11:00から研究会。お昼までは秋に出版する予定の注釈書の校正の処理を行う。十余名の分担執筆なので、担当箇所のゲラを仕分けする。朝、会場を開けた時にまだゲラが届いていなかったので焦ったが、1時間ほどして届きホッとした。
昼食後は17:00まで輪読会。今日は難しいものが多かった。私の発表分にもさっぱり分からない個所がある。Nさんも元気にヨーロッパ長期旅行?から帰国された。エストニアの大学院生のエピソードをお聞きする。ソ連が崩壊した時、その院生氏は高校生だったそうだが、学校で、今まで教えたことはすべてウソだったので忘れなさいと教師に言われたそうだ。どこかの国で聞いたことのあるような話である。そこで、方丈記に関心があるのだという。堀田善衛みたい。価値観が崩壊した時代状況に、鴨長明は不変性があるということだろう。来年は方丈記成立800年となる。そういえば、来年度インドから受け入れることになる国費留学生も、方丈記を研究したいらしい。
Mさんの赤ちゃんにと差し上げたお土産は、お気に召していただけたよし。研究室受付の閉まる17:00ぎりぎりに会議室の鍵を返却する。
移動して、18:00から編集委員会。さすがに頭がフリーズしてきた。夕食は亀戸「升本」の豪華弁当であった。
21:00に終了。帰りがけ編集部のWさんから質問を受ける。駅のホームで他の編集委員に追い付いてご相談し、結論を得る。何事も持ちこさないことが肝要と言えば、痛い事柄が多いわなあ。
今夜は仲秋の名月。きれいに見えていた。「ちぢ」にものこそかなしけれ。被災地域の「知事」は大変であろう…と不謹慎なオヤヂギャグが思い浮かんだ。先に鉢呂という名の大臣が辞任したが、「鉢呂のオヂサン」とは、昔観た映画、五味川純平の「人間の条件」の中に出て来た台詞だったな(…「八路のおじさん!」)。
故橋本不美男先生から、「パーロを知っているか?」と尋ねられたことがあったな。「もちろんですよ」。橋本先生は学徒出陣されたが、上海から大陸へ上がり、たしか終戦は京城で迎えられたはず。八路軍との戦闘は厳しかったとうかがった。
ソウルの同居人に電話する。携帯をかけるとそのまま繋がるのは、便利な世界になったものだ。昨日はP先生にずいぶんお世話になり、ご馳走になったらしい。お土産は何がいい?と言われたが、「茶碗」とは言い出せなんだ。