すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

夢の土地・夢の家

2019-03-13 10:03:48 | 夢の記
 夢の中で、かつて住んだ土地、住んだ家(と、夢の中の自分が思っているもの)を繰り返し見ることがある。ほとんどは、同じ土地、同じ家なのだが、これがなぜか、現実の家や土地とは全然違う。
 今住んでいるこの場所に、ぼくは小学校6年から、家を出て一人暮らしを始めるまで、約8年間住んだ。震災の直前に戻ってきたのだが、ここにいない間、何度もこの周辺のことを、そして少年時代のぼくを、夢の中で見ていた。
 夢の中の目黒はいつも同じで、ぼくはその略図を書くことができる。家の前をまっすぐ南に行くと、分かれ道になる。右に行く道は緩くカーブして再び分かれ、左の道は線路を越え、右は線路沿いにしばらく行ってから大きく回って家の北側に戻ってくる。
 はじめに分かれた左の道は小さな川を渡り、公園のような広い淋しい住宅地域をぐるりと回り(しばしば日暮れで、街灯が点き始めていた)、その向こう側は、柵があって入ることのできない森が広がり、柵沿いに辿っていくと小さな稲荷社があり、もう一度川を渡って家の方に戻ってくる。夢の中でぼくはよく自転車で走っている。
 この夢が気になっていたので、じつは目黒に戻ってきてから、歩いて確かめて見たのだが、整合性は認められなかった。線路はたぶん今は地下化している目黒線だろうが、川などは痕跡もない。そのような稲荷社もない。 
 子供の頃に住んだ家(と、夢の中で思っている家)も現実の家と全然違う。三つに分割されて売られてしまう前の、現実の家の間取りをよく覚えているが、夢の中の、それとはまったく違う家の間取りを、ぼくはやはり略図に書くことができる。
 東側に玄関があり、そこから南側に広い縁側が続き、それと斜めに北西に向かって廊下があり、廊下の突き当りにトイレがあり、廊下の北側に風呂や納戸や台所があり、縁側と廊下に挟まれて居間や客間や空き部屋が並んでいる。
ここまでは甲府にあった叔母(父の妹)の家の造りに近いのだが(廊下は斜めではなく、縁側はなかったが)、大きく違うのは、夢の中の家では、その母屋の西側に渡り廊下が南に長く伸びていて、途中がガラス張りの温室のようになっていて、左側に庭が、右側に竹藪があり、廊下の先は小さな石の土間と出入り口になっていることだ。
 夢の中の甲府の町も、現実の甲府の町と全然違っている。どう違うのかは、もう読むのが面倒くさいだろうから詳しくは書かないが、これも略図を書くことができる。夢の中の甲府はずっと緑が豊かで、叔父(母の弟)の住んでいた長屋は、その区画一帯が低い生垣に囲まれていて、家も長屋ではなく小さな戸建てがそれぞれ花の咲く生垣に囲まれていて、まるで家庭菜園のようだった。
 ここからが本題。
 なぜ、実際とは違う家や土地を、繰り返し見るのだろうか? しかも子供の頃の自分自身をその中に入れて。
 いちど見た夢、夢の中で「ああ、これは子供の頃の家だ」と間違えて思い込んでしまった夢は、脳の中の記憶回路のどこかに保存されていて、いわばプリント、というか、焼き付け、されていて、だから繰り返し見るのだろうか? しかもそれは現実(例えば、大きな家が三分割されてしまったとか、ごちゃごちゃした長屋であるとか)よりは好ましく、幸福感に近いから(例えば、温室があるとか、花の咲く生垣とか、小川とか)、無意識がそちらの方を選択してしまったのだろうか?
 それともそれは、このぼくでなく、もう記憶にない過去世のぼくが実際に生きた家や土地の、その切れ切れの断片なのだろうか? 
コメント
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