淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

東海テレビ「オトナの土ドラ」が好調だ。今回は田中麗奈主演のミステリーサイコ・ドラマ「真昼の悪魔」。

2017年02月28日 | Weblog
 土曜日の深夜、フジテレビ(制作が東海テレビ)系で放映されている「オトナの土ドラ」シリーズ枠が、結構面白いドラマを流している。
 毎週、欠かさず観ている。

 これまでも、この「オトナの土ドラ」、いわゆる「土ドラ」では、ユースケ・サンタマリアが狂気のサイコパスを演じた「火の粉」に始まって、「朝が来る」、「ノンママ白書」、冴えない中年市役所職員が活躍する「とげ 小市民 倉永晴之の逆襲」、そしてSFタイムトラベルものである「リテイク 時をかける想い」と、傑作とまでは呼べないけれど、それなりに面白い深夜ドラマを生み出してきている。

 前作「リテイク 時をかける想い」に続いて現在放映されているドラマが、「真昼の悪魔」。
 遠藤周作の医療ミステリー小説「真昼の悪魔」が原作だ。

 今回は、最初に制作された「火の粉」のスタッフが再集結しているらしい。
 「火の粉」も中々面白いミステリー・ドラマだった。

 「真昼の悪魔」の主人公は、田中麗奈演じる美人外科医。
 人当たりもよく仕事も出来て患者から好かれているその美人外科医、実は裏の顔を持っていて、他人の苦しみを救う気持ちなど一切持ち合わせておらず、人の死などなんとも思わずに、冷酷に病院内の入院患者たちをいたぶりながら貶めてゆく。
 まるで、心からそれを楽しむように・・・。

 主演の田中麗奈がその冷酷で無慈悲な外科医を演じていて、言い寄る男性たちを次から次へと奈落の底に突き落としてゆくのだけれど、そこがまた面白い。というか、小気味いい(あくまでも虚構としてのドラマですから楽しめるんですけどね)。

 田中麗奈のインタビュー記事を読んだら、本人も今回のかなり過激な悪人役を楽しみながら演じているようで、それはドラマを観ていてこちら側にもよく伝わってくる。

 まあ、土曜日の深夜、少しヴォリュームを下げて、暗くした部屋の中で寛いで観るドラマとしては楽しめる。

 肩が凝らないのが、いいんだなあ。











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村上春樹、最新小説「騎士団長殺し」。まずは「第1部 顕(あらわ)れるイデア編」を読む。

2017年02月27日 | Weblog
 夕食を食べながらテレビのニュースを観ていたら、村上春樹の長編新作「第1部 顕(あらわ)れるイデア編」と「第2部 遷(うつ)ろうメタファー編」が書店の店頭に高く積み上げられている映像が映っていて、レポーターが高揚した声でその過熱ぶりを伝えていた。
 
 僕は「アマゾン」で「騎士団長殺し」の2冊をかなり前から予約していたのだけれど、結局、発売日の24日に家には届かず、明けて25日朝、宅配業者がチャイムを鳴らしてくれた。
 そして25日の朝から、とにかくひたすら読み始めていった。

 まずは「第1部 顕(あらわ)れるイデア編」から。
 ということで、「第2部 遷(うつ)ろうメタファー編」は、まだ現時点では読み終えていない。

 村上春樹を初めて読んだのは、処女作である「風の歌を聴け」だった。
 文芸誌「群像」で見て、ハードカバーで出版されるとすぐに買って読んだ。
 そこから「1973年のピンボール」を読み、3作目となる「羊をめぐる冒険」でぶっ飛び、続く「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」で彼の小説から離れられなくなってしまった。

 ところが、大ベストセラーとなった「ノルウェイの森」はどうしても好きになれず(もちろん、それなりの面白さはあったけれど・・・)、それ以降、村上春樹のすべての小説を買い求め、その他のエッセイや翻訳ものまで全部の書籍を買って読んできたのだけれど、長編小説に関して、その後発表された作品についていうと、どうもイマイチしっくりこなかったというのが正直な印象だ(「ねじまき鳥クロニクル」と「海辺のカフカ」は良かったと思う)。

 ただ、彼の短編集やエッセイや他人の小説を訳したものについては、そういうことはなくて、どれも読んでいて面白い。
 やはりメインとなる長編小説となると、こちらも構えてしまうし、過度な期待を抱いてしまうということがあるのかもしれない(特に「1Q84」や「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」には失望した。読み終えた直後はやっぱり熱狂的なファンとして贔屓目に読んでしまうのだけれど、段々とそれが失望感へと変わってゆくのだ)。

 で、今回の村上春樹の最新長編小説「騎士団長殺し」、「第1部 顕(あらわ)れるイデア編」。

 面白いっ!
 傑作ではないか。
 もちろん、「第2部 遷(うつ)ろうメタファー編」をまだ読み終えていない時点での、単なる途中評価でしかないのだけれど、早く先が読みたくて時間を忘れてしまう。

 いつものように、―「顕(あらわ)れるイデア」とサブタイトルにもあるように―様々な謎が読者の前に提示される。
 まだ読んでいない人もたくさんいると思うので、あえて粗筋は控えるけれど、なんというか、この小説には憂いがある。洗練がある。
 そして、物語自体の面白さがある。

 ネットでは賛否両論あるようだが、1作目からすべての村上春樹作品を読んでいる一人の人間として言うと、この「第1部 顕(あらわ)れるイデア編」、村上春樹久々の傑作だと思う。
 
 あくまでも「第1部 顕(あらわ)れるイデア編」についてのみの評価ですのであしからず。
 それでは早速、「第2部 遷(うつ)ろうメタファー編」へと取り掛かりますか。







