各地域にこれまで想像出来ない甚大な被害を及ぼすことに他ならない。



 そういえば今日のニュースでも流れていた。
 終末時計、つまり午前0時を人類滅亡の瞬間に見立てて、それまでの残り時間を示すというあの終末時計のことだ。
 その残り時間が、あと90秒しかない!
 今は「前例のない危険な時代だ」とも指摘していて、去年は午前0時まで残り100秒」あった。 
 悲惨なウクライナ侵攻や各国で起こっている内戦やテロ、そしてこの気候変動などが「終末時計」の残時間に大きく影響している。

 その、ロシアが侵攻するウクライナで、ロシア軍の占領地からウクライナ人の幼い子どもたちがロシア領へと強制連行された疑いがあるという。
 なんなんだ、それは?
 人道的にみて許されることでは絶対ない。もちろん、戦争自体が許されるべき行為ではないけれど。



 厳寒の地で親から離れ離れにさせられた子どもたちは、今現在どんな劣悪な環境のもとで生きているんだろう? 
 なんなんだ、この不寛容で冷徹な世界は? 人間という愚かな生き物の為す行為は?
 その強制連行された子どもたちの数は1万人とも言われている・・・。



 亡くなった瀬戸内寂聴も書いていた。
 「人間こそが最も悪くて恐ろしい生き物だ」と。

 どうなるんだ? この世界という生き物は・・・。







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「ボクシング映画に駄作無しというけれど、映画『ケイコ 目を澄ませて』はそれとはまた少し異質な感覚だ」。【37日後の春へ】

2023年01月24日 | Weblog
 朝から雪が降り続く。
 出勤時、車を運転していて、猛吹雪で前方がよく見えなかった。
 いよいよ「10年に一度の大寒波」がやって来たようだ。今日からずーっと真冬日が連続して続いてゆく。気温もマイナス10度近くになる日があった。今冬、最期の頑張りどころだろう(たぶん)。

 映画を観た。
 「きみの鳥はうたえる」の三宅唱監督による、岸井ゆきの主演、耳が聞こえない女性ボクサーの実話をもとにした、「ケイコ 目を澄ませて」だ。
 原作は、元プロボクサーだった小笠原恵子の自伝「負けないで!」だそうだけれど、この本は読んでないし、主演(好演!)の岸井ゆきのも知らない役者だった。



 とにかく、各映画誌で大絶賛。「キネマ旬報」の中の3人の評論家による映画評も、ほぼ★★★★★だった。
 都内でも何件かの映画館で上映されていて、時間の関係上、観たのは渋谷「ユーロスペース」。上映時間ギリギリだったので、大混雑していた道玄坂を走って駆けつけた。

 これまで作られた外国映画も日本映画も、ボクシングを扱ったジャンルの映画で「これは面白くなかった」という類いのものは一本もなかった。もちろん優劣はあるけれど、そのどれもがそれなりの水準を超えていた。
 日本映画だけでみても、「アンダードッグ」、「あゝ、荒野」、「ボクサー」、「どついたるねん」、「キッズ・リターン」、そして「百円の恋」と・・・たくさんある。

 そして今回。傑作との呼び声が高い「ケイコ 目を澄ませて」には、観る前から期待が大きく膨らんだ。
 同じ三宅唱監督の「きみの鳥はうたえる」もいい映画だったし。



 ケイコは、生まれつきの聴覚障がい者で両耳が聞こえない。
 それでも彼女はホテルの客室清掃係をしながら、下町の一角にある小さなうらびれたボクシングジムで、プロボクサーとしてのリングに立っている。
 そんなある日、ケイコはジムが閉鎖されることをジムの会長(三浦友和)から突然告げられる・・・。

 この映画には、ほとんど山場となるようなシーンが存在しない。
 最後まで徹底して、ケイコがストイックなボクシングの練習に明け暮れる場面や、静かに暮れゆく下町の河川敷や、会長やトレーナーたちとの淡々とした交流シーンだけが流れてゆく。

 だから普通ならボクシング映画の定番となるべき、ラストの壮絶なリングでのドラマティックな戦いも、内に秘めた熱い闘志が観る側をも燃え滾らせるようなシーンもない。
 リング上での対戦はあくまで醒めた視点で描かれるし、ことのほか主人公に深く入り込むこともしない。あくまで、寡黙で静謐な流れだけが、この映画を支配し続けてゆく。



 こういうトーンで終始するボクシング映画もまた珍しい。
 そんなところが、評論家たちにも受け入れられ、高い評価へと繋がったのではないかとは思う。
 でも正直に言っちゃえば、個人的には、主人公が奈落の底から這い上がり、最期には孤独のリングの中で(たとえ試合には負けたとしても)何かを奪い取り、観ている側へ勇気と希望を与えてくれる、そんな熱い映画が本当は観たかった・・・。

