すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

誠実であること

2018-05-26 17:19:29 | 社会・現代
 ここ数日、ニュースを見る多くの人達が感じているだろうことを、ぼくもまた感じているので、簡単に書いてみたい。
 ある人物が記者会見をする。別の人物が記者会見をする。両者の言っていることは矛盾・対立している。どちらが正しいのかは、司法的には厳密な調査なり捜査をしなければ決められないだろう。
 でも、TVを見ているぼくらは、真実がどちらの側にあるのかは容易にわかる。たぶん、司法の場で争われることになっても、裁判員たちは同じように判断するだろう。
 真実は、誠実に答えている側にあるのだ。そして、どちらが誠実であるかは見れば明らかなのだ。
 誠実であるということは、人間にとっての最高の徳のひとつである。
 他者との関係にあまりかかわらない、音楽やスポーツの技術の向上には、まず真摯であることが必要だ。そして、人間と人間との信頼関係を築くために、あるいは人間が社会の中で信頼を勝ちうるために、誠実であることは、不可欠の要素である。
 ことに、自分が過ちを犯したと感じたとき、誠実であることはその過ちを償って信頼を取り戻すために、だいいちに必要なことだ。
 今回の出来事は、改めて明確に、そのことを示している。

 …ここで思う。今日の日本の政治のシーンで、いかに誠実でない発言が繰り返されているかを。この国の(一部の)政治家や官僚たちの信頼度は、地に堕ちてしまった。
 ひょっとしたら、あの学生以外の人達は、政治家や官僚たちのやり口に倣っているのかもしれない。

 ついでに、ちょっと飛躍してふと思う。
 戦後70年以上たっても未だに日本が近隣諸国から批判され続けているのは、その一方でドイツが近隣諸国から受け入れられ、さらにヨーロッパ共同体のリーダー的役割を果たせているのは、そもそも謝るときの誠実さの違いではなかったのかと。ドイツは、ワイツゼッカー大統領の演説でも示されているように、誠実であろうとし続けてきた。
 とすれば、誠実であることは、今現在の人間関係を超えて、歴史的に不可欠なのだ。
コメント
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