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桑原稲敏氏の労作「往生際の達人」は私たちに、どう生きてどう死ぬべきかを激しく問い掛けている。

2017年02月26日 | Weblog
 幕末から明治を生きた勝海舟は、死に際の遺言でこう述べたという。
 それは遺言の最高傑作だとも言われている。
 曰く、「コレデオシマイ」。
 恐ろしく簡潔で、そして人間の短過ぎる「生」を端的に言い当てている遺書だ。

 新潮社から出版されている桑原稲敏氏の労作「往生際の達人」は、約300人もの芸人たちの死に際における立ち振る舞いを短い数行の文章に凝縮して載せている。
 亡くなる直前の行動、遺言の一部、死に際に語った言葉、葬式や辞世の句、それから、変死した人間たちのこと・・・それらがこのエピソード集にはたくさん書かれている。

 鶴田浩二、加藤大介、たこ八郎、マリリン・モンロー、チャップリンなどの俳優・役者たち、三島由紀夫、永井荷風、寺山修司などの作家、溝口健二など映画監督、それから数多の落語家やコメディアン・・・。

 よく、遊びは芸の肥やしというけれど、破天荒でだらしなく、飲む・打つ・買うで借金まみれ、何人も愛人を作って家庭を顧みない、そんな芸人たちの孤独で可笑しくて哀しい人生の最後の姿が、桑原稲敏氏の「往生際の達人」の中にはぎっしり綴られている。

 たとえば・・・。
 俳優の鶴田浩二は自らの最後となる色紙にこう書く。
 【孤独と苦悩に耐え得る者 それを男と称します】

 たとえば・・・。
 埼玉県のある木造アパートの六畳間で、74歳になる独り暮らしの老婆が遺体で発見される。
 この老婆は、昔、一世を風靡した川田芳子という女優であったことが判明する。若い頃は、全国規模のファン投票で堂々の第1位を獲得するほど日本中で熱狂した大人気女優だったことが判る(全然、知らなかったけど)。
 その老婆の死んだ部屋は異常に寒く、整理ダンスの中にあったメモ帳には多くの知人の名前が書かれていて、一人一人の名前の上に、ボールペンで次々と横線が乱暴に引かれてあった。
 その中にあって、最も激しく乱暴に塗りたくっていた名前が見つかる。
 名前は、田中絹代。
 数々の演技賞を摂った、昭和の超有名女優である。
 女優の川田芳子を追い抜き、銀幕のヒロインへと上り詰めたその華やかなヒロインの名前を、彼女は寒々と冷え切った木造アパートでいつも恨めしそうに眺めながら、何度も何度もボールペンで横線を引いていたのである。

 桑原稲敏氏の「往生際の達人」という本は、私たちに、どう生きてどう死ぬべきかを激しく問い掛ける。

 人間の死に際は、みな美しいなんてそんなの絶対に嘘だろう。
 悔いのない、とても安らかな死に際でした・・・。それもまた、絶対嘘に決まってる。








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哲学者セネカや君主論のマキアヴェリの箴言が心を突く。中村雄二郎「人類知抄 百家言」を再読する。

2017年02月25日 | Weblog
 とにかく本が溜まりに溜まっていて、部屋を整理した際にまだ読んでいない本をまとめたら凄まじい数になってしまい、とりあえず、それらを奥の一部屋に重ねて置いている。

 前にも書いたけれど、既に読み終えたコミックや書籍類は、これまで4、5回、「ブックオフ」に電話して相当な冊数を持っていってもらったのだけれど、まだまだ読んでいない雑誌や文庫やハード・カバーがこれほどあったとは。

 呆れ果ててしまった・・・。

 部屋中に積み上げられた未読の本を目の当たりにしていると、なんか絶望的な気分に陥ってしまう。
 これほど買い求めながら、まだ全く読んでいない本の山を見て、いかにこれまで知的とは無縁な、堕落しきった生活を送っていたかが心底理解できるからだ。

 これだもんなあ。
 こんな薄っぺらな読書(っていうか、本をほとんど読んでこなかったという自堕落な生活)をしてきたんだもん、そりゃあ、薄っぺらな文章しか書けないのも当然だわな。
 文学賞の最終選考で、「これは最終形じゃありません」とか「拙速に書いている」って当然言われるわな。
 
 よしっ。
 こうなったら、ひたすら未読の本を並べて積み上げ、片っ端から読んでゆくしかない。
 さあ読むぞ!

 まずは、哲学者である中村雄二郎氏の「人類知抄 百家言」。
 この「人類知抄 百家言」、昔、朝日新聞に連載していたコラムをまとめたもので、前に一度ここでも取り上げていたと思うし、既に読み終えていた本だった。

 ただ、本を整理していた際に見つけて、何気なくぺらぺらと「人類知抄 百家言」を捲っていたら、面白くて止められなくなって、結局最後まで読んでしまったのだ。

 ダンテ、シェイクスピア、クンデラ、ドストエフスキー、フロイト、カフカ、アラン、デカルト、魯迅、空海、老子・・・、古今東西100人の「箴言・ことば」の一部を取り上げた哲学コラムである。
 特に、哲学者セネカや君主論のマキアヴェリの箴言は、心に刺さった。
 
 セネカはいい。
 暴君ネロの師でありながら謀反の罪で自殺を命じられた、悲劇のストア派哲学者のセネカは、「人生の短さ」について説く。
 彼は、人生そのものは、本当は長いのだという。
 ただ、日々忙し過ぎる無為な生活が、真に生きることを阻害させ、人生そのものを短くさせている真の元凶なのだと。

 「君主論」のマキアヴェリもまた知恵者で戦略的な思考の持ち主だ。
 彼は「政略論」の中でこう言っている。
 運命が何を考えているかは誰にもわからない。運命が誰に微笑むのかさえわからない。だからこそ、準備を怠るな。それに怠りがなければ、必ず好機を捉えることができると。

 中村雄二郎「人類知抄 百家言」、迷った時にこそ読むべき本である。
 生きるための指針の一端が詰まっている。








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☆☆☆☆☆続出の映画「ラ・ラ・ランド」、観ましたっ! 確かにラストの15分間は凄いっ!

