淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「手ぶらで生きる。」①

2018年11月30日 | Weblog
 CDが欲しい。あのアルバムが欲しいし、来月リリースされるあのアルバムの豪華ボックス盤も欲しい。出来れば、あの人やあのグループのこれまでリリースされた全部のアルバムを揃えたい。

 いい音が出るオーディオ・セットが欲しい。古くなった「アイパッド」を捨てて一番新しいやつが欲しい。
 スマホを新しく変えたい。もう2年だ、カメラのところが落としたことから傷ついていてちゃんとした写真を撮ることが出来ないからだ。

 いっぱい服を買いたい。死ぬまでに、すべてアルマーニ一色で着込み、腕時計もブルガリを付けたい。いいジーンズも欲しいし、シューズも高価なものに買い揃えたい。

 お金がたくさん欲しい。というか、足りない、この程度じゃ。使っても使っても、余裕がある程度に残るぐらいじゃないと物足りない。

 高級マンションが欲しい。東京の港区かベイエリア辺りがいい。高層階で窓から東京湾が見えるか、あるいはその高層階から東京タワーが見えるところがベストだ。

 他人からよく見られたい。
 この人はとても優しくて親切だと思われたい。敵などいなくて、陰で悪口を言う人間もいない。尊敬されたい。褒められたい。出来れば名誉とか地位とかも得られたらそれに越したことはない。

 物欲が強くて、上昇志向も半端なく強いほうだと思う。誰にも負けたくなく、ええかっこしいで、自己顕示欲も強い。絶えず他人の目を気にして、毎日ビクビク・オドオドを繰り返している。
 ちょっとでも恥ずかしいところを見られたり失敗しているところを見られたりすると、舌を噛んで死んでしまいたくなるほど惨めになって落ち込んでしまう。

 そういう俺のようなクソ人間は、いずれどん詰まりになることは目に見えている。ろくな死に方なんて出来ないだろう。
 この先に待っているのは、悲惨な末路、それだけだ。

 ・・・などと思いながら、ふと目に留まった本が、ミニマリスト「しぶ」と言う人が書いた、「手ぶらで生きる」という本だった。
 副題に【見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法】とある。お金、時間、人間関係・・・不安を手放し、自分の人生を取り戻すコツ、とも。

 最近、本当にもう色んなシガラミに心底嫌気がさしていて、この凄まじいまでの物欲や見栄や他人を比較してしまう自分自身と決別したくてたまらない。
 後先短い人生を、いかに正々堂々と生きてゆくか。最後の何年かぐらいは少しでも充実した人生を送ってみたいからだ。純粋に。

 なので、藁にも縋る(わらにもすがる)気持ちで読んでみました・・・。

 「手ぶらで生きる。」









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マンガ「響~小説家になる方法~」(柳本光晴)。欅坂46の平手友梨奈が初主演した映画は大コケしちゃいましたが・・・。

2018年11月29日 | Weblog
 「ビックコミック」スペリオールで連載中のマンガ、「響~小説家になる方法~」。
 このマンガ、K君に「面白いですから」と勧められて、全巻コミックで読んだんだけど、これがまた結構、面白いのだ。
 
 今のこの時代、「純文学」がまったく売れないらしく、マジでプロの作家は本当に大変らしい。
 作家の中では村上春樹だけがダントツの独り勝ち状態で、あとはもう完全に干上がっているのだとか。
 活字離れで本は読まれない。小説は売れない。悪循環である。
 まあ、読まないわな、今の若い人たち、特に純文学なんて。

 まんが「響~小説家になる方法~」(柳本光晴)は、その不況下にある出版業界が舞台だ。
 主人公は、天才的な才能を持つ女子高生である。

 売れなくなった文芸雑誌の編集部に、応募要項を一切無視した謎の新人賞応募作が届く。
 当然ボツになったその作品を、ある一人の若手女性編集者が偶然目にとめ、何気なく読んでゆくと、それは傑作と呼ぶにふさわしい、素晴らしい小説だった・・・。

 柳本光晴が描く、マンガ「響~小説家になる方法~」は、恐るべき天才女子高校生、鮎喰響が、やがてデビュー小説「お伽の庭」によって、芥川賞と直木賞のW受賞をするという快挙を成し遂げたことで文学の世界の真っただ中に飛び降りざるを得なくなり、そこから生じる様々な波紋を描いてゆく。

 ここからはコミックを読んで貰うしかないのだけれど、響を取り巻く人間たちのスケッチがそれぞれに面白く、地味な世界を描いているようでいて、奥が深い。
 ただ、主人公の性格がちょっと濃過ぎて(読書好きで、類い稀な文学的才能と鋭い感性を持っているのだけれど、あまりにも尖がっているというか、歯に衣着せぬ言い方と、まったく冗談が通じず融通のきかない性格として描かれている)、心底感情移入出来ないのだ。
 まあ、嫌な相手を理路整然とコテンパンにやっつける場面もあったりするけれど、実際の友人にはしたくないタイプではある。

 主人公と同じ高校で、先輩でもある文芸部主将の祖父江りかという脇役なんかは魅力的で、その父親もまた有名作家として描かれている。父親のモデルは村上春樹っぽい気がしないでもない・・・。

 ところが、このマンガを映画化した「響 -HIBIKI-」。
 「欅坂46」のセンターを務める平手友梨奈が初主演して、今年の秋に日本全国公開されたのだが、それがまったく振るわず、大コケだったらしい。
 映画自体は、原作を超えたという人もいるくらい、いい出来だったらしいのに・・・。

 残念です。
 映画「響 -HIBIKI-」、DVDになったら絶対、観ます!













