2月22日(金)基調講演の後に、シンポジウムが行なわれた。シンポジストは青森県の八戸市南郷区自治会のKさん、世界遺産の白神山地の西目屋村長Sさん、そして千葉県は市川市の社会福祉協議会Yさん、愛媛県松山市Sさんだった。コーディネーターは県立保健大学のWさん。それに基調講演を行なった伊達市のKさんが加わった。コーディネーターのWさんが変則的な進め方で仕切ったのが、少し参加者にも戸惑いが残った気がする。私も経験があるのだが、いったいこのシンポジウムの目標は何か、着地点をどのような方向に持って行きたいのかがわからないと、シンポジストとしても、意見をまとめようがない。そういう戸惑いを感じていた。地域福祉の中心に住民がいて、それをコーディネートしながら町を作るのだが、官民協働とはいうが、なかなかそこのところが難しい。要は人、もの(場所)、金(ファンド)が必要なのである。人と人がつながること。そして理解しあいながら、お互いの得意を活かしあうことが大切になってくる。
地域福祉の中核に本来は社会福祉協議会があったはずなのに、いつの間にか介護保険などでの居宅介護事業やデイサービスなどに参入し、本来のコミュニティワークが忘れられてしまっている現状がある。地域の人づくりや団体の育成、人と人を組織する力を、どこかに置き忘れてしまったのではないだろうか。地域住民の顔を知らなくなっては社協マンとは言えないのではないか。
市川市の社会福祉協議会のYさんは「遺言ノート」なるものを作って、販売しているという。つまりお寺の過去帳のようなもので、個人の生前の経歴や活動、想いなどを書いて社会福祉協議会の金庫に保管してもらうのだという。
松山市の社会福祉協議会Sさんはまちづくりのための塾を組織し「バウムクーヘンというお菓子に引っ掛けて売っているらしい。地域住民のニーズを探るために、町の自慢話から話題を探り、そこに社会資源や住民ニーズが見えてきたと語っている。私もこういう手法の方が町の人々が心でつながっていけるのではないかと思っていた。お互いの利己的な、あるいは依存的な気持ちだけでは決して町は活性化などしない。むしろお互いが離反する大豆状態になるのは目に見えている。納豆ワーク菌をここに投入する必要があるのだ。信頼関係や思いやりなどはこの菌の効能である。みんながお互いを気遣いあう町を形成する必要があり、そこにこそコミュニティネットワークの目標があるのではないだろうか。
地域福祉の中核に本来は社会福祉協議会があったはずなのに、いつの間にか介護保険などでの居宅介護事業やデイサービスなどに参入し、本来のコミュニティワークが忘れられてしまっている現状がある。地域の人づくりや団体の育成、人と人を組織する力を、どこかに置き忘れてしまったのではないだろうか。地域住民の顔を知らなくなっては社協マンとは言えないのではないか。
市川市の社会福祉協議会のYさんは「遺言ノート」なるものを作って、販売しているという。つまりお寺の過去帳のようなもので、個人の生前の経歴や活動、想いなどを書いて社会福祉協議会の金庫に保管してもらうのだという。
松山市の社会福祉協議会Sさんはまちづくりのための塾を組織し「バウムクーヘンというお菓子に引っ掛けて売っているらしい。地域住民のニーズを探るために、町の自慢話から話題を探り、そこに社会資源や住民ニーズが見えてきたと語っている。私もこういう手法の方が町の人々が心でつながっていけるのではないかと思っていた。お互いの利己的な、あるいは依存的な気持ちだけでは決して町は活性化などしない。むしろお互いが離反する大豆状態になるのは目に見えている。納豆ワーク菌をここに投入する必要があるのだ。信頼関係や思いやりなどはこの菌の効能である。みんながお互いを気遣いあう町を形成する必要があり、そこにこそコミュニティネットワークの目標があるのではないだろうか。