もろこし饅頭
故郷で少年時代に食べた「もろこし饅頭」は、とっても美味しかった。
アレから70年余、此れを再現して食べたいものだ・・・・、と言ったところですが、
「足柄山の金太郎物語」ではありませんが、金太郎さんは居なく夢物語で、到底適えることは出来ません。
書き伝えられてきたweb、『聞き書き 埼玉の食事」から引用し書き表し(再現)ました。
聞き書き「埼玉の食事」取材時の写真
今は亡き故郷の隣人「亀さん」
軒下につるして乾燥する。
もろこしまんじゅう
由来 秩父では加工用の黄色いとうもろこしが古くから作られています。
秋になると粉にしたものを使ってまんじゅうを作ります。いろりで焼いて
食べると香ばしくておいしいものです。
材料 (20個分)
皮 小麦粉 400g
とうもろこし粉 100g
重曹 15g
砂糖 100g
水 300mL
あん 小豆 400g
砂糖 300g
塩 1g
作り方・(皮の作り方)
① 小麦粉、とうもろこし粉、重曹、砂糖を合わせてよくふるっておきます。
② ①に水を加えながら、木べらを使ってかき混ぜておきます。
③ 皮を45gずつにしてちぎっておきます。
(あんの作り方)
① 小豆を洗って鍋に入れて火にかけ、沸騰したら湯を捨て、また水を加えてやわらかくな
るまで煮ます。やわらかくなったら、砂糖と塩で味を整えあんに仕上げ、35gずつ
に丸めておきます。
(仕上げ)
① 皮にあんを入れて形を整え、湯気の上がった蒸し器で15分蒸します
2021年もろこし饅頭の作り方・漫画風
(秩父観光協会編纂コピー掲示)
もろこしまんじゅうをアップ
山里の記憶コーナーに「もろこしまんじゅう」をアップした。トウモロコシは真夏に収穫し、
軒下で乾燥させ、冬に食料として石臼で粉に碾(ひ)いた。ところが、このもろこし粉で作ったまんじゅうがマズ
かった。作りたては餡子のおかげでなんとか食べられたのだが、冷めるともう食べ物ではないようなマズさだった。
今思い出しても、よくあれを食べたものだと思う。
まんじゅうを作るまでもいろいろ大変だったのに、作った挙句に不味いと言われたのでは母親も情けなかったと
思うが、こればかりは事実なので仕方がない。
昔のトウモロコシは家畜の飼料用のものだったと思う。品種改良もされておらず、ただひたすら硬いトウモロコシを
栽培して食べていた。それでも、真夏に採りたてを茹でて食べるのは本当に旨かった。手伝った甲斐のある旨さで、
これは楽しみの一つだった。
収穫したトウモロコシは皮をむいて軒下の竹竿に結んで吊るした。どの家でも軒下には大量のトウモロコシが
ぶら下がっていた。どの家でも同じように干していたから、みんなあの不味いもろこしまんじゅうを食べていた
のだと思う。今想像するとなんだか面白い。同年代の人と昔話をすると、必ずと言っていいくらい
もろこしまんじゅうのマズさが出てくるのも面白い。
冷めたもろこしまんじゅうは囲炉裏の灰に埋めて焼いて食べた。囲炉裏の上で焼く方法もあったが、灰に埋めて
焼いた方が旨かったように思う。全体が温まり、表面に少し焦げがあるくらいが旨かった。マッコ(囲炉裏の縁板)
で叩いて灰を落とすのが常だった。もろこしまんじゅうといえば、囲炉裏とマッコが連想されるのは秩父の子供の
共通したところだと思う。
ところが、この味はもう再現できない。不味いものの再現なんて意味はないのだが、材料が無いのだ。
今のトウモロコシは昔とは比べ物にならないくらい美味い。山里の記憶の取材で「もろこしまんじゅう」を作って
もらって食べたが、全く違う味で実に美味かった。聞くと、昔のトウモロコシを栽培している人はなく、今はどんな
トウモロコシでも美味いまんじゅうができるとのこと。昔の味を期待していた訳ではなかったが、少しがっかりした
事を思い出す。ただ、匂いだけは同じだった。まんじゅうを割った時の匂いが懐かしい匂いだったので思わず「ああ、
この匂いだ・・」と言葉に出た。
粗食といえば粗食だが、健康的だといえば確かに健康的だ。子供時代に自分の畑で採れたものだけを食べている
訳だから体には最高だ。大人になって、病気もなく元気でいられるのは子供時代の粗食にあるのではないかと思う。
過剰な栄養や甘さを体は欲しがっていたが、現実には何もなかった。粗食に耐えて野山を走り回っていたのだから
元気な体に育つ訳だ。今から思うと、貧乏だった事が自分の体の基礎を作ってくれた訳で、貧乏に感謝しなければならない。
(秩父・山里の記憶から引用)
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