淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

新装版「村上春樹ハイブ・リット」を読んで聴く。英語の朗読は短編小説3作品。結局、日本語訳を読んじゃいましたが・・・。

2020年03月31日 | Weblog
 村上春樹の全小説とこれまでに出版された二つの全集、それから数々のエッセイ集、彼が翻訳したたくさんの海外小説、レイモンド・カーヴァーのすべての作品を村上春樹自身が翻訳したレイモンド・カーヴァー全集・・・それらを車庫の奥の本棚に全部きちんと納めていたけど、それがもう本棚いっぱいになってしまった。

 それに加え、既に数十年分たまってしまった音楽雑誌「ミュージック・マガジン」や、廃刊になった「月刊プレイボーイ」とか「フォーカス」とか「宝島」とか、今も刊行し続けている写真誌「フライデー」や「ポパイ」なんかの貴重な創刊号をたくさん、大事に大事に保管している。それらを加えるともう車庫は本と雑誌で埋め尽くされて、どうしようもない状態になっている。

 こうなると、覚悟を決めて断捨離するしかない。
 死んで、あの世には持っていくことなんて出来ない。大量の音楽CDも含め(とてもとても大事な宝物だけど)、いつかすべてを処分するしかないだろう。
 なので、出来るだけ早く店をやって、そこに来て頂いた人たちに素敵な音楽を聴いてもらったり、貴重な音楽雑誌や村上春樹ライブラリーを読んでもらうことが一番なのではと、今思っている。
 はてさて、いつになることやら・・・。
 時間は残り少ない。

 そんななか、またまた村上春樹関連の本を読んでしまった。というか、今回は、聴くことになったというほうが正しいだろうか。
 新装版「村上春樹ハイブ・リット」だ。
 ハイブ・リットとは、英文で書かれたアメリカ短編小説を日本語に翻訳して、それを作家が英語で朗読するという、「ハイブリット」と「リタラチャー(文学)」の合成語なのだとか。

 新装版「村上春樹ハイブ・リット」には、CDが2枚、それから英語の原文と日本語に翻訳された短編小説が3作品収められている。
 ティム・オブライエンの「レイニー河で」、レイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役にたつこと」、そして英語に訳されて発表された英訳の村上春樹「レーダーホーゼン」である。

 小説そのものの朗読は、「レイニー河で」がティム・オブライエン本人、そしてあとの2作品はアメリカ人のナレーターが行った。
 本当なら、原文を熟読してそれらの朗読を耳で聞き、最後に日本語訳を読めばいいのだろうけど、結局CDでBGMのように英語の朗読を流し、それから日本語訳を読んでいった。

 3作とも印象に残る佳作だ。
 ベトナム戦争へ徴兵されることになった一人の若者の苦悩と葛藤を綴った「レイニー河で」、そして子どもの交通事故とその誕生日を巡る家族のすがたを簡潔な言葉で紡ぐレイモンド・カーヴァーの代表作「ささやかだけれど、役にたつこと」、短編集「回転木馬のデットヒート」に載せていた短編を英訳した小説を、さらに日本語に訳した「レーダーホーゼン」、どれも素晴らしい短編だ。

 ただ、やはり英語で聴いても、ほとんど意味を追うことまでは出来ず、英語の読解力のなさに唖然としてしまった自分がいた・・・。

 それから、個人的にいうと、レイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役にたつこと」、今回の少し加筆して内容を膨らませた作品よりは、最初に彼が書いた短いヴァージョンのほうが僕は好きです。








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マーク・ウォールバーグ主演映画「スペンサー コンフィデンシャル」。ロバート・B・パーカーの傑作探偵小説がそのベースにあるらしいけど・・・。

2020年03月30日 | Weblog
 びっくりした。
 あの志村けんが、亡くなった。原因は新型コロナウイルス感染からの肺炎が原因で、享年70歳。29日日曜日の午後11時10分にこの世を去ったという。
 それにしても新型コロナの勢いが止まらない。最悪の事態である。
 
 新型コロナウイルスの感染者数は、今日30日朝の時点で、世界全体で70万人を突破した。死者は約3万4千人。
 感染者数が最も多いのがアメリカで約14万人。続いてイタリアが約9万8千人。中国は約8万2千人。

 ネットを見たら、タイの刑務所で昨日暴動が起きて、脱獄した者もいるのだとか。刑務所内で新型コロナウイルスへの感染が広がっているとの噂が、その暴動の引き金となったらしい。
 もう、暫くの間は映画館にも行けないので、当分家の中に閉じ籠ってサブスクで映画を観るほかないかもしれない。

 ということで、こういう時には何処にも出掛けずに、「WOWOW」か「Amazonプライム」か、あるいは「ネットフリックス」で映画を観ることに決めた。

 今日観たのが、「ネットフリックス」オリジナル映画。しかも2020年3月6日から配信されたホッカホッカの最新映画である。
 マーク・ウォールバーグが主演した、サスペンス・アクション映画の「スペンサー コンフィデンシャル」だ。

 なんとこの作品、あのハードボイルド小説の巨匠ロバート・B・パーカーの原作に基づいて制作されているというではないか。
 懐かしい作家の名前に、暫し、感慨に耽ってしまった。
 ロバート・B・パーカーが書いた探偵小説―この映画にも登場する私立探偵スペンサー・シリーズもの―の大ファンで、そのほとんどの作品を読み漁ったものだった。

 元警察官で今は私立探偵を生業とする孤高の男、スペンサー。そしてその相棒である黒人男性ホーク。とても面白いハードボイルド小説だった。
 「初秋」も素晴らしい小説だったけれど、「レイチェル・ウォレスを捜せ」も捨て難い。「約束の地」もよかったなあ。

 そんな名作小説を、今回、「パトリオット・デイ」や「ローン・サバイバー」(この映画は面白かった)のピーター・バーグ監督とマーク・ウォールバーグが5度目のタッグを組んで作り上げたのが、映画「スペンサー コンフィデンシャル」だ。

 ただし。ただしである。
 ロバート・B・パーカーは既に他界していて、そのパーカーの死後、スペンサー・シリーズを引き継いだエース・アトキンス(こちらの小説は全く読んだことがない)の小説「ワンダーランド」が今回の原作なのだとか。

 しかも、物語も、ボストン警察の警官官だったスペンサーが、上司の不正を糾弾したことで逆に暴行罪で投獄され、その出所後、謎の警察官殺人事件に巻き込まれるという内容になっていた。
 なので、ロバート・B・パーカーの小説に登場する我らがヒーロー、私立探偵スペンサーのような、自らに重い規範を課し、正義感溢れる、心優しき男性像とは少しばかり違って描かれている。

