すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

洗濯

2018-05-21 22:09:19 | 無いアタマを絞る
 内海さんから、こんなコメントをいただいた。「悟氏の素顔が段々と見えてきて。良い刺激を沢山受けていますね。」
 …このブログを始める前、本当は匿名のブログをやろうと思っていた。衝撃のブログになるはずだった。
 でも、思い直した。誰にもぼくだとわからないものを書いているつもりでも、いつかどこかでわかるものね。それはちょっと都合が悪い。
 今書いているブログは、ぼくだとわかって読んでくれる人に「ぼくの素顔がだんだん見えてくる」というメリットはあるかもしれないが、そういうふうに感じながら読んでくれるのはうれしいが、ぼくに自身にとってどれだけ有効なものかは、わからない。今のところ、かなり中途半端なもののような気がしている。

 …ところで、ぼくは時々、自分を丸ごとひっくり返して洗濯をしたくなる。ほかの人は、そういう欲求、というか、衝動、を、感じることはないのだろうか。
 ここで「自分をひっくり返して洗濯」というのは、文脈からすると、自分をすっかり暴露、ないし、告白、という意味にとられるかもしれないが、そうではなく、文字通りの洗濯のことを言う。
 ついでに言うと、上記の「衝撃のブログ」というのも、告白、というような意味ではなく、むしろフィクションを語る欲望に近い。

 …洗濯の話に戻ろう。
 自分を、手袋を裏返すように皮膚と中身をすっかり裏返す(つまりこれは不可能な欲望なのだが)。そして、内臓から血管から脳から、すべてじゃぶじゃぶ洗う。
 洗うのは中性洗剤などではなく、一斗缶入りの工業用洗浄剤が良い。冷たく透明で、真っ黒に汚れたボールベアリングでも、べっとりとグリースが付いた回転軸でもなんでも、銀色にピカピカに光るまできれいに洗えるやつが良い。
 心臓でも肝臓でも胃でも腸でも脳みそでも、一緒くたに一斗缶ぶち込んで、思う存分洗う。もちろん、裏返した皮膚も骨も洗う。
 肺と心だけは、沈殿してこびりついた汚れが泥岩のように固く積み重なっているだろうから、それだけでは足りない。まずタガネとハンマーでガンガン叩いて汚れをはがしてから洗う。
 新品同様にきれいになったら、物干し竿にかけて風の良く通る5月の空に干そう。都会の空ではなく、できれば草原が良い。
 日光を浴びて風に泳ぐピカピカのぼくを眺めながら、すっかり乾くまでの間、ぼくは満足して草原で昼寝をしよう。
コメント
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