もう、ウンザリする。
片付けても片付けても雪が降り続け、積もってゆく。真冬日もずっと続いていて、気温がプラスになる日がない。
一瞬、青空が覗いたと思うとすぐに分厚い雪雲が空を覆い、雪がこれでもかというくらい激しく落ちて来る。
昨日も一昨日もその前日も、ただひたすら重い雪を片付けていた。心底参る。いい加減にしてほしい。
一つの救いは明日から2月が始まるということだろうか。冬でも2月だけは好きな月だ。春の兆しがふいに現れることがあったりするからだ。
雪がひと段落ついて、しーんと静まり返った、ひんやりした大気に包まれる夜の街も大好きだ。なので、よく2月は夜の街を散歩することがある。
まだ小さな春の匂いを嗅ぎたくなって・・・。
「テレヴィジョン」のトム・ヴァーレーンが亡くなったことを知ったその夜、博多の「めんたいロック」バンド、「シーナ&ロケッツ」のボーカルでギタリスト、鮎川誠が膵臓がんで亡くなったとのニュースが流れた。
鮎川誠とバンドのヴォーカルだったシーナは夫婦で、その最愛の妻だったシーナも2015年にこの世を去っている。
「シーナ&ロケッツ」の1979年にリリースされたセカンド・アルバム「真空パック」は、確かLPで買ったと思う。
その中の「 ユー・メイ・ドリーム」だけを何度も繰り返して聴いていたことを今では懐かしく思い出す。
1979年。80年代突入前夜・・・。
ちょうど「サザンオールスターズ」が「愛しのエリー」でブレイクして、青森市文化会館でコンサートを開いた頃だ。
当時、はっきりした年月日まではもう覚えていないけれど、女の子と2人で観に行った。アンコールで、桑田佳祐が会場のみんなに「愛しのエリー」の歌詞を配って、観客全員と歌ったことを今でも覚えてる。
あの頃「柳ジョージ&レイニーウッド」もブレイクしていた。「雨に泣いてる」はよく聴いたし、アルバム「Y.O.K.O.H.A.M.A.」は当時の音楽barでよく流れていた。
それから、竹内まりやがセカンド・アルバム「UNIVERSITY STREET」をリリースした時期でもある。
アルバムの中の「ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風~ 」も大ヒットしていた。
このアルバム、東京から青森へと「都落ち」してアルバイト生活を送っていた時期、家庭教師を頼まれて行った先の高校生が持っていて、聴かせてもらった記憶がある。その頃は、「女子大生のアイドル歌手かよ」ぐらいにしか思っていなかったけれど・・・。
そういえば、ちょうどユーミンが「オリーブ」のアルバムを出した時期とも重なるのではないか。
「オリーブ」もよく聴いた。
東京での生活に疲れ果て、二度と戻るまいと思っていた青森に帰り、未来も全く見えず、将来への不安と戦っていたあの頃、「シーナ&ロケッツ」のシーナが歌う「 ユー・メイ・ドリーム」もまた、きらきらと光り輝く未来に向かうための楽曲だった。
人生は短い。
あっという間に終わってゆく。
鮎川誠。享年74歳。
常にロックだった。