村上春樹の全小説とこれまでに出版された二つの全集、それから数々のエッセイ集、彼が翻訳したたくさんの海外小説、レイモンド・カーヴァーのすべての作品を村上春樹自身が翻訳したレイモンド・カーヴァー全集・・・それらを車庫の奥の本棚に全部きちんと納めていたけど、それがもう本棚いっぱいになってしまった。
それに加え、既に数十年分たまってしまった音楽雑誌「ミュージック・マガジン」や、廃刊になった「月刊プレイボーイ」とか「フォーカス」とか「宝島」とか、今も刊行し続けている写真誌「フライデー」や「ポパイ」なんかの貴重な創刊号をたくさん、大事に大事に保管している。それらを加えるともう車庫は本と雑誌で埋め尽くされて、どうしようもない状態になっている。
こうなると、覚悟を決めて断捨離するしかない。
死んで、あの世には持っていくことなんて出来ない。大量の音楽CDも含め(とてもとても大事な宝物だけど)、いつかすべてを処分するしかないだろう。
なので、出来るだけ早く店をやって、そこに来て頂いた人たちに素敵な音楽を聴いてもらったり、貴重な音楽雑誌や村上春樹ライブラリーを読んでもらうことが一番なのではと、今思っている。
はてさて、いつになることやら・・・。
時間は残り少ない。
そんななか、またまた村上春樹関連の本を読んでしまった。というか、今回は、聴くことになったというほうが正しいだろうか。
新装版「村上春樹ハイブ・リット」だ。
ハイブ・リットとは、英文で書かれたアメリカ短編小説を日本語に翻訳して、それを作家が英語で朗読するという、「ハイブリット」と「リタラチャー(文学)」の合成語なのだとか。
新装版「村上春樹ハイブ・リット」には、CDが2枚、それから英語の原文と日本語に翻訳された短編小説が3作品収められている。
ティム・オブライエンの「レイニー河で」、レイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役にたつこと」、そして英語に訳されて発表された英訳の村上春樹「レーダーホーゼン」である。
小説そのものの朗読は、「レイニー河で」がティム・オブライエン本人、そしてあとの2作品はアメリカ人のナレーターが行った。
本当なら、原文を熟読してそれらの朗読を耳で聞き、最後に日本語訳を読めばいいのだろうけど、結局CDでBGMのように英語の朗読を流し、それから日本語訳を読んでいった。
3作とも印象に残る佳作だ。
ベトナム戦争へ徴兵されることになった一人の若者の苦悩と葛藤を綴った「レイニー河で」、そして子どもの交通事故とその誕生日を巡る家族のすがたを簡潔な言葉で紡ぐレイモンド・カーヴァーの代表作「ささやかだけれど、役にたつこと」、短編集「回転木馬のデットヒート」に載せていた短編を英訳した小説を、さらに日本語に訳した「レーダーホーゼン」、どれも素晴らしい短編だ。
ただ、やはり英語で聴いても、ほとんど意味を追うことまでは出来ず、英語の読解力のなさに唖然としてしまった自分がいた・・・。
それから、個人的にいうと、レイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役にたつこと」、今回の少し加筆して内容を膨らませた作品よりは、最初に彼が書いた短いヴァージョンのほうが僕は好きです。
それに加え、既に数十年分たまってしまった音楽雑誌「ミュージック・マガジン」や、廃刊になった「月刊プレイボーイ」とか「フォーカス」とか「宝島」とか、今も刊行し続けている写真誌「フライデー」や「ポパイ」なんかの貴重な創刊号をたくさん、大事に大事に保管している。それらを加えるともう車庫は本と雑誌で埋め尽くされて、どうしようもない状態になっている。
こうなると、覚悟を決めて断捨離するしかない。
死んで、あの世には持っていくことなんて出来ない。大量の音楽CDも含め(とてもとても大事な宝物だけど)、いつかすべてを処分するしかないだろう。
なので、出来るだけ早く店をやって、そこに来て頂いた人たちに素敵な音楽を聴いてもらったり、貴重な音楽雑誌や村上春樹ライブラリーを読んでもらうことが一番なのではと、今思っている。
はてさて、いつになることやら・・・。
時間は残り少ない。
そんななか、またまた村上春樹関連の本を読んでしまった。というか、今回は、聴くことになったというほうが正しいだろうか。
新装版「村上春樹ハイブ・リット」だ。
ハイブ・リットとは、英文で書かれたアメリカ短編小説を日本語に翻訳して、それを作家が英語で朗読するという、「ハイブリット」と「リタラチャー(文学)」の合成語なのだとか。
新装版「村上春樹ハイブ・リット」には、CDが2枚、それから英語の原文と日本語に翻訳された短編小説が3作品収められている。
ティム・オブライエンの「レイニー河で」、レイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役にたつこと」、そして英語に訳されて発表された英訳の村上春樹「レーダーホーゼン」である。
小説そのものの朗読は、「レイニー河で」がティム・オブライエン本人、そしてあとの2作品はアメリカ人のナレーターが行った。
本当なら、原文を熟読してそれらの朗読を耳で聞き、最後に日本語訳を読めばいいのだろうけど、結局CDでBGMのように英語の朗読を流し、それから日本語訳を読んでいった。
3作とも印象に残る佳作だ。
ベトナム戦争へ徴兵されることになった一人の若者の苦悩と葛藤を綴った「レイニー河で」、そして子どもの交通事故とその誕生日を巡る家族のすがたを簡潔な言葉で紡ぐレイモンド・カーヴァーの代表作「ささやかだけれど、役にたつこと」、短編集「回転木馬のデットヒート」に載せていた短編を英訳した小説を、さらに日本語に訳した「レーダーホーゼン」、どれも素晴らしい短編だ。
ただ、やはり英語で聴いても、ほとんど意味を追うことまでは出来ず、英語の読解力のなさに唖然としてしまった自分がいた・・・。
それから、個人的にいうと、レイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役にたつこと」、今回の少し加筆して内容を膨らませた作品よりは、最初に彼が書いた短いヴァージョンのほうが僕は好きです。