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「Baby baby, don't look so sad There's gonna be a better tomorrow」

2018年11月28日 | Weblog
 時々襲って来る、簡単な言葉では言い表すことの出来ない、その圧倒的な寂しさや虚しさ。それは、ちょっとやそっとの抗いなんかで立ち去ってはくれない。
 絶えず、背後に隠れていて、突然、牙を剥きだし一気に襲いかかる。

 快晴で清々しさに満ち溢れたような毎日。仕事は順調でお金の心配はなく、家庭環境もすこぶる良好。健康で心も体も充実している・・・。
 そんな素敵な人生を送っている人間、世の中それなりにいるんだろうなぁ。羨ましい。

 人も羨む、ミュージシャンで俳優である及川光博と、「金麦」女優の檀れいが離婚したらしい。元貴乃花と女子アナだった景子さんも離婚した。
 幸せと不幸せは隣り合わせで仲良く暮らしてる。愛なんてものもまた、いつかは終わり、悲劇だけがやってくる。
 それでも人間という厄介な生き物は、愛することをやめられない。愛するという行為、愛し続けるという行為、ただそこだけに執着して生きている人間だっているのである。

 楽しいことなんてもん、生きていてそんなにはない。
 日々の暮らしのほとんどは、嘆いたり、苦しんだり、悩んだり、そんな負の感情だけが激しい速さで行き交っている。それだけだ。

 今日の朝、クリーニングに出していた冬物のスーツを出して着替えていたら、ウエストがきつくてホックが閉まらない。
 太ったのである。
 鏡にお腹を映してみたら、ちょっとポコッとしている。
 最近、身体を動かすことを少し止めていたら、このザマである。それでも週1のボクシングと休日のスポーツジムだけはなんとか行っていて、週2ペースで身体は苛めてるのに・・・。

 ああ、こうして、しょうもないことでグタグタ悩み続け、夢も叶えることなく、死んでくんだろうな。

 俺は何も叶えられなかった。









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いま、「Nulbarich」が最高にいい! これ絶対、くるぞ! 「suchmos」もいいけどこの音は気持ち良過ぎ!

2018年11月27日 | Weblog
 たまたま。本当にたまたま「FMあおもり」をつけて市内をドライブしていたら、なんかいいグルーヴでとろけるような多幸感溢れる音楽が流れてくるじゃないか?
 いいなあ・・・なんて曲だろう?

 「suchmos」の新曲?
 でもそれにしちゃあ、声がちょっと違ってる。ヨンスのヴォーカルじゃないな。

 すんごくスイートで、音がたくさん積み重なっていて、素敵なソウル・ミュージックのようでいて、でも新しい仕掛けがいっぱい詰まってる。そんな曲だ。

 こういう幸せな感覚に襲われたのって、高野寛の「夢の中で会えるでしょう」と、トーチャード・ソウルの「Home To You」を初めて聴いたとき以来かもしれない。
 そのいずれもが、たまたま「FMあおもり」を車の中で聴いていて、衝撃を受けた曲だった。

 FMにのみ全神経を集中させた(もちろん、安全運転第一ですが)。
 曲がフェイドアウトして、それまで流れていた曲をDJが紹介した。
 「曲は、ナルバリッチのヴォイスでした」。
 えっ? ナルバ? リッチ? ・・・ヴォイス?

 初めて聞くアーティスト名だ。
 何度も何度も頭の中で忘れないように繰り返してみる。
 トーチャード・ソウルの「Home To You」を初めて聞いた時なんて、アーティスト名を聞いたのに忘れちゃって、「FMあおもり」に直接電話して聞いたもんね。
 なので、今回は同じ轍を踏まないように、路肩に車を停めてメモをした。

 家に帰って、早速パソコンで確かめてみる。
 「ナルバリッチ」と「ヴォイス」と・・・。
 アマゾンで見たら、アルバムも何枚か出ていることを知る。
 来年の2月にリリースされる新作アルバム紹介記事では、こんなふうに書かれていた。

 『デビューからわずか1年も経たずして、タイアップ曲多数起用、さらに日本武道館ソールドアウトと今や押しも押されもせぬ存在のNulbarich。オリコンウィークリーチャート7位を獲得した前作『H.O.T』を経て、約1年ぶりとなる待望の3rdアルバムには、資生堂「アネッサ」、シチズン、三井アウトレットのCMソングや映画「台北暮色」EDなど多彩な楽曲が収録・・・』。

 知らなかった・・・。

 来年の2月6日発売のサード・アルバムをすぐに予約する。
 「タイトル未定(CD+Remix CD+Blu-ray)(完全生産限定盤A)」だ。
 当然、2016年にリリースされているファースト・アルバム「Guess Who?」と、2018年3月にリリースされた「H.O.T」も買っちゃいました。

 アマゾンでのレビューも、みなさん、大絶賛!
 いわく「50代主婦。いつも台所で身体を揺らしながら聴いてます」。いわく「今年このCDを超えるアルバムはありません」。いわく「とにかく爽やかでハイレベル」エトセトラ・・・。

 確かに、その音楽テイストは「suchmos」に似てなくもない。
 ソウル・ミュージックの下敷きがあって、そこにロックとかジャズっぽいフレーバーが降ってくる。それでいてポップな部分もあって、心地よさがある。

 色々調べてゆくと、CMタイアップ曲がかなりあることも分かった。
 資生堂にシチズンに、映画「台北暮色」(この映画、観たいんだよね)のED曲に・・・。

 「Nulbarich」、いいです! これ絶対、きます!
 ・・・って、もうブレイクしちゃってるのか・・・。

 俺ひとりが知らなかっただけなのね・・・。













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「Definitive Groove? When?」

2018年11月26日 | Weblog
 三連休が終わった。

 金曜日は買い物とジムでトレーニング。それから映画館で映画を観る。
 土曜日は、午前11時から前の職場の後輩K君と青森駅前のスタバで待ち合わせて、互いのCDを交換。そして珈琲を飲みながらの音楽談義と近況報告をした。
 そのあと歩いて、「青森Kホテル」での某祝賀会に参加。
 国会議員や県会議員、各首長など錚々たるメンバーが集っていて、会場から参加者が溢れ返ってていた。
 何人かと挨拶を交わして、乾杯のビールを一口だけあけ、ホテルを出た。

 日曜日は晴れ間が広がって、雪も急速に溶け出していた。
 正午から、昨日と同じホテルで某国との友好親善会に出席する。昨日と同じメンバーも多数見受けられた。
 知り合いや、某県会議員、某地方自治体首長さんらと暫しの懇談を交わし、ホテルを出てそのまま帰る。

 月曜日。
 いつものように8時前には仕事場に到着。7階のオフィスに入ってパソコンでメール・チェック。朝礼で短い訓示を行い、午後からの授業の準備をする。
 午後からは2コマ、3時間にわたる「演習Ⅱ」。
 授業が終わって教室から外に出たら、もう宵闇が迫っていた。喉が痛む。結構大声で喋るからだろう。ついつい入り込んでしまうのだ。