2017年02月24日 | Weblog
 遂に、観ました、映画「ラ・ラ・ランド」。

 とにかく、どの映画雑誌、どの週刊誌の映画評論コラムの評価を読んでも、みんな大絶賛だ。
 最新の「週刊文春」の中の映画評論家たちによる☆評価でも、5人中の4人が満点の☆☆☆☆☆を入れていた。

 僕がこの映画「ラ・ラ・ランド」に期待を寄せていたのは、ひとえに監督のデイミアン・チャゼルにあった。
 前作、というか脚本での参加は別として、監督としての長編第1作目にあたる「セッション」があまりに素晴らしく、特にラストは衝撃的で、完全にこの若手監督にノックアウトされてしまったからだ。
 このことは、コラムを任されていたK新聞にも以前書いたことがあった。

 その「セッション」で、一躍有望核監督の一角に躍り出たデイミアン・チャゼル監督が、ライアン・ゴズリングとエマ・ストーン主演で描いたミュージカル映画、それが「ラ・ラ・ランド」である。

 ストーリー自体は、いたって単純である。
 ボーイ・ミーツ・ガール、つまり、これまで何度となく語り尽くされてきた定番のラブストーリーだ。
 LAを舞台にした、売れない女優とジャズピアニストの恋物語である。

 映画が始まって直ぐに、高速道路を使っての大掛かりなミュージカル・ダンス・シーンが繰り広げられ、出だしから映画は好調な滑り出しをみせる。
 映像が全編を通してとても綺麗で、デイミアン・チャゼル監督、紫色に固執しているらしく、夕暮れのピュアなパープルに始まって、舗道脇のゴミ箱まで紫に染め上げている。

 途中まで映画を観ていて、内心、「うーん。まあ確かに悪くはない映画だけど、でも映画評論家たちが大絶賛するほどの満点☆☆☆☆☆作品かなあ・・・」と、ちょっとだけ懐疑的だったことは正直に認めたい。

 ところが、ラスト15分、これがとにかく素晴らしい!
 ネタバレになるので書かないけれど、胸がキュンとなること請け合いだ。
 ちょっと切ない、至福のエンディングである。

 映画「ラ・ラ・ランド」、ベネチア国際映画祭ではエマ・ストーンが最優秀女優賞。トロント国際映画祭では最高賞にあたる観客賞受賞。
 そして、ゴールデングローブ賞では作品賞(ミュージカル/コメディ部門)を含め、同賞の映画部門で史上最多となる7部門受賞!

 また、今回の第89回アカデミー賞でも、なんと、あの「タイタニック」に並ぶ、アカデミー史上最多となる14部門でノミネートされるという、大快挙を達成した!

 映画「ラ・ラ・ランド」、今から直ぐにでも映画館へと走ってください。
 出来れば、恋人とか大好きなカップルで観に行くことをお薦めします(ちなみにわたくしは、淋しく、たった独りで観ましたけどね・・・)。

 ラストがいい。
 まだ、仄かな余韻が残ってる・・・。
 









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3枚組アダルト・コンテンポラリー・コンピ「Light Mellow - ONE DAY」。気分はもう夏!

2017年02月23日 | Weblog
 一週間の東京滞在がパーになっちゃったので、再び東北最北端の県庁所在地での引き籠もり生活を続けている。
 家の中に閉じ篭り、ジムに行くか、映画を観に行くか、あるいはまた、どうしても所用で外出しなければならなくなって家を出る以外は、ずーっと家の中に居続けている。

 部屋に引き籠もっていると、やっぱり音楽が聴きたくなる。
 あまりシリアスで内省的なジャンルの音楽を聴いちゃうと、少しずつダークサイドへと落ちてゆくので(それだけはやっぱり厭なので)、聴き込むジャンルはどうしても、明るく爽やかで都会的な香りがする、ソフィスティケートされたものを求めてしまう。

 つまり、ソウル・ミュージック。つまり、AOR。つまり、ウエスト・コースト・サウンド。
 ということになるのだろうか。

 で、「Light Mellow - ONE DAY」。
 アルバム3枚組である。

 ディスク1が「MORNING GLORY」というタイトル。
 ディスク2が「AFTERNOON BREEZE」。
 そしてディスク3が「DIVE INTO THE NIGHT」。

 まずはディスク1の「MORNING GLORY」、その名の通り、爽やかな目覚めの朝にピッタリな曲がたっぷりと入っていて、1曲目がディオンヌ・ワーウィック。それからポール・ディヴィスの必殺の名曲「アイ・ゴー・クレイジー」も。
 初夏の澄み切った青空が映える朝、この「MORNING GLORY」をBGMで流したら、どんなに心が落ち込んでいても、一変して晴れ晴れとした気分になること間違いない。

 続いては、ディスク2の「AFTERNOON BREEZE」。
 昼下がり、部屋の窓を開け放して爽やかな風を入れ、冷たいミネラル・ウォーターでも飲みながらこの「AFTERNOON BREEZE」を聴いたら、もう最高だろう。
 外をジョギングしながらウォークマンで聴くのもいいかもしれない。ドライヴで聴いても盛り上がる。
 ネッド・ドヒニーはあるわ、サンタナの「ホールド・オン」はあるわ。
 AORの名曲がてんこ盛りだ。

