フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 今クール(1~3月期)のテレビドラマで楽しみにしているのは『アイのない恋人たち』だと、先週のこのブログで書きました。それは確かなのですが、加えて今SNSなどで話題の『不適切にもほどがある!』は、今クール作品の中で抜群に面白いです。この作品についてはいずれ書きたい気持ちがありますが、今週の放送で目についたのは歌詞の時代差です。
 今週放送の第4回では、主人公が生きていた1980年代の歌謡曲の歌詞が2020年代になって取り上げられます。たとえば、島津ゆたか『ホテル』の「手紙を書いたら叱られる 電話もかけてもいけない」という歌詞は、2020年代では、「モラハラ男とストーカー女の不倫ソングじゃん」と全否定されます。また、沢田研二の『カサブランカ・ダンディ』の「ききわけのない女の頬を 一つ二つはりたおして」という歌詞は、「はいダメー! もうこれパワハラっていうかDVじゃん」と歌の途中で止められてしまいます。私はテレビドラマ研究者ですので、テレビドラマにおいても、過去の作品のシーンで現代では放送できなくなっている箇所など、この手の時代差を痛感することがたびたびあります。
 今日はテレビドラマではなく、歌謡曲の歌詞についてなので、その方向で書くと、過去の歌詞を現代から見ると「う~ん?」と悩んでしまうことが少なくありません。私の好きな中島みゆきの歌詞にも、以前は「男は~、女は~」というフレーズがしばしば登場していました。そういう表現を一概にいけないとは思わないのですが、現代では通用しにくくなっていることは確かです。この中島みゆきの歌詞についても、いずれ研究対象にしてみたいというのが私の野望です。
 それ以外で一つ思い浮かんだ曲は、中西保志『最後の雨』(1992年、作詞:夏目純 作曲:都志見隆 ※現在放送中の『離婚しない男―サレ夫と悪嫁の騙し愛―』のエンディング曲))です。これは私のカラオケ得意曲の一つなので、世の中で歌唱禁止になったりすると困るのですが、現代から見ると歌詞にかなり気になる箇所があります。内容としては、去っていこうとする女性とその女性を想い続ける男性とが描かれている歌詞で、その中に次のような表現があります。

 本気で忘れるくらいなら
 泣けるほど愛したりしない
 誰かに盗られるくらいなら
 強く抱いて 君を壊したい

 さよならを言った唇も
 僕のものさ 君を忘れない

 1990年代には情熱的な愛の歌だったのだと思いますが、現代から見ると「誰かに盗られるくらいなら強く抱いて 君を壊したい」にはDVの要素や、(ストーカー行為やリベンジポルノを引き起こしかねない)別れた後の強い執着が連想されてしまいます。また、「さよならを言った唇も僕のものさ」というあたりには、女性の身体をモノ化して所有したいという願望が見えてしまいます。この歌を検索すると、歌詞に込められた情熱を賞賛するコメントがある一方で、「歌詞が怖い」といった意見も出てきます。その意味でも、今日のテーマの時代差が強く感じられる歌詞の一例です。
 とはいえ、先に書いたように、この曲は私のカラオケ得意曲の一つなので、もし私が歌っても、歌詞の時代差に関しては大目に見ていただけるとありがたいです。

※このブログはできるだけ週1回(なるべく日曜)の更新を心がけています。





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