 今夜は、前職で一緒に苦楽を共にした某氏(もう偉くなっちゃいましたが)や某マスコミ人ら、4人での飲み会が組まれている。
 仕事を切り上げ、帰宅で混雑している環状道路を急ぐ。

 6時半から飲み会開始。
 大いに盛り上がり、あっという間に9時を回ってしまう。
 二次会に行こうということになって、自宅の近所に出来た「焼き鳥屋」さんまでタクシーを飛ばした。

 日本酒を飲んでウーロン杯を飲んだら、それなりに酔っぱらってしまった。
 次また会おうと約束を取り交わし、ひとり、家まで歩いて帰る。
 ひっそりと静まり返った住宅街に入ってふと夜空を見上げたら、雲のない西の空にお月様が寒そうに震えていた。

 楽しい日もあれば、楽しくない日もある。
 日日是好日。

 すべては自分の心が決める。










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さあ、踊れ! 踊れ! みんな馬鹿になって! ナイル・ロジャース&シック「イッツ・アバウト・タイム」!

2018年11月25日 | Weblog
 このアルバムはいいぞ!
 ナイル・ロジャース&シック「イッツ・アバウト・タイム」だ。
 ナイル・ロジャース&シック名義の新作としては、なんと25年ぶりとなるオリジナル・アルバムである。

 人間なんて、いや俺なんてとあえて注釈をつけるべきか。
 毎日毎晩、いや1時間で心は乱高下し続けているんだ。幸せだと思ったその次の瞬間、奈落の底に一瞬で落ちるように気持ちは塞ぎ、世の中のすべてに嫌悪感を抱くことだってある。しょっちゅうだ!

 そうかと思えば、突然、過去のある一時期のことが脳裏に浮かんできて、「あいつ」とか「こいつ」とか「あいつら」のことが無性に腹立たしくなり、「ちくしょう! 今度会ったら絶対に許さない!」なんて感情がすこぶる高ぶるのに、その数時間後には、慈悲と慈愛の心が満たし出し、「他人を憎んだり批判するのはもうやめよう」なんて、まるで仏の気持ちになって、悟ったように穏やかな気分に包まれたりする。

 それが人間だ。いや、俺だ。
 気分なんて気まぐれだ。コロコロかわる。
 死ぬことが心底恐ろしく感じたかと思うと、翌朝目が覚めたら一転して、「死」なんてものに正々堂々と挑みかかろうと意を決したりもする。

 ストレス解消で汗を流して身体を苛めることだって正しいし、ムシャクシャする気分を晴らそうと、ボクシング・ジムで滅茶苦茶サンドバックを叩き続けることだって正しい。
 いいじゃないか! 好きなようにしたらいい。

 世の中、何でもアリだろう? 他人に迷惑をかけなければ。法律違反をしなければ。
 そうはいっても、知らず知らずのうちに、そして無自覚に、誰かを傷つけ、誰かの足を引っ張り、誰かを悲しませている、それだけは間違いない。

 だから人間はみな、原罪を負っているのである。
 因果応報、必ずいつか、今かもしれないけれど、なにがしかの罰を受け、そして傷つけたことに傷つく。

 さあ、踊れ! 踊れ! みんな馬鹿になって! 
 踊りまくって、浮世の憂さを晴らすんだ!
 ナイル・ロジャース&シックのアルバム「イッツ・アバウト・タイム」を大音響で鳴らしながら、何もかも忘れて、身体を揺らせ!

 来年こそは、今年行きそびれた「六本木 マハラジャ」に絶対、行くぞ。
 すべては夢よ、いざ狂え!
 懐かしいなあ、一時は死語となってしまった「ディスコ」に行って踊りたい!

 その復活したディスコ・ミュージック界における伝説の帝王、ナイル・ロジャース。
 彼は最近も活発な活動を続けていて、ダフト・パンクの「ゲット・ラッキー」なんかのPVでもカッコいい姿を見せていた。
 そんなナイル・ロジャースが、な、なんと、「シック」(もちろん彼自身が牽引していたグループ)と組んで、25年ぶりとなるオリジナル・アルバムをリリースしたのである。
 これははっきりいって、事件である。

 アルバム「イッツ・アバウト・タイム」、1曲目の「ティル・ザ・ワールド・フォールズ」からノリノリだ。自然と体が動いてしまう。
 辛いことや嫌なことが全部、強力脱水機みたいに弾け飛んで行くみたいだ。

 7曲目の「ステート・オブ・マイン(イッツ・アバウト・タイム)」のようなインストもあったりして、アルバムが一本調子にならないような工夫も施されていて、往年の名曲「アイ・ウォント・ユア・ラヴ feat.レディー・ガガ」という曲も入っている。

 ただ、日本盤と海外デラックス盤に入っている、ラストのボーナス・トラック「メッセージ・フロム・ナイル・ロジャース」だけは、ちょっと意味がないかも。
 だって英語で滔々とメッセージを語られても、一度聴いたら、次からそこは聴かずに飛ばすしかないわけでして。

 その部分を除けば、ほぼ完璧です。
 もちろん、曲の良し悪しは多少あるし、すべての楽曲がどれもこれも満点というわけじゃない。それでも、このアルバム「「イッツ・アバウト・タイム」は買いである。

 車の中で、ランニングのお供に、家でゆっくりビールでも飲みながら、辛いとき、落ち込んだとき、楽しいとき、デートのBGMに、仲間たちとのパーティーで、是非、自分勝手にお使いくださいませ!