 確かに、この映画のラストにおける「河川敷」シーン、悪くはなかったですが・・・。






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「ソン・ガンホとイ・ビョンホンが共演した韓国パニック映画『非常宣言』を観る。面白かった」。【38日後の春へ】

2023年01月23日 | Weblog
 今日から日常出勤。
 9時から「英語」の後期試験があり、その試験官補助を頼まれる。
 試験教室から外庭を眺めたら、新雪が積もって太陽の光に美しく反射していた。昨日とは異なる、この街独特の冬景色。これはこれで美しい。

 明日辺りから始まるという「十年に一度の大寒波」が気になって仕方がない。東北地方の予想積雪量は60センチから80センチだという。また雪掻きだ。嫌になる。

 昨日まで滞在していた東京で観た映画は2本。
 1本が日本映画。映画「きみの鳥はうたえる」の三宅唱監督が、耳が聞こえない女性ボクサーの実話をもとに描いた、「ケイコ 耳を澄ませて」。 
 そしてもう1本が、ソン・ガンホとイ・ビョンホンが共演した話題の韓国パニック映画「非常宣言」だ。
 「非常宣言」は新宿の「バルト9」で観た。この映画は観たかった。



 飛行機恐怖症の中年男性(イ・ビョンホン)は、一人娘と一緒にハワイ行きの航空機に搭乗する。
 ところが離陸後まもなく、乗客たちが悶絶しながら次々と謎の死を遂げたことで、機内は大パニックに陥ってしまう。
 そんな中、韓国内では飛行機を標的にしたウイルステロの犯行予告動画がネット上にアップされ、その捜査に駆り出されたベテラン刑事(ソン・ガンホ)は、その飛行機に妻が搭乗していた便だったことを知る・・・。

 監督と脚本は「ザ・キング」のハン・ジェリム。
 映画が始まってから、休む暇なく次から次へと畳み込むようにして「見せ場」が作られてゆく。
 神経を逆なでするような不穏な音楽がバックに鳴り続け、観ている側の不安を掻き立て、機内の閉塞感が臨場感をもって描き出されるから、気分が悪くなる観客も多いかもしれない。



 とにかく、最後の最後まで飽きさせない。さすが、韓国映画だ。こういう映画を作らせたら韓国映画に失敗という二文字はない。
 映画の後半、日本国内に緊急着陸を試みようとする場面も出てくる。ここでの緊張感も半端ない。
 まずは観てのお楽しみというところだろうか。

 韓国映画「非常宣言」。
 泣けるシーンもあるけれど、最初から最後までずーっとそのテンションが途切れないところが凄い。
 面白かったです、映画「非常宣言」。






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「投げやりな東京。2023・冬」Ⅳ。「【39日後の春へ】

2023年01月22日 | Weblog
 疲れている。とても疲れている。
 スマホのニュースで、来週「10年に一度の大寒波が日本列島を襲う!」とあった。途轍もない大寒波がすっぽりと日本を包み込むと。
 やれやれ。
 そんな厳寒の街へと今日帰って行かなければならない・・・。



 帰りの新幹線は午後の2時20分。起きても疲れが消えず辛かったけれど、何とか頑張って起き上がり、荷物を纏めて外に出た。
 午前中、薄曇りが広がり、少し寒い。風も結構冷たい。

 「東京駅」から近いということで、「日本橋」に行く。午後になったら日差しも出て来た。
 お昼は「蕎麦」。えーい、ビールも飲んじぁえと、生を頼んでゴクゴク飲みながら蕎麦を啜る。
 「日本橋」から歩いて「東京駅」。ここもまた大混雑していた。



 2時20分発「函館・北斗」行きの新幹線に乗り込んだ。
 これで4日間の小さな独り旅が終わって、また明日からいつもの日常へと戻ってゆく。でも日程を見たら、これまた過密なスケジュールで埋まっていた。

 新幹線の車窓から午後の日差しに揺れる街並みが見える。
 マンションのベランダに洗濯物が風に揺れている。川沿いの道をランニングしている人がいる。ショッピング・モールにたくさんの車が埋まっていた。日曜日の午後の買い出しだろうか。明日からはみんないつもの仕事に追われてゆくのだ。

 突然、睡魔に襲われ、寝てしまった。
 起きたら「仙台」だった。そこから、また色んなことを考える。明日と明後日の夜、某有力者と会わなければならない約束がある。気が滅入る。
 「盛岡」を過ぎると、少しずつ雪景色に変わった。
 「八戸」を過ぎて八甲田連邦を突き抜ける長いトンネルを抜けたら、そこは吹雪舞う「青森」の街。

