夢の中に、10代後半から20代前半まで住んでいた東武東上線「大山」のアパートが出てくることがよくある。
過去何度もここで書いてきたことだけど、その夢はほとんどいつもおんなじだ。
すでに僕はもうそれなりの歳になっていて、たまたま公務出張で東京都内に来ている。そこでの仕事が終わって時間が出来たので、ふと、昔住んでいた街の駅に降り立ってそこから4年間住んでいた「大山」のアパートに行ってみようと思い立つ。「池袋」から東武東上線で3つ目の駅「大山」に降り、賑やかな「大山商店街」を通って「川越街道」を渡り、広々とした「交通公園」と「板橋団地」を抜けると、そこはもう、僕が学生時代に住んでいた木造モルタル2階建てのぼろアパートだ。
もちろん、その階段を上がってすぐ右側にある当時暮らしていた8畳近い西日が差す一間の部屋には今では誰か別の人間が住んでいるはずだ。それでも僕は懐かしさから階段をそーっと上って部屋の前へと歩み出てみる。すると、なぜか部屋のドアが開いているのだ。
吃驚しながらも、恐る恐る、僕は部屋の中を覗いてみる。
すると、その部屋は、僕が昔暮らしていた時と同じ家具が置かれていて、机の上に載せていたステレオとスピーカーも本棚の中の書籍とLPレコードも、一切合切そのままの姿かたちで残っているのである。
驚いた僕は、焦りまくる。パニックに陥る。
「えっ!? 俺はまだ引っ越しもせずに、既に何年間も東京のアパートに荷物を置いたまま放置していたんだろうか!」、家賃もずっとあれから滞納したまま? どうしよう?
リアルに夢の中で焦りまくるのだ。
そして、そこで突然、目が覚める・・・。
いつも、僕の中には「東京」がいた。
それは別に、地理的な環境としての「東京」だとか、政治と経済と文化の中心都市としての「東京」だとか、華やかさと繁栄に彩られた大都会としての「東京」に対して抱いている感情とは少し違っている。
そこはいつも、自分にとっての「約束の地」であり、自己実現する「街」として、あるいは目指すべき最終地点として意識する「街」だった。
確かに、垢ぬけて洗練されていて、すべてが揃い、欲望と虚栄に溢れる「大都市」への純粋な憧れもないわけじゃないけれど・・・。
辛いとき、苦しいとき、死にたいと思うほど切ないとき、どん詰まりで四面楚歌に陥ったとき、ヘルタースケルターから逃げ込むべき「心の場所」はいつも「東京」だった。
3連休最後の月曜日の青森市内の積雪量は午前10時現在で5センチ。気温は+の1.5度。空は曇ってはいるけれど、とても穏やかで、まるで長い冬が終わった早春の北国の朝のようだ。
浅い眠りから目覚め、まずはテレビを点ける。
今日は「月曜断食」の日なので、朝食が摂れない。それでもお腹が減っている。熱い珈琲とヨーグルトに林檎をつけて食べたい。カリッカリッのパンにバターを塗って、ベーコンと目玉焼きと一緒に頬張りたい。そんな妄想は膨らんでゆく。
一日、なんとかこの空腹に耐えいこう。耐えてゆくしかない。
とりあえず何にもやることがなかったので、WOWOWでオンエアされていた「CRAZY KEN BAND TOUR PACIFIC 2019」の映像ライブを蒲団に入ったままで観る。2019年11 月17日日曜日「神奈川県民ホール」で行われたライブの模様だ。
クレイジー・ケン・バンドの最新アルバム「PACIFIC」のコンセプトが「港街」ということもあってか、ステージで披露する曲は「横浜」を扱ったものが多い気がする。ライブの前半で演奏した最新アルバムからの数曲(だと思う)がとても素晴らしく、アルバム「PACIFIC」が欲しくなってきた。
クレイジー・ケン・バンドの、潮の香る海風と太陽の輝きが浮かぶ素敵な楽曲を聴いているうち、「ああそういえば、俺も昔、神奈川県民ホールに彼女と二人、コンサートで行ったっけなあ」なんてことを思い出してきた。横浜にも、東京同様たくさんの思い出が詰まっているんだ。
「CRAZY KEN BAND TOUR PACIFIC 2019」のライブ映像を観ながら、蒲団の中で、独りぼんやりこんなことを考える。
この街を出て何処か遠くに行きたいな。行くなら「南」がいい。優しい春の息吹を感じる暖かい街がいい。
俺はなんで、この街に、必死になって今の今になってもまだ、こうしてへばりついているんだろ? もう自分自身に嘘をつくのはやめて、色んなものから自由になってもいいころなんじゃないのか? どうせ、あとそんなに長くはないんだし。
あらゆるしがらみを抜け出して、もう一度全部振り出しに戻したい。戻すことが出来るなら。
怠けてきたツケが、こうやって今になって襲ってきている・・・。