 そして、いよいよ夜の帳が下りてくる頃・・・。
 アルバムはディスク3の「DIVE INTO THE NIGHT」へ。
 ちょっと落ち着いた雰囲気のバーなんかで流れていたら、ピッタリきそうな名曲が並んでいる。
 ポインター・シスターズ(懐かしいっ!)の「スローハンド」に、モーリス・ホワイトの「アイ・ニード・ユー」に、ビル・ラバウンティの「涙は今夜だけ」・・・。
 ベッドタイム・ミュージックとして、静かに流すのも一考かも。

 ということで、最近はよく「Light Mellow - ONE DAY」を聴いている。
 アルバム「Light Mellow - ONE DAY」のジャケット・イラストは、大瀧詠一の名作「A LONG VACATION」を手掛けた永井博だ。

 アルバム「Light Mellow - ONE DAY」を聴いていると、完全に気分(だけ)は夏である。

 まあ、自分の今の心の持ちようと今居る場所との乖離という点では、このアルバム「Light Mellow - ONE DAY」、かなり凄まじいひらきがありますけどね・・・。








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またまた始まりました、ジェームズ・スペイダー主演の海外TVドラマ「ブラックリスト」シーズン4!

2017年02月22日 | Weblog
 海外ドラマの面白さはそのスピード感にあるといっていい。
 予算の掛け方が半端じゃないし、練りに練った脚本と映画並みの演出によって、アクションものに限らず、とにかくテンポが早い。

 アメリカのTVドラマなんて、新ドラマとしてオンエアされても、視聴率が悪いと数話でも無理やり終わらせてしまうし、逆に視聴率が高いと反対に続編が作られ続けてゆく。
 この非情さというか、ドライな姿勢も、また凄過ぎる。

 日頃から好きで色々海外ドラマは観続けているけれど(これはこれで際限がなくなってしまう)、ジェームズ・スペイダーが主演しているアメリカのTVドラマ「ブラックリスト」もまた、中々面白いドラマ・シリーズだ。

 「シーズン1」も「2」も「3」も、全米ではかなりの高視聴率を取り続けていて(本国アメリカでは、当日の視聴と録画を合わせた7日以内の録画視聴上昇率ランキングにおいて、ナンバーワンを達成したらしい)、その最新シリーズ「シーズン4」がいよいよ日本でも放映開始され、現時点で第4話までが流れている。

 その「ブラックリスト」シーズン4も、結構面白い。
 過去の「1」、「2」、「3」の中では「3」が最高に面白かったけれど、これまでこのドラマ、回を増すごとに右肩上がりで面白くなっているので、ここでも「3」以上の盛り上がりを期待したい。

 「シーズン4」では、エリザベス・キーンの父親であることを名乗って、彼女と娘アグネスを誘拐した謎の人物アレグザンダー・カークと、主人公レディントンの大攻防戦が描かれるんだけど(と、書いても、観てない人には何がなんだか解らないでしょうけど)、先の展開がまったく読めないので、早く次の回が観たくてたまらない。

 まだ「ブラックリスト」を観ていない人は、大変申し訳ないけれど、最初の「シーズン1」から観始めないと、物語の意味がさっぱり解らないだろうと思う。
 なので、億劫がらずに「1」から順序良く観始めると、面白くて、たぶんもう後戻りは出来なくなってしまうに違いない。

 絶好調のTVドラマ「ブラックリスト」、なんとアメリカでは既に続く「シーズン5」の製作が早々と決定したらしい。
 








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卯月妙子「人間仮免中 つづき」。この漫画もまた凄い! というか、この続編も余りにも凄まじくて言葉が出ない・・・。

2017年02月21日 | Weblog
 卯月妙子さんの「人間仮免中」を読んだのは、もう4年も前ということになる。
 讀賣新聞で小泉今日子・キョンキョンの書評を読んで、即買い求め、凄まじいまでの衝撃を受けたのである。
 
 改めて書くと、卯月妙子(とりあえず「さん」を取ります)は岩手県生まれ。二十歳で結婚するも夫の会社が倒産し、彼女は借金返済のために、ホステス、AV女優、ストリッパーをするも夫は自殺してしまう。
 そのことから彼女の統合失調症はさらに悪化する。

 彼女に、自傷行為や幻覚、殺人欲求などの表情が露呈し、2007年には歩道橋から飛び降り自殺を図り、結局九死に一生を得るものの、顔面崩壊と片目を失明してしまう。
 そんな中、彼女は25歳年上のボビーさんと出会って恋に落ち、地獄の生活からの脱出を試みる・・・。
 そこまでの凄まじい人生模様が4年半前に出版された「人間仮免中」では描かれていた。

 そして今、遂にその「人間仮免中」の続編が出た。待望の新作である。
 ずっと長い間待っていた作品のタイトルは、卯月妙子「人間仮免中 つづき」。
 これもまた、なんというか・・・凄まじ過ぎて言葉が見つからない。

 卯月妙子「人間仮免中 つづき」は、みぞれが混じる大粒の雪が降る月曜日の午後、SC「サンロード青森」内にある「マクドナルド」で、100円珈琲を飲みながら二人用の椅子に座って読んだ。

 雪が降る平日月曜日のショッピング・モール内はそれなりに静かだけれど、それでも当日は「20日30日はイオンお客様感謝デー」ということで、食品売り場はそれなりに混んでいる。
 マックの大きな硝子壁から、「サンロード青森」イベント広場のステージで、幼い子どもたちがダンス・パフォーマンスをしているのが見えた。
 子どもたちの親御さんたちだろう、みんな笑顔でステージの上で一所懸命に踊る子どもたちに大きく手を振っていた。
 幸せに満ち溢れた、そんな風景だ。