 「新青森」駅に降り立つと、凄まじい雪が舞っていた。吹雪である。でも雪はそれほど積もっていない。
 電車に乗り換えて「青森駅」まで行くのが億劫で、タクシーに乗って帰ることにした。
 それにしても、猛烈な吹雪模様。



 ああ。帰ってきちゃったな、またこの街に。




 

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「投げやりな東京。2023・冬」Ⅲ。「【40日後の春へ】

2023年01月21日 | Weblog
 土曜日。
 悶々として眠れず、また奇妙で奇天烈な夢を見て起こされる。
 このままじゃ駄目になる。このままじゃなし崩しに急な坂道をゴロゴロと転げ落ちてゆくだけだ。ちゃんとしなきゃ。
 窓を開けてみた。
 今日もまた東京は完璧な青空だ。何処までも澄み切っていて、清々しい。



 「銀座」に出る。
 土曜の朝の銀座はそれでもまだ人影はまばらで、明るい日差しが降り注いでいる。
 午前11時から幕が開く「歌舞伎座」1月公演を観る。「卯春歌舞伎草紙」と「弁天娘女男白浪」の二幕もの。
 市川猿之助、中村勘九郎、そして片岡愛之助・・・。勘九郎と愛之助がとてもよかった。
 圧巻は、なんといっても白波五人男が舞台に登場して、あの有名な名台詞が聞けたこと。
 ちょうど前から8列目の席だったので、迫力満点だった。



 観終わって、そこから急いで「渋谷」へと行く。
 ミニ・シアター系の日本映画を一本観る(後日、書きます)。
 土曜日の夕方の渋谷は凄まじい人で大賑わい。もちろん、人混みを避け、電車でも、皮手袋を着けて吊革には掴まらず、あえて一番高いところにあるポールを掴む。



 今日も幾つかの電話が鳴った。メールもあった。
 雑踏を避け、裏道で電話を取ってやり取りをする。
 疲れる。本当に疲れる。

 もう悩むことには飽きた飽きした。どうでもいい。上を見るのを止めたら楽になるはずだ。他人の芝生は綺麗に見え過ぎる。だらだらでもいい。楽しく可笑しく生きて死にたい。
 すべてを放棄したなら楽になるんだろうか? 



 あっという間に3日間が過ぎてしまった。
 明日はこの街を出なければならない。投げやりな東京。投げやりな人生。投げやりな生活・・・。

 ちゃんとしなきゃな。ちゃんとしなきゃ。
 笑って生きたい。笑って死にたい。うだうだするのにも心底飽き飽きする。

 坊主にすっか。






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「投げやりな東京。2023・冬」Ⅱ。「【41日後の春へ】

2023年01月20日 | Weblog
 昨日の夕方から夜、そして今日の朝もたくさんのメール。それから電話。
 楽しい4日間にしようと心に決めて東京へとやって来たのに、気分はどんより曇っている。
 まったくお腹が空かない。食欲がない。
 結局、起きられずにグズグズと蒲団を被って目を瞑ったり開けたりしていたら、もう正午近かった。
 無理やり起きて、外に出る。



 なんという快晴!
 あったかい。風が気持ちいい。
 お昼の電車はとても空いていて、座席に腰掛け、車内に真冬の太陽が差し込むのを感じながら窓の外を流れる都会の景色をぼんやり眺めた。



 「原宿」で下車。
 「ナイキ」に入ってランニング・シューズやウェアを物色したけれど気に入ったものが見つからず、そこから「表参道」をゆっくり歩く。



 携帯を見たら、幾つものメールが・・・。
 またまた心がどんよりと沈んでゆく。どうしたものか・・・。
 「246」を抜けて高級ブティックが立ち並ぶ街路を歩き、「根津美術館」へ。ちょうど「遊びの美」展が開催されていた。
 東京は南青山にある「根津美術館」は、実業家であった初代根津嘉一郎の蒐集品を元に1941年に開館された美術館で、国宝や重要文化財を含む日本古美術約7400件のコレクションを所有している。
 現在の美術館は、あの隈研吾氏による設計で、入口ゲートの竹林がとても美しい。
 「遊びの美」展を堪能し、園内にあるこれまたお洒落なカフェで珈琲を飲みながら一休み。



