すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

新宿御苑・緑と青

2021-08-23 10:38:48 | 自然・季節

 ふと思いついて、久しぶりに新宿御苑に行った。これまで桜の季節とか紅葉の季節とかにしか行ったことがなかったように思う。人出の多いところ、という印象だったのだが、コロナによる外出自粛のせいか、夏の日盛りに行くところではない、と思われているのか、予想よりずっと人は少ない。広大な芝生の所々の日陰に散らばっているだけで、静かな雰囲気だった。
 日本庭園とかにはほとんど関心がないのだが、よく手入れされた芝生は美しく、その上を向こうの端まで歩けるのはうれしい。「母と子の森」も武蔵野の自然らしくて小さいながらも好ましい。草の花の種類は白金の自然教育園の方がずっと多いが、あそこにはこれだけの解放感はない。NTTのビルだけが森の上ににょっきりと目障りだが、そっちはなるべく見ないことにしよう。
 歩き回ってくたびれたので、ぼくも木陰にレジャーシートを敷いてザックを枕に空を見上げた。ひつじ雲が広がっている。ところどころ青空が見えている程度。分類としてはかろうじて晴れだろうか。あまり暑くはなく、体を伸ばしているだけでのんびりと気持ちが良い。雲は微かに分かる程度に少しずつ変化をしていて、いつまでも見ていられる感じ。
 「白い雲は流れ流れて/今日も夢はもつれ…」という歌があったな(フォーク・クルセダーズ「悲しくてやりきれない」サトウハチロー詞)。ぼくはいま悲しくもわびしくもないけれど、白い雲を見て思い浮かべるのはいつも、この歌と、昭和前期の詩人伊藤静雄が戦後すぐに書いた詩「夏の終り」だ。
 一時間ほども見上げている間にも、雲は少しずつ広がり、青い部分を侵食してふさいでゆき、初めはほんの少しだけだった雲の下部の灰色の影がだんだんあちこちに現れ、それが集まって次第に大きな厚い黒っぽい影になってゆく。
 魔法瓶の熱いコーヒーを飲む。家を出るときに冷蔵庫に氷がなかったのでやむを得ず熱いのにしたのだが、炎天下でなければコーヒーは熱いほうが美味い。
 比較的近くに若いカップルがシートを広げて話し始めたので、芝生をもう一往復して帰ることにした。
 緑と青、といえば2日前の夢の、暗いモノトーンの中でそこだけ鮮烈に原色だった稲田と空の色がまだ心に引っ掛かっているのだが、もしかしたらそれが無意識の底の方にあって、ぼくはここに来たのかもしれない。それならそれで良いことにしよう。
 帰りに受付で年間パスを買った。広い芝生の広がり、といえば葛飾の水元公園か立川の昭和記念公園も時々行くが、ここの方がずっと近い。家から約一時間。貧乏人のぼくはここなら交通費がタダで来られるので、有難い。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  | トップ | 「夏の終り」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自然・季節」カテゴリの最新記事