町・暮らしの移り変わり
≪葛飾区郷土と天文博物館企画展≫
葛飾区は昭和7年10月1日、当時の東京府南葛飾郡の
七つの町村が合併してできた自冶体です。
葛飾区が誕生して80年になり、町並みや、暮らし、出来事を振り返ることとした。
企画展の看板
出征兵士の名前
葛飾区はセルロイド工場が有りました
昔の折り込み広告
デジブック 『昭和の暮らし』
昭和30年代の
下町・葛飾の暮らしをコンパクトにまとめたものです。
およそ10分です。
という感じになりますね。
人口が多いと蒐集物も多くなるでしょうね。
散逸しないうちにもっと集めておきたいですね。
でも東京大空襲で焼失してしまった物も多いことでしょう。
貴重な文化遺産!を見せていただき、ありがとうございました。
映像に出てくる一つ一つの物に思い出があります。
ラジオの前や卓袱台の周り、一畳台に、家族が集まりました。
手押しポンプでお風呂に水を入れました。
七輪で卵焼きをして妹や従兄弟に食べさせました。
自然に親の手助けが出来、親子の絆が深まり、相手を思いやる心が育ちました。
今のようにボタン一つでご飯も焚け、洗濯もできるようになると会話がなくなりました。
物が豊かになって私の手足も衰えました
個人ではなく街として残されています。
此処とコラボすればなを面白いでしょう。
時代が変わっているのがよくわかります。
戦後のことですが、父は商売の関係で蔵前の玩具問屋まで出かけてセルロイド玩具とかクリスマス用品などを仕入れていました。
10か月払い、月賦も懐かしいですね。
いやだったな~
これでバケツに水をためてお風呂にうつすんです。。
電気で吸い上げるのが出来るまでこれでした。
今でもお墓は ポンプですよ・・・
セルロイド 懐かしいな~
キューピー 持ってました。。。
懐かしい ものの ご紹介 ありがとうございます。
懐かしい時代
私もその頃に暮らしていたのですよ
いつも、おいで頂ありがとう御座います。
『葛飾区80年、町・暮らしの移り変わり』は現物展示と、写真の数々でした。
区政施行80周年にあたって、都市近郊の農村であった葛飾区がどのように都市化され発展してきたかを振り返り、その当時の物語や写真に想いを馳せ、懐かしみ・・・皆さんで当時を共有しようという企画でした。
昭和の暮らし(デジブック)
館内の常設展示として展示されています。
ある町工場の家庭をモデルにし、これを凝縮してコンパクトにして移築したものです。
したがって、当時を再現しようとすると場所的、空間的に無理が有り居間にはTV,ラジオ、本箱など等ほかの物と一緒くたに置かれていました。
お勝手などは本当に小さくせまい・・・、でも当時の雰囲気を醸し出していました。
昭和30年代といえば、神武景気の始まり、『太陽の季節』『狂った果実』電気釜の出始まりなどなど枚挙に暇が無い。
モデルの家庭は、どちらかといえば、工場を経営したとのこと、生産生産で経済的にも恵まれて・・・・世に言う一般家庭より水準が上のように思えました。
現在の人口は45万人弱ですが、区政施行当時は、8万人ぐらいでした。
都市化の波で膨れ上がりました。
よく親の手助けをなされたのでしょう。
お父さんが戦死して・・・家族で力を合わせて乗り切ったのでしょう。先日のお墓参りに親族との会話のなかに、その思いがあったように記憶しています。
振り返るとこの30年代が重なってくるのでしょう。
☆思い出を 背負えば重し 暮らしかな
私の小さいときは、朝は牛の草刈、学校から帰ると農作業でした。
『いつか来た道』いいタイトルの昭和の街。
戦争という時代を経てなにも無い時代に放り出された。
30年代といえば出るもの見るものが新製品、目を白黒したものです。しかしお金が無いので買えませんでした。
艱難辛苦のにじみ出るような・・・そんな想いでもいまになると良き思い出として残るから不思議なものです。
葛飾区は中小工場や、家庭内興行の零細な物つくりが多かったようです。セルロイド玩具も代表的なものです。
この玩具工場が伸びたのが「トミー」であるとおもいます。大きな会社になりました。
居間でも浅草橋を彷徨うと問屋街でおもわぬ商品や、珍しいものに出会います。
バケツで風呂に見ず、縄文人は桶で天秤で担ぎました。30メートルくらいかな。
そうですネェ・・・お墓 水道、捻るとじゃ~ですか。
時代というのはこんなものなのでしょうか。。。。?
歳をとりました・・・。
将来の目算は、見えなかったり誤ることが有り増すが、過ぎ去った過去は確実に歴史としてのこります。
時代、移り変わり・・・とはこんなものなのでしょう。
いつもどん尻の訪問でゴメンナサイ。
こんな時代を過ごして来ました。どれも懐かしい遠い昔のように思われます。
この再現された家庭は比較的豊かな家庭だったと思われます。
子供8人、10人家族で一度に卓袱台も囲めませんでした。
タライに洗濯板、氷を入れる冷蔵庫等など
懐かしさと同時に母の苦労がしのばれます。
お祭りの屋台でセルロイドのキューピーさんを買ってもらって喜んだものでした。
様々な今の電化製品や洋服も、近未来にはこうして保存されて
後世の人々に懐かしまれるのでしょう。
23区は たいていそうですね。
いろんな人々のいろんな思い出がつまっていることでしょうね。
ノスタルジックな日用品 ポスター おもちゃ などなど。
過ぎ去った歩みが見えてきます。