淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「終わりの2月」

2006年02月28日 | Weblog
 2月が終わる。
 今冬は、冬将軍が早く訪れ、そして暖気もまた早くやって来た。
 今日は昨日と同様に、一週間以上連続して続いた暖かさが終わって、寒さがぶり返している。
 雪が降り、風も強い。
 でも、確実に春の気配がしている。

 今日で2月が終わるのだ。終わりの2月。

 大きな仕事が済んで、凪の穏やかな毎日が続いている。
 定時に仕事を終えて、同僚のSと久しぶりの飲み。シネマ・ディクトの向かいの飲み屋さん。
 ざっくばらんな話に終始。たまにはこういう飲みもいいもんだ。遠慮もないけど、隠し事もない。焼酎を空け、焼き鳥に喰らいつく。

 千鳥足で、家までの道をふらふらと。
 人間の心の動きなど、いい加減なものだ。ちょっとした言動に動揺し、ちょっとした言葉で励まされる。
 脆くて、弱くて、慇懃で、悲しくて、切なくて、すぐに崩れ落ちる。
 でもなあ。友達だけは大切にしたい。
 だって、独りでなんて生きていけないもん。

 吉田兼好になりたい。
なんて、夜空を見上げながら思ってみる。
 「徒然草」を書いた吉田兼好は、生前、京の「双が岡(ならびがおか)」という里山に、「無常所」、つまり墓を設けていたらしい。
 「つれづれなるままに」その日を暮らしてゆくって、一体どういう感じなんだろうなあ。遁世者。孤独だろうなあ。でもそれをまた愛している。

 しっかし。よく言うよなあ。遁世者? ほんとは孤独に耐えられないくせに!
 
 吉田兼好は「徒然草」の中で言っている。
「人は、無常(死)の身に迫ってくることを、束の間であっても忘れてはいけない」と。
 そしてこうも叫ぶ。
 「ただ今の一念、空しく過ぐることを惜しむべし」と!
 つまり、今この一瞬を生きよ! ただ空しく過ぎてゆく事を、心から惜しむのだと!

 月日は儚く過ぎてゆく。
 人生も、ただこのまま、まったりと過ぎてゆく。
 2月が終わり、春が来て、そのうちまた夏がやって来て、そのうち秋が訪れる。
 何もかもは過ぎてゆく。ただ過ぎてゆく。

 ああ。
 人生って何なんだろう?

 

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「NHK・TVスペシャル『永ちゃん 俺たちはもう一度走れるだろうか』は力作だった」

2006年02月27日 | Weblog
 昔、日本武道館で矢沢永吉のコンサートを観たことがあった。
 それから、矢沢永吉がソロ・デビューする前のバンド、「キャロル」の頃もよく彼らのアルバムを聴いていた。
 最近は、まったく聴かなくなってしまったけれど、「キャロル」時代も含め、それなりに彼の音楽は、ずっと辿って来たように思っている。
 ただ、「キャロル」という日本ロック史に燦然と輝く伝説的なグループは、矢沢永吉のワンマンバンドでは決してなかった。それは、ジョニー大倉という素晴らしい相方が居てこそ生まれた音楽だと、僕は今でも考えている。

 日曜日の夜にNHKで放映された、ドキュメンタリー「永ちゃん 俺たちはもう一度走れるだろうか」は中々面白かった。
 このドキュメンタリーは、矢沢永吉を追った番組ではない。
 その熱狂的なファンたちの姿を追ったものだ。それも、今では中年になってしまった、デビュー当時からの、ある意味、永ちゃんを教祖とさえ仰ぐようなファンたちの現在を描写している。
 
 テレビに映し出される熱狂的ファンのほとんどが、40代だ。
 仕事が倒産して、独りで屋台を引きながら再起を図る男性。ケーキ屋を経営したものの、多額の負債を抱え、自己破産を申請する者。矢沢永吉のファンということがキッカケで結婚したものの、夫を癌で亡くし、現在は小さな会社の経理係として働く女性。
 それから。
 小さな会社を興し、何人もの子どもを抱え、狭い居間で永ちゃんのビデオを観ながら酔っ払う中年の経営者。妻と離婚をし、一軒家で独り淋しく暮らす中年の営業マン。などなど。

 その人たちも繋がっている。
 矢沢永吉のファンだという、たった一つの共通項で。

 途中で、永ちゃんのインタビューが混じる。勿論、事前にこれらの映像を観ているという前提で。
 永ちゃんは言う。
 「俺も滅茶苦茶叩かれたけど、みんなも叩かれたらいいんだよ。でも問題はその後なんだ。そのまま寝ているか、そこから歯を食いしばって立ち上がるか・・・」

 アーティストとしてのコンサートへのプレッシャー、次のアルバム製作、多額の借金返済(これは返済が終わったようだけど)、そして56歳という年齢・・・。
 中年になって、ドン詰まりになった人間たちも同様だ。もう崖っぷちまで追いやられ、逃げる場所さえない。それでも、もう一度、這い上がって走り続けるしか、彼らに残された道はない。