 卯月妙子「人間仮免中 つづき」、結局マックで半分まで読み終え、残る後半部分は家に帰ってから一気に読んだ。

 卯月妙子は、持病の統合失調症の悪化から、愛する25歳年上の通称ボビーさんと離れ離れになり、北海道の障害者福祉施設へと入所する。
 その後、ボビーさんも北海道に渡り、二人は一緒に住み始めるのだけれど、薬による副作用や幻聴が頻繁に現れ、彼女の病気はますます悪化してゆく。

 卯月妙子「人間仮免中」の続編「人間仮免中 つづき」は、5年間離れて暮らしていた二人が、やっと北海道の寂れ果てた町の駅で感動の再会するところから始まる。

 その描写がまた凄い。
 死のうと歩道橋から飛び降りた際に顔面がグチャグチャに変形してしまった卯月妙子(整形手術をしてかなり回復したらしいけれど)は、さらに体重が85キロまで増えてしまい、そこに凄まじいまでの幻聴も加わり、風呂にも入っていないのでかなりの悪臭に塗れている。

 そして一方のボビーさんもまた、高齢で、足を引き摺りながら貧弱そうな身なりで歩いてくるのだけれど、二人が5年ぶりの再会に、なりふり構わず、公衆の面前で抱き合って号泣しているその周りから、駅にたむろする女子高生たちの嘲笑と蔑む声が聞こえてくる、そんな場面である。

 「キモーッ! マジでその顔ウケルー。ブスでデブで臭ぇよ、テメエ!」、「死ねばいいのに、ブスッ!」、「なにー、あのヘンなカップルーっ!」・・・女子高生たちは駅の中で泣きながら抱き合う、その奇妙な中高年カップルに対して酷い言葉を幾つも投げかける。
 それでも二人は、そんなことには一切意に介さない。
 とても感動的な描写である。
 
 今回の、卯月妙子「人間仮免中」の続編「人間仮免中 つづき」では、主に二人の北海道での生活が描かれる。
 そしてそれはかなり壮絶なものだ。
 統合失調症による想像を絶するような副作用。ボビーさんの老いと、壮絶な痴話げんか・・・。

 読んでいるうちに気が滅入ってくる。
 でもどこか、カラッとしていて、清々しささえ感じることもある。
 兎にも角にも、このコミック・エッセイ、物凄い劇薬である。
 読む人間によっては、嫌悪さえ感じる人もいるかもしれない。
 でも、絶対に読んでおくべきだ。

 卯月妙子「人間仮免中 つづき」。
 この本もまた、凄い本だったわ・・・









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「死ぬ気でやれよ。死なねぇから」

2017年02月20日 | Weblog
 今日の月曜日から金曜日まで、東京に行くはずだった。
 往復の切符も買い、泊まる場所も事前に確保し、何人かの友人とも会う約束をしていた。
 青森の街から暫しの間遠ざかろうと考えていたのである。
 でもそれらをすべてキャンセルした。

 日曜日、風雪が吹き荒れる中、歩いてJR青森駅にある旅行センターに行って翌日の切符をキャンセルして、手数料を支払って家に帰った。
 それからそのまま家の前に積もった雪を、1時間ほど掛けて片付けた。土曜日からいきなり雪が降り出し、二日間で20センチほど積もったのである。
 雪は今日の月曜日も降っている。

 土曜日の夜、ジムで「ボディ・コンバット」に参加している常連さんたちの「懇親会」に招かれて、それに出席して(途中、電話があって退席を余儀なくされてしまったけれど)とても楽しかった。
 吹雪の中、ほろ酔い加減で家に帰って蒲団に入り、「ああ、俺ってあと何年生きられるんだろ」と、ふと酔った頭で自問した。

 仮に節目としてあと約7年弱、それも誕生日まで生きるとして・・・365×6で2190。それにこの2月の残り10日間と、3月から8月の誕生日までの日数209を足して。まあ、うるう年は面倒臭いんで計算に入れず、そこはあくまでも簡単にザクッと計算してみる。
 なんか、蒲団を被って、酔いながらそんなことをしている自分が結構馬鹿馬鹿しくなってくる。

 あと、2049日!
 時間にして、57816時間!

 そんなもん?
 たったそれだけ?
 なんという短さなんだ!
 2049日、57816時間!

 そりゃあもちろん、あくまでも一つの年代が終わるその節目を決めての、仮の日数でしかない。
 でもこれって、一日一日を本当に大事にしなきゃという、そのあまりにもシンプル過ぎる、極々当たり前の結論だ。
 だからそれがどうしたんだと言われても言い返せないけれど、つまり、人生とはかくも短く、そして悩んでいるうちにいきなり終わってゆくという、至極真っ当な事実だった。

 2049日・・・2049日と、朝になっても頭の中で思い返し、今頃本当は新幹線なんだよなあと、独りごちてフジテレビの「とくダネ」を観ていたら、ちょうどお台場からの中継で天気予報をやっていた。
 東京の街に、とても暖かい日差しが降り注いでいる。
 空も青い。