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「負け犬の美学」

2018年11月24日 | Weblog
 スティーブは45歳。プロのボクサーだ。彼はもう若くはない。完全に最盛期は過ぎ去り、体力も既に限界に達している。
 これまでの彼の対戦成績は、13勝3引き分け33敗。あと1試合で50試合になることを節目に、その試合をもって引退することを決めていた。

 彼には愛する妻と2人の子どもがいる。
 長女はピアノを習っているのだが、月謝を滞納していて、自宅で練習するピアノを買う金も用意できない。そして妻もまた、家族の生計を支えるために美容院で働いていた。
 
 ある日、スティーブが所属しているボクシング・ジムに、欧州タイトル・マッチ戦に再度挑もうとしている黒人ボクサー、タレク選手のトレーナーが訪れる。
 彼がタレクのスパークリング・パートナーを務める人間を探していることを知ったスティーブは、自分を雇ってほしいと嘆願するのだが・・・。

 映画「負け犬の美学」を観てきた。
 タイトルに惹かれたのである。負け犬の美学・・・。

 映画「負け犬の美学」は、落ちぶれた中年ボクサーとその家族を描いてゆく。
 主人公スティーブのそれまで鍛えた肉体は少しずつ弛みはじめ、体力と気力も萎み、そして足元の生活はますます揺らいでゆく。
 その一方に、素質に恵まれ、そのスキルと運で「てっぺん」を掴み取った人間がいて、負け続けている他方の人間を、下に見て、蔑み、いいようにコキ使う。

 人生には、「勝った」人間と「負けた」人間がいる。
 でも、何に勝ったのか、何に負けたのかなんて、他人が安易に判断することじゃないし、んなもん、出来るわけがない。

 そしてまた、「勝つ」とか「負ける」とか、白とか黒とか、そんな単純な二者択一なんて不可能なのが、そもそも我々の人生だ。
 勝ったり、負けたり、不戦勝だったり、不戦敗だったり、逃げて勝ったり、初めから勝ち負けを度外視することだって当然ある。
 すべては曖昧のまま流れ去る。

 映画は、これまでの「スポ根」ドラマの定番を踏襲してはいる。
 踏襲してはいるけれど、観る側誰もが望んでいる、「ロッキー」のようなラストのカタルシスのようなものはここにはない。
 そこが、この映画の評価を大きく左右する点だろう。

 あの、これまでほとんどのスポーツ映画で描かれてきた、ラストの圧倒的な高揚感がこの映画にはあまり感じられないのである。
 監督はこれがデビュー作となるサミュエル・ジュイという人らしいけれど、意識的にそういう手法を取ったのかはよく分からない。

 それでもこの「負け犬の美学」には、リアルな挫折者の哀愁は程よく流れている。
 そこが観る側の胸を締め付けるのだ。

 映画が終わって、暮れゆく街に出た。
 積もった雪が溶け出して、舗道の周りには水だまりが出来ている。西の空が少し赤らんで、冷たい風も吹いてきた。

 今日は3連休の2日目。
 明日の日曜日でもう連休は終わる。

 溶け出した新雪を踏みながら、ふと思う。
 俺は、「勝った」んだろうか? それとも「負けちゃった」んだろうか?

 それに、そもそも負けた人間に美学なんてものが本当にあるんだろうか?
 








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「the first snowof the season」

2018年11月23日 | Weblog
 朝起きて外を見たら、一面銀世界。
 初雪だ。

 冷え切っている部屋に暖房を入れ、自転車を倉庫の奥に仕舞い込み、代わりに車庫の奥からスノーダンプとスコップを取り出す。
 夏用のシューズと革靴も奥に仕舞って、冬用のブーツを出して玄関先に並べ替えた。

 冬である。
 長い、長い、冬がまた始まった。

 ポストから新聞を出すついでに外を眺める。
 新雪が7,8センチぐらいだろうか、積もっていた。
 身を縮めながら階段を上って部屋に急いで戻り、珈琲を淹れてパンを焼く。こんがり焼けたパンにエクストラ・バージン・オイルを垂らし、その上にピーナツバターを塗って食べた。

 冬である。
 長い、長い、冬がまた始まった。

 車を出して、郊外にある「青森産業会館」へ。
 車道は、溶け出した雪でビチャビチャになっている。
 おいしいリンゴが売っているというニュースを聞いたので、東京に送るリンゴと家で食べるリンゴを両方買い求め、その帰り道、「スポーツ・ジム」に寄って、自転車を10キロ漕いで腹筋を少しやって、お風呂に浸かって、帰る。

 お昼は、「青森中央大橋」を降りたところにあるラーメン屋「H」で、「バラそば」の大と煮卵をトッピング。
 いつもながら、店は混んでいる。
 でも待つ甲斐はある。美味い。

 午後は家に帰って、まったりする。
 雪が少しずつ溶け出しているみたいだ。

 思いついて、ニンテンドー・スイッチを取り出し、「ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド」をプレイした。
 ずっと何か月も中断していたのだけれど、またハマってしまったのだ。
 それにしても「ゼルダ」は面白い。というか、壮大なRPGドラマである。凄まじいまでに難しいゲームだけど・・・。
 いったい、クリアまであと何年かかるんだろ?

 午後3時を回る。
 また、外が冷えてきた。
 ちらちらと雪が舞ってきた。

 冬である。
 長い、長い、冬がまた始まった。

 憂鬱で、暗い、そんな北国の冬がまた始まったのだ。

 
 







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「50年目に聴き直す『ホワイト・アルバム』深掘り鑑賞ガイド (シンコー・ミュージックMOOK)」を読む。

2018年11月22日 | Weblog
 木曜日もまた雨。
 冷たい氷のような雨が降っている。
 明日は街中でも雪になるらしい。もうすぐ師走。本格的な冬がやってきた。

 仕事を終え、暗くなった夜道を車で走る。明日からの3連休は仕事が入っている。すべてがホテルでの会合だ。
 なんとか時間を遣り繰りして3日間頑張って「ジム」に行こう。

 家に帰って、久しぶりに夕食と一緒に缶ビールを2缶あける。ほとんど家飲みはしないのだけれど。
 部屋に戻って、テレビを点けながら、「50年目に聴き直す『ホワイト・アルバム』深掘り鑑賞ガイド (シンコー・ミュージックMOOK)」を読む。
 
 今年はビートルズの「ホワイト・アルバム」(真っ白なジャケットでタイトルは明示されていない)がリリースされてちょうど50年。
 50年前にこういう音が既に作られていたことがまずは驚きだけど、裏を返すと、ロックって音楽ジャンル、確かに色々と進化はしてきているものの、40,50年前にもうある程度語り尽くされてしまった音楽形態ということなのかもしれない。

 その「ホワイト・アルバム」50周年を記念したアルバム、「ホワイト・アルバム ニュー・エディション」が新たにリリースされた。
 当然のごとく、即「アマゾン」で予約して買い求めたのだけれど、封を開けず、そのままロック好きでCDの交換をしているK君に貸していて、まだ未聴なのだ。
 
 なので、ニュー・エディションが手元に帰ってくるまでの間、予習を兼ねて、「50年目に聴き直す『ホワイト・アルバム』深掘り鑑賞ガイド (シンコー・ミュージックMOOK)」を読んでいるのである。
 