 この番組、NHK久々のヒットである。
 中年世代の今を切り取ることで、人生の秋という断面を描き切っている。
 少し時間が短いのと、表面的になぞった部分も若干否めないけれど。

 でも。勇気が出る。
 

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ディズニーのファンタジー映画、「ナルニア国物語-第一章-ライオンと魔女」を観る。

2006年02月26日 | Weblog
 岩波書店から既に発売されている「ナルニア国物語」。
 全七巻にも及ぶこのファンタジー小説、本国イギリスだけではなく、世界中の子どもたちの愛読書としても親しまれているようで、ハリウッドが目を付けない筈が無い。

 アメリカでは、クリスマス・シーズンにブエナ・ビスタ(ディズニー)から配給され、「キング・コング」と熾烈な興行戦が展開されたけれど、最終的に勝利をおさめたようだ。
 皮肉だったのは、その「キング・コング」の監督が、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作のピーター・ジャクソンだったということか。
 そして日本では、春休みに全国公開。
 多分、この映画も大ヒットするんだろうなあ。

 しかし、やはりこの「ナルニア国物語-第一章-ライオンと魔女」、「ロード・オブ・ザ・リング」と、どうしても比較してしまう。ファンタジーという性格上、仕方がないのかもしれないけど。

 第二次世界大戦の真っ只中、イギリスも戦火が激しくなり、4人の子どもたちは母親の元を離れ、遠い地方へと疎開をすることになる。
 厳しい使用人と顔を見せない館主だけが住む、その広くて古い屋敷で、かくれんぼに興じる4人は、大きな衣装箪笥の奥に全く別の世界が存在している事を知ってしまう。
 そこは、ナルニア国。
 白い魔女によって支配されたナルニア国は、100年という長い間、「春」を奪われてしまい、吹き荒ぶ雪を伴う「冬の国」にされていたのだ。
 そこに現れたのが、アスランと呼ばれているライオン。アスランはまた、この国の住人から深く慕われ、そして白い魔女を倒す事が出来る唯一の戦士と目されていた。
 果たして、アルニア国に紛れ込んでしまった4人の子どもたちの運命は?

 監督が、アンドリュー・アダムソン。
 CGアニメの「シュレック」で、アカデミー賞を取った監督だ。アンドリュー・アダムソンは、この映画の脚本も担当している。
 一応、第二作目の原作が「カスピアン王子のつのぶえ」だから、全七作の映画化も予定に入れての「第一章」だとは思う。

 うーん。まあ金を掛けてるしね。2時間以上の長丁場を飽きさせない作りにはなっているけれど・・・。
 山場のラストが意外とあっけない。
 それに、次に続けるつもりなら、もう少し何らかの工夫が欲しかった。
 
 個人的な好みの問題だけど、やっぱりゲームも「ドラゴン・クエスト」より「ファイナル・ファンタジー」が好き。
 この「ナルニア国物語-第一章-ライオンと魔女」も、明るいドラ・クエなんだよなあ。どこまでも開けている。
 暗くて切ない「ロード・オブ・ザ・リング」って、やっぱしFFだもん。
 そっちがいい。

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「アメノナカノ青空」

2006年02月25日 | Weblog
 金曜日が一番いい。
 どんなに疲れていても、週末を待つ楽しさがある。勿論これには前提があって、土日が必ず休みであるということ。これがないと、その楽しさは激減してしまう。

 残業を終え、外に出るとぐったりと疲れが湧き上がってきた。
 このまま帰ろうか。それとも寄り道しようか。
 韓国映画「アメノナカノ青空」をまだ観てない。
 最終上映時間が9時10分。急げばまだ間に合う時間だ。疲れた体に鞭打って、映画館までの道を急ぐ。

 首都圏では、もうとっくに「アメノナカノ青空」は上映を終了している。
 ところが地方では、この手の大ヒットを狙えそうも無い映画については、映画館の数も関係してか、少し遅れて上映されるのだ。
 悲しいことだけど、仕方がない。

 館内は、ほとんどがカップル。
 こういう人間ウォッチングも中々楽しい。
 でもネクタイにスーツ姿の男性は、僕を除いて一人もいない。カップルか、もしくは女性独りか、あるいは女の子同士か。

 韓国映画も、ある意味、あの訳の解らない怒涛のブームは去ったようだ。
 チェ・ジウと竹之内豊のTVドラマ「輪舞曲~ロンド~」も、期待したほどの凄い視聴率には到っていないようだし。
 これからの期待作としては、チャン・ドンゴン主演の「タイフーン」ぐらいか。監督も「友へ チング」のクァク・キョンテクだしね。

 で。「アメノナカノ青空」である。
 よくある恋愛映画の、それも難病もの。一歩間違うと、物凄いベタなラブ・ストーリーになってしまう危険性がある。
 
 母親と二人暮しの、高校生の女の子が主人公。
 難病を抱え、入退院を繰り返していて、母親は普通の生活をさせたいと、安定期に入ったことを確認し、娘を普通の高校に通わせる。
 ある日、ふとしたことで知り合う下の階の住人と、その女の子は仲良くなり、次第に孤独だった心を開いてゆく。マンションの階下の住人は、少し年上のカメラマンをしている男性だった。
 二人はやがて恋に落ちる。でも彼女は難病を抱えていて、二人に残された時間はもう少ない・・・。

