すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

信玄堤

2019-10-16 09:34:30 | 社会・現代
 ぼくは山梨県出身です。
 今回の台風19号による各地の洪水被害を見て、改めて武田信玄によるいわゆる「信玄堤」の評価が高まっているらしいです。とくに、地元山梨県で、「やはり信玄公は神様だ」というような。
 「どうして、他の河川では信玄堤をつくらないのか」というような声もあるようです。
 はてな? と思ってしまいます。

 ぼくの理解する限り、信玄堤は洪水を絶対に起こさない奇跡のような方法ではない。増水した川の水を小刻みに川の外に出して、大きな被害が出ないようにする方法だ。川の水は、田や畑や遊水地に放出される(堤を斜めに築いているので、水位が下がればあふれた水も自然に川に戻る)。
 つまり、そこにはもともと人は住まないことになっている。
 信玄堤は、武田信玄の時代だからこそ可能だった。
 今回の大被害を出した千曲川や阿武隈川や多摩川などの場所で、同じ方法をとることはもともとできない。高い堤防を連続的に築いて、そのすぐ外側にまで人が住むようにしてあるからだ。
 この国は高度経済成長と人口増加の時期に、それまで人が住まなかった場所をどんどん開発し、山を切り崩し、堤防を築いて、「住んでも安全」ということにした。
 「安全」、なのではない。「安全ということにした」のだ(しつこいようだが、原発も同じです)。
 もちろんぼくは信玄堤に反対していない。むしろ治水はそのようにあるべきだと思っている。
 ただし、それには、川沿いに再び、人の住まない広大な遊水地をつくる必要がある。日本の人口は、いまの2/3ぐらいには減少する必要があるだろう。
 人口減少しても幸福に暮らせる社会を目指すべきだ。経済成長から持続可能社会へソフトランディングを目指す方向に舵を切るべきだ。
 現代の信玄堤(のようなもの)として、都市の地下につくられた巨大な貯水槽、いわゆる「地下神殿」がある。今回は有効に機能したようだ。だが、あれを千曲川や阿武隈川の流域に作るか? あまり想像してみたくないことだ。
 かつて、エジプトではナイル川の氾濫は流域に肥沃な土壌をもたらす大いなる恵みだった。
 そこまで戻る必要はもちろんないが、水をコンクリートに封じ込めるだけではなく、人間と川との、人間と自然との共存は、目指されるべきではないだろうか。

 ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」を繰り返し読んでいる。
 川は本当は、人間の良き友であり、その声に耳を傾ける人間に叡智を与えてくれるもののはずだ。
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