すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

さらば/佐原村―辻まこと

2021-03-22 19:37:29 | 読書の楽しみ

 西本正明という作家が辻まことの生涯を描いた小説「夢幻の山旅」を読んでいたら、終わりの方で下記の詩に出くわしてガツンと鷲掴みにされた。

 さらば
 佐原村(さはらそん)
 さらば
 おまえの 月夜は もう見られない
 馬追いの少年
 阿珍(あちん)
 おまえのアシ笛に よび戻される
 千万先祖の声も
 もう聞けない
 長根の笹原を 過ぎて行く 風の音は
 渡らいながら 旅を続ける
 あの人たちの はなしだと
 おまえは わたしに教えてくれた
 すべての笛は 風の声
 阿珍の笛は
 いつも わたしの のどもとを あつくした
 それから
 神楽堰の渡し場
 そのしもてで 川海老を釣ることも
 もう出来ない
 渡し小屋の いろりで その海老を塩焼きにして
 渡し守の駄団次と
 どぶろくを飲むことも なくなった 
 あじさい色の夕暮が
 足もとから わたしを包むころ
 くりやから ひそかに (あんちゃ)と
 和尚に声を かける
 妹
 ただそれだけで
 お風呂が わいたのがわかる
 声は皆な
 いのち
 音は皆な
 深く
 光は 遠く
 時は 静かに
 ていねいだった
 佐原村
 さらば
 わたしの 佐原村
 もう おまえの処へは もどらない
 ある日
 長根の笹原を 渡ろう
 風の中から
 阿珍のアシ笛が      
 わたしの声を     
 みつける日まで

 「辻まこと」という名前は御存じだろうか? かつて愛読された伝説的な山の文芸誌「アルプ」にイラストやエッセイを載せたり、いまでも発行されている山の雑誌「岳人」の表紙絵を描いていたりしたので、山が好きな人には広く知られている。
 ウィキペディアで検索すると「詩人・画家」となっているが、彼の詩は初めて知った。探しても詩集などは出てないようだが、「歴程」の同人だったそうなので詩も書いているのだろうか? あるとしたら他の作品も読みたいものだ。この作品ひとつだけでも詩人といってよいものと思う。
 この詩は胃の全摘の緊急手術のあと予後が悪くて入院中にノートに書かれたものだから、死の予感のもとにある。訣別の詩であり、同時に、個々人の死を越える時の流れと自然とその中での生者と死者のつながりに思いを馳せたものだ。ここに出てくる「アシ笛」はまた、アンデスの草原を渡るケーナの響きをも思わせる。
 ぼくはこのごろ、行分けのつぶやきなどをブログに載せているが、この詩は一読、「ああ、ぼくにはこれだけ思いの深い、これだけ哀切な、かつ自由闊達な詩はとても書けないな」と溜め息が出た。
 阿珍は日本人の名前としては奇妙だが、佐原村他も含めて、固有名詞はみな非現実の、幻想世界のものではないかと思う。

補:辻まことの作品で入手しやすいのは、画文集「山からの絵本」(ヤマケイ文庫)。軽妙洒脱、じつに楽しい。山好きでなくてもオススメの一冊。

 

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