そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

11月5日(火)会議が早いだけが取り柄?

2013年11月05日 | 公開

 メールボックスを確認すると、「トランスナショナル社会」云々というシンポジウムのリーフレットが投げ込まれていた。「明るいナショナル」ならなつかしいけどねェ…と受付係の女性に軽口を言えば、あははとお笑いになったから、きっと同世代の御方なのであろうよ。

 なかつよ文学会の常任委員会は18:30からだが、事前の打ち合わせを18:00過ぎから行う。本会議は18:32にスタートして、私が進行役を務め、終わったのが19:16。我ながらスムーズにはこんだ。委員の間から、素晴らしい!の声があがった。

 会議を迅速に行うことのみが、昨今、私の人生の目的と化している感がある。(笑) 会議、行事は早く済ませるにしくはなかろう。まあ、場合によっては牛歩戦術というのもありだが、O douleur ! ô douleur ! Le Temps mange la vie というのが私の愛唱句なんだな。学生時代、フランス語の時間に暗記させられて、もしかしたらこれこそが、我が座右の銘なのかもしれない。

 メトロに乗ろうとホームで待っていると。向うから教務課長殿がふらふらやっておいでになった。一緒に車輛に乗る。この課長殿には以前、唐津で烏賊刺しを食わせていただいたから、頭があがらない。本部辺では、私が校長職でだいぶ苦労している…という話になっているようだ(しめしめ)。うん、円形脱毛症になったもんね。早くやめさせて!と哀願したが、デリカシーの無い御仁だ、へへへとか笑ってやがる。もう、 Le Temps mange la vie 状態なのよ~と嘆いて、同情を買うべい。ありゃ、課長殿、フランス語お分りになるのかいな?

 帰宅して、遅い食事を摂る。さる方から村上重本店の千枚漬けを頂戴したので、さっそく賞味させていただいた。稲村榮一先生にいただいた「玉鋼」を飲む。岸野寛さん作の白磁盃を使った。ああ、仕合わせ、早く死にたい!

 さて、委員会の後処理をする。通知類はメールを送りまくる。議事録案もさっさと仕上げて送信。さあ論文書こうかという段になると、眠くなった。学会事務はさくさく進むが、肝心の学問は進まない。もう死にたい!


11月5日(火)バカに忙しい

2013年11月05日 | 校長は日々是口実

 10:00から市ヶ谷辺で、日米の高校生交流に関するレセプションに出る。校長の仕事だ。坂を上がっていくと、学校法人本部のKさんとばったり。横を見ると、兄貴分高校のY校長のおつむも見えた。会場へ行くと、国際交流担当の兄貴分高校E教諭が先着しておられたが、この御仁のご尊父は弟分高校第三代校長であらせられた(私は第八代となる)。

 交流プログラムはこの度が初回で、日本からはKOの高校が選ばれていた。垢抜けておること、我が校は到底太刀打ちできまい。やはり山猿高校だなと認識した。兄貴分はやる気満々らしいが、弟分というか、妹分が噛まなければ成り立たないような気がした。

 12:00から昼食会だったが、失礼して社会人講座へ急ぐ。開始は15分前に到着。コンビニで買ってきた野菜サンドで昼を済ませた。

 今日は金葉和歌集と詞花和歌集の話をする。金葉は金曜ではないぞなもし。3分の1は例の漫談。こういう話は面白いのだろうか。いささかマンネリ化してきた感があるので、Kさんにどうしましょう?と相談すれば、受講生と相談なさったら?とアドバイスを受けた。で、相談したところ、私のアイデアでもよいような反応を得る。論文を書く予定もあるし、ちょうどよいかもしれない。

 講師控室でY先生とバカ話を交わした後、大学へと移動。途中コンビニでお茶を10個買ってから、なかつよ文学会の会議資料をコピーした。ヒラの事務局員は辛いよ。他の大学が事務局を担当する場合、こんな雑務は院生の仕事だと思うがなあ。まあ、きょうび院生もバイト代を払わなければ使えない。教授はタダ働き、よく考えると、アホらしい気がせんでもない。