 でもこれはこれで中々面白かった。
 全然、異なる作品として捉え、主人公のキャラクターも別だと割り切って映画を観たら、それなりに結構最後まで楽しめた。

 映画「スペンサー コンフィデンシャル」、評判がいいらしく、「ネットフリックス」ではシリーズ化も検討しているのだとか。
 まあ、それも分からなくもないな。







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天国の大瀧詠一から届いた至福の贈り物、「Happy Ending」。ただ、ニューアルバムと呼ぶには少し戸惑うけれど・・・。

2020年03月29日 | Weblog
 3月最後となる日曜日。
 新型コロナウイルスによる不要不急の外出の呼びかけが効果を発揮しているのか、街は今日も人影は疎らだ。
 ニュースを見ると、首都圏では雪だとか。多摩地区では大雪警報が出ている。ただこれも、考えによっては、外出ストップに対して少しは効果があるかもしれないけれど。

 青森地方は気温が10度前後。朝から薄曇りの空で肌寒い。
 午前中、SCの「サンロード青森」内にある「マック」に出掛け、ひとり、珈琲を飲みながら持参した週刊誌の「文春」と「新潮」と新聞各紙を読み耽る。
 確かに、ここ「マック」も日曜日だというのに空いている。

 大型駐車場に車を停めて「マック」へと来たのだけれど、駐車場に停めている車のナンバーに「八戸」がかなりあって、そのほかにも県外ナンバーが目立つ。なかには北関東の車も。
 「八戸市」で今日も新たに新型コロナウイルス「陽性」患者が見つかっていて、遠く青森市内まで買い物に来ている客が増えているのだと、「サンロード青森」の関係者が言っていた。

 あまり、人混みの中に長い時間居るのは危険なので、少し混み始めた昼頃には「マック」を退散して、車で家へと帰った。

 まったりとした日曜日の午後。
 家に籠って、本を読んだり途中で止めていた海外ドラマの続きを観たりして過ごすことにした。
 聴いていたアルバムは、な、なんと、2013年12月30日、65歳で亡くなった大瀧詠一のニューアルバム。タイトルは「Happy Ending」。
 3月21日土曜日に「Amazon」から届いた、まだほっかほっかの新作アルバムである。

 アルバムのオープニングが「Niagara Dreaming」。山下達郎のアカペラが聴こえてきてグッとくる。
 続いて、お馴染みの「幸せな結末」。ここから実質的な大瀧詠一ワールドが始まってゆくのだけれど、うーん・・・アルバム全11曲のうち、大滝詠一がヴォーカルをとっている本来の未発表音源って、「イスタンブール・マンボ」と「ダンスが終わる前に」と「So Long」のたった3曲のみなのだ。
 あとは、残る3曲がこれまで発表されている曲のリミックスで、5曲は歌なしのインストルメンタルという、変則的なアルバムということになる。
 これは、ちょっと辛い。

 となると、そのメイン・アルバムよりは、初回生産限定盤のみに付いてくる「Disc 2」の「Niagara TV Special Vol.1」のほうに、俄然興味がいってしまう。
 「君は天然色」に始まって、「恋するカレン」、「恋するふたり」、「幸せな結末」などなどの別ヴァージョンが12曲も入っているからだ。
 なので、今はこちらのほうを本編よりも頻繁に聴いている。

 でもこれも、今は天国に住んでいる大瀧詠一から届いた至福の贈り物だと思えば、それはそれで納得出来ないこともない。
 大瀧詠一のニューアルバム?「Happy Ending」、世の中は新型コロナウイルス真っ只中にあって、悲惨なニュースだけが飛び交っているけど、こういうアッパーで美味しい清涼飲料水みたいな音楽を聴くことで心が癒されることがある。

 世界はあまりにも混沌として、そんな「Happy Ending」すら見出せず、戸惑ってただ途方に暮れている・・・。







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「雲一つない青空で春の匂いがする晴れた休日なのに、行き交う車も少なく人影も疎らな北の街。そんな街を11キロ走る」

2020年03月28日 | Weblog
 世界の新型ウイルスが50万人を超え、死者も3万人にまで迫ろうとしている。
 とうとう中国やイタリアを抜いて、アメリカのコロナウイルス感染者数が世界最多となってしまった。85,000人を超えて死者数も1,300人に迫っている。
 吃驚したのはイギリスのジョンソン首相の感染だ。主要国首相の感染としてはこれが初である。

 そして我が国、日本。
 過去最大となる102兆円超の国の2020年度一般会計当初予算が成立したけれど、国内の景気は凄まじい勢いで失速している。
 某商工会議所の副会頭の一人と会議が終わって雑談していたら、「これまでにない未曽有の経済危機に陥るかもしれない・・・」と真面目な顔で言っていた。真実味がある。

 首都圏では、この週末、外出や移動自粛が打ち出され、このままでいくとオーバーシュートを防ぐことが本当に出来るのか、予断を許さない状況となっている。
 地元紙「東奥日報」を広げて読んでいたら(3月28日付け朝刊)、社会面にも大きく【繁華街閑散 客奪うコロナ】の見出しが躍り、八戸市で確認された新型コロナウイルス感染確認の影響で閑散としている夜の歓楽街のカラー写真が掲載されていた。
 このままだと、青森県内でも倒産したり店じまいする店が続出するのではないだろうか。大変な事態だ。

 現在、勤務している大学も2020年度の入学式が中止になった。
 授業もとりあえず一週間先延ばしされることに。新年度から1年生全学部約300人程度を対象にした講義を任されていたのだけれど、こちらも当分の間、推移を見極めながら先のほうに持ち越すしかないだろう。日程はきつくなるけど、まずは学生ファーストだ。

 そんな休日の土曜日は久しぶりにいい天気。空に雲はなく、青空に明るい太陽が輝いている。これまた、皮肉なものだ。
 「スポーツジム」から連絡があって、4月15日まで「休会」を延長できますがどうしますか?とのことだったので、今ここで「陽性」にでもなってしまったら、学生たちに対して多大な迷惑をかけてしまうので、即答で「それでお願いします!」。

 結局、青森も五所川原も八戸もマラソン3大会すべて中止にはなったものの、密室空間じゃない外をひとりランニングするのは特に感染の問題も生じないだろうと、お昼近く、ランニング・ウェアに着替えて外に出た。

 ずっと国道沿いを東部方面に向かって走っていたけれど、行き交う車は少なく、歩いている人間もいつもより疎らだ。
 海に出ると、西からの冷たくて強い風に煽られる。白波もたっている。
 合浦公園に入っても、ほとんど広い園内に人がいない。コロナウイルスの影響だろうか?
 それでも何組かの親子連れやカップルの姿もみえ、まだ蕾状態の桜並木を、春の日差しに包まれながらひとり走る。

 帰りは国道4号線を市内中心部に向かってひたすら走り、「堤川」をまた海側に折れて青森港へと出て、そのまま「青い海公園」、「アスパム」、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」、「青森駅前」へと抜けて、ひっそりとしている新町通りから家へと戻った。
 距離にして約11キロ。

 家に帰ってシャワーを浴びて着替え、ジャズのアルバムをかけながら熱い珈琲を飲んで一息ついた。

 何気なくパソコンのネットを開いたら、衝撃的なニュースが!
 【東京都で28日も新たに60人以上が新型コロナウイルスに感染したことが確認された】とある。一日で過去最多じゃないか!