 監督は女性で、イ・オニという人らしい。初めての監督作品だそうだ。
 そして主演の高校生を演じているのが、イム・スジョン。清潔感があって、ショート・カットが愛くるしい。それに、とてもいい演技をする。
 難病ものにありがちなワンパターンを救っているのが、監督の立ち位置であり、その眼差しである。
 なるべく感情移入をせず、二人の関係を優しく見守るというスタンスを取る。しかしそれは、クールとか冷徹とかとは違ったものだ。
 そこが、この映画を救っている。

 前のシートのカップルが泣いている。それから同じシートの女性も。

 僕は、エンド・ロールで立ち上がり、ひっそりとした金曜日の11時過ぎの街に出る。
 うーっ。寒い。
  

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「DREAMS COME TRUE」の新作「THE LOVE ROCKS」。これいいっ!

2006年02月24日 | Weblog
 「SWITCH」の最新号で、「DREAMS COME TRUE」の吉田美和と中村正人のロング・インタビューが載っていて、なかなか面白かった。
 吉田美和に対して今でも印象にあるのは、彼女がまだ無名で、アーティストを目指していた時期、札幌地下鉄に、「絶対、ユーミンを超えてやる!」っていう落書きを書いたという話。
 
 個人的には、「うれしたのし朝帰り」を初めて聞いて、そのメロディの素晴らしさにすぐアルバムを買い求め、それ以来、新作が発売されると即購入という状況がかずーっと続いている。
 コンサートにも何度か足を伸ばしているし、去年の「横浜アリーナ」も観ている。前作の「DIAMOND15」は近年の傑作だった。
 そして約一年ぶりに発売されたのが、この「THE LOVE ROCKS」。

 吉田美和は、「SWITCH」のロング・インタビューの中で、「ポップ」という事を意識してアルバムを製作したと言っている。それから「ROCKする」という事も。揺らす、揺すぶる、つまりはロックするということ。

 前作の「はじまりのla」のイントロから流れる。
 「DIAMOND15」を意識していることが読み取れる。続いている。
 トータル的には、これまでと同じ延長戦にあることは確かだろう。
 定番のスローな失恋ナンバー。ポップで弾けるアップテンポな曲。それらが、ちょうどいい配分で、散りばめられている。

 4曲目の「めまい」が抜群の出来。
 多分、これからも歌い継がれてゆく名曲になるだろう。
 桜の舞い散る中、若い二人が車の中で別れの言葉を言い合っている。とにかく、言葉が活き活きとメロディと融和しているのだ。
 『エンジンをあなたがかけたら 小さく一緒に震えた』とか、『めまいがするほど 散り出した花は さっきまで車が停まったその場所だけ ぽっかり空いた隙間埋めるように 散る』だとか、美しいメロディにぴったりと言葉が寄り添っている。

 それから、先行でシングル発売されている「JET!!!」や「SUNSHINE」や「何度でも」も、ちゃんと入ってる。
 全13曲。無駄な曲はない。
 ただし、前作「DIAMOND15」をこの新作は超えているか?
 個人的には前作の方が好き。
 でも、またこのアルバム、当然これからも聴き続けるということだけは確か。

 オリコン初登場第1位である。さすが。
 
  

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「夜を歩く」

2006年02月23日 | Weblog
 夜の街を独り歩く。
 
 一つの仕事が終わって、また別の仕事がやって来る。それを片付けても、その先には別の仕事が大きな顔をして待っている。そしてまた、それを汗を掻きながら片付ける。
 まるでメヴィウスの輪のように永遠に続いてゆく・・・。

 明日からまた忙しくなる。
 今日は凪の日だ。だから、たまには定時に退庁しないとね。
 重いコートを羽織り、ドアを押しのけ夜の街に飛び出した。

 真っ暗な夜空に星たちが点滅している。吐く息は白い。
 国道4号線沿いをゆっくり歩く。車のクラクション。家路を急ぐ人たち。ビル群には明かりが灯っている。
 青い森公園に入った。人は誰もいない。街灯の光が、高く積もった雪を照らしている。
 珈琲を飲もうか? その前に本屋にでも立ち寄ろうか? 何処かで独り、ぼーっとしていたい。
 官庁街はひっそりとしていて、人影もない。勿論、すべての窓には煌々とまだ明かりが点いているけれど。
 青森駅前にある、複合ビル「アウガ」の市立図書館に。
 そういえば、ここってCD借りられるんだった。
 基本的に、映画と本とCDは自分のお金で実際に手に入れたい(観たい)ほうなので、これまでCDは借りた事がなかったけれど、ジャズとロックのアルバムをピックアップ。手に入らない名盤がたくさんあった。3枚までは借りられるということなので借りることに。