 部屋の窓を開けてみる。
 こちらは東京とは打って変わって、すべてが乳白色に塗り込められている。
 寒々とした北国の原風景だ。

 とにかく、籠もろう。
 しばらくは、この街に籠もっていよう。
 片っ端から本を読んで、詩を練り、小説を書き進めよう。

 死ぬ気でやれよ。死なねぇから。

 ロックを聴いていると、たまにグッとくるいい言葉が飛び込んでくる。

 ワイルド・サイドを歩け。

 舗装された安全地帯をひたすら歩いていたって、そこに人生の機微や真の希望は見出せない。
 ほんと、ロックはマジでいいこと言う。

 死ぬ気でやれよ。死なねぇから。
 ワイルド・サイドを歩け。








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「ワイルド・サイドを歩け」

2017年02月19日 | Weblog

 ジャッキーはひたすら吸いまくって
 一日ジェームス・ディーン気分
 あとは落ちるしかなかったんだ
 バリウムでもあれば凌げたろうに

 彼女は言ったよ
 「ねぇあんた、危ないほうを歩こうよ」

 俺は言った
 「よぅかわいこちゃん、危ないほうを行きゃあいい」


                     ルー・リード








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こんな寒い土曜日だから、ジム・クウェスキン&ジェフ・マルダーの「Penny's Farm」を聴いて心温める。

2017年02月18日 | Weblog
 どうしてこうも、人生を悲観的にのみ捉えて生きているんだろう?
 何をしても、何を見ても、何故こうも、すべてを深掘りして考え過ぎてしまうんだろう?
 だから、いつも心は激しく疲れる。
 心がいつもクタクタになる。

 「悲観主義者は風に恨みを言う。楽観主義者は風が変わるのを待つ。現実主義者は帆を動かす」。
 周りに不平不満を言い続け、自分を卑下して自己評価を低く下げて生きているだけじゃ、何にも状況は変わらない・・・。
 困ったもんだ、どうしようもないこの悲観主義的思考には・・・。

 そんな今日の土曜日は、朝から久しぶりに吹雪模様。一日中真冬日らしい。
 憂鬱な空を見上げているだけで気が滅入ってくるので、こんな日は心がやんわりとなって長閑な雰囲気に包まれるような、そんな音楽を聴いていたい。

 緩やかにギターが流れ、土着的なサウンドに包まれながらどこまでもレイドバックした、アメリカに深く根ざしている、古くてシンプルな音楽がいい。

 で、ジム・クウェスキン&ジェフ・マルダーの「Penny's Farm」を聴く。

 このアルバム、完全にジャケット買いである。
 衝動買いといってもいい。

 アメリカのテキサスあたりの古い農場に夕暮れが迫ってくる。
 一日の仕事を終えた農夫が木の根っこに腰を掛け、ひとりギターを爪弾きながら暮れ行く夕焼け空を見上げている。

 男が歌っているのは、古いアメリカン・ルーツ・ミュージック。
 夕暮れの心地よい風がそよぎ、何処までも続く地平線の彼方に、今にも消えかかりそうな太陽の淡い光が大地を染め、纏わりつく数羽の鶏だけが男の歌う古い曲を聴いている・・・。

 アルバム「Penny's Farm」、聴いてみるとまさにその通りのイメージで、アメリカという国の懐かしい時代の歌が、ほのぼのとした雰囲気の中で優しく歌われてゆく。

 外は吹雪。
 ジム・クウェスキン&ジェフ・マルダーの「Penny's Farm」、この暗鬱で寒々とした風景とはまさに真逆の音楽だ。

 だからこそ、救われる。








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不可解なグラミー賞、「ラ・ラ・ランド」と「バンクコ・ナイツ」、そして金正男氏の哀しみ。

2017年02月17日 | Weblog
 異業種同士で同年代の男性たちによる定例的な飲み会があって、それに出席する。
 マスコミ、大手エネルギー業界、金融、大学、地元企業のpresidentなど、ここには書けないけれど、出席者は多彩な顔触れだった。

 でも当然にして現在無職で稼ぎの全くないわたくし、今は名刺も持っていないので、全員知っている仲間たちではあったけれど、肩書きと後ろ盾が何もないことにちょっと戸惑ってしまう自分がいた。

 みんな心から心配してくれて、「再就職」をその場ですぐさま斡旋してきた友人もいて、それはそれで凄く嬉しかったし有難かった。
 丁寧にご辞退申し上げましたけど・・・。
 
 それにしても、毎日毎晩、こうして家にひたすら引き籠もっていると、それもまた少し心地よく思える自分も少しいて、心の中で、「恍惚と不安」が激しく葛藤する。
 勿論、何にも一切所属していない自分自身が心底怖くなったり、生活してゆくためのお金の事を考えると、かなり鬱々とはしてくるのだけれど・・・。

 今年中に出版しようと目論んでいる「音楽エッセイ」も、書き溜めたものを読み直してみると全然納得出来なくて、もう一度初めから全部やり直す(書き直し)ことにしたし、英米のロックや日本の音楽や黒人音楽を流す店のオープンも、色々と諸事情が重なって数年先になってしまいそうだ。
 自分の心の唯一の拠り所が、直ぐに始めようとしていた「音楽をBGMにした店」だったので、たとえある一定期間に過ぎなくても精神的な主柱が外されるのは本当に辛い(必ず、やりますけどね)・・・。

 それはそうと、深夜、TVで「グラミー賞」の受賞式のダイジェストを観ていたら、グラミーはビヨンセじゃなくて、なんとアデル!
 これには驚いた。

 ほとんどの音楽メディアも、ビヨンセの「レモネード」が獲るものと思っていたらしく(こっちも当然ビヨンセだと思っていた)、獲れなかったのは人種差別的だと批判するコメントが多かったし、フランク・オーシャンやカニエ・ウェスト、それからドレイクらは、グラミーにおけるこういうコンサヴァティヴな体質や傾向に抗議して、初めから出席すらしなかった。

 特に印象的だったのは、ビヨンセを破って最優秀アルバム賞を受賞したアデルがステージの上で泣きながら、「今年の最優秀アルバム賞はビヨンセの『レモネード』が獲るべき」というような趣旨を語っていたことだ。
 アデルも偉いっ。

 そしてなんといっても一番衝撃的だったニュースは、マレーシアで殺害されたとされる北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)氏。
 なんか、これまで数多のインタビューを受けていたそれだけの印象で言っちゃうと、優しいお坊ちゃんという感じで愛嬌があった。
 金正男氏はずっと中国の庇護を受けていたらしいけれど、金正男政権だったとしたらもう少し今の国内体制は雪解け状況に緩やかにスライドしたかもしれないと、淡い期待さえ抱いてしまう。
 金正男氏の次男も、エリック・クラプトンのコンサートにお忍びで行くところをマスコミに囲まれたりして、ロック好きを公言していたけれど、今、一体どこでどうしているんだろう?