 ちょっと、これ、マジで、ヤバいかも・・・。
 





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来日コンサートを記念してリリースされたボブ・ディラン「日本のシングル集」を聴く。コロナで急遽来日中止は残念・・・。

2020年03月27日 | Weblog
 人生に絶望しただの、生きることは虚しいだの、すべては無常に過ぎてゆくだけだのと嘆いていても、時間だけは待ってくれず、ただこの今を、無慈悲に棄て去っては走ってゆく。
 結局、安全な場所に立って世の中を俯瞰しながら、ぐだぐだとシニカルでアイロニカルなポーズを決めているだけに過ぎないのだ、俺なんて人間は。

 昨日の真夜中もまた突然目が覚めて、圧倒的な不安や憤りが襲い、言いようのない絶望感が湧き上がってきた。
 なんなんだ? これは・・・。

 昨日の朝日の「天声人語」に12歳で亡くなった広島県の女の子の記事が載っていた。
 女の子は5歳の時、左足にがんの一種である横紋筋肉腫が見つかった。彼女はそれでも激痛に耐えながら「まだ死にたくない」と叫び、病室で画用紙に緑色の絵の具を塗って絵を書き続けた。そしてそれが『そらまめかぞくのピクニック』というタイトルの絵本になって発売されたのである。
 小さな作者は、それでも闘病生活空しく、去年亡くなってしまったらしい。

 人間は、自分だけは事故に遭うことはないだろう、自分だけは(たとえば今流行している「コロナウイルス」)病気に罹ることはないだろうと、安易に物事を考える愚かな動物だ。
 これを【正常性バイアス】と呼ぶ。

 そしてまたその一方で、人間という生き物は他人の不幸を横目で覗いて自分の安心の糧にしようとする。
 俺だってそうだ。
 「天声人語」を読みながら、自分が爪を剥いだ程度のことを大袈裟に語っていたことを恥ずかしいと思いつつ、こうしてそれなりに元気で生きていることを安心してみたりする。最低な糞野郎だ。

 そういう意味で言ったら、ボブ・ディランの来日ライブが、今回のコロナウイルス騒動で結局中止になったということだってそうかもしれない。
 んなもん、人の生き死に比べたらどうってことない、ほんとどうでもいいことだ。チケット代はいずれ返金になるらしいし。
 まあ正直に告白すれば、4月5日、東京のお台場での78歳になるボブ・ディランのパフォーマンスを何としてもナマで観たかったというのが本音ではあるのだけれど・・・。

 皮肉なことに、今回の来日記念として、コロンビア、CBSソニー、ワーナー・パイオニアのそれぞれの時代に日本で発売されたシングル盤を時系列的に収めた日本オリジナル企画アルバムが、一昨日、Amazonから送られてきた。
 全31曲、日本でのジャケット写真や日本語訳詞もアルバムには付いている。

 ラップ・ミュージックの元祖じゃないかと思う「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」に始まって、名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」、定番の「風に吹かれて」、ザ・バンドと組んだ「我が道を行く〈シングル・ヴァージョン〉」や、ディラン中期の「ハリケーン〈パート1〉〈シングル・ヴァージョン〉」、「モザンビーク」、「コーヒーもう一杯」も、この来日記念盤2枚組のなかに入っている。

 不幸でも幸福でも、そんなの、もうどうでもいいような気もしてくるけれど、とにかくこうしてブツブツ・グダグダのた打ち回りながら無様に生きてゆくしかない。でなければ、今を生きたいと真摯に戦っている人たちに対して失礼だし無礼だろう。
 なので、こうして今、爪の無くなった無残な親指を眺めながら、ボブ・ディランの「日本のシングル集」を独り部屋の中で静かに聴いている。

 こんなどうしようもない世の中だけど・・・。






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漫画(バンドデシネ)で読む村上春樹、その第7巻「七番目の男」を読む。今回が一番いい作品に仕上がっているかも。

2020年03月26日 | Weblog
 なぜ僕はこうも、村上春樹という一人の作家にここまで執拗にこだわり続けるのだろう?
 もちろん、好きな作家は村上春樹以外にもたくさんいる。
 太宰治に坂口安吾、福永武彦も大好きでよく読んできたし、村上龍や佐藤正午、阿部和重、桐野夏生は、今でも新刊が出るとすぐさま買って読んでいる。
 でも、村上春樹だけは特別な存在だ。

 やはり、彼の書く小説が面白いということが一番なんだろうけど、そのほかに、ストイックでシンプルなライフスタイルに対する憧れがあるのかもしれない(彼の書いているエッセイなんかでしか、その姿は垣間見ることが出来ないけれど)。

 毎朝早起きをして、午前中、部屋の中で執筆活動にのみ集中する。午後にはランニングを欠かさず行い、夜は好きな趣味、音楽を聴いたり翻訳したりしてゆったり過ごす。それを毎日頑なに繰り返す人生・・・。

 村上春樹の小説やエッセイを読んでいると、というか読み終えると、何故か部屋を綺麗に片づけて、丁寧に掃除をし、いらなくなった物を処分してしまい気分になる。身の回りを清潔に保ち、きちんとした穏やかでストイックな生活を送りたくなってくる。

 眠りにつく前、蒲団の中でぼんやりと思い浮かべる光景がある。妄想といっていいかもしれない。でもそれはそれで個人的にすんごく楽しい妄想だ。
 自分の2~3年後先あたりの日常生活を頭の中で密かに想像して、ひとり悦に浸るのである。
 たとえば、こんなふうに・・・。

 朝6時にきちんと起床する。
 新聞を読んで軽い朝食を食べ終え、おもむろに着替えると、ウォークマンで好きな音楽アルバムを聴きながら海沿いを10キロほどランニングする。
 ランニングを終え、家に帰って熱いシャワーを浴びたら、自分が営む小さな、でもシックで落ち着いた店まで歩いて出向き、鍵を開けて掃除し、珈琲を沸かして開店の準備に入る。
 さてさて、今日は何の音楽をかけようか?
 お客さんは何人ぐらい来てくれるんだろう?

