すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

わたらせ渓谷

2021-11-04 17:40:08 | 自然・季節

(11/01)
 昨夜うまく寝付けなかったので久しぶりの早朝がしんどい。5:54の始発のバスで出発。品川と東京で友人と合流。小山着8:32、桐生着9:48。この経路はかなり時間がかかるが、仕方ないか。桐生発10:05。トロッコ列車ではない普通車だが、これで十分。わたらせ鉄道沿線はまだ紅葉は始まったばかり。ピークは下旬くらいだろうか。渓谷そのものは美しい。新緑の頃にもまた来たいものだ。神戸であまりおいしくない舞茸定食を食べ、バスで富弘美術館へ。草木湖岸の、素晴らしい場所に立っている。都会の美術館と違い、ここを訪ねる観光客は、ここに来ただけでも安らぎと幸福に包まれるだろう。
 星野富弘は、頚椎を損傷して手足が動かなくなって、口に絵筆を咥えて絵を描き続けているというその生涯は驚嘆に値するし、その絵は静かな美しさに満ちている。しかし、些細なことでジタバタ生きている、暗い指向のぼくには、彼が画面に綴る短い詩は、なんだか救済の世界に行ってしまった、縁遠い人のようにも思えてしまうのだ。彼は洗礼を受け、信仰に心の安らぎを見出した。彼の言葉は多くの人たちにはそれこそ生きる指針、導きの言葉のようなものなのだろうが、ぼくは同じ信仰の場所に心の安らぎを見出したくはない。ぼくが恩寵のようなものを見出すとしたら、それはむしろ湖岸の風光の中だろう。
 展示ホールの壁に書かれている、したがって彼の深く愛しているだろういくつかの詩、丸山薫の「北の春」や三好達治の「甃(いし)のうえ」や、特に彼と同じ敬虔なクリスチャンであった八木重吉の「素朴な琴」、ぼくも大好きなこれらの詩には教訓や人生の指針のようなものは全く含まれていない。そういうものをもしぼく自身が書くとしたらむしろ、苦悩や孤独を書くほうを選ぶだろう。
 草木湖はちょうど紅葉が美しい。今度またここに来たらここのカフェでお茶を飲み、この湖畔の散策路を歩こう。
 美術館を出て、草木ダム・不動の滝を経由し、小中駅近くの東陽館まで歩いた。
 ここは古い、しかし女将さんとご主人の心配りの行き届いた良い宿だ。別世界に来たように静かだ。女将さんは気立て優しく暖かく丁寧で美人だし、ご主人も物腰落ち着いて控えめながら性格の温厚さはすぐに感じられる人だ。食事も心のこもった工夫がしてあって美味しい。特に「虹鱒の東陽館風」と舞茸の天ぷらの美味しいこと! これで7300円! 先週泊まった高峰高原の宿の半額以下だ。またぜひ来よう。というより、一週間ぐらい静かに物を考えに、あるいは逃避に、滞在したらよいかもしれない。
 食後TVで選挙後の報道を見ながらうつらうつらしてしまったら、その後(いつものことながら)寝付けなくなって、友人のいびきを聞きながらウイスキーをちびりちびり飲んでいた。

(11/02)
 6時前くらいに起き、朝食まで一時間ほど上流へ向かって散歩。気持ちの良い朝! ここは袈裟丸山への登山口でもある。来年でも登りに来ようか。朝食も美味しい。お弁当を作ってもらって、小中駅発8:32で上流へ。草木湖岸の長いトンネルを抜けてからがわたらせ渓谷の一番美しいところだ。深い青緑の水。白い石の河原が時に広がり、時に狭まる。紅葉の盛りはさぞ美しいだろうな。終点の間藤駅に9:13着。
 上流の三沢合流点にある銅(あかがね)親水公園まで、一時間ほどの道のりの静かな舗装道路を、足尾銅山の史跡などを見ながら二時間ほどかけてゆっくり歩く。特に本山精錬所跡とその付属の大煙突(高さ47m)は見ものだ。
 道の両岸は、特に渡良瀬川対岸は、ひどく荒涼としていて崩れかけたような荒々しい岩壁に丈の低い植生の混じる、一種異様な風景だ。途中、精錬所跡を対岸に見る民家の奥さんと立ち話をした。昔はこのあたり一帯は亜硫酸ガスで一木一草もない禿げ山で、今の状態に修復されるまでに何十年もかかった。小学校も、「煙が来るぞ」と声が上がると全員が教室の中に避難して震えていたのだそうだ。山が異様な感じがしたのは、草木が枯れて土壌の保持力が失われて崩壊が進んだせいだろう。
 日本最初の公害の地。ここが閉山したのは水俣のチッソの工場の操業停止(1968年)よりも遅い73年。日本のGNPが世界第二位になったのが1968年。ぼくたちが繁栄を享受している間も、ここは田中正造の時代から、いや、江戸時代から、鉱毒・煙害に苦しんでいたのだ。
 途中、道路の端を下ってくるニホンザル一頭とすれ違った。顔を合わせないように緊張しながら歩いたが、向うも緊張しているのか、速度を上げて一気に下って行った。
 砂防ダムの堰堤下の公園で昼食。宿の心のこもったおにぎり弁当。ウイスキー入りの紅茶を少々。暖かくてうららかな青空だ。公園の芝生は、カモシカのフンがいっぱいだ。
 間藤駅まで戻り、鉄道で帰る友人二人と別れてぼくは一人でバスで日光に抜ける。間藤から上流はまさに紅葉の真っ盛り。沿道に続く山々全体が陽に輝く錦繍だ。峠の長いトンネルを抜けると日光。東照宮手前からやや観光渋滞。
 東武日光駅に来るといつも、いつかの二人のことを思い出す。もう30年以上前のことなのだが今でも、あの二人はあの後どうしたろうか、と思う。
 駅前の金谷ホテルの経営のカフェでチーズケーキと紅茶のセット。東武線の車内でもしきりにあの二人のことを思った。ただの行きずりの出会いなのだが。その後、幸福になっているだろうか。そうではないような気がするが。
 車中で俵万智の「牧水の恋」を読み終えた。

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