すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

多摩川

2021-01-16 22:40:15 | 自然・季節

 よく散歩に行く林試の森も自然教育園も、大きな木が育って自然豊かなのだが、その分日影が多い。それで今日はあまり麗らかなので、チャリで多摩川に行ってみた。子供の頃は大岡山や奥沢や田園調布を通って、上ったり下ったりして行ったものだが、それはもうきついので目黒通りをまっすぐ行くことにする。それでもけっこう、緩いアップダウンはある。環八を越えて川に向かって急坂を下り、土手にぶつかったら左折して丸子橋を渡り、川崎側のサイクリングロードを二子橋に向かう。
 思い立って家を出たのが遅かったので、二子側へ1/4ほど進んだあたりで、枯草の土手にチャリを寝かせ、お茶を飲み、コンビニのお稲荷と羊かんを食べる。ここらは春になると土手の桜と菜の花が美しいところだ。
 眼下のグランドで子供らがボールを蹴り、その向こうに川が光る。その向こうは環八から下ってくる傾斜地なので、家々が積み重なって見える。右は古墳群のある多摩川台の森まで、左は二子玉川のビル群まで、左右に視界の切れるまでずっと。残念ながら、まことに美しくない。これが北アフリカの海岸の町あたりなら、所々に丸屋根を交えた白い壁の家々の重なりが美しいことだろう。あるいは、もう少し南に行けば、サハラの砂と同じ赤茶色の家々が、そう、“砂漠の薔薇”と呼ばれる鉱物の結晶と同じ色に美しいことだろう。
 暖かくて風が心地良い。陽射しは春のようだ。静かならばうたた寝なんかしたらいいだろうが、なんせ、人がいっぱい通る。散歩の家族、ジョギングやサイクリングの人。自分もその一人なのだから仕方がない。「自粛」で家にこもっているよりははるかに良い。家にいる人たちに「みんな出ておいで」と呼びかけたいくらいだ。
 道を続ける。川崎側は道が整備されていて走りやすい。スピードを上げてみる。それでも、メットをかぶってスポーツタイプに乗った人たちにどんどん抜かれてゆく。散歩の老人ややママチャリの間を全く減速せずにすり抜けていく人もけっこう多い。事故は起こさないのだろうか? せめて減速するのがマナーだよね。
 左手から南風が強い。うっかりしていると体が振られそうだ。横で大きな工事をしているところもあって、砂が巻き上げられて目がチクチクする。でもおおむね、気分は爽快だ。ここは歩いて通ることの方が多い。その時は電車で新丸子か多摩川まで来る。右岸か左岸を上流に向かって歩く。和泉多摩川までは約2時間。土手を歩いたほうが展望は良いし風も気持ちよいのだが、車の通行の多い道路がすぐ横を走っているので、河川敷を歩くほうが楽しい。ただしかなりくたびれる。同じ2時間なら山道のほうがずっと疲れないのはなぜだろう。
 今日はチャリだから楽なものだ。スイスイ第三京浜をくぐって二子橋が近づく。でも川と家の往復が長いので、橋を渡って東京側を戻ることにする。こちらはサイクリングロードが途切れ途切れで、途中から横の車道を走らされる。そうすると、川は見えない。その前にもう一度土手で一休み。川原は一昨年の台風19号でひどくやられた。ホームレスの人たちはどうしただろう。避難して無事だったろうか? ブルーシートの住処はほとんど見えないままだ。
 目黒通りに戻るのに、環八までは急な上り坂になる。ここが一番苦しい。が幸い、緩めの坂を見つけた。坂の途中に「六所神社」という大きな神社がある。疫病終息をお願いする(休めてうれしい)。その先に大きな前方後円墳もある。後円部がかなり大きい。この近くには野毛図書館があって、田んぼの中みたいなところで、それが好きで中学生の頃はわざわざよく来たものだ。今はもちろん何の変哲もない住宅地の中だ。環八は等々力渓谷の上を通る。こんなところで遥か下を歩いている人を見るのは不思議な気がするものだ。
 家を出てから帰り着くまで4時間。3時間は走っている。足が張った。コロナな状況でも、まあまあ元気だ。動き回っている方が体調も気分も良い。毎日はできないけどね。

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