すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「止水」

2021-01-15 22:04:56 | 詩集「黎明」

沢の本流から離れて
水はひっそりと目覚めている
小さな崖の陰
さざ波も走らなければ
砂を動かす底流もない
片隅に雑木林が映っていなければ
水が在ることさえわからないだろう
浅い水底に沈んだ枯葉
ミズキ コナラ サルトリイバラ…
虫に喰われ ところどころ欠けた鋸歯
今は役目を果たさなくなった葉脈
木にあったときよりも鮮明な毛細管の網目が
生命のなまあたたかさを捨てて
澄み切った水のなかで凝結している
指を入れ 一枚の葉を拾い上げ
また離してやると
束の間の波紋のあと
ゆっくりともとの静止に戻る
滅び去ったものの曇りの無さ
呼吸を止めたものの静謐
朽ち果てるまでの凍りついた時間
時折り水辺に近づく足音だけが
水のおもてを微かにふるわす

 若い頃、自費出版の詩集を二冊出した。だがそのあと、ぼくのライフスタイルは180度変わってしまって、それに伴ってぼくの関心は歌の方に行って、詩を書くことはおろか、読むこともほとんどなくなった。再び読み始めたのは、仕事を辞めてからだ。
 最近このブログの記事を行分けで書くことが多くなっている。それは、詩を書きたいというより、ある程度まとまった文章を書くのがだんだんシンドくなってきたからだ。歩きながら切れ切れにものを考える。それを考えたときのまゝに近い形で言葉にすれば、行分けの形になる。
 それは推敲や彫琢をしていないから、詩と呼べる程度のものになっていない。だから「つぶやき」と呼んでいる。これも、山登りと同じに、若い頃の集中にとても及ばないものだ。でも、(山登りと同じに、)できればもう少し力を取り戻したいとは思っている。
 これも、「やれやれ どっこいしょ」だ。
 新しく力をつけるまでの間、古いものも時々ここに書かせてもらうことにしよう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする