淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

中国の人生処世訓における名著「菜根譚」を読む。この本、本当に心が浄化される。

2009年01月21日 | Weblog
 若かりし頃、本屋の一角にずらりと並んでいた人生訓とか生きる事への励まし書とかの類いの本に対して、激しい嫌悪感を抱いていた。

 持て余し気味の若さから来る、大人たちへの反抗心や既存の体制をぶっ壊したいという気持ちが強く、いつも苛ついていて、訳知り顔で人生を説いたり、説教をのたまう評論家や物書きたちが大嫌いだったのである。

 ましてや、「一生懸命に生きろ」とか「人生の困難な壁をぶち壊せ」とか「青春は美しい」とか能天気にアジテーションしている中高年の博識ある学者や評論家たちが書き下ろした、悩める人たちへ向けたメッセージとか人生アドバイス書などは、本屋でその表紙を見ただけで目を背けていた。

 お前らに何がわかる、高みから見下ろしやがって、安全な場所から発する言葉だけの美辞麗句じゃないか。いつもそんなふうに考え、こういう本を読んだら自分も終わったな、とさえ思ったものだった。

 もちろん、今でも、そういう表層的で薄っぺらな(当然、何をもって薄っぺらだと判断するかについては、極々個人的な見識でしかないけれど)本には手も触れない。
 ただの言葉だけで、生き方や人生を語っている人間ぐらいは、こんな薄っぺらで表面的な人間でも見分けがつく。たぶん・・・。

 しかし、それでも人間は、誰にでも困難で苦しい出来事が舞い降りて来る。
 そりゃあ、生まれてから死ぬまで一切の苦悩も執着もないまま、素晴らしい充実した人生を送る人もいるかもしれないが(いないとは思いますが)。

 そんな辛いとき、僕は仏教書に巡り会った。
 そして様々な関係書を読み漁り、過去に生きた禅僧や仏教者が説いた書物のほんの先端に触れ、本当に心が穏やかになったのである。

 今でも、図書館の仏教関係書がずらりと並んでいるコーナーを覗き、何冊かの本をピックアップすることがある。
 前に比べて読む回数は減ったけれど、世の中には、長い歴史の中で同じように悩み、そして苦しみ、そこから何某かの光明や導きを見出した人がたくさんいるわけで(当たり前だけど)、そのノウハウを後世の人間たちに伝えようとして真摯に書かれた名著を読まない手はない。
 というか、そんな素晴らしい人生の名著は、語り継がれるべき宝物だし、だからこそ幾多の時代を経ても色褪せることなく読み継がれてきたのだろう。

 今、寝る前に少しずつページを捲っているのが、中国の明の末期時代に書かれた古典「菜根譚(さいこんたん)」である。
 菜根は堅くて筋が多いので、ちゃんと噛み締めて食べることで、その味わいが増してくるという意味からきている。

 当たり前だけど、原文は難し過ぎて読めるわけがない。
 今回、出版された「菜根譚」は、その原文から何篇かを取り上げ、平易な日本語で書き直されているものだ。

 仏教、儒教などがそのベースにあり、人生の無常観や道徳観が混在しているけれど、これもまたご愛嬌である。




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