夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

朋あり、遠方より・・・

2009-03-25 11:58:47 | つれづれなるままに
 四国の松山と長崎の友人から、果物が届いた。松山の友人からは「せとか」が、長崎の友人からは「八朔」だった。今頃がみかんの旬なのだろうか。北国の津軽では、まだまだ寒さが抜けきらず、桜が咲いているという両国は夢の温暖国のような気がする。私のふるさと新潟では梨が有名だったが、でもそれとて新潟市のことで実家のある現長岡市(旧栃尾市)ではなかった。ずっと長い間、果物の取れる異郷の地にあこがれていた気がする。特に歌に出てくるみかんやりんごの産地に、住んでみたいなあと思っていた。それはかなり味覚的なものよりも、視覚的なというのかノスタルジックなという気分からかもしれない。
 
          「みかんの花咲く丘」
          
          みかんの花が咲いている   
          思い出の道 丘の道
          はるかに見える 青い海
          お船がとおく 霞(かす)んでる

          黒い煙(けむり)を はきながら
          お船はどこへ 行くのでしょう
          波に揺(ゆ)られて 島のかげ
          汽笛がぼうと 鳴りました

          何時か来た丘 母さんと
          一緒(いっしょ)に眺(なが)めた あの島よ
          今日もひとりで 見ていると
          やさしい母さん 思われる

 みかんの花やりんごの花が丘いっぱいに咲いている季節や情景を思い浮かべると、とても幸せな気分になった気がする。
 今、自分はりんごの産地で31年間暮らしている。そしてそれは思い描いた美しさと美味しさがそばにある当たり前の風景になっている。そしてそこには想像を超えたりんご農家の厳しさも見えている。それは観光客とは違った、暮らしの中で直に触れることのできる確かな情報がそこにあるからだろう。日本の農業は例外なく、その経営の厳しさの中で衰退期に入っている。そして津軽でも高齢化の波が押し寄せ、後継ぎは農業を見放してサラリーマンを目指す方が多いのではないだろうか。
 見た目の華やかさや味わいではわからない、現実の一つの厳しい断面がそこに横たわっているのだ。
 ここから私たち福祉エリアの参加によって、何かを生み出せないのかを日々思うのである。産地偽装や、農薬混入問題などで昨年は食品の安全について、国民全体が身につまされたのは記憶に新しい。もう一度手をかけながら、時間をかけながら安全な食物を生み出す時期なのではないだろうか。