すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

教育無償化

2018-05-05 07:28:59 | 社会・現代
 一昨日は憲法記念日だった。新聞・TVで改憲について取り上げられていた。ただし、ぼくの見る限り、九条についてだけで、教育無償化については全く触れられていなかった。
 これは、九条ほどではなくても、きちんと考えるべき大きな問題だと思う。教育無償化はするべきでない、と言いたいのではない。無償化のあとに何が来るか、それにどう対処すべきか、考えるべきなのだ。
 「だってあれは維新の会の要求を自民党が呑んだだけでしょ」という友人がいた。そうかもしれないが、呑んだ後で政権は事の重要性と政権にとっての有意義性に気が付いたと思う。
 政権の本当の狙いは、新憲法の制定に至る、現行憲法の大幅な書き換えであって、そのための手始めに、比較的に賛同を得られやすい2点をまず変える、ということだ。
 自衛隊は合憲である、というのが世論の流れになっていれば、それを憲法に明記するだけ、というのは、賛同を得られやすい。そして、教育の無償化は、結構なことであって、何も反対する理由がない、と思われている。
 でもちょっと、明治時代のことを考えてみよう。
 明治維新以来、敗戦に至るまでずっと、日本の教育は愛国的、いいかえれば、天皇と国家に対する帰属意識的なものだった、とか思いがちだが、少なくても明治初期、明治12年まではそうではなく、自由奔放、ある意味では前近代的なものだったらしい。
 (以下は、尊敬する比較社会学者、見田宗介の著作を参考にしている。)その時期、日本には独自の教科書というものはなく、外国の教科書を翻訳して使っていた。その内容は文明開化的であり、市民社会の価値とその中でのモラルを教えるものだった。
 明治14年には、儒教的な仁義忠孝が重要視され、修身科が最上位に置かれる。
 明治19年には教科書が検定制となり、同年、修身教科書の無償化の法案が帝国議会に提出される。これは、教育内容の国家統制の強化を目的としたものだった。
 明治22年、帝国憲法発布。
 23年、教育勅語の下賜。
 35年、教科書検定をめぐる大贈収賄事件を絶好の契機として、教科書の国定制度が始まる。
 国定化によって、父兄の負担する教科書代はおよそ1/2に軽減された。これは、国定化の有力な口実にされた。
 37年、日露戦争開戦。
 43年、第二期国定教科書の制定。同じ年、韓国併合。大逆事件。
 ここに至って初めて、「明治体制の試行してきた、忠孝の原理をもって構造化される価値体系は確立され…天皇及び皇室の恩恵及び尊厳が、かつてないほど頻繁に教え込まれるとともに、国体・国旗・国歌・国の祝祭日などに関する教説が随所に挿入されている」(見田「明治体制の価値体系と信念体系」から引用)。
 この国定教科書の四学年の唱歌「靖国神社」には、「命は軽く義は重し」という歌詞がある。国民は、「忠義のために身を捨てることこそが幸福である」という価値観に追い込まれていく。

 さて、詳しくは上記の見田の論文を読んでほしい(見田宗介著作集第3巻)が、ぼくの此処で言いたいことはレイアウトとしては解ってもらえただろうか? 
 教育の無償化のあとには、金を出している国家が、教育の内容に口を出す。教育の国家による管理・統制がやってくる可能性がある(ただより怖いものはない)、ぼくたちはそのことに敏感でなければならない。
 政権は教育の無償化をアピールするのと同時に、道徳の教科化を進めているのだからなおさらだ。 教育は、国民の意識を変えるための最大の手段なのだ。直接的な「戦争の放棄の放棄」と同じくらい恐ろしい。
コメント
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