 一通り、本棚を覗き、雑誌のコーナーで一休み。
 「アエラ」に、「新潮45」に、「週刊文春」に、「ランナーズ」に。片っ端から読み漁る。
 それから新聞をぺらぺら。
 ライブドアのメール問題で、結局、自民党と民主党の党首討論においては新証拠が出る事がなかった。
 このままだと、爆弾発言を行った永田寿康議員は、辞職するしか道はないだろう。中々の論客だったのに残念。この人、東大から官僚になって、結局、政治家になった人。戦略を完全に間違えた。単に、こういう文書を入手したがどう考えるかでよかったのに。

 しかし。トリノ・オリンピック。
 まだ日本はメダルが一つもない。別にいいんだけど。
 今日はフィギュアスケート女子。いよいよ佳境。今夜もまた徹夜かよ。

 朝日新聞の地方版コラム「経済羅針盤」。
 いつもながら、日銀Sさんの書きっぷりはシャープ、かつ的確。今日は「危機感乏しい建設業」。
 僕たちが創った、ショート・フィルム「loveless」にも、何も言わずに出演していただいたし、本当にフットワークの軽い人だ。
 その「loveless」。
 もう一度、敗者復活戦という話もちらほらと・・・。
 うーむ。
 確かに、あの出来には全然満足してないけど。
 自主映画の難しさと楽しさと。

 魔物ではある。
 
 

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遂に発売された、吉田美奈子待望のニューアルバム「Spangles」。

2006年02月22日 | Weblog
 今日は割りと早めに仕事が終わった。
 勿論、もうすっかり日が暮れてはいるけれど・・・。
 昨日の夜は霧が街を包んでいた。気温も上昇していて、雪は猛烈な勢いで解け始めている。もうすぐ、長い冬も終わるのだ。

 ゆっくりと、散歩がてらに遠回り。
 官庁街通りにある「青い森公園」の中を歩く。
 背丈まである雪。でも、幅1mぐらいの狭い道が付けられていて、人は誰もいない。吐く息はまだ白いけれど、どことなく暖かい。風もない。
 官庁街のビルには、まだたくさんの窓明かり。
 真っ暗な夜空に星が光っている。
 優しい風が頬にあたる。春の匂いがした。

 家に着くと、アマゾンからCDが届いていた。
 吉田美奈子、待望のニューアルバム。
 タイトルは「Spangles」。
 早く聴きたい! ドキドキしてくる。
 吉田美奈子がアルバムを出すという噂は、ミクシィでかなり早くから流れていて、即、予約をしてしまった。どんな音になったのか、とても知りたい。

 ジャケットのモノクロがいい。
 吉田美奈子が微笑んでいる写真。
 一曲目が流れる。「FUN!」というナンバー。
 少しルーズだけど、ファンキーな曲。そして続いて「H00P」、「RIM」と続いてゆく。
 全体をまず通して聴いてみると、シックで、どちらかと言えば、落ち着いた静かなアルバムに仕上がっている。
 ちよっと異質なのが、8曲目の、「NETKING」という重いファンクな黒っぽいナンバー。吉田美奈子が、ネットオタクや社会的なテーマに歌っているのも異質だけれど、全体的な曲の流れの中でもこの曲だけが際立っていて、何となく違和感を感じてしまう。

 でも、3曲目は名曲。
 「RIM」という、美しいメロディと歌詞を持った曲だ。何度繰り返して聴いても素晴らしい出来栄え。
 まだ、そんなにアルバムを通して聴いていないので、アルバムの評価は出来ないけれど、もう少しポップなものになるのかな、なんて勝手に想像していたので、肩透かしを食ったのは確か。

 それでも、聴けば聴くほど味が出てくるアルバムもまたあるわけで、この「Spangles」のコンセプトである「歓びの光」というものが、何れゆっくりと湧き上がってくるのかもしれないし。
 そしてまた、僕は「RIM」という曲をチョイスしてしまう。

  
   時を少し切り取って心の余白にCollageを重ねても
   願いはまだ色の無い輪郭だけのSketchに思えるから


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「伝説のポルノ映画のドキュメント、『インサイド・ディープスロート』を観る」

2006年02月21日 | Weblog
 しかし、言葉って本当に難しい。
 自分の意思伝達とは全く別の方向に進んだりする。よかれと思って一生懸命頑張っても、全然別の評価が下ってしまう。適当に泳いでいるほうが、人間って得策なのかも。傷付くよなあ。
 やれやれ。

 傷心を抱きながら、残業を終えて夜の街へ。
 レイトショーなら何とか走れば間に合いそう。
 で、シネマ・ディクト。
 ドキュメンタリー映画の「インサイド・ディープ・スロート」。

 告白すると、最初にビデオ・デッキを買って、こっそりと観たポルノビデオが「ディープ・スロート」だった。
 友達から借りてドキドキしながら鑑賞したんだけど、画質も悪く、確かに凄い内容ではあったものの、ピンとこなかった。
 シネマ・ディクトの谷田さんによると、アメリカ・オリジナル版と日本で流通していたバージョンでは全く内容が違うのだとか。
 日本で流通されていたバージョンは、ズタズタにカットされたもので、ほとんどオリジナルから遠く離れたものなのだそうな。

