夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

「僕は人生について・・・」その6「仁・義について」

2009-03-13 06:57:43 | つれづれなるままに
 かつてわが国には儒教的モラルというものがあり、非常にわかりやすい形で青少年の訓育がなされていた。
 まず「五徳」という五つの徳目がある。「温」「良」「恭」「倹」「譲」。(略)
 一方「五常」という五つの常識がある。「仁」「義」「礼」「智」「信」。
 問題はこちらである。幾分概念的であるので教育の場では解説を要し、「修身」や「道徳」の学習時間がなくなったとたん、これらのモラルは少年たちの心から消えてしまった。(略)
 少年たちの心から消えてしまったのは「仁」と「義」の精神であろう。「仁」は他者に対するおもいやり、いつくしみの心のことであって、これは高学歴社会の過当競争の中で死語と化した。おそらく「仁」は戦後自由主義と相容れなかったのであろう。今日では「福祉」とか「ボランティア」という形で社会に組み入れるほかはなくなってしまった。(略)
 「義」もまた、法治国家の名の下に死語と化した。法律を犯せば悪いやつで、法に触れなければ悪いことでも悪くはないのである。
 「義民」や「義賊」の存在を子供らは知らず佐倉宗吾も国定忠治の名も、青少年は知らぬのであろう。「哀しい哉」である。
 かの孟子は「仁は人の心なり、義は人の路なり」と説いた。
 「仁」は人誰しもが持っている人間本来の心であり、「義」は人誰しもが歩み従うべき正路なり」とも説いた。「仁」は人間にとってもっとも安らかな居場所なのである。(略)
 「仁」と「義」とは、数々の社会的モラルを人の心のうちに水のごとく湛える器
である。この精神をないがしろにしても、個人のためにこそなれ社会にとっては無益であろう。
                  浅田次郎「勇気凛々ルリの色 満天の星」

解説:義民・佐倉宗吾について
 重税で苦しむ農民たちを見捨てられず、立ち上がった義民・ヒーローである。
 まず佐倉宗吾こと木内惣五郎(なお宗吾とは後に贈られた名前)は、佐倉藩領の名主総代として領主・堀田上野介正信の悪政に苦しむ農民達を救ったのである。名君の誉れ高かった堀田正盛と違って、堀田正信が領主に就任すると、再度検地が行われ、重税が課せられた。しかも、その税を納められない者には「水牢」や「石子詰め」という過酷な拷問が待っている。忽ち佐倉領内の農民達は窮地に陥った。
 宗吾は久世大和守に駕籠訴(駕籠で移動する高貴な人物に直訴すること)するもののその願い叶わず、宿預かりとなった。しかし、宗吾はこれで諦めない。こっそり宿を抜け出し、子供達と涙の別れを告げると印旛沼を越え、江戸に向かった。当時、渡し船は禁止されていたが、老船頭が宗吾の気持ちにうたれ、命がけで印旛沼を越えたのだ。
 江戸に出た宗吾は、上野東叡山参拝中の将軍・徳川家綱との接触を試みた。三枚橋で直訴したところ、見事聞き届けられ、佐倉藩の重税が軽減された。ここまではよかったのだが、この後宗吾一家の悲劇が始まる。税は軽くしたのだが、すっかり、領主としての面目が潰された堀田公は激怒し、宗吾とその妻・お欽、子供4人をとらえる。そして、宗吾の目の前で子供をなぶり殺しにする。(史実では妻子は無事との説が強い)更に妻・お欽を惨殺すると最後は宗吾を獄門で殺してしまった。宗吾は絶命しながら、堀田公を呪ったと伝えられる。その日以降、堀田家家中では怪異が続いた。張りつけ獄門で殺害された宗吾が、張りつけられたそのままの姿で何度も姿を現したのだ。また堀田公自身も精神に破綻をきたし、老中松平伊豆守を弾劾し、無断で領地・佐倉に帰国した咎で、佐倉堀田家は改易され信州に流されてしまった。宗吾が処刑されてから7年目の万治3年(1660年)の事である。この一連の事件を見て、人々は「佐倉宗吾の怨霊」によって堀田家は滅びたのだと噂した。
 これが有名な佐倉宗吾の伝説である。

 義(ぎ)とは、人間の行なうべき筋道あるいは、利益をすてて条理に従い公共のために尽くすことをいう。正義と同じ意味である。人が行なうべき正しい道とも言える。義は、本来、年齢や性別や職業を問わず普遍的なものである。但し、時代や民族によって義のとらえ方に多少の違いはあるかもしれない。いずれにしても、現代の日本では義がすたれつつあるように思える。

 赤穂義士とか、義賊ねずみ小僧という場合の「義」がここでいう義である。赤穂浪士の場合は命をすてて、幕府の誤った裁定を正したというところが義士と評価された所以であろう。幕府が一方当事者の吉良上野介を咎めなかった点が、人々の不公平感を生んでいたのであろう。この背景には、赤穂浪士たちが主君のために行動した感心な武士であるという、当時の人々の道徳感との合致もあったであろう。ねずみ小僧の場合は、金持ちから盗んだ金を貧しい人たちに分け与えたということで義賊と呼ばれているが、貧乏で困っている人にお金を分け与えるのは良いことだという考え方が根底にある。また、その前提として、悪い金持ちから金を盗むのはかまわないという、当時の人々の道徳感もあるように思われる。現代では、赤穂浪士やねずみ小僧に対する義という評価は多少異なるかもしれない。
 宇和島水産高校の実習船えひめ丸がアメリカの原子力潜水艦に衝突され沈没した事件で、現在海軍の査問会議において原潜の艦長に対する事情聴取が行われている。艦長側は、軍事法廷での証拠に使わないという免責が与えられなければ証言しないと言っている。アメリカの裁判制度や法制度からすれば、艦長側の言い分は法律的にはもっともな言い分であるが、義という観点からみれば疑問が残る。

本来、軍人は最も義を重んずべき人間であり、我が身の利、不利を超えて公共のために行動すべき人間ではなかろうか。艦長が証言をすることにより事故の真相解明に役立ち、今後の事故回避に役立つという面がある。また、真相を知りたいと願っているえひめ丸関係者の思いをかなえてあげることにもなる。艦長が証言をすることは義にかなうことであるが、艦長が義に生きるか、法に生きるかは自分で選択すべき道である。

ここまで書いた後、査問会議は艦長に免責を与えない決定をし、艦長は一転して証言をしました。艦長がこれまでと態度をかえて証言した真意は不明ですが、軍事法廷での心証を良くしようとしたものだと言う人もいます。
2
001年4月 第20号 「義(ぎ)」   弁護士 岡  義 博よりコピーしました。

 現代社会ではいくら正しいことであっても、自らの不利益を恐れるばかりに無関心を装う風潮、輩が多い。義を感じて行動に如何に結びつけるのかが、我々現代社会人に問われている事柄ではないだろうか。
 私にかつて大法人の理事長が、「通所施設の運営だけでは飯も満足に食えないだろう。入所施設を何でやらないんだ?そんなもんじゃ、なんももうからんだろう」そう云われたことを今も忘れない。私は自らのもうけのために、今のこの福祉活動を始めたわけではないのだ。ほんとうの願いは、施設解体なのだから・・・。