 「ホワイト・アルバム」って、世間では結構その評価が低い。
 いわく、「トータル性がない」、「散漫で乱雑すぎる」、「2枚組じゃなくて1枚にしたらもっと締まったアルバムになったのでは」・・・などなどだ。

 個人的にもずっとそう思っていた。
 いい曲もあるけれど、やはり「アビーロード」や「ア・ハード・デイズ・ナイト」や「ラバーソウル」のほうがアルバムとしての完成度は数段上だし、トータル性も勝る。

 ところが予習で、オリジナルの「ホワイト・アルバム」を仕事の行き返りに何度も車の中で聴いているうち、色んな新しい発見があって、ちょっとその評価自体を見直している。

 今回の「50年目に聴き直す『ホワイト・アルバム』深掘り鑑賞ガイド (シンコー・ミュージックMOOK)」には、ポールが語る「ホワイト・アルバム」制作秘話や、「ホワイト・アルバム」全曲個別レビュー、ピーター・バラカン「ホワイト・アルバム」を語るというインタビュー記事などが載っている。

 アルバムの中でどの曲が好きかという「投票企画 ホワイト・アルバムTOP5 SONGS」という記事が一番面白かったけれど、まあ、よほどのファン以外、特に買ってまで読むことはないかもしれない。
 これまでにも色んな雑誌などで紹介されている、その範疇を超えるような記事は特に見当たらないからだ。

 「投票企画 ホワイト・アルバムTOP5 SONGS」に倣ってみると、個人的な「ホワイト・アルバム」でのベスト5楽曲は、「サヴォイ・トラッフル」、「ハッピネス・イズ・ア・ウオーム・ガン」、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス」、「バック・イン・ザ・USSR」、「バースデイ」ということになるんでしょうか。










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プリンスの未発表トラックも収録された、アルバム「Piano & a Microphone 1983」。1曲目がダントツ!

2018年11月21日 | Weblog
 火曜日は「ボクシング」の日。
 いつものように、律儀なH氏から、「今日はボクシング・デーですよ。待ってますよー」のラインが届く。
 「はーい。行きます」との返事を送った。

 正直にいうと、「今日はサボっちゃおうかなア」なんて考えてみたりもするんだけれど、ちゃんと毎回お誘いのラインを貰うと、そうはいっていられない。
 5時ちょうどに仕事場を出る。

 夜の帳が降り切った街には、冷たい雨が降っている。
 今週の金曜日からはこの街にも初雪が降るらしい。真っ暗な空から、氷雨が車のフロントガラスを引っ切り無しに叩いている。
 家の車庫に車を入れ、早めに夕食をかっ込んで、スポーツ着に着替え、歩いて「ボクシング・ジム」へ。
 雨が上がっている。
 青森県庁の交差点に出たら、帰宅途中の車で大混雑していた。時間はちょうど6時を指していた。
 
 ジムに入ると、すでに前の職場の後輩にあたるH氏、懸命にベンチプレスをしていた。汗もびっしょり掻いている。
 準備運動をして、2分間の縄跳びを2回だけ。時間をかけて腹筋をやってから、グローブを付けてサンドバッグを叩く。
 
 最後に、一番辛い、リングに上がってのミットの練習。
 初めて組むコーチだった。
 手加減してくれるのかと思っていたら、今までで最もハードだった。
 2分間×3ラウンド。途中、息が切れてしまって、ストレートもフックもヨレヨレ状態。
 完全にへなちょこである。
 隣で同じく練習していた小学生のほうが、数10倍も速い動きをしていた。そして巧かった。

 ・・・落ち込んだ・・・。
 不甲斐ない。
 ボディ・コンバットの動きなんかとまったく違っている。
 だよなぁ。ボクシングだもんな。格闘技だもん。

 でも、終わった後の爽快感はまた格別だ。
 汗がぼたぼたと滴り落ちて、しばらくの間、息を吐くのも辛かったけれど、それもやがて快感へと変わっていった。

 H氏と来週の火曜日ここでまた再会することを決め、汗を掻いたまま外に出る。雨は上がっているけれど、かなり冷え込んでいるようで、吐く息が白い。
 雨上がりの夜空に、お月様が浮かんでいた。

 家に戻って、久しぶりにゲーム。「ゼルダの伝説」である。何回挑んでもすぐに死んでしまう。このゲームもまた「死ぬまでにゲームをクリアする」という「死ぬまでにしておく100のリスト」に一つ加えるべきか。

 お風呂からあがって、アイスを食べ、音楽を聴く。
 惜しくも亡くなってしまったプリンスの新作となるアルバム、「Piano & a Microphone 1983」である。

 プリンスの膨大な作品群(もちろん、未発表の曲なんてのも凄まじい数になるのだろうけど)を管理している「プリンス財団」とワーナーが、プリンスの60回目の誕生日に世に送り出したアルバムである。
 1983年、自宅のスタジオで、持ち込んだカセット・レコーダーにレコーディングした未発表のピアノ弾き語り音源だ。
 全部で9曲。35分と短い。

 アルバムにはジョニ・ミッチェルの「ア・ケイス・オブ・ユー」や、霊歌である「メアリー・ドント・ユー・ウィープ」などが収録されていて、すべての楽曲がアコースティック・ピアノとプリンスの生々しいヴォーカルのみで成立していて、当然にしてこれまでの華やかさだとか音の分厚さなんかはほとんど皆無である。

 でもそのシンプルな構成が、いい感じで聴く者の心を鷲掴みにする。
 特に1曲目が素晴らしい。
 こういうキャッチ―な曲をサラッと歌っちゃうところがプリンスの天才たる所以だろう。

 プリンスを知るには貴重な1枚だ、アルバム「Piano & a Microphone 1983」は。











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田中康夫の名著「たまらなく、アーベイン」を読み直す。この心地よさってなんなんだろう?

