すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

流れを見るように

2018-11-27 11:06:33 | 無いアタマを絞る
 山之内重美さんから、FaceBookの方に何通もコメントをいただいた。まとめて返信させていただく。

(山之内さん)「流れるように生きていたい、と思ってる、私。」(「ローズマリー」11/22に対して)
「やりたいことを続けられれば幸せなだけ。「頑張る」は50代で卒業した。」(「春になったら…」11/23)

 …ぼくは、流れるように生きてはいないですね。でも、人が流れるように生きているのを見るのは好きです。
 人ではなくて水の流れそのものを見るのも好きです。ときどき、お弁当とお茶とおやつをもって多摩川の川岸に行きます。半日、水を眺めたり寝転んだりして過ごします。(これからの季節は、寒くてダメですが。)水を見ていると、飽きませんね。
 人も、あのようであればいいとは思うのだけれど、ぼく自身は走ったり淀んだりを繰り返しています。ずっとそうかもしれません。(ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」を思い出すけれど、何度も書いた気がするので、ここでは書きません。)
 保土谷の林の中の一軒家に住んでいたころ、縁側にソファを置いて、一日中ガラスの向こうの木々の葉の揺れ動きを見ていたことがよくありました。あれも、一日中そうしていても飽きません。夕方には心の中が揺れ動きで満たされていて、酩酊のようなものを感じます。
 今の方が、あの頃よりあくせくしているかもしれません。
 人についても、あの水の動きのように、あの木々の葉の動きのように、その生き方、動き方、考え方を見ているのは好きです。 
 ぼくは、流れるように生きる人ではなくて、もしかしたら、流れるように生きる人を見る人、かもしれません。それはそれで悪くないかもしれません。(それだったら、相当長生きをするはずですね。)

(山之内さん)「私は一昨日、新松田駅で降りて高松山を歩いて来たよ。両日ともピーカン天気だったから、富士山クッキリ美しかったね~。」(「陽だまりでお昼ご飯」11/26)

 …高松山ものんびり陽だまりご飯ができる良い山ですね。最近行ってませんが。12月は一昨日の仲間と、隣の大野山に行こうかな、と思っています。なんせ、富士山を見ながら陽だまりご飯、大好きなので。
 そのうち、ご一緒しましょう。
 ついでながら、奇聞屋に伺おうと思っていたのですが、13日は都合がつかなくなったので、15日にデュモンに伺います。
コメント
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