 それでもムシャクシャした気持ちは収まらず、歩いて「青山墓地」を抜けて「六本木」までの道をゆっくりと散策した。
 高級マンションが立ち並ぶ緩やかな坂道を歩き、「六本木美術館」近くの公園の小さなグランドでは子どもたちがサッカーの試合に興じていた。
 歩道にはそんなサッカーの試合を観るためだろう、家族の車が何台も停まっている。全部高級外車だった。



 悩みは尽きず、煩わしいことは次々と容赦なく降って来る。
 自分が何かを仕掛けたわけでも何かを主張しているわけでもないけれど、それでもやっぱり自分自身が何に関しても甘過ぎる認識をもっているせいなのだろう。



 1月の東京は、一点の雲もないほどに晴れ渡り、眩しい太陽の光が街の至る所に降り注いでいる。
 ただただこの俺だけが、投げやりの心のまま、そんな煌びやかな街の真ん中で呆然と立ち竦んでいる。





  
 

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「投げやりな東京。2023・冬」Ⅰ。「【42日後の春へ】

2023年01月19日 | Weblog

 朝7時。悴んだ手で鞄を持ちながらツルツルに凍った歩道を滑らないようにそーっと歩く。
 久しぶりに雲一つない冬の朝だ。それでもアップルウォッチの気温表示がマイナス4度を示している。
 「青森駅」まで歩き、朝の通勤客でごった返している駅構内を通り、そこから「新青森駅」。朝8時37分発東京駅着12時8分の「はやぶさ14号」に乗り込んだ。
 3時間、持ち込んだミステリー小説を読んで時間を潰す。約3か月ぶりの東京だ。

 東京駅のホームに着くと生暖かい風が吹いてきた。でも空は少し曇っている。
 エキナカの「ラーメン街道」で行列の出来ているラーメン屋さんへと入り、塩ラーメンを食べて腹ごしらえ。
 さあ。街歩きのスタートだ。



 まずは目黒区の「自由が丘」を散策。
 この街、古いものと新しいものが上手く同居していて、チーズケーキ一本で売っているという老舗の珈琲店で暫しの休息を取る。確かに美味しいチーズケーキだ。



 小さな公園のベンチに腰掛け、ぼんやりと一月の東京の午後の空を眺めていたら、小さな子ども連れの女性が満面の笑みを浮かべ、子どもの顔を頬擦りしていた。



 「自由が丘」から「代官山」へと移動。
 この街は好きだなあ。
 ぶらぶら散歩しながら、有名な代官山「蔦屋書店」へ。
 ジャンルごとの書籍の配列も申し分ないけれど、中庭も素敵だし、外に置いてある椅子に腰かけて冬の淡い太陽の光を浴びて飲む珈琲の美味いこと・・・と、そんな穏やかで心地よい空気に浸っていたら、某新聞からの突然の電話! そのやり取りが終わった瞬間、またまた某氏からの電話が鳴った・・・。
 一気に醒める!



 ああ、もうあの地獄の日々へ二度と戻りたくはない。俺はもう一度、この人生って奴を、ちゃんと後悔せずに生き直したいんだ。
 








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「花に嵐のたとえもあるさ、サヨナラだけが人生だ。まあ、こんなもんでしょ、人生なんて」。【43日後の春へ】

2023年01月18日 | Weblog

 いよいよ「大寒」だ。それに標準を合わせるようにして最強大寒波が襲うらしい。それも何度も続けざまに。
 確かに気象庁が発表している「2週間天気予報」を見ると、この街、来週から連続して「真冬日」が続いている。それも1週間以上、ずっとだ。
 たぶん、ここが今冬の寒さの底になるのだろう。つまり最後の難関だ。ここを耐えたら「立春」である。まだまだ先は長いけど・・・。



 最近、自分の残り少なくなった人生についてよく考える。あと、何年生きられるのだろうかと。あと何年、健康体を維持できるんだろうかと。
 世にいう「人生100年時代」なんて、まやかしだ。踊らされているに過ぎない。
 だいたい、仮に100歳まで生きたとしても、それまでの間ずっと健康体のまま何の支障もなく毎日の生活を送られるなんて、んなもんあるはずない。
 少しずつ身体が利かなくなり、行動範囲は狭まり、大きな病気や怪我にだって見舞われる。100歳になった途端、ポックリと死ぬわけじゃない。少しずつ見えない形で体も心も死んでゆくのだ。



 だとしたら、せいぜいあと10年ぐらいだろうと思う。ほかに何らかのアクシデントがあったり病気になったりしないと仮定して、自由自在に行動できる時間というのは。
 つまり、もう限られた時間しか残されてなんかいないのだ。そうなると一日一日がとても貴重に思えてくる。