 次に映画である。
 期待が最も大きいのが、やっぱり「ラ・ラ・ランド」だろう。
 ラストの15分がとにかく凄いのだとか。楽しみだ。
 絶対、観ないと。

 それともう一本が、「バンクコ・ナイツ」。
 「サウダーヂ」の富田克也が監督と脚本を手がけた、バンコクの歓楽街で働くタイ人娼婦と日本人の男たちの物語である。
 傑作との呼び声が、こちらも高い。

 まあ・・・それはそれとして。
 どうしようか・・・これから先。

 ずっとこうして、引き籠もりだけしていてもなあ・・・。








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「負の感情」を制した者だけが生き残れる

2017年02月16日 | Weblog
 水曜日、午前中スポーツジムで「ボディ・コンバット」をやり、午後、JRに用事があって青森駅に行った帰りに、隣の「ラビナ」の本屋に立ち寄ろうとエスカレーターを上ったとき、1階の待合スペースに1人の中年女性がぽつんと座っているのが見えた。
 偶然、目に入ったのだ。

 髪をショートカットにしてマスクを顎のところまで下げていたその1人の中年女性は、串に刺したたった一本の焼き鳥を、水と一緒に食べていた。
 たぶん、同じ1階にある焼き鳥屋さんでそれを買い求めたのだろう。

 確かにテーブルの上には一本だけだったよなぁ・・・。
 中年の女性が独りぼっち、お昼過ぎ、青森駅前の商業ビルの1階に設えたフリースペースのテーブルにぽつんと座って、水と一緒に、たった一本の串刺しの焼き鳥を淋しく食べている・・・。

 別に人様の食事だなんてどうでもいいことだし、誰が何をどれくらい食べようが、んなこと余計なお世話なのだけれど、なんか気になって、急いでエスカレーターを上って「スタバ」の前を通り過ぎ、もう一度1階に降りて彼女の近くまで行って再度確かめた(なんで、こうなんだろう。暇なのかな)。

 やはり、一本だけ焼き鳥の串を買って少しずつ食べながら、水と一緒に食していた。
 食事自体のみすぼらしさに同情するとか、他人を蔑む感覚だとか、そういうことでは一切なく、なんか言いようの無い、とても不思議な感情が胸の辺りに渦巻いて、心底切なくなってきたのである。

 女性の中に、どこか影のようなもの、抱えきれない苦しさとか悲しさとか切なさの存在とかが見え隠れするのを垣間見たとき、男って動物は、少し胸が苦しくなる。

 もちろん、一本の焼き鳥を昼食に摂っていた、その化粧っけなしの中年女性の内面なんて、解るはずもない。
 心は晴れやかなのかもしれない。他人の目なんて一切気にせず、生きていることに堂々としているのかもしれない。

 すべては、こちら側の心の中に渦巻いている、抱えきれない苦しさとか悲しさとか切なさの単なる投影でしかない。

 暫くしてその女性から遠ざかり、「ラビナ」の4階に上がって本を色々と物色していたら、ふと佐藤優の新刊が棚に飾ってあるのを見つけた。
 本のタイトルは「嫉妬と自己愛」。
 それにしても、いい言葉付けるよなあ。上手いっ。

 そしてサブタイトルには、「『負の感情』を制した者だけが生き残れる」とある。
 うーむ。確かにわかるよ。
 負の感情を制した者だけが生き残れる・・・これまた名言だ。

 本を見定め、エスカレーターを降りて1階まで行き、何気なくさっき独り座って一本の焼き鳥を水と一緒に食べていた女性を目で追ったけれど、もうそのテーブルからは消えていた。

 「負の感情」を制した者だけが、このどうしようもない不寛容な世界の中で生き残ることが出来る。









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「ブルーに生まれついて」

2017年02月15日 | Weblog
 相変わらず青森地方は穏やかな天気に包まれている。
 土日は北日本にも大寒波が襲うらしいと天気予報は伝えているけれど、今冬に限っては、これまでいい意味で予想を裏切ってきた。
 もちろん、ここ数日間も時々雪は降るけれど、永津続きせずに小雪で終わっている。そして、かなり暖かい。

 人間というのは不可思議な生き物で、予想を裏切って思ったよりいい方向に物事が進んでゆくと、それはそれで逆に不安が募ってきたりするものだ。
 不幸になりたがる、否、不幸でい続けることで安心する、そんな人間もまたこの世には確実に存在する。

 ジャズ奏者のチェット・ベイカーもそうかもしれない。
 彼も自ら進んで不幸の道を選択し続ける。
 それが破滅の道をひた走ることになると十分知っていても、あえてそういう破壊的な行動へと走ってしまうのである。

 映画「ブルーに生まれついて」を観た。
 白人ジャズ・トランペットの第一人者であるチェット・ベイカーの自伝映画である。
 彼は、ジャズ界のジェームス・ディーンと呼ばれ、50年代モダンジャズ界において、その甘いマスクと女性のような歌声で大人気を博した。

