あび卯月☆ぶろぐ

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諫早干拓事業は愚の骨頂

2008-07-11 01:55:57 | 政治・経済
かつて、干潟は「前畑」と呼ばれていた。
干潟は海洋資源の宝庫で、江戸時代の安藤広重の浮世絵にも描かれたように誰もが簡単に食料を確保でき、まさに「海の前の畑」だった。
シャコやクルマエビなどは幼生のある時期を干潟の泥の中で過ごし、ハゼやカレイは干潟を産卵場所にしている。
貝類やカニ、ゴカイなども活発に活動し、それゆえ渡り鳥の中継地点ともなる。

そんな干潟だが農地確保の理由から古くより干拓がおこなわれてきた。
日本の伝統的な干拓は単式干拓と呼ばれるもので、水面と干拓地を仕切る堤防が一本で、内部がすべて干拓地となる方法だ。
これは地先干拓とも呼ばれ、干潟の生態系を生かした持続可能な方法だった。
いま、再び話題になっている諫早湾では六百年前からこの方法が採用されてきた。

ところが、戦後になって事態は一変する。
戦後、日本は国営干拓事業の名のもとに日本にはまったく適合しないオランダ式の複式干拓を採用した。
これはポルダー式とも呼ばれ、堤防を二重につくり、堤防と堤防の内側を淡水の貯水湖とする大規模干拓方式で干潟の生態系はほぼ潰滅する。
この複式干拓が日本の干拓に適合しないことはオランダの干拓専門家ヤンセン(デルフト大学)が五十五年前に発表したヤンセン報告書の中でも指摘されているが、どういうわけかほとんど無視されたようだ。

戦後の国営干拓事業によって日本の干潟はほぼ半数が消滅し、現在は三十七ヶ所が残っているが、そのほとんどが生態系を壊され、将来にわたって保全が確保されるのは一ヶ所だけだという。
いわば、日本の漁業文化の一翼を担った海洋資源豊富な干潟は戦後の愚かしい干拓政策のためにほぼ消滅したとみていい。
諫早干拓だって、建前としては農地確保と水害防止だが、農地の方はすでに足りていた時期で実際、地元農民の六割が「新たな農地は不要」と答えていた。
それなのに、農水省は「一度決めたことだから」という極めてお役所的な考えに基づいて誰も使わない農地増勢に2370億の税金を投入し、諫早干拓に乗り出した。
1997年に293枚ものの鋼鉄板がギロチンのように落ち、干潟が外界から遮断された映像は多くの人の記憶に残っているだろう。
あれから十年以上が過ぎたが予想されたとおり、有明海は瀕死の状態になっている。
具体的に言えば以下の六点が挙げられる。

1.水質浄化機能の喪失と負荷の増大
2.流動(潮位、流速,流向)の変化
3.赤潮の増加
4.貧酸素水塊の発生
5.タイラギ、アサリ等の減少、成育不良および稚貝の斃死
6.諫早湾の底質の変化(細粒子化、浮泥の堆積)と底生生物の減少)

これらは因果関係がはっきりしないものもあるというが、およそ干拓の影響と見ていい。
というのも、干潟には冒頭に書いたものともう一つ重要な役割があって、それは海の水質を浄化するというもので干潟に棲む生物がそれを担っている。
いわば、有明海にとっての諫早湾は人間にとっての肝臓のような役割を持っていたわけで、肝臓を切除された人間がどうなるかを考えたらわかりやすい。
私は地元の人間だから良く解るがノリの色が1999年頃から明らかに落ちてきて、それに気づいた時は驚愕し落胆したものだ。

国は税金を使って「宝の海」と呼ばれた有明海を死の海にした。
いまはすでに農地が出来上がっているため、諫早堤防の開門に反対している農民もいるが、有明周辺全体からみればわずかな農地の保全と有明海全体の保全のことを考えたらどちらを優先させるべきが小学生にもわかるだろう。
(農民にとって死活問題というなら元はというとそんなところに農地を作った国が悪いのだから、農民の生活の保障もしてやるべし)

国を相手取って裁判するのはいかがわしい例が多いが、私はこの諫早干拓訴訟に関しては国がほぼ100%悪いとみている。
十日に政府は国営諫早湾干拓事業の潮受け堤防水門の開放を国に命じた佐賀地裁判決を不服として、福岡高裁に控訴したが、一刻も早く過ちを認めて、いまからでも遅くないから諫早干拓事業を白紙に戻すべきである。
有明海が「宝の海」に戻ることを心から願っている。