 「ディープ・スロート」は1972年に作られている。
 主演のリンダ・ラヴレイスは、この映画で超有名なポルノ女優としてマスコミ等に祭り上げられるのだが、その後、あっと驚く人生を送る事になる。その顛末は映画を観てもらうしかないけれど、とにかくビックリさせる。
 そして、主演男優のハリー・ニームス。
 彼もまた、この映画の成功で数奇な人生を歩むことになる。

 このドキュメンタリー映画は、その性描写を含めて大センセーションを巻き起こした一本のポルノ映画の成功と、その後の波乱万丈の航海を、関係者たちのインタビューを通して語られる。
 著名人も多数出ている。
 当時のニクソン大統領に、作家のエリカ・ジョングに、コッポラやヒュー・ヘフナーも。インタビューは100人にも及ぶ。

 この作品、中盤から後半にかけて俄然面白くなる。
 当時の共和党政権のポルノ弾圧、ポルノ産業に暗躍するマフィアたち、監督や出演者たちの波乱万丈な行く末、それからラストに提示される、主演女優の衝撃の末路。

 わずか25,000ドルで作られた低予算のポルノが、「タイタニック」を超える6億ドルものお金を稼いだのだ。
 これこそ伝説のポルノ映画。

 シネマ・ディクト。
 観客に若い女性が目立った。ちょっと恥ずかしかったけどね。 
 何せ、このドキュメンタリー映画も18歳未満禁止映画なのである・・・。

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「カーリング映画『シムソンズ』。全然期待しなかったら、これが意外と面白かった」

2006年02月20日 | Weblog
 イタリアのトリノで開催している冬季オリンピック。
 現時点で「日本女子カーリングチーム」、ちょっと一次予選突破は無理のようだけれど、競合国を相手にかなり頑張っていると思う。
 カーリングは全くやったことがないけれど、僕の住む街は「カーリングの街」でもあり、この地で来春、「2007 世界女子カーリング選手権大会」が開催される。

 日本映画「シムソンズ」。
 正直に言うと、全く期待などしていなかった。
 ちよっとカーリング映画そのものに興味があったし、まあいつものように、じゃあ観てみるか、という程度だった。

 映画そのものは、偉大なるワンパターン。
 スポーツ映画に必ずある、友情、苦難、勝利、という、いつもの予定調和な展開に終始する。
 主人公は、北海道常呂町の女子高校生。
 街はカーリングによる町おこしと、町民のスポーツ振興に努めているのだが、この女子高校生、そんなことより、男子のカーラーで現在は有名になった選手にお熱で、ただそれだけのためにカーリングを始めるのだ。
 友達を丸め込み、チームを立ち上げるのだが、他のチームで浮いている選手を押し付けられ、今は漁師で身を立てる元選手をコーチに当てられてしまう。

 ベタな会話。緩い笑い。仲間同士のトラブル。猛特訓。そして大会出場。
 これまで作られた数多のスポーツ映画を、この映画も完全になぞっている。
 しかし。
 この映画を救っているものがあるのだ。
 それは・・・。
 まず、北海道常呂町の風景の美しさ。
 オホーツク海から吹き荒れる海風の音。サロマ湖の色。街の静けさ。太陽の光。そのどれもが素晴らしい。
 匂って来る。
 それから、コーチ役の大泉洋。これが抜群にいい味を出している。
 よくある駄目コーチなのだが、飄々とした演技。

 主役の加藤ローサと、チームの残る3人もまた何とも言えずにいい。
 正直に言うと、加藤ローサと藤井美菜はとてもきれい。

 いくらでも批判が出来る映画である。つまんないという人もいるだろう。
 でも、この映画を他のスポーツ映画の悪しきパターンから脱出させているのは、監督の力量に寄るところがあるかもしれない。 
 佐藤祐市。テレビの「ウォーター・ボーイズ」を演出した人。手馴れている。そして、何処となく優しさが感じられる。

 群を抜いた、素晴らしい日本映画ではない。
 でも、少しだけ、冷たい心は暖めてくれる。そんな映画だ。
 

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「少年ジャンプで連載中の漫画『DEATH NOTE』、これが中々面白い」

2006年02月19日 | Weblog
 今話題の漫画「DEATH NOTE」を読んだ。
 一巻だけをとりあえずと思って読んだら、やっぱり次が読みたくなってくる。中々面白い。

 小畑健の漫画タッチって、ちょっと冷たい線で、大人っぽい描き方だから、こういう漫画の匂いをよく捉えている。
 でも「愛・友情・勝利」の少年ジャンプが、よくこういうちょっと過激な漫画を連載させたものだ。確かに、最近のジャンプを含めた少年誌は発行部数が激減して、そのシェアを青年誌に奪われている感があるけれど、異質であることに変わりはない。

 死神が人間界に落としてしまった「DEATH NOTE」。
 この黒いノートに、思い描く人物の名前を記入すると、その人間は必ず死ぬ。例えば、死因書かずに名前だけ記入すると「心臓麻痺」で、それから名前のあとに死因を特定して書き込むと、必ずその死因で死ぬのである。
 そのノートを拾った人間は、それを持つ事自体を拒否することも勿論可能だ。しかしその場合は、記憶を消され、また普通の日常に戻されるだけだ。