 店を午前11時に開けてランチタイムを乗り切り、夕方までの空いた時間を利用して後片付けを行い、余った時間でミステリー小説なんかを読んで過ごす。
 そのうち夕方になる。
 仕事を切り上げた何人かの常連が、帰宅前に立ち寄って冷たビールを飲んで好きな音楽を聴いてそれぞれまた帰ってゆく。
 店はきっちり夜の8時で閉める。家に帰って熱いお風呂に浸かった後は、ゆっくり部屋に籠って映画を観てから静かに眠りにつく、そんな静かな生活・・・。

 いいなあ。
 貯金なんて貯めたってあの世まで持っていけないわけで(貯金なんてないけど)、ある分、好きなものだけに投資して、全部使い切ったほうが、かえって清々しいんじゃないか?
 そういう意味じゃ投資した分の回収なんて考えない。ギリギリで構わない。それほど長めの人生を送るわけじゃないしね。
 いつかは死ぬんだし。

 なんて馬鹿げた妄想を繰り返し思い描きながら、今日は、漫画(バンドデシネ)で読む村上春樹シリーズ、その第7巻「七番目の男」を読み終える。
 今回の漫画(バンドデシネ)が、これまでのシリーズで一番いい作品に仕上がったかもしれない。ただ、漫画ということもあって今回も10分足らずで読み終えてしまった。

 ちなみに、「七番目の男」は、村上春樹の短編小説集「レキシントンの幽霊」の中の一編だ。
 もうすぐまた、新しい短編集も出るみたいですが・・・。






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「風俗の人たち」

2020年03月25日 | Weblog
 永沢光雄は47歳でこの世を去った。
 アルコールによる肝機能障害での死去だった。彼は大酒飲みでいつも酒を切らしたことがなかった。毎日浴びるように飲んでいたらしい。
 永沢光雄は亡くなる4年ほど前、下喉頭がんを患い、声帯を取り除いたために声も失った。

 永沢光雄は、東北は宮城県仙台市に生まれ、小説家を目指し、大学を中退してからは風俗雑誌の編集者をしたあと、フリーのライターとなった。
 主に、風俗関係の―まあ、エロくてHな男性向け雑誌―ルポのようなものを書きながら生計を立て、1996年、AV女優だけを対象にしたインタビュー記事を、分厚い一冊の本にまとめた「AV女優」を発表して高い評価を得た。

 僕もその辞書のように厚いハードカバーの本を買って読んだ。
 ただ、AV女優と大きく書かれたタイトル文字を誰かに見られるのが恥ずかしくて(永沢光雄さん、ごめんなさい)、カバーを付けて読んでいた記憶がある。
 そして永沢光雄は、「AV女優」に続いて、第2弾となる「おんなのこ―AV女優2」を出版した。もちろん、この本もすぐに買って読んだ。こちらも第1弾目と同様、とても面白いインタビューものだった。

 数十人に及ぶアダルトビデオ女優たち一人ひとりに、彼は様々な質問をぶつけてゆく。
 生い立ち、生き方、恋愛に対する考え方、職業としてAV女優を選択したその理由・・・。

 しかしそれは、上目目線で下心見え見えの、「性の対象者としてのAV女優」に対するインタビューと異なり、この煩わしくて不条理な世界の中にポーンと放り投げられた僕たちすべての人間に共有する、心細さや孤立感や疎外感や苛立ちを、相手に一切隠すことなく、優しく、親切に、敬意を持って向き合っている、そんな感じが読み手側に伝わって来る。

 もちろん、このただのスケベな男として、AV女優への淫らな妄想と大いなる興味があったことも、「AV女優」と「おんなのこ―AV女優2」を買って読んだ理由の一つではあった。
 でも、僕は読み進めながら、何度も大きな溜息をついたことを覚えている。
 小説や映画にでもなるような凄まじいまでの波乱万丈な人生を送ってきた女性。あまりにも悲惨で目を背けたくなる性体験をしてきた女性。セックスに関して唖然とするほど大らかで開けっ広げな過去の体験を何の躊躇いもなく話す女性・・・。
 AV女優たちの赤裸々な告白は、読み手のページを止めさせない。

 そして永沢光雄は、1997年、「筑摩書房」から「風俗の人たち」という一冊の本を出した。「コアマガジン社」から出版されていたエロ雑誌「クラッシュ」に永沢光雄が連載していた、風俗関係で働く人間たちとその業界をルポしたものを一冊の本としてまとめた内容の本である。

 「ボンテージ」、「キャバレー」、「ストリップ」、「ゲイバー」、「ホストクラブ」、「歌舞伎町」、「女子高生」、「ピンク映画」、「お見合いパブ、「投稿写真」などなど、その取材範囲は風俗業界多岐にわたる。
 そしてそのどのルポを読んでいっても、永沢光雄の優しい眼差しが見て取れるのだ。それから、ちよっぴりの「哀しさ」や「寂しさ」も。
 これは、彼の持って生まれた「才能」と「スタイル」の素晴らしさから来るものだろう。

 「風俗の人たち」を買ったのはもう何年も前のことだった。
 未読の本がずっと山積みになっていて、そのことが僕を絶えず焦らせるのだけれど、そんなまだちゃんと最後まで読み終えていない、あるいはまったく開いてさえいない本の中から、この「風俗の人たち」を抜き取って、僕はそれを今回もまた一気に読んでしまった。

 ロック雑誌「ロッキングオン」で音楽コラムを書き続けている松村雄策と、小説も書いていたフリーライターの永沢光雄。
 この2人の書き綴る言葉に宿る、なにか「仄かな哀しさのようなもの」、僕はそこに激しく惹かれるのである。










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CD「和田誠・村上春樹セレクション ポートレイト・イン・ジャズ」(ポリドール編)を聴く。最近、ジャズ三昧だ。

2020年03月24日 | Weblog
 新型コロナウイルス陽性患者が青森県内で初確認されたというニュースは、昨日(3月23日月曜日)の夜、ラインのグループ仲間からの一報で概要を知り、夜9時から始まった県知事記者会見の模様をネットで追った。
 新型コロナウイルスへの感染が確認された八戸市在住会社経営の男性は、今月ツアー旅行でスペインを訪れ、三八地域に住むほかの9人もそのツアーに同行していたらしい。
 男性は帰国後、新幹線に乗って八戸駅で降り、そこからタクシーで自宅。その後、スーパーやコンビニなどへ妻と一緒に出向き、市内を散歩したこともあったという。現在、夫婦は入院を余儀なくされている。
 これで、感染が白地地帯だった青森県にも新型コロナウイルス陽性患者が出たことになる。
 それを受け、青森市でも今年の「青森さくらマラソン大会」が中止となった。こっちはフルマラソンの部門にエントリーして、これで「青森」、「五所川原」、「八戸」と3大会に出場するはずがすべてパー。
 ボブ・ディランも中止だし、指の爪は大変なことになるし、家族は真夜中に救急車で搬送されるし、転んで携帯と一張羅のスーツと眼鏡は全部廃棄になっちゃうし、仕事に関してちょっと色々難儀な荷物を背負い込むことになったし・・・。
 今年は、ほんと、溜息ばかりだ。