 先日、自分なりに「死ぬまでにしたい100のこと」を思いつくままにメモしていったら、40ぐらいまで書いてあとは何にも思い浮かばなかった。
 それでもその40ぐらいのやりたいことをやったら、あとはこの世界からおさらばするしかないのだろう。そう思う。



 近頃、ちょっと居直っている自分がいる。
 多少の煩わしいことは脇に追いやって、あとは勝手気まま、自由に最後の10年間ってやつを優雅に泳いてゆくだけなんだ、心底そう考える。

 でも悔いもある。遣り残したこともある。あの時ああしておけばこうはならなかったのにとか、あの時のあの判断は間違っていたとか、悔しい事や思い出すだけでも腸が煮え滾ることがいっぱいある。もちろん、楽しかった事や嬉しかった事だってあるけれど・・・。

 まあ、こんなもんでしょ。
 人生なんて。
 花に嵐のたとえもあるさ。サヨナラだけが人生だ。
 




 

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「フジテレビ新月10ドラマ、草彅剛主演『罠の戦争』その第一話を観る。パワハラを行う国会議員政策秘書(田口浩正)の怪演が凄い」。【44日後の春へ】

2023年01月17日 | Weblog

 必ずいる。
 どうしようもない上司のことだ。
 パワハラ、セクハラは言うに及ばず、部下に仕事を丸投げする上司、朝令暮改を繰り返す上司、ひたすら上のご機嫌伺にのみ終始して部下なんて単なる出世の道具ぐらいにしかみてない上司、何事も決断できずギリギリまで自分で抱え込むただオロオロしているだけの頭の悪い上司・・・世の中にはいくらでも存在する。
 そういう類いの上司の部下になってしまったら、とにかく耐え抜くしかほかに術はない。じっと次の人事異動を待つしかない。つまり、人生で最低最悪な状況に置かれてしまうことになる。

 そんなモンスター上司と同じ部署に配属されたなら、とりあえず、解決・回避する方法は大きく3つ。
 ①挫けない鋼のメンタルを持ち続け(あるいはなんとか踏ん張り)、上司の受けるボールは全部打ち返し、徹底的に対峙しながらそれらを真正面から受け止める。
 ②組織内に持っている自分なりのルートやコネクション、同僚、部下、女性軍(これがまたすんごく頼りになったりする)への徹底した「根回し」と「情報共有」等をしたうえで、最も信頼のおける別の上司やその嫌な上司と対立している別の上司、または直接「人事部」に直訴することで、外部から外堀を埋め、何とか早期の部署異動を勝ち取る。
 ③馬鹿になる(というか、仕事をしない、出来ない、ミスる、放棄する・・・)。つまりそういう上司からも見捨てられるまで、徹底して無能な部下を演じ切る。

 このほかにも、「パワハラ委員会」なんかの組織内駆け込み寺を活用するだとか、「鬱」になって仕事を休むだとか、色んな方法はあるかもしれないけれど、どっちに転んでも精神的な辛さは消えず、心に大きな傷を負うことになる。
 こんな上司に遭遇したら「交通事故」にでもあったと思って諦め、転職する手もなくはない。いずれにしても、こういう上司の存在は今後の自分の人生さえ大きく変えてしまうことになる。



 昨日、フジテレビ系夜10時から始まった新ドラマ、「罠の戦争」を観た。
 草彅剛が主演する、弱者が圧倒的な力を持つ権力者に立ち向かってゆくという痛快復讐劇だ。
 草彅剛が主演した「銭の戦争」(2015年)、「嘘の戦争」(2017年)に続く、戦争シリーズの第3弾である。
 
 鷲津(草彅剛)は犬飼大臣(本田博太郎)の有能な第一秘書。その政治資金パーティーが開催された日、息子が何者かによって歩道橋から突き落とされて意識不明の重体に陥ってしまう。
 見舞いに駆けつけた犬飼大臣だったが、息子を突き落とした犯人を知っているようで、「誤って歩道橋から落ちたということにしてくれないか」と、なぜか突然もみ消しを迫り、事実無根の不正献金疑惑まで持ち出してくる・・・。

 とにかく、この初回放送でパワハラ政策秘書を演じた田口浩正が怪演している!
 ドラマを観ていて、実生活での勤め先が頭の中を過ぎり、マジでトラウマになった視聴者もたくさんいたのではないか?



 いるんだよね、こういう人間が、世の中にはたくさん。
 まあ、ドラマの中では草彅剛、あらゆる方策を駆使して徹底的にパワハラ政策秘書への逆襲を図ることで、観ている側はスカッとしちゃうんですが・・・。
 現実はそう簡単にはいかないだろう。

 現実逃避して、主人公になり切って観ていったら、このドラマ、結構ハマるかもしれない。








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