 漫画は、それを拾った、夜神月(らいと)という全国共通模擬試験第1位の天才少年を中心にして描かれてゆく。
 彼は、この世界を浄化しようと、世界中の凶悪犯を「DEATH NOTE」に書き込み、次々と殺してゆくのだ。
 そしてそれに絡んでくるのが、その死のノートを落とした、死神のリュークという男。当然、人間界においては、らいと以外その姿を見る事は出来ないのだけれど、このキャラがまた何ともすっ呆けていて面白い。憎めないキャラなのである。
 まあ、そういう点が漫画の持つ長所でもあるのだけれど。

 「DEATH NOTE」は、コミックスで既に10巻まで発売されている。
 小畑健は「ヒカルの碁」に次ぐ大ヒットである。
 そして、この漫画、遂に実写として映画化が決定した。
 主演は藤原竜也、監督が金子修介。
 金子監督は期待できそうだ。何せ、あの「ガメラ」を復活させた男で、これまでも数々の秀作を生み出している素晴らしい監督である。
 それに映画版の「DEATH NOTE」は、二部構成になるようで、若干の期間を置いて連続的に上映してゆくらしい。

 漫画は、過激で、少年誌に相応しい内容かと問われれば、ちょっと疑問も残るけれど、原作者は、そういう点を考慮してか、科白に偏りを避けるような配慮もまたしている。
 最終的にどのような顛末を迎えるのか、大変興味があるし、日本の漫画の最近における秀作のひとつであることに間違いはない。

 

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「HERE COMES THE SUN」

2006年02月18日 | Weblog
 土日も仕事になった。
 週末は、走ったり、映画を観たり、オリンピックを見たり、本を読んだりして、ゆっくり過ごそうと思っていたのに・・・。

 朝の8時に仕事場に向かう。
 会議は10時から。本当は、今日は一日、融雪歩道完成記念、歩いて楽しむ「小春通りまつり」というイヴェントがあって、午前11時からの「健康雪かき体操」と「キッズマラソン」の担当になっていたのに、仕事が入ったためドタキャンになってしまったのだ。
 ごめんなさい。T様。
 でも会議まで若干の時間があったので、イヴェントの準備作業に参加する。

 10時からの会議。
 お昼も食べずに、休憩を挟んで午後まで延々と議論。
 外をふと眺めると、久しぶりの蒼い空。
 何でこんな晴れた日に、仕事なんだろう。

 夕方に会議が終了。あとは、明日のトップ会議へと持ち越し。
 全員、疲れ切っている。スタッフたちのほとんどが、ろくに寝ていないのだろう。
 
 夕暮れの街。澄み切った空気。でも寒い。
 T女史、S女史、S中さんと合流。しばしの雑談。落ち着く。
 そのあと、これも久しぶりに会ったY君を交えて、海辺に近い店でお茶。
 仕事が絡まない会話って、何でこうストレスが溜まらないんだ?
 
 夜、車で郊外の本屋さん。
 「クーリエ・ジャポン」に、「SWITCH」に、「ターザン」に、「週間文春」に、「フライデー」に、「週間ファミ通」。
 雑誌を読むのって、本当に楽しい。

 それにしても、今日は久しぶりの青空だった。
 ビートルズの「HERE COMES THE SUN」を口ずさむ。
 ジョージ・ハリソンが作った曲。「アビイ・ロード」のアルバムに入っている。
 そのジョージ・ハリソンも亡くなってしまった。
 

      ほら、日が昇る
      もう大丈夫だよ

      長い寒い淋しい冬だったね
      まるで一挙に何年も経ったみたいだね
      ほら日が昇る
      もう大丈夫だよ
              -ジョージ・ハリソンー

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「蒼茫」

2006年02月17日 | Weblog
 また雪になった。
 灰色の空から真っ白な雪が、次々に降り注ぐ。
 今日は金曜日。
 本当なら一番楽しい曜日のはずなのに・・・。

 夜まで、会議と仕事の説明と根回しが続く。
 間接的に聞いた、仕事から派生する個人的な批判や非難。
 無視しようとしても、やはり心は傷付く。強気で押そうとしても、それでも心は痛んでゆく。
 解り合える仕事仲間だと信じていたのに・・・。

 誰も悪くはないのかもしれない。少しの誤解と、それを阻む情報の歪曲化。
 でも結局、自分が悪いのだ。
 もう媚びるのは止めにしよう。全方位外交など無理なのだ。自分を信じてくれる人間だけと歩いていこう。誤解するならすればいい。

 尊敬するK上司と、某芸術センターのH館長と3人で待ち合わせ。
 そのまま夜の街へと繰り出す。
 雪は相変わらず、その勢いを止める事はない。寒い。凍えるような夜。
 ワインを飲みながら、時の話題を語り合う。
 ここには、オブラートで包んだような言葉や、嘘や、仕事を背負っての建前の言葉はない。
 だから、軽くてスイングしている。とても楽しい時間。
 コルトレーンの「至上の愛」を聴きながら飲む、美味しいワイン。
 ちょっとミスマッチかな。

