すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

クワヘリ(さよなら)

2021-01-27 09:53:06 | 思い出すことなど

村はプランテンバナナの林の陰に
動物保護区の密林の傍らにあった
保護区になったので追い出された狩猟民が
それでも祖霊の森から離れられずに
そこに住み着いたのだ

村長(むらおさ)は「小さな人」の中でもいちばん小さく
最長老だが元気の塊で
ちょっとおっちょこちょいだが経験と知識はすごく
(もちろんジャングルで生きるのに必要な知識だ)
村人たちの人望を一手に集めているようだ
何時も上機嫌で乱杭歯を広げて笑う
(米に石が混じっているのをかまわずに食うから
彼らの歯はボロボロだ)
それが実に人懐こい笑いなのだ

村に電気は来てないから
明かりには灯油ランプを使う
灯油はビールの空き瓶に入れておく
たまに訪れる観光客に出したものだ
だが時々 間違えてその瓶が回収され
工場で洗浄されて またビールが詰められることがある
栓を開けて一口飲むと
口中に灯油が広がってゲッと吐くことになる
「大当たり」だ

ランプはおもに住まいに使う
夜道を歩くのに使われることは稀だ
彼らは真っ暗やみの中を平気でスタスタ歩くことができる
月のない闇夜
明かりを忘れて出かけて帰りが遅くなったぼくらが
手探り足探りで歩いていると
後ろからハバリザジオニ!(こんばんは)
と突然に声をかけられて
飛び上がることがある
怯える必要はない
ぼくらを襲うつもりなどないのだ
「身ぐるみ剥がれるぞ」というような都会でのうわさこそが
夜道で怯えあがらせるのだ
少なくともこの小さな民たちは安全だ
近ごろ住み着いた金に縁のなさそうな“シノワ”
に親近感を持っている(とぼくは思う)
安心して道案内を頼むと良い
お礼はタバコ一本でいいのだ

彼らは子供並みに小さいので
歩幅はかなり狭いはずだが
黙っているとどんどん引き離される
ピッチが速いのだ
同じピッチで歩こうとすると
こっちはたちまち足がもつれる
息も切れる
おいおい もっとポレポレ(ゆっくり)歩いてくれ
並んで歩くと すごい早口で何か訴え続ける
言葉は分からないが
どうも腹が痛くて虫下しが欲しいらしい
小屋に着いてタバコを一本やる
残念ながら虫下しは無い
それでもたばこ一本で満面の笑顔
アサンテアサンテ(ありがとうありがとう)と手を握る
またジャングルに一緒に入ろうな

ぼくらがジャングルに入る時
村長は今でも
先頭の藪切り払い役のすぐ後ろに着き
方角を指示する
動物のフンを見つけ
何時頃そこを通ったかを教える
夕方になると木に登って
「こっちだ」と指さす
沢も湿地も越えてその方角に進むと
昨夜のテント場に出るのだ

テント場の夜はまず
ジャングルの霊たちに捧げる祈りだ
火を焚き 四方に向かって
祖先の霊に祈り
殺された象や鹿や猿の霊に祈り
ぼくら異人の分まで加護を願うのだ
それから酒の買い出しに若者二人が選ばれて
真っ暗な山道をはだしで集落のある場所まで下りて
巨大な瓢箪にどぶろくを入れて戻ってくる
さあ 宴会の始まりだ
焚火を囲んで歌だ踊りだ
彼らはすぐに酔っぱらう
村長が大声で朗誦を始める
祖先や若かりし自分の武勇伝らしい
そして狩りの獲物をたくさん与えてくれと祈るのだ
(狩りは今では禁止されているのだが)

ぼくは彼らの祖霊への祈りや
動物たちの霊への祈りに
何か遠い懐かしいものを感じる
絶対の高みからぼくたちを裁き
ぼくたちを許す一人の神ではなくて
里を見守ってくれる祖先や
森に人と共生する生き物たち
水や空までを含めた
森羅万象
同じ世界を生きている仲間たち
ぼくたちが忘れてしまったもの

もういちど
葦原を渡る風に吹かれたいよ
草地に車座になって
大皿のウガリをめいめい指でちぎって丸めて
干し魚とトマトと玉ねぎとピリピリの汁に浸けて
食いたいよ
胃の中でさらに発酵を続けるので
腹が膨れるバナナのどぶろくを
回し飲みしたいよ
(余談だがあの頃 帰国すると家族が
一年で5キロ太ったと笑ったものだ)

だが ぼくは歳をとった
もういちど君たちの村に行きたかったが
もう行けない

クワヘリ(さよなら)気の良い仲間たち
ときたまニュースで聞く 君たちの国は
とりわけ あの村のある東部一帯は
内乱が果てしなく 
国境を越えて軍隊が入り込み
人々は難民になって逆に越えるという

君たちはまだあのジャングルの村にいるのか
あの村はまだあるのか
君たちの子や孫はつつがなく暮らしているのか
村長は今では祖霊の長になって
見守ってくれているのか

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする