すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

百蔵山

2021-11-19 13:42:09 | 山歩き

 猿橋駅北口に出ると、正面やや右手に百蔵山がどっしりと立ち、左右に裾を引いて山頂部分が平らで、大げさに言えば富士山の形だ。その右、いったんどっと下ってから長い尾根線を引いて立つのは扇山だ。同じくらいの高さに見えるが、向こうの方が130mほど高い。百蔵から下って扇に登る縦走路があるが、下りは急降下で登りは長く、つらい道だ。百蔵山の左手には、大月駅からなら正面に聳える大岩壁がほぼ真横から見え、後頭部の禿げた頭のようだ。その左は独立峰のように見える存在感のある滝子山だ。
 歩き始めてすぐに渡る桂川は、深い渓谷だ。欄干から川面を見下ろす。水ぎわは岩畳みになっている。大丈夫。跳び降りたくなるような衝動はもう感じることはない。続いて葛野川の渓谷を渡る。
 坂にかかると南西に富士山がすでに白く輝く姿を現し、その右は三ツ峠山、本社ヶ丸。左は杓子岳、御正体山、大室山、蛭ヶ岳など、道志と丹沢の山並。いちばん手前、桂川を挟んですぐ近くは神楽山。その向こうはたぶん九鬼山から高畑山に向かう尾根。どれもみな以前に登った、懐かしい山々だ。
 百蔵山は駅から歩くと舗装道路の登りが、歩きはじめの身体には結構つらい。暑い時期にはさらにきつい。今頃の季節は大丈夫。ゆっくり一歩ずつ歩いて行けば、山道が始まる頃には体が慣れる。
 登路は西コースと東コースの二つに分かれ、西が一般的だが、今日は東を行くことにする。西はなだらかだが植林帯の中の暗い感じの道が長く、東は頂上直下に30分ほどの急登があるが、ほぼ二次林の中を行くので林相はずっと感じが良い。特にこの季節はこっちが美しい。
 浄水場の後ろからやっと山道に入る。はじめのうちは真っ赤なモミジの色が目立つ林だが、ほどなく赤い色が無くなり、コナラの黄葉の林になる。黄葉はやや盛りを過ぎて、枯葉色が混じっている。それが黄色の単色ではない様々なグラデーションを作り、陽光に映えて美しい。枯葉を踏みながら登って行く。
 日本の紅葉の美しさはなんと言っても鮮やかな赤である、ということに異存はないが、ぼくは同じくらい黄葉が好きだ(これは何度か書いたが)。紅葉はぼくを讃嘆者に、すなわち鑑賞者にする。紅葉は眺めて楽しむ対象であり、ぼくはあくまでもこちら側にいて、客観していて、その下を歩いていても、その中には入って行かない。観光客と風光との間には画然とした区別がある。黄葉の林の方にぼくはより親近感を持つ。一体感、と言っても良いかもしれない。
 落ち葉を踏んで山道を歩きながら、自分もその自然の中の一員であると感じることができるのがうれしい。魂がふらふらと憧れ出る、ような感覚。いつまでもそこにいて酔ってていたいような感覚。
 右手に扇山が再び姿を現し、縦走路の深い落ち込みが見え始めると、いよいよ急登だ。前にここを下った時はかなり怖かった。ずるずる滑って落ちて行きそうになるのだ。今回は登りだから苦しいだけで危険はないが、下山者とすれ違う時は気を付けなければならない。小石が落ちてくることがあるし、人間だって降ってくるかもしれない。すれ違うときは登り優先、ということになっているが、こういうところでは早めに木の陰のような安全なところに避けて、「どうぞお先に。休みたいのでゆっくりどうぞ」と声をかける。実際、息が上がって、立ち止まるのが嬉しいのだ。
 30分ほどで急登は終わり、頂上の一角に出る。あとは、下から見えた平らな部分を快適に飛ばして5分で、刈り込んだ芝草の陽当りのよい、広場のような山頂に出る。下から見えた山々が目の前にドーンと広がる。
 草にシートを広げてお昼ご飯。そしてそのまま寝ころがって日向ぼっこ。あー、最高!

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