夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

三寒四温

2008-02-19 07:25:42 | つれづれなるままに
 昨日はこの冬に入って初めて感じる陽気である。午後から気温が上がったのか、道路は津軽弁で言う「ジャケて」いたのである。つまり雪道が融けてシャーベット状になり、車ですら走りにくい状態になっていたのだ。厳しい寒さの中に感じる春の息吹がここに初めて感じられた。青空と遠景の山々の雪景色が美しく、久々にくつろぐ温泉はつるつるの湯で格別であった。その後3月に二度ある結婚披露パーティの準備のためにデパートを巡りテーブルクロスを決め、花屋では金のない結婚披露であることの理解を求め予約した。
 駐車場を出ようとすると、突然左側の屋根の氷塊が轟音と共に足元に落ち砕けた。何ごとならんと周辺の人が顔を見合わせ、その様子がわかって笑顔となっていた。

 氷塊の落下せる音足元に聞く
 

「峠」上・中・下 司馬遼太郎著

2008-02-19 07:06:33 | 私の本棚
 長岡藩家老 河井 継之助を主人公にした「峠」をようやく完読した。
 長岡市は私の故郷である。正確には私の幼い頃過ごした思い出の町である。私が生まれたのは栃尾市という長岡市と隣接する山間の町であったが、上杉謙信が春日山城から逃れ13歳頃までの少年期(虎千代から景虎時代)を過ごした町で育った。そして母親の兄や姉が長岡市に住んでいたこともあり、年中従兄弟たちの家に泊まり歩いていた。夏は必ず8月1日から3日間の長岡祭があり、市内での佐渡おけさの優雅な流し踊りと2日目から2日間の信濃川の花火を見に行った思い出の詰まった町である。
 さて、私はこの長岡市にある長岡城と悠久山公園は叔母の家族や母親、それに兄妹と何度か花見に行った記憶がある。このちっぽけな城と榎峠がこの「峠」の主人公である河井継之助が家老を勤め、後に我が生家のある栃尾市から会津に繋がる八十里越への敗走と死に至る道に繋がる物語となった。この書を読むことでようやく私のコラージュのような記憶がいくらかまとまった気がしている。
 北越戦争と言ったり、戊辰戦争という呼び名では聞いてきたが、その中身が良くわからなかった。幼い頃に生家の周辺を長岡藩士が会津を目指して敗走したと言うことを聞いて育った程度である。
 この小説を通じて、幾つかの感応したことがあった。それは河井と行動的儒教と言われる陽明学である。陽明学の中の精神性は「実践である」と河井が語った。
 (陽明学の造詣の深さで、佐久間象山と対比される備中松山藩の山田方谷(儒者)は、瀕死の藩財政を見事、建て直した。 ... 陽明学は、致良知の言葉から、自らの心に問いて、自らの心が納得できるように、良知を致せ、と説いている。)
 長岡藩を永世中立国としてのスイスのような国家に例え、守ろうとしたことである。そのために長岡を出た河井は、陽明学や長崎、四国そして横浜に出かけて、世界をかぎ分けようとしたのである。
 結果として武士の美学によって、長岡藩は滅びるのである。しかし河井そのものはこの小説の中では最後の最後まで、非戦を交渉しそこに留まろうとしていたのではなかったか。他藩(会津)とは異なる思想性をそこに示していたのではないかと思う。勝つか負けるかではなく、その戦の価値があるかないか、あるとすれば何かということである。そのことを明確に示そうとした河井の生き方と信念を感じている。