すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

秋の光

2018-11-09 08:49:28 | 音楽の楽しみー歌
 3日前のことだが、仕事をやめてからおよそ8か月半ぶりに、デュモンに行った。雨が降っていて、天気予報は本降りだったが、2月末にやめるときに「半年たったらいちど顔を出します」と言っていたし、顔を出すなら広瀬敏郎さんの歌が聴きたいと思っていた。先月の予定だったが、用事ができて行かれなかったのだ。
 中にいた間は見慣れたことなので実感がなかったが、改めて客として座ってみると、デュモンは落ち着いたインテリアの、ゆったりとくつろぐことのできる、趣味の良い居心地の良い店だ。ぼくの代わりに入ったスタッフのMayumiさんが明るくきびきびと動いていて、ぼくの頃よりもずっと良くなったように思う(これは、読者の誰かに「そんなことないですよ。悟さんは…」と言ってもらうことを期待していない。念のため)。
 広瀬さんの歌は素晴らしかった。特に最後の2曲、「アンコーラ」と「ナポリへの涙」。素晴らしい声の伸びと細部まで心を込めた表現力。また聴きたい。「ナポリへの涙」はいつか僕が好きだと言っていたのを覚えてくれていて、最後に歌ってくれたのだ。
 …ところで、広瀬さんの歌だけでなく、スタッフの歌も二人の前歌さんもオーナーの日野さんの弾き語りも含めて、改めて感じたことがある。
 それは、「ああ、ぼくは歌をやめて良かった。もっと早くやめればもっと良かった」ということだ。
 ぼくは、彼らの持っている、歌い手になる条件を、ほとんど何も持っていない。
 ここで、「歌をやめる」とは、スポットライトを浴びてお金を払って聴いてくれる客に向かって一人で歌う、あるいは、プロを目指す、ことをやめる、という意味であって、人前で(団欒の場で)歌うこと、あるいは家で一人で歌うこと、全部を意味しない。歌が嫌いになることを意味しない。
 歌の才能がない、ということは、もちろん、音程が、リズム感が、声量が、ということだけを意味しない。歌手は、パフォーマーだ。楽曲の解釈が、表現の仕方が、仕草や表情や声の出し引きや息づかいや、もっと言うなら、汗のかき方や目線の動かし方やピアニストとのアイコンタクトや躊躇いかたや当惑の仕方や…すべて含めて自然にこなしていくのが才能だ。
 そして何よりも、歌と歌の間の話術。お客とのコミュニケーション、というか、駆け引き。
 ぼくはほとんどそういう才能がなかったし、一生懸命そういうことを身に着けようという意識もなかった。
 そういうことを試みようとしたことがないわけではない。20年位前、フランスから帰ってきたころは、そういう関心が自分にもあった。だが結局、夢中にはなれなかった。ここのところ何年かは、ライトを浴びて歌うのが気が重く、なるべく避けていた。日野さんはそれに気が付いていたかもしれないが。
 歌い手には、人とのかかわりが苦手であっては、なることはできない。人とのかかわりに積極的な関心がなければ、なることはできない(これは芸術の二大分野、美術と音楽、の大きな違いだと思う)。
 (この話がなぜ「秋の光」なのかは、明日書くことにしよう。)
コメント
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