 明日と明後日が仕事になったので、余り深酒は出来ない。
 11時過ぎには解散。
 雪降る夜の街を独りで歩く。
 酔った若者たちが気勢を上げている。心から笑い合っている。

 あんな時代が確かにあった。
 未来は輝いていて、何処までも走れそうに思っていた。
 馬鹿げた悩みや、どうでもいいような煩わしさなど、すぐに吹き飛ばした。
 深い絶望や、言いようのない空しさや、苛立ちや、苦しさは確かにあったけど、今のようなどんよりと濁ったものじゃなかったはずだ。

 俺は一体どうなっちまったんだ?
 まるで、濁り切った黒墨色の水溜りのようだ。
 
 澄み切った、遠くまで広がる蒼い空が見たい。
 脱出・・・再生・・・。

 あらゆる束縛から。あらゆる柵(しがらみ)から。あらゆる拘束から。
 ああ。
 汚れた体をさっぱりと洗い流すように、それから曇天の雲がゆっくりと開けてゆくように。

 何もかも棄て去って、新しく生まれ変わりたい!
 

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「厳冬の大雪原を疾走する感じ! U2の『ライブ・フロム・シカゴ』はロックの王道を往く!」

2006年02月16日 | Weblog
 最近はちょっと菜食主義に走り過ぎていたようだ。
 やっぱり、肉である。血の滴るようなレアなステーキ! これがなかった。
 元気が出るわけがない。安定感や持続力を保つにはいいかもしれないが、瞬発力と、ここぞという時の力を出すには、何といっても肉である。
 動物性タンパクの摂取である。

 いやいや。実際の食事じゃなくて音楽の話ね。
 最近、ちょっと日本の音楽しか聴いてなかった。
 いわゆるJポップ(嫌だね、この言葉。でも現在では完全に市民権得ちゃったし。別の記号が出ていない以上、仕方がないでしょう?)だけを意識的に聴いてきたから、本場のロックが恋しくなってきたのである。

 王道を往くロック。ストレートなロック。腹の底から沸きあがるロックが聴きたい。

 2004年にリリースしたアルバム「ハゥ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム」を引っ提げての「ヴァーティゴ・ツアー」を展開したU2。
 そのアメリカシカゴでのコンサートの模様を観た。

 U2の音楽を聴いていると、大雪原を猛スピードで疾走しているような感覚に襲われる。
 U2には厳しい冬が似合う。

 改めて「バーティゴ」のビデオクリップを観たのだけれど、実にカッコいい。スピード感がある。滅茶苦茶ロックしている。
 アルバム「ヨシュア・トゥリー」の爆発的大ヒットからというわけじゃなく、その前から、U2の評価は絶大だったし、人気もあった。

 僕が最初にU2を聴いたのは、アルバム「WAR」。そしてその次の「ブラッド・レッド・スカイ」。
 「ニュー・イヤーズ・ディ」の素晴らしさ。これがロック。
 勿論、この「ライブ・フロム・シカゴ」の映像の中でも演奏している。
 いつ観てもカッコいいのは、エッジのギターである。刻み込むようなカッティング。ギターの音が研ぎ澄まされている。
 それから、ラリーのドラム。クリアでソリッド。

 「ライブ・フロム・シカゴ」は、編集の関係なのだろうか、少しアコースティック・ナンバーが多いようにも感じられる。
 でも実際は、もっとハードでエキサイティングなライブなんだと思う。

 もうそろそろ、本場のロックに戻ろうかな。
 やっぱり肉をかぶり付かないと。
 まだまだ、飢餓感が足りないんだろうか?

 そして4月4日、日本の日産スタジアムに、U2は再上陸する!
 観たいっ!


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「2カ月半ぶりに最低気温が0℃を超えた日、養老孟司の『超バカの壁』を読む」

2006年02月15日 | Weblog
 見る見るうちに雪が溶けてゆく。
 10℃である。何と10℃!
 75日ぶりに、最低気温が0℃を超えた。積雪量も111cmまで落ちたらしい。
 青空が見たい。抜けるような青空を。
 そしたらmixi仲間の女性が、春を告げる美しい写真を掲載してくれた。心が和む。そうかあ。関東地方はポカポカ陽気なんだよなあ。

 まだ外を散歩出来るような道路状況でもないし・・・。
 仕方ない。本でも読みますか。

 養老孟司の「超バカの壁」。
 「バカの壁」、「死の壁」に続く、新潮新書の第三弾。
 これも多分バカ売れするんだろうな。

 「バカの壁」は面白かった。
 話が通じない相手の間に横たわっているものとは一体何なのか? そこには大きな「壁」がある。つまり「バカの壁」が・・・。
 「聖戦」ジハードと言う名のもとに続く民族間の紛争や、国家間の戦争。そこには、ひたすら一方向のみを思考し続けるという、大きな「壁」が横たわっているのだと。
 養老孟司は言う。
 テロや戦争がなくならない理由は、一元論だからなのだと。
 自分の頭の中に「バカの壁」を築き、その向こう側にあるものなど全く思考しない。全て自分にだけ正義があり、他方には全くないというように。