2018年11月20日 | Weblog
 今でも時々、夢を見る。
 どんな夢か?
 それは、若いころに住んでいた、東京板橋の大山にあった木造モルタル二階建てアパートに関する夢だ。
 そしてその夢の内容は、毎回おんなじだ。多少のディテールに違いはあるけれど、おおよその内容は変わらない。

 夢の中で、もうすでに僕は東京を離れて、青森に戻って就職を決め、毎日その職場で働いている。
 ある日、上司からの命令で急遽東京に出張することになるのだけれど、なぜか出張先が板橋区界隈なのだ。懐かしいなあとおもいながら、そこでの視察と任務を終えた僕は、学生時代に住んでいたアパートを探しに、大山付近を目指してさ迷い歩く。

 僕はくたくたになりながらも、やっとそのアパートを発見する。
 懐かしさから、僕は恐る恐る、当時暮らしていたアパート2階の部屋の前まで階段を登ってみる。
 今はいったい誰がその部屋に住んでいるんだろう?

 ドアの前に立つと、なぜか不思議にドアが開いているではないか。
 ふと部屋の中を覗いてみると、部屋の中は、当時住んでいたそのまんまの状態で残っているのだ。
 ベッドも、机も、ステレオもスピーカーも、カーテンも、こたつも、本棚も、そして本もレコードも全部、同じ色、同じ配列のまま、帰ってくる主人を健気に待っている猟犬のように・・・。

 いつもそこで、びっくりして目が覚める・・・。

 これって、フロイトなんかに言わせると、「未練とか執着とか後悔の念とか、心理的にまだ『東京』と繋がっていたいという強い願望が、そういう夢になって現れる」って判断されるのだろうか?
 この街から逃げ出したい、今あるこの生活から抜け出したい、別に用意された「約束の地」が何処かに必ずあるはずだ、そういう激しい願望が根底にあるのだろうか?

 僕はいま、また無性に田中康夫が読みたくなって、本棚から「たまらなく、アーベイン」を引っ張り出して再読している最中だ。

 「なんとなく、クリスタル」で文藝賞を受賞して一躍時代の寵児となった田中康夫の、音楽エッセイ集というか、それ以上の、「東京論」、「都市論」としての名著であると思っている。

 音楽家である菊地成孔が寄せた、本の裏表紙の帯に書かれた文章がこの本のすべてを表している。
 「『なんとなく、クリスタル』と比肩しうる、『真の高度消費経済下の都市生活』の記録として、有史以前の予言の書として、プロレタリアート文学の半極に位置する文学として、何度でも読み返されるべき異形の、二度とやって来ない時代のライフスタイル読本。」

 少し肩ひじ張っている、ごちごちに硬い推薦文ではあるけれど、確かにそのとおりである。
 まあ、構えて読むような内容ではないし、難解な言葉が羅列されているわけでもない。
 あくまでも、音楽エッセイであり、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)の名盤と呼ばれる100枚をピックアップしながら、軽めの都市文化について語った「読み物」である。

 でも、この本にはすんごく癒される。とても気持ちがいいのだ。
 大きく「朝」、「午後」、「夕方」、「夜」と分けて、その時間帯にぴったりなアルバムをセレクトし、東京と首都圏の様々なエリアやデートスポットやお洒落な店なんかを次々に紹介してゆくのだけれど、例えば「シーウインド」のアルバム紹介では、こんな感じの表題が付けられる。

 【晴れた午前中、シーウインドを聴きながら環七は江戸川区を走っていると、ウッ、サーファーっぽい、てな気になります。どういうわけか、このあたりには高車の低い車の屋根にボード、ってのをワリと多く見ます。デニーズだって他の地区と違って、一種、雰囲気、なんです】・・・。

 やはり、菊地成孔も書いているように、「二度とやって来ない時代のライフスタイル読本」である。
 あの、ブリリアントに光輝く時代はもう決して訪れることはない。

 もしも無人島に持ってゆくとしたら、「たまらなく、アーベイン」もその中の一冊だな。絶対。












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「クレイジー・リッチ」

2018年11月19日 | Weblog
 前の職場で働いていたころ、自分の給与とか年収に対して、ほとんど関心がなかった。基本給すらちゃんと覚えていなかったし、他人の年収にもまったく興味がなかった。
 自分が幾ら昇給するかとか、幾らぐらいのボーナスになるのかなんてことも、気に留めたことがなかった。
 そりゃあ、給与が上がれば喜んだし、お金は多いに越したことがない。清貧なんて嫌だった。

 ただ、手取り額だけはいつも気にしていた。
 色々とローンだとか個人的な借り入れもあったので(使えるだけ使い、能天気に散財しまくっていたので)、手取り額だけはちゃんと把握しておかないと、毎月定期的に出て行く出費を除いた残金によって、それから一か月間の「遊ぶ金」が決まってくるからだ。

 そのころ、仕事場の仲間たちが集うある酒の席で、一人の同僚が、「俺の基本給っていくらだっけ?」と呟くと、別の同僚がすぐさま、「よく言うよ! 自分の基本給とか年収とか、自覚してねーやつなんていんのかよ! カッコつけんな!」と反応し(笑いながらでしたが)、こっちに向かって、「ねえ」と同意を求めてきたのである。
 その時とっさに、思わずこちらも「当たり前じゃん」と嘘をついてしまったことがあった。でも内心では「俺もわかんない」と呟いていたのだけれど。

 ところがである。
 最近なぜか、他人の年収とか貯蓄とか不動産とかを意識し出している自分がいる。
 どうしてなんだろう?
 もちろん、その多寡で人間を評価するとか、高額所得者に対して猛烈な妬みを感じるとかではないのだけれど・・・。
 ただ羨ましいとは正直思ってしまう。お金が欲しい、そう思う。

 前にもここで書いたけれど、2017年にオックスファムが格差問題に関する報告書を発表した。
 その内容は『世界で最も豊かな8人が、世界の半分を占める貧しい36億人に匹敵する資産を所有している』という、かなり衝撃的なものだった。
 つまり、世界的に貧富の格差はますます大きくなっているのだ。絶望的なほどに。

 超富裕層の8人の資産が、世界36億人の資産に匹敵って! 
 どんだけ持ってんだ?!

