あび卯月☆ぶろぐ

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占領期日本の思い出話

2008-07-04 00:25:16 | 歴史・人物
大学院で週に一度、元文部官僚の先生から生涯学習の講義を受けている。
私の研究分野は日本近代史なのだが、なぜか必須科目なもんでこういう授業も受ける。
大学のカリキュラムというのは総じてよくわからない。

この授業、本題は当然、生涯学習についてなのだが、
先生が元文部省にいらした時の思い出話や、その他色々な昔話をしてくださる。
今回はそのなかの最も古い話を紹介。

「小学校の頃、日本はまだ占領期でGHQからしばしば将校が視察にやってきた。
 日の丸の書かれた筆箱を見つけると「日の丸を消せ!」と命令された。」

占領期の日本では様々な物事が禁止され、言論も統制された。
武道やラジオ体操が禁止されたのは有名だ。
他にも歌舞伎や仇討ちを主にした芝居、国家主義、軍国主義を助長すると判断された映画はすべて禁止された。
教科書では「我が国」という表記が禁止され、文部省は音楽の教科書に「君が代」を自主削除したという。
産業分野では航空機の生産・研究・運航、開発、ロケット、ダービン、ジェットその他動力源の研究は禁止または破壊された。
ルーズベルトの「日本には今後、ぜんまい仕掛け以上の飛行機を持たせてはならない」という遺言をマッカーサーが実行した結果だ。
日本に長い間、航空機産業が育たなかった背景はここにある。

とにかく、GHQの占領政策は日本の精神を骨抜きにして二度と白人国家に楯突かないようにするのが目的だったので、考え付く日本弱体政策はすべて実行した。
その集大成が日本国憲法で、今の日本を顧みるにこの占領期の呪縛から今だ解放されていない。
因みに、GHQの占領政策の一番の旗振り役を務めたのが朝日新聞でこの新聞はいまだにその時の気持ちでやっているのだろう。

さて、先生の思い出話はGHQが禁止した国旗の掲揚にまつわる話だが、
まさか、小学生の筆箱の日の丸まで消させたとは知らなかった。
GHQが定期的に小学校を視察していたのも初耳だ。
先生は生まれも育ちも福岡。
都市部だけでなく福岡でも結構GHQはやっていたようだ。
「朝鮮戦争がはじまると途端に視察に来なくなった」
という証言も興味深かった。

また、独立回復後の話だが、1950年代は学校ものんびりしたもので
「中学の頃、西鉄ライオンズが日本一になるか否かの試合を先生も生徒も視聴覚室に集まって観戦し、日本一に輝いた時、学校中が歓喜に包まれた」云々。
今の中学でやると多分、問題になるね。

こういう昔話を聴くのはまことに楽しい。