 そういうブルーな気分が自分のなかに蔓延しているのか、最近は、飢えた狼みたいに、 夜、家に帰るとすぐさま棚からジャズのCDを引っ張り出して手当たり次第に聴いている。

 昔、新潮社から出版された2冊の本、「ポートレイト・イン・ジャズ」は、イラストレーターの和田誠と村上春樹の共著で、ジャズメンを描いた和田誠のポートレイトと村上春樹のジャズに関するエッセイとで構成されていた。

 もちろん、2冊とも読んだけれど、「ポートレイト・イン・ジャズ」からスピンオフして、本に登場したジャズ・ミュージシャンのなかから更にピックアップされたミュージシャンたちによる歌と演奏をおさめたCDも2枚リリースされている(ポリドールとソニーから別々に)。

 そのなかの1枚が今回取り上げる「和田誠・村上春樹セレクション ポートレイト・イン・ジャズ」(ポリドールからリリースされたCD編)である。
 ポリドールから出たCDには、セロニアス・モンク、アート・ブレイキー(今回は「危険な関係のブルース」)、スタン・ゲッツなどのアーティストによる名演奏が収められていて―本当はこういうコンピレーション・アルバムって、アルバムのイイトコ取りという感じがしてあまり好きじゃないんだけど―初心者向けとしてはとてもリーズナブルで取っつきやすい構成となっている。

 とにかく、ジャズが聴きたくて仕方がない。
 部屋の中で片っ端からアルバムを聴いてゆくと、少しずつ気持ちが休まってくる自分がいるから不思議だ。
 これもまた音楽の持つ「ちから」なのかもしれない。

 こういう、どうしようもない閉塞状況へと突入し、ストレスが溜まりまくる日々だからこそ、いま、ジャズがいい。

 沁みます。







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映画館にはたった俺ひとりだけ! 三池崇史監督×窪田正孝主演映画「初恋」を観に行った。とにかく、ベッキーが凄いっ!

2020年03月23日 | Weblog
 新型コロナウイルスのクラスター・エリアとして指摘されているのが、「スポーツ・ジム」に「映画館」、それから会食や宴会が行われる「飲食店」。

 先日、接待で某クラブに行ったら、そこの美貌のママが、「あら、わたし今、毎日スポーツ・ジム通ってましたよ。だって、ガラガラで誰もいないから逆に安全で、濃厚接触なんてないんですもの」と笑っていた。それよりもこのウイルス騒動で、店にまったく客が来ないことのほうが深刻なのだという。そういえば、その夜もほかに誰もお客さんはいなかった。
 こちらは仕事の接待だったので仕方なく行ったに過ぎなかったけど。

 そんなわけで、映画館はいまガラガラ状態らしい。上映時間になっても誰も観客が居らず、上映中止になるケースも続出しているのだとか。
 で、行ってきました。郊外にある大型シネマ・コンプレックスに。

 まず駐車場に車を停め、チケット売り場へと辿り着いた。がらーんとしていて誰もいない。
 観たい映画は、邦画の「初恋」。
 海外の名だたる映画祭に出品して、各映画祭で大絶賛を浴びた映画である。ずっと観たいと思っていた映画だった。

 タイトルだけみると「初恋」というそのちょっと甘ったるい響きに後退りしそうが、映画自体は過激でハード。余命わずかだと宣告された若いボクサーが、ふと夜の歓楽街で出会ったヤク漬けにされた少女を救い出すというストーリーだ。
 各映画誌の評価は高い。

 チケット売り場で席決めしようと館内の席図モニターを覗いてみると、一席すら埋まっていないではないか!
 「えっ、俺、独りなの?」、「なんかそうみたいですね」とチケット売り場の女の子が笑う。
 「あのさあ、もしも俺が来なかったらその場で映画は中止?」、「いえ、一応誰も観客がいなくても、とりあえず30分間だけは上映します」。

 珈琲を買って中に入った。
 誰もいない広い会場にたった俺ひとり。一番後ろのど真ん中に座って映画を観る。
 これでいったい何度目になるだろう? たった独り映画館で映画を観るのって。長い人生、これまで10回ぐらいはあったかもな。

 貸し切り状態で「初恋」を堪能した。
 監督の三池崇史も彼の得意なジャンルなのか、水を得た魚のようだ。
 両親の顔も知らない、孤独で寡黙なボクサーを演じる窪田正孝もいいし、新人だという相手役の小西桜子も、ヤクザ役の内野聖陽や染谷将太も、悪徳刑事の大森南朋も、みんな生き生きとエネルギッシュに演じていて、観ている側も気持ちがいい。

 そして、なんといっても特筆すべきは、ベッキーである。
 ベッキーが凄い。
 半ぐれヤクザのおんなを演じているのだけれど、そのトチ狂った暴力行動に唖然としてしまう。吹っ切れているというか、完全に一皮剥けてしまったというか。狂気である。

 そして映画は混沌としたまま、ラストの狂乱バイオレンス・シーンへと一気に雪崩れ込む。
 さすが、三池崇史、上手いっ。

 「初恋」というそのスイートな響きの意味は、ラストのラストで明らかになる。
 良かったです、映画「初恋」。

 たった独り、映画館の中で、悦に浸りました。






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「森友自殺財務省職員遺書全文公開」の衝撃、久しぶりの日曜日青森港ウォーター・フロント10キロRUN。

2020年03月22日 | Weblog
 それにしても今週号「週刊文春」のスクープ、「森友自殺財務省職員遺書全文公開」、「すべて佐川局長の指示です」は、まれにみる衝撃度だった。
 異例の12ページに及ぶ特集もさることながら、自ら命を絶った近畿財務局職員の故赤木俊夫氏による遺書「手記」は、読んでいて胸が苦しくなってきた。

 今回は、記事を書いた大阪日日新聞の記者、相澤冬樹氏の真摯で緻密な文章がかなり光っていて、良質なルポルタージュとして読み通すことが出来る。
 記事の前半部分では、無念にも亡くなった赤木俊夫氏の妻の葛藤が綴られていた。
 つまり、自宅のパソコンには「手記」と題した文書が残されていたのだが、それを発見した彼女が、公開するかしないかで悩みに悩み抜いた2年間の葛藤が記されていて、夫を追って自殺をしようと心に決めていたという、その心情がまた痛々しい。

 組織とは、非情で不寛容で冷酷な生き物だ。
 もちろん、そこに集い、ある程度の年月を支え合いながら共に生きるという、前向きな運命共同体的側面もあるだろう。しかしその一方で、組織を頑なに守ることから生まれてゆくことで生じる、歪みや闇の部分もまた同時に共有している。

 社畜になってはならない。過剰な思い入れと肩入れをしてはいけない。
 組織に依存していたら、いつか必ずその実態のない、虚構の楼閣から大きなしっぺ返しを喰らうことになるだろう。

