(西蔵院)
西蔵院
鶯谷駅から徒歩七分ほど。西蔵院には佐久間貞一の追悼碑がある。書は舊友榎本武揚による。
佐久間貞一君追悼碑
佐久間貞一は幕臣の出身である。彰義隊に加わって上野戦争に参加したが、敗れて静岡に移住。明治九年(1876)、活版印刷所秀英舎を創立した。秀英舎はのちに大日本印刷株式会社に発展した。ほかにも印刷会社や銀行の創立経営に関わった。
(下谷警察署)
現・下谷警察署は川路大警視の邸宅跡である。川路利良は、明治のはじめ、この地に一万五千坪に及ぶ大邸宅を有していた。敷地内には池沼があり、鴨猟が催されることもあったという。川路は明治十二年(1879)十月十三日、病死するが、その後この邸宅は昭和三十一年(1956)まで子孫に引き継がれた。
川路大警視邸跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/05/643a41155e49950f48bce1b2588f97f1.jpg)
西蔵院
鶯谷駅から徒歩七分ほど。西蔵院には佐久間貞一の追悼碑がある。書は舊友榎本武揚による。
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佐久間貞一君追悼碑
佐久間貞一は幕臣の出身である。彰義隊に加わって上野戦争に参加したが、敗れて静岡に移住。明治九年(1876)、活版印刷所秀英舎を創立した。秀英舎はのちに大日本印刷株式会社に発展した。ほかにも印刷会社や銀行の創立経営に関わった。
(下谷警察署)
現・下谷警察署は川路大警視の邸宅跡である。川路利良は、明治のはじめ、この地に一万五千坪に及ぶ大邸宅を有していた。敷地内には池沼があり、鴨猟が催されることもあったという。川路は明治十二年(1879)十月十三日、病死するが、その後この邸宅は昭和三十一年(1956)まで子孫に引き継がれた。
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川路大警視邸跡
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