 「超バカの壁」で興味を惹いたのは、「男女の問題」という章だ。
 男女の違いは、性染色体によって決まるのだけれど、受精したあと、それが男性か女性か、つまり性腺原基というらしいのだが、精巣になるか卵巣になるのかは、胎生期の七週目に決まるのだそうな。

 詳細はここでは省くけれど、男性だけにあるY染色体が、本来ならば「女性」であるべきなのに、余計な邪魔をする。ベースとなっている「女性」をわざわざ男性ホルモンがしゃしゃり出て、「男性」生殖器の形に変えてしまう。
 だから「出来損ない」は「男性」に多いのだと。
 それは勉強が出来るとかではなくて、偏った人、極端な人という意味での。
 うーむ。

 「超バカの壁」は、前々作の「バカの壁」に対する実践的な読者からの問い合わせに総括的に答えるという形式で、様々な問題について言及する。
 勿論、それはQ&Aという形ではないけれど。
 「テロ」、「男女」、「子ども」、「靖国」、「反日」などなどについてだ。

 「バカの壁」は、最終的には我々自身に降りかかる。
 誰もが、自分だけは「バカの壁」など無いと考えている。
 100パーセント正しいなんてないのだと、養老孟司は言う。せいぜい60パーセントぐらいが妥当だろうとも。

 そうは言っても・・・。
 中々そこから人間は自由になれない。
 そして今日も、ギクシャクとした人間関係の渦の中に、私たちは放り出されるのである。

 俺は間違ってなんかいない! 周りの奴らがバカなんだ!
 よくある話である。
 
 

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「平成17年度下半期 芥川賞受賞作品 絲山秋子『沖で待つ』を読む」

2006年02月14日 | Weblog
 今期の芥川賞は、絲山秋子の「沖で待つ」という小説が受賞した。
 直木賞は、東野圭吾の「容疑者Xの献身」。このミステリーも中々面白かった。

 僕は絲山秋子の小説を読んだ事がない。
 というか、近頃は「群像」とか「文学界」とか「文藝」とかの、いわゆる『純文学』系の雑誌を含めて、その手の小説は全く読んでいないと言っていい。
 
 純文学系の新人賞募集は、そのほとんどが3月末の締め切りである。
 僕は何度かそれらの新人賞に応募しようと試みた事があった。
 締切日から逆算して、「よし! 書くぞ!」と決め、パソコンに向かうのだが、いつも2、3枚で挫けてしまう。
 だから、大手出版社が主催する小説の新人賞部門に対して、僕が応募したのは、過去たった1回だけである。見事に落ちたけど・・・。

 危機感がないのだ。
 就職しているし、駄目でもともとと考えている。
 そして、いつも忙しさを理由にする。本当は単に書けないだけなのだ。
 毎日、ゲームをしたり、ジョギングしたり、映画を観てしまう。
 全くだらしがない。

 「沖で待つ」を、初の女性総合職小説とか、純文学で初めての女性キャリア小説の誕生と評価するむきもあるようだ。
 絲山秋子は、その略歴に「住宅設備機器メーカー」に就職と掲げている。写真を見ると人柄も凄く良さそう。まあ、別に小説とは何の関係もないんだけど。

 短編小説である。
 女性総合職である「私」と、「太っちゃん」とあだ名される同期入社男性との交流を描いている。
 二人に恋愛感情はない。
 「惚れてるな?」とか、互いの会話の中にそれらしい言葉は盛り込まれるのだが、あくまでも軽いノリでしかない。
 やがて気のいい「太っちゃん」は、社内恋愛を経て結婚に辿り着き、同期の二人は転勤によって別々の土地に別れることになる。

 二人は秘密の約束を交わす。
 もしも、不意にどちらかが死ぬような事態になったら、お互い持っているパソコンのデータを秘密裏に破壊することにしようと。
 個人のパソコンには、人に言えないような恥ずかしいデータがたくさん入っているし、ハードディスクを壊したらそんな秘密が広がることはない・・・。
 それは、あくまでも単純な、どうでもいい軽い約束に過ぎない。
 やがて「太っちゃん」は、不意の事故で死んでしまう。
 「私」は、同期で友達である彼のアパートに忍び込み、そのパソコンのハードディスクを破壊する・・・。

 筋だけを言えば、ただそれだけの小説だ。
 簡潔な文章。無駄な言葉を全部削ぎ落としている。
 選考委員の黒井千次が「男と女の新しい光景」と評価し、同じ作家の池澤夏樹が「ハードディスクの破壊という共通の約束によって、彼女と死生観を共有している」と述べているが、小説の最初と最後にファンタジーという手法を用いることで、この小説にそこはかとないユーモアと、それとは反対の悲しさや切なさを醸し出させていることは間違いない。
 ただ、個人的な嗜好としてはあまり得意な作風ではないけれど。

 こうして、覚悟とやる気のある作家たちは、どんどん世の中に挑んでゆく。
 組織の中でヌクヌクと生きているような生温い人間に、そんな覚悟や目標などあろうはずがない・・・。

 

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