 11月19日付け「朝日新聞」国際面に、「映画の世界超える クレイジー・リッチ」という興味深い記事が載っている。
 映画「クレイジー・リッチ」は、シンガポールの超富裕層の華人たちの生活ぶりを描いていて、アメリカで大ヒットを記録した。
 中でもビックリしたのが、全米ボックス・オフィスで3週にわたって第1位になったことだ。アジア系俳優のみの出演だったにも関わらず、全米でトップを獲ったのだ。

 華人とは、中国本土を出て、世界各地に散らばっている5千万人ほどの人たちで、その7割以上がシンガポールなどの東南アジアで暮らしている。特にシンガポールは、富裕層を取り込むために外国人投資家に対して永住権を与えたり、相続税まで廃止している。

 朝日の記事は、その超富裕層な華人たちの華麗で優雅な実態を追ってゆく。つまり「クレイジー・リッチ」な人々だ。
 みんな「お金の使い道」に苦慮しているらしい。あまりにも財産が膨らみ過ぎてお金の使い方が分からないのだ。
 一つの料理に1600万円のトリュフを使ったり、家で飼っている高級熱帯魚の整形手術をするために(魚の弛んだ眼を手術したり、綺麗な尾びれになるように整形手術を施すらしい)巨額の医療費を払ったり、自宅から、ラスベガスにある高級デパートまでの直通ジェットを飛ばして数億円の買い物をしてまた自宅まで戻ったり・・・。

 まさにクレイジーな金持ちたちだ。
 金持ちはますます資産を倍増させ、貧困層はますます財産を減らしてゆく。
 そしてその一方で、ホンジュラスからメキシコのティフアナまでの約4500キロを歩き通し、アメリカ国境まで到達した1万人にも及ぶキャラバン難民たちがいる。
 冬を迎え、難民の子どもたちに風邪が蔓延しているとも聞く。

 飼っている熱帯魚の眼の手術にお金を支払う人間が存在し、今日支払うお金に奔走する人間もまた存在する。
 人間はオギャーと生まれたとき、みな裸だ。だから人間はみな、生まれながらにして平等である。
 これは嘘だ。平等なはずがない。

 確かにみな、生まれたときは裸かもしれないけれど、その次の瞬間から、母親と粗末な衣服に包まれて飢えと寒さを耐えなければならない人間と、生まれた瞬間から、家族の莫大な資産と庇護のもとで生きてゆく人間が存在する。確実に存在する。









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「悪夢は続くよ、どこまでも・・・」

2018年11月18日 | Weblog
 20代の(そう見える)加山雄三と、麗しき、これも20代に見える(そう見える)星由里子の若い二人が、互いに愛しそうに見つめ合っている。

 ところがそのうち二人は険悪になって罵り合い、「別れよう」とかなんとか、そういう言葉を投げ合うようになる。喧嘩の理由はよく分からない。
 その男性、よーく目を凝らして見ると、なんと自分なのだ。というか、自分自身であることを認識しているのだ。なぜか、しっかりと。

 つまり、顔や姿かたちなどの外見は20代の加山雄三そのもので、その脳だけに自分が乗り移っている。つまり、憑依していて、若き加山雄三の肉体を心が乗っ取り自由自裁にコントロールしている。そんな感じである。

 なかり傷つく言葉を若くて綺麗な星由里子から幾つも幾つも投げかけられ、加山雄三に乗り移っている自分自身はそれに激しく動揺して、心が粉々に砕け散る・・・。
 ・・・と、そこで突然目が覚めた。

 まったく支離滅裂な夢で意味がよく呑み込めないのだけれど、今回の夢だけは頑張って記憶しておこう、そう思ってそこから寝直し、朝起きてからその悪夢を思い返そうとしたけれど、もう半分以上忘れていた。
 でも、心底傷ついた感覚だけは深く脳裏に焼き付けられているのである。

 そしてもう一つの奇妙な感覚が蘇ってくる・・・。
 昨夜もそうだったけれど、奇妙な悪夢を見ているそのとき、夢の中で次の展開を考えている自分がいるのだ。
 次のセリフはこう言わせよう。次はこういう展開にもっていこう・・・。

 昨夜も訳が分からない悪夢にうなされながら、「なんか、俺、その次のストーリー考えながら夢見てねえか?」と思ってしまった。

 なんか自分で何が書きたいとかよく分かんなくなってきたけれど、とにかく毎晩のように悪夢にうなされ続けていて、それがかなり辛いのと、毎晩見る夢の支離滅裂な場面展開って、結局自分自身で組み立てているんじゃないかってことである。

 自分で自分の首を絞めているのだ、この俺は。
 なんで?

 悪夢にうなされて真夜中に目が覚め、そこで悶々としたあと、また浅い眠りに落ちてゆくと、もう外は白々と明けている。
 毎日がこの繰り返し。

 なので、毎日眠い。眠くて眠くて仕方がない。
 どこまで続くんだろう? この蟻地獄のような苦しさは・・・。


 
 






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「秋の終わり、冬の始まり」

2018年11月17日 | Weblog
 木曜日の夜、これもまた前職で一緒に仕事をしていた友人と家で待ち合わせして、そこから青森駅前の「R」の一階にあるビアホールに行って一緒に飲む。
 最近、よくここで飲む。食べ物が美味しいし、生ビールが美味い。

 寒くもなく、暖かいということもない。でもとても濃厚で濃密な晩秋の夜だ。
 
 「あと、生きて何年だろう? そんなに長く生きていたくないんだよね。身体が動けなくなるときの辛さに耐えられるかちょっと自信ないし・・・」と、生ビールを呷りながらぼやくと、その友いわく、「別にそんなの気にせず、生きられるところまで生きればいいんじゃない? いつかは終わるんだし」と、達観した答えを返しながら微笑んでいる。

 「今まで生きてきて、後悔とかないの? 俺さあ、ここ数年間に起こった色んな仕事でのこと、今でも凄いトラウマなんだよね。だから今でも毎晩、真夜中に突然目を覚ますんだと思う」と愚痴ると、「わかるよ、俺だって後悔は今でもある。でも考えたって仕方がない。前に向かって進んでゆくしかない」と、きっぱり答える。
 毎日、ランニングをして、家では料理を作っているという。今がこれまでの人生で一番健康に気を使っているかもと、笑った。

 2時間近く話をし、店を出る。
 こちらがもう一軒行くところが出来たので、途中まで一緒に夜道を歩き、右と左に別れた。

 繁華街から一つ裏道に出ただけで、人通りはぴたりと途絶える。
 夜の闇が少し濃くなった気がして、街灯の淡い光に映えている銀杏の黄色の落ち葉を踏みながら、次の待ち合わせ場所へと急いだ。

 金曜日は、大学進学を希望している某高校生たちに対しての「公開模擬授業」を行う。
 全員、真剣に聞いている。清々しいくらいだ。嬉しくなってくる。
 「都市論」を基底に、人口減少や格差や地方都市の衰退を優しく説く。

 仕事が終わって、すっかり暗くなった夜道を走って家まで。
 6時から、これもまた前の職場で同期入所したS女史と青森駅前の「スタバ」で待ち合わせをする。
 貸していたグレン・フライのCDを返してもらい、珈琲を飲みながら久しぶりに同期の仲間たちの近況を聞く。

 家に戻って、WOWOWから録った映画がかなり溜まってきたので、まずは一本観る。
 韓国映画の「悪女 AKUJO」。今年の2月に公開された作品だ。

 いやあ、これがまたすんごい掘り出し物。リュック・ベッソン監督の「ニキータ」も確かによかったけれど、これもまた、女性を主人公にしたアクション映画の中の傑作としてこれから語り継がれるかもしれない。
 結構、乱暴なストーリー展開で、突っ込みどころもたくさんあることはあるんだけれど、その「居直り」というか「強引さ」がとても小気味いいのである。

 ヴァイオレンス・シーンが過激なので、血が苦手な人にはちょっとお薦め出来ませんが、韓国映画「悪女 AKUJO」、なかなかの面白さです。
 この映画を監督したチョン・ビョンギルと、ほとんどのアクション・シーンをスタントなしで行った主演のキム・オクビンには大注目だ!

 そして土曜日。
 昨日の夜もまた、摩訶不思議で訳のわかんない夢にうなされる。
 起床して、部屋を片付け、所用で外出。お昼はうどんの「M」。そのあと、西部地区にある「スタバ」でゆっくりと珈琲を飲む。
 「スタバ」の壁面の硝子から明るい日差しが入ってくる。白い雲が少し速いスピードで流れてゆく。

 午後は「スポーツジム」。
 外を走ろうかとも思ったのだけれど、雲行きが少し怪しくなってきたので、車を出してジムへ行くことにしたのだ。

 車内のBGMは、デンマークのロックバンド「MEW」。
 このバンドが紡ぎ出す「音」っていいんだわぁ。
 メランコリックで、優雅で、でも温かさもあって、透明感がある。
 この「音」の中にある「切なさ」って、ほかのバンドでは見出すことはできないだろう。
 特に、アルバム「フレンジャーズ」の10曲目「コンフォーティング・サウンズ」が最高に素晴らしい。

 孤独以外にもう純粋なんてものは、ない・・・と歌う、「MEW」の「フレンジャーズ」、昇天しちゃいそう・・・。
 









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映画「サスペリア」サントラ盤、トム・ヨーク「Suspiria (Music for the Luca Guadagnino Film)」を聴く。

2018年11月16日 | Weblog
 カルト的な人気を誇っていたイタリアのホラー映画「サスペリア」。

 1977年の作品だったことを、今回改めて知った。
 当然、当時観たと思う、青森市内の映画館で。
 観ないはずはない。ところが、まったくどんな映画だったのか、思い出せない。

 「青森松竹」だった気がするし、「青森ミラノ」で観たような記憶もある・・・でも忘れちゃった。
 映画の「決してひとりでは見ないでください」という、日本のキャッチコピーだけはちゃんと覚えてる。

 その映画「サスペリア」を、ルカ・グァダニーノ監督が今回新たにリブートした。
 そして、「レディオヘッド」のトム・ヨークがその映画の音楽を手がけたのである。サントラのタイトルは「Suspiria (Music for the Luca Guadagnino Film)」。

 すでにアメリカでは上映されているけれど、意外にも思ったほど興行成績が伸びず、最初全米2館だけで先行上映された時は記録的な数字を上げたらしいのだが、全米で一斉に公開されると、全米ベスト10に入る入らないというよりも、全米ベスト20にさえ届かないという「大コケ」状態。

 もちろん、興行成績と映画自体の良し悪しはまったく別物なので、本編をこの目で自分の眼で観てからじゃないと映画の評価は何とも言えませんが・・・。

 ダコタ・ジョンソン、ティルダ・スウィントン、クロエ・グレース・モレッツが出演する映画「サスペリア」の日本での公開は来年の1月。
 ホラーは得意じゃないので、本当はあまり気が進まないのだけれど、「レディオヘッド」のトム・ヨークが、映画音楽を担当しているというのなら、観ないわけにはいかないだろう。

 とにかく大の怖がりなので、遊園地の「お化け屋敷」にも入れない。
 一度、京都に行ったとき、京都駅に隣接しているホテルと商業施設の一角で、映画の「リンク」を模したホラーの舘みたいなところがあって、恐る恐る入ったのだけれど、いやあー、怖いのなんのって、マジで辛かった。

 なので、映画館でホラー映画を観たりすると、創造力が逞しすぎるのか、たえず何かが突然飛び出してくるのではないかと身構えてしまい、緊張感で疲れ切ってしまうのだ。
 まったく別なジャンルの映画でも、いきなり驚かせるようなシーンに出くわすと、「わっ!」と暗闇の場内で叫んでしまうことまであったりする。
 ほんと、恥ずかしいったらありゃしない。

 今回のトム・ヨークが書き下ろした25曲を収録したアルバムには、映画用に作られたインストゥルメンタル曲だけではなく、「Suspirium」というタイトルでトム・ヨークのヴォーカルがフィーチャーされた楽曲も入っている。

 その楽曲「Suspirium」、いつもの「レディオヘッド」のトム・ヨークだ。
 冷たい質感で、幽玄的。確かに、ホラー映画の雰囲気にぴったりと合っている。だいたい「レディオヘッド」の音楽自体がそういう雰囲気を持っているわけで。

 聴いてすぐに「あっ。こりゃあホラー映画のBGMだわ」と妙に納得する曲も中にはたくさんあるけれど、映画のサウンド・トラックである以上、それは仕方がないと割り切って聴くしかないだろう。

 トム・ヨークより先に映画音楽でデビューしている、同じ「レディオヘッド」のジョニー・グリンウッドも素晴らしいスコアを書いているけれど、「Suspiria (Music for the Luca Guadagnino Film)」、これはこれで一つの音楽アルバムとしてきちんと成立しているというところが立派だと思う。

 あとは、「レディオヘッド」としての最新アルバムを早く聴きたいところですが。









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