 自分の軸足をきちんと保つこと。自分の好きな趣味を極め、しがらみのない友人を見つけ、自らの規範を定め、「公」と「私」のメリハリをはっきりとつけること・・・。
 人生には思い掛けない「落とし穴」が絶えず待ち構えている。そこに落ちてはいけない。

 そんな今日は日曜日。
 午前中、太陽が久しぶりに雲間から覗いている。
 久しぶりに走ろう。そう決めて、ランニング・ウェアに着替え、ウォークマンを装着して外に出た。

 ランニングしたのはいつものコース。走りながら聴いていたのは「サカナクション」の「魚図鑑」と去年出たアルバム「834.194」。
 海辺に出たら、太陽は居なくなり、空はどんよりと曇って来た。
 それでも心地よい海風が噴き出す汗を拭ってくれた。
 遠くに聳える「八甲田山系」のてっぺんにはまだ鮮やかな色をした雪が残っていて、陸奥湾の彼方には大きなタンカーが浮かんでいる。

       僕たちはいつか 墓となり 土に戻るだろう
       何も語らずに済むならまたそれもいいだろう
       それもまたいいさ

 ウォークマンからは、「サカナクション」のそんな歌が流れている。







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ビートルズ主演映画「ハード・デイズ・ナイト」を観にゆく。初めてビートルズと出逢った頃の思い出が静かに蘇ってきた。

2020年03月21日 | Weblog
 僕はまだ小学生だった。

 祖父が当時経営していた籐細工の家具製作所に住み込みで働いていた映画好きのお兄ちゃんと二人で、家から歩いて10分もかからない場所にあった映画館(「シネマ・ディクト」の向かい側にその映画館はあった。今は高層のマンションが建っている)に、僕たちは映画を観に行った。

 僕は幼稚園のころから、毎週必ず週末になると、祖母と二人、青森市内の映画館を何件もハシゴしていて、たまに家に住み込みしている若い従業員たちにも、仕事がひけた平日の夜なんか、映画館に映画を観に連れて行ってもらっていた。
 その日観た映画はエルビス・プレスリー主演の「ハーレム万歳!」で、それと併映して上映していたのがビートルズの4人が主演する「ヘルプ! 4人はアイドル」だった。

 なぜ、その2本立てをわざわざ観に出掛けたのか、今ではまったく忘れてしまった。
 ビートルズにもエルビス・プレスリーにも特に興味はなかったはずだ。もしかしたら、住み込みで働いていた従業員たち―みんな若く、寝泊まりしていた部屋にはLPやEPレコードもあったと思う―のなかに音楽好きがいて、話題の音楽映画が上映されるといことで、たまたま一緒について行っただけなのかもしれない。

 映画「ヘルプ! 4人はアイドル」を観て、度肝を抜かれた。
 脳天に凄まじい勢いで楽曲が突き刺さった。
 映画の中で流れるビートルズの醸し出す素晴らしい音楽が、次々と鋭利な弓矢みたいに胸を打ち抜いてゆく。
 これは、まだ右も左もよく分からない田舎の小学生にはあまりに衝撃的過ぎた。

 ビートルズが主演した映画「ヘルプ! 4人はアイドル」を観たことが、僕の人生を決定づけた。本当だ。
 その影響たるや凄まじいものがあった。本当だ。

 それから数か月・・・というか、このあたりの記憶も今となっては曖昧だけれど、でもとにかくそれから暫くしてからのことである。
 なぜ、当時の小学生がその情報を聞きつけたのかも今では分からない。祖父が当時経営していた籐細工製作所に住み込みで働いていた映画好きのお兄ちゃんから聞いたのかもしれない。
 家から東部方面に約4~5キロ離れた場所にその当時あった映画館で、「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」が上映されるという情報を知ったのだ。

 映画「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」は、僕が最初に観ることになった「ヘルプ! 4人はアイドル」の前年に制作された映画である。
 つまり、「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」が1964年の制作で、「ヘルプ! 4人はアイドル」が1965年の制作ということになる。

 小学生にしてみると、その上映館は家から結構遠い場所に位置していた。
 今の青森市栄町の付近、僕がよくランニングをしてUターンする「合浦公園」の近く、東側にその映画館はあった。

 僕は、独り、とぼとぼ歩いてその映画館まで「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」を観に行くことに決めた。
 暑い時期ではなかった気がする。雪も降っていなかった。だから、春か秋だったかもしれない。
 映画代をポケットに入れ、家から歩いて国道へと出て、そこから国道4号線を東に向かってひたすら歩いた(たぶん)。

 国道を歩いているその時に感じた、穏やかな空気の流れ。ただそれだけを今でも微かに覚えてる。
 その時の気温も天候も時間帯も、何もかも思い出せないくらい遠い遠い昔のことになってしまったけれど、映画館へと、心細い気持ちを引きずりながらたった独りぼっち、ビートルズの映画観たさに不安を胸に秘めて歩いていた時に感じた、なにか得体のしれないあったかいもの・・・そういう、今ではとっくに失ってしまった力強さの源泉のようなものを、僕は今日のこの日、またここで思い出している。

 リチャード・レスター監督による、64年の初公開時には「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」の邦題がつけられていたモノクロ映画は、その後2000年のデジタルリマスター版から「ハード・デイズ・ナイト」へとタイトルが改められ、去年11月にもまた、公開55周年を記念してリバイバル上映された。
 それが、今日の2020年3月21日土曜日から、青森市でも「シネマ・ディクト」で短期間上映されることとなり、早速、第一回目の上映に駆け付けた。

 映画「ハード・デイズ・ナイト」本編については、今夏(初秋になるかもしれませんが)出版する「キース・リチャーズになりたいっ!!【外国映画・海外TVドラマ編】」に取り上げる予定なので、ここでその詳細等はあえて触れないけれど、「シネマ・ディクト」で映画を観終え、この数十年間の速過ぎる時間のなかで起こった様々なことまでが同時に蘇ってきて、帰り道、少し感傷的な気分になってしまったのだ。

 そう。
 いつか、すべては終わってゆく。
 いつか、何もかもが遠い忘却の彼方へと消え去ってゆく。

 そして、死んでこの世界からいなくなってしまったら、そんな儚い記憶の欠片さえ、細かい塵となって海の底深く静かに沈んでゆくだけだ。






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「雨。人生は最後に間違える」

2020年03月20日 | Weblog
 3月20日金曜日、春分の日。

 朝の7時ちょうど、いつものように「アレクサ」に起こされる。
 昨日の夜もあまり熟睡出来ずに真夜中何度も目が覚めた。それでも7時には起床し、新聞をまずは眺める。
 「朝日新聞」は、一面、「持ちこたえているが一部で感染拡大」、「大イベントなお慎重に」の大見出し。いつもの新型ウイルスの感染拡大についての記事で埋まっている。「2月の訪日客58%減」で「中国人客は87%減」とも書いてあった。
 地方紙「東奥日報」は、一面が「新型コロナ 学校活動一部で容認」。「大規模イベント 感染リスク対応」。