 映画ではイーサン・ホークがチェット・ベイカーを演じていて、1人の黒人女性を深く愛しながらも麻薬の世界から抜け出せず、ひたすら自滅してゆく姿を熱演している。

 映画「ブルーに生まれついて」は、チェット・ベイカーがどん底生活を送りながらも再起の道へと踏み出し、ニューヨークの名門ジャズ・クラブ「バードランド」(行ったことはありませんが)で復帰するまでを描いているのだけれど、結局彼は長続きせず、またしても堕落と廃頽の日々へとひたすら落ちてゆくのである。

 この映画、物語の主軸ともなる、チェット・ベイカーと恋人との苦しくも愛に満ち溢れた生活の描き方に、特段の新味はない。
 圧巻なのは、彼が切々と「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を歌うシーンと、ラスト「バードランド」での苦くて悲しい別れのシーンだろう。

 そこに、チェット・ベイカーのもつ深い哀しさと孤独と遣る瀬無さが、スクリーン上に切なくくっきりと浮かび上がってくるからだ。












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「TOKYO AOR」

2017年02月14日 | Weblog
 君は、透明なグラスに冷えたペリエ・ジュエ・ベル・エポックを少しだけ注げ足し、それを一口飲み込んだ。

 フランスのアール・ヌーボーを代表するアーティスト、エミール・ガレがデザインしたその優しく流れるようなボトルラインに、透明な分厚い硝子窓を通して、煌びやかな東京の夜の街の眩い光が眩しく輝いている。
 君の喉元を、冷たくフルーティーな香りを引き摺って流れてゆくのを、君は心の中で微笑みながら、ひとりゆっくりと余韻を楽しんでいる。

 君のホテルの部屋に備え付けられている、ブラックウォールナット板のデスクの上に置いたiPadに予めダウンロードしておいた、コンピレーション・アルバム(ある一定のテーマに基づいて、いろいろなアーティストの曲を集めて新たに再編集したアルバムのこと)「TOKYO AOR」からは、アルバム1曲目となる、ボズ・キャッグスの「ジョジョ」が流れ始める。
 まるで、都会の気だるい喧騒と廃頽に横槍を入れるように、あくまでも甘く、そして洗練された、蕩けるようなサウンドが照明を少し落とした室内を包み込む。
 
 曲は、続いて、レイ・パーカー・jrの「ウーマン・ニーズ・ラヴ」へと変わったようだ。
 レイ・パーカー・jrの、クールでストロベリー・ショート・ケイキみたいに甘い声が、極彩色に輝く高層ビル群の灯りにゆれている。

 ホール&オーツの「ウェイト・フォー・ミー」、ブレイク・ウォーターの「ワーク・イット・アウト」、エリック・カルメンの「チェンジ・オブ・ハート」、そしてアース・ウインド&ファイアー「アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン」・・・1970年代、1980年代を代表するAOR(アダルト・コンテンポラリー・ロック)の優れた名曲たちが、次々とノンストップで、きらきら輝きながら美しい東京の夜警の中を漂い、流れてゆく。

 コンピレーション・アルバム「TOKYO AOR」は、1980年代ディスコ・リバイバルを牽引した立役者DJ OSSHY(オッシー)がプロデュースしていて、全21曲ノンストップでミックスされている。
 君は、コンピレーション・アルバム「TOKYO AOR」をこうして聴いていると、まるで、あの懐かしい時代へと一瞬でタイムスリップしているような、そんな素敵な気分に落ちてしまう。

 アルバムは、スタンリー・クラーク&ジョージ・デュークの「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・ラヴ・ユー」へと移り変わる。
 ペリエ・ジュエ・ベル・エポックを空にした君は、冷蔵庫から冷え切ったペリエ・レモンを取り出して、飲まずに、ボトルごと酔いを醒ますように額に当てると、ホテルの部屋のベッド脇に置かれた固定電話にふと目を合わせる。

 ほろ酔い加減の君は、今の君の中で一番大切なそのひとの声が無性に聞きたくなってくる。どうしても今すぐ遭いたくなってくる。
 電話をしようか、それとも止めようかと暫く思い悩んだ君は、それでも意を決して、直接電話を掛けることを諦め、素早くホテルのキーを右手に持つとiPadの電源を切って、アルバム最後の曲、エアプレイの「シー・ウェイツ・フォー・ミー」を無理やり途中で終わらせ、ホテルの部屋のドアを開けて華やかな夜の街へと飛び出した。

 そう。彼女が残業しているオフィスは青山通りから少し入った場所にある。君の歩幅なら、急ぐとここから歩いて10数分で着くだろう。
 君は、金曜日の夜の賑やか過ぎる街の雑踏を掻き分けながら最愛の彼女に遭いにゆくその途中、表参道駅近くの「青山フラワーマーケット」に立ち寄って、アネモネをブーケットしてプレゼントすることを思いつき、その素敵な思いつきにちょっとだけほくそ笑む。
 
 君は、買い求めたブーケットを小脇に抱えながら彼女が残業しているビルまでなんとか辿り着くと、その明かりが灯った愛しい窓を、ただじっと長い間見つめ返していた・・・。

 君はこの東京という街で、真正面を見据えたまましっかり生きてゆこうと決心する。
 君はこの都会を、優雅に正々堂々、自らが信じるゴールに向かってひたすら泳いでゆく、そのことを、深く心の中で決心する。

 あ~あ。
 こんな妄想なんてどうでもいいけど、そんなことよりも、とにかく東京に行きてぇー!
 アルバム「TOKYO AOR」、あまりにも切なすぎるよーっ。

 ああ、東京、行きてぇーー!!









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