すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

ゆっくり

2018-05-03 22:36:42 | 無いアタマを絞る
 人生の先達であるYさんから、前回の「悪夢」についてコメントをいただいた。「ゆっくりユックリ」とだけあった。
 たいへん気持ちを落ち着かせる、勇気づけられる言葉だった。ありがとう。

 …「ぼくはまだ、恢復の途上にあるのかもしれない」と思う。「このブログも、じつは自分にとってはリハビリみたいな意味がある」のかもしれない。ほとんど恢復したようなものだが、ときどき、弱い余震のようなものが来ることがあるのだと思えばいい。たどりつけない夢も、先日の悪夢も、そのようなものだと思えばいい。
 それはまだしばらくあるかもしれないし、だんだん弱くなりながらも、ずっとあるかもしれない。そう承知しておけば、それはそれでいい。
 時に悪夢を見たり、焦燥や悔恨にとらわれることがあっても、パニクってはいけない。
 人は誰でも、生きている限り心の混乱や波立ちは多かれ少なかれあるのだし、ぼくはいまでは比較的安定している方でさえあるかもしれない。コントロールするすべを、いっぱい勉強したり考えたりしたからね。
 
 …そんなことを考えていたら、ふと、中原中也の美しい詩を思い出した。
 ここに引用しておく。
 
 「言葉なき歌」

あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱の根のやうに仄かに淡い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女(むすめ)の眼のやうに遥かを見遣つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛(フイトル)の音(ね)のやうに太くて繊弱だつた
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜の空にたなびいてゐた
コメント
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