 がっかりしてしまったのは、ボブ・ディランの来日ライブが今回の感染騒動で中止になってしまったことだろうか。まあ、予想はしていたのだが・・・。
 4月5日の東京お台場「Zepp DiverCity」での公演チケットをゲットしていたのに、結局ディランには逢えなくなってしまった。予習用にアルバムをずっと聴き続けてきたというのに・・・。仕方がない。残念だ。
 すべてキャンセルだ。

 いつものように、たっぷりの野菜サラダとフルーツを入れたヨーグルトを食べ、スーツに着替える。
 今日は午前10時から某幼稚園の「卒園式」があって、主賓としてそこで祝辞を述べなければならないのだ。
 車を出して外に出ると、突風混じりの激しい雨。
 晴れたら午後には外をランニングしようと思っていたけれど、これだと無理だ。スポーツジムも今月いっぱい休むことにしているし。明日に期待しよう。

 幼稚園に到着して、園長先生と暫しの懇談。10時ちょうどに講堂へと入った。
 15人の可愛い園児たちが入場して来た。家族の方々が既にハンカチで目頭を押さえている。
 園長先生の挨拶でもうみんな泣いていて、こちらまでもらい泣きしてしまい、壇上に上がって挨拶をするように司会者に促されたのだけれど、演壇でまたまた涙が出てしまった。

 んもう。ほんとに涙もろくなったんだから。勘弁してよ。
 あえて読み原稿を用意せず、自分の言葉で真摯に語ろうと決めていたので、あまり長くならないよう短めの丁寧ではっきりした口調を心掛けて子どもたちに話す。
 それでもまた涙がぽろぽろ零れてしまった。
 可愛いのである、小さな子どもたちの姿を目の前にしていると。
 心配してしまうのである、こんな不寛容で予測できない世界の行く末をこれからずっと歩いて行かざるを得ない小さな子どもたちの姿を目の前にしていると。

 それでもなんとか厳粛なセレモニーは終わり、ホテルでの祝賀パーティーも自粛するということで、短縮された「卒園式」は無事に終了した。
 憂鬱な空から相変わらず冷たい雨が降り注ぎ、風も収まらない。

 家に帰ってスーツを脱ぎ捨て、ハービー・ハンコックの「処女航海」をBGMで流しながら、買ってきた「週刊文春」と「週刊新潮」と「週刊現代」を読んでゆく。

 「文春」の「志らく狂ってたね 妻が不倫相手に送ったLINEが凄い」も衝撃的な内容だったけれど(しっかし、志らく師匠本人がこの記事を読んだらいったいどう思うんだろう? 耐えられるんだろうか?)、「新潮」の「アベ大恐慌に備えよ」もなかなか読みごたえがあった。

 そして、今回は「現代」の巻頭大特集のタイトルがとにかく秀抜だ。
 内容は、単なる老後におけるライフプランについてのノウハウ記事なのだが、普段は買わない「週刊現代」を思わず買ってしまったほどそのタイトルに惹かれてしまった。

 【人生は最後に間違える】

 ああ、なんと示唆に富んだフレーズなんだ!
 そうなんだ、人生は最後の最後で間違える。

 みんな。心せよ!






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「おー! まい、がっ! ああ! なんてこった!」Vol.7

2020年03月19日 | Weblog
「検査の結果、それほど特殊で悪さをする菌ということではなかったです。安心してください」と県立病院の若き男性医師に告げられて、「よかったー、指を切らなくて」と安堵したのも束の間、「でも、親指の爪は剥がれるかもしれません」と最後の最後に言われてしまった。

 お腹が空いて空いて耐えられず、やっとの思いでラーメン屋さんを見つけてそこに入り、熱々のスープにモッチモッチの麺を絡ませ、ぶ厚いチャーシューと一緒に頬張っていたら、どんぶりの脇に小さな髪の毛がついていた・・・そんな感じだろうか。
 でもまあ、それくらい、どうということはない。

 今のこの時、世界の紛争地域で繰り広げられている数多の悲惨な戦闘や、飢えに苦しんでいる難民の人たちに比べたら、んなもん、なんの問題すらないことだ。というか、その苦しんでいる人たちに対して失礼極まりないだろう。
 なんなら、そのどこのものとも分からない毛ごと、ラーメンスープと一緒に飲んじゃったって構わない。
 ちくしょう、毛なんて全部まとめて食っちゃうぞ!

 かなりイケメンな若手の医師に対して心からの「ありがとうございます」を述べて、病院を出る。

 今冬はこれまでにない暖冬で、道路はカラカラに乾き切っていた。
 ボクシングジムに一緒に通う仲間からラインが入って、「大丈夫ですか?」と、心配する書き込み。
 診察結果を手短に知らせたけれど、しばらくの間、ボクシングは出来ないだろう。グローブをはめて左で打ち込むなんてまず不可能だ。サンドバッグを叩いたら激痛で飛び跳ねるだろう。

 医師からは、少しずつスポーツをやってもいいとまで言われたので、翌日から新しくオープンした「スポーツジム」に通って汗を流すことにした。

 まあ、それはそれとして、なんとまあ人間という生き物は、勝手で適当でその場限りのどうしようもない生き物なんだろう。
 最悪、左親指を切断しなければならない事態に陥るかもしれないと思った時は、心の中で神にすがり、「今までのことは全て悔い改めますから、何卒、お救い下さい! なんでもします」と祈っていたというのに(いやいや、本当に祈っていました)、治ってきたら治ってきたで、もうそんなことは遠くの彼方に忘れ去り、五体満足であることさえ当然のように日々の生活を送ろうとしている。困ったものだ。

 そんなバチが当たったのか、それから数日して、ものの見事に親指の爪が丸ごと剥がれ落ちてしまった・・・。

 人間は、人間として生きているというただそのことだけで、大きな原罪を負っている。
 人間とは、まことに哀しい。愚か過ぎる生き物なのだ。

 はいっ。確かにそうですね。





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「おー! まい、がっ! ああ! なんてこった!」Vol.6

2020年03月18日 | Weblog
 「青森県立中央病院」で4種類の血液検査とレントゲンを撮り、担当医師から「抗生物質が効いていないのかも。検体を行ってそれがどんな菌なのか調べて、もしも劣悪な菌だと判明したら大変なことに」と言われ、またまた一から仕切り直し。
 とほほ・・・。
 医師からは来週その結果が出るということだった。

 いったい、この指、どうなっちゃうんだろう?

 新しいスポーツ・ジムに入会したというのにそこにもまったく通えず、ボクシングだって当分出来なくなってしまった。とにかく、ひたすら家で静養するしかない。アルコールも禁止だ。お酒を飲むと、激しい痛みに襲われる。

 実は、2月下旬から「タイ」に4泊5日で行くことになっていたのに、これも残念だけれどキャンセルするしかないだろう。コロナ・ウイルスのこともあるし・・・。
 行きたかったなあ、タイ。
 となると、キャンセル料6万円を旅行社に支払わなければならない。
 とほほ・・・。

 既に申し込んであった「八戸うみねこマラソン大会」と「走れメロスマラソン大会」もコロナ・ウイルスの関係で中止となってしまった。残る「あおもり桜マラソン大会」だけは、まだやるともやらないとも現時点で発表がない。
 なんなんだ? ほんと、この令和2年に突入してから連続する数々のアクシデントは!
 指の結果もまだ曖昧なまま振り出しに戻ってしまったし。

 家に帰って、包帯を解き、傷口を恐る恐る眺めてみた。
 鋭利なメスで切り裂いた痕が三か所、生々しい。爪にも全部で三か所、穴を開けた箇所があった。
 またまた思い出してしまった。
 全身に悪寒が走る。その時の激しい痛みが脳裏に蘇ってくる。

 長い長い数日間が過ぎていった。憂鬱な日々。
 絶えず、左の指先から手の甲に掛けてズキズキとした痛みが襲って来る。
 もしかしたら、骨にまで菌が侵食してしまったんだろうか? やはり、検査の結果、かなり特殊な菌だと判明して親指を切断することになるんだろうか?

 やっと再度の検査日がやって来た。
 また早朝起きて、準備をしてから家を出る。
 病院に到着して、診察券を出して待合室に座って呼ばれるのをじっと待つ。
 2時間ぐらい過ぎただろうか。看護師さんがカルテを見ながらこっちの名前を呼んだので診察室へと入った。

 「検査の結果、それほど特殊で悪さをする菌ということではなかったです。安心してください」
 「よかったー!」

 ああ、指を切らなくても良かったのだ。なんとか繋がったんだぁ。
 それにしても随分、長い期間掛かっちゃったなあ。まあ、そんなことも指の切断に比べたらどうってことないけどさ。

 「でも、親指の爪は剥がれるかもしれませんよ」

 「えっ!?」







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「おー! まい、がっ! ああ! なんてこった!」Vol.5

2020年03月17日 | Weblog
 指の骨まで菌が侵食していたら切断も最悪ありうると、医師から衝撃的な事実を告げられ、心底めげてしまった。

 「そうかあ・・・もしかしたら指を切断するのかぁ・・・つまり身障者ということになるわけだ。痛いだろうな、指を切断するって・・・」、放っておいたらここまでになっちゃったのかよと、早めの治療をしなかったことをまた大いに悔んだけれど、もうすでに後の祭りである。すべて自分が悪い。

 スーツや着ている白いワイシャツに飛び散った真っ赤な血の跡と、普段の親指の3倍近くにもなった(もちろん、巻いた包帯の厚さもかなりのものだったけど)左親指を眺め、ひとり大きな溜息をつく。ズッキン、ズッキンと、大きな音が響く。

 親指に再度穴を開けたことでの痛みが絶えず襲って来た。長い診療を終え、薬局で抗生物質と痛み止めの薬を貰って、なんとか右手首を使って家へと車を走らせる。
 整形外科で書いてもらった「紹介状」を持って、明日の朝早く「青森県立中央病院」に行かなければならない。なんでこうも次々と、嫌なことばかり降り懸かるんだろう?

 まあ、最悪、指を切断するのは仕方ない、覚悟を決めよう(いやだけど)。でもそうなると、今度からランニングする時はいつも手袋をして走らないとなぁ。それに、友だちと会う時なんかも少し戸惑っちゃうよなぁ。色々他人と接触する際も気を使っちゃうんだろうなぁ、お互いに・・・。
 それより、なんだよなあ、授業をする時、学生たちもこっちに対してどういうリアクションしていいか結構戸惑うだろうなぁ、申し訳ないよ、気を遣わせることになっちゃって・・・なんて、色んなことを考える。
 
 夜。寝床に入っても中々眠れない。
 親指を切断するというその事を想像しただけで鳥肌が立ってきた。寒気もしてきた。
 仏教で説く、「四苦」のことを思う。
 「四苦」とは「生老病死」のことだ。この世に生まれること、老いること、病気になること、そして誰もがいつかは必ず死んでゆくこと、この4つが人間にとっての「四苦」なのだと仏教、釈迦は説いている。

 死ぬことそれ自体は別に怖いとは思わない。みんないずれ死ぬからだ。
 ただ、ほかの人と比べて少し思考がおかしいのかもしれないけれど、とにかく身体の自由を拘束されたり自由がきかなくなったり時間そのものが奪われたりすること、それだけは耐えられない。

 なので、重い病気に罹って闘病生活を送り、長きにわたって床に臥せるなんてこと、絶対に無理だ。それだけはなんとか回避したい。
 でもなあ、医学的に、「ピンピンコロリ」(病気に苦しむことなく、元気に長生きし、最後は寝付かずにコロリと死ぬこと。PPKともいう)の死亡例って、全体のたった3%に過ぎないらしいしなぁ。
 ということは、人間の97%が、壮絶な闘病生活の果てに(事故等で一瞬のうちに絶命することもあるだろうけど)病気で苦しみながら死んでゆくという、そういう厳然たる事実が待ち構えているのだ、我々の人生の最後には・・・。

 そんなことを考えているうち、外が白々と明けて来た。
 雪が降っているらしく、寒々とした夜明けの風景だ。
 車を出して「青森県立中央病院」へと車を走らせる。場合によってはそのまま入院・主術ということもあり得るので、キャッシュレスカードと現金も多めに持った。
 なんとなく、もの悲しい気分。

 そのうち心臓がバクバク鳴ってきた。
 ああ、なんにもない、ひたすら平凡で穏やかな日常ってやつを送ってみたい。ここ5、6年の人生って、あまりにもジェットコースターのように乱高下が激し過ぎるよ。
 この歳になっての変化が尋常じゃない。ふつう、もっと静かで緩やかな時間のなかを生きているんじゃないのかよ、周りの同年代ってさぁ。

 さすが「青森県立中央病院」、かなりの時間待たされ、やっと名前を呼ばれたと思ったら、新人の女性医師らしき人から詳細な経緯を聞かれ、4つの種類の血液検査とレントゲンを撮り、その後にやっと担当医師との面会が叶った。

 ここもまた20代後半に見える若い男性医師だった。
 痛々しい左の親指をじっと見て、「おかしいなあ。これって、もしかしたら飲んでる抗生物質が効いていないのかもしれませんね。検体を行ってそれがどんな菌なのか調べましょう。もしも劣悪な菌だと判明したら大変なことになる・・・」

 「えーーーーーーーーっ!!」






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