ダム建設の遺物
ダムサイト片隅に
コンクリートバケット、ドラム缶橋の片鱗がありました。
歴史を検証してみました。
このバケットに6立法積む事ができた。
3m3ですから2台分 ↑積載できた。
資料映像
以前は橋も周遊道路もなかったのでドラム缶橋を利用。
登山客が見られます
工事に当たり40余名の人が
犠牲になりました。
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貴重な写真をお借りしました。
上の白黒写真については
多摩川誌
建設省地方建設局京浜工事事務所
財団法人 河川環境財団
からお借りしました。
小河内ダムの建設現場は山の中。
資材は特別な線路敷き設して運搬されましたクリック。
その6・完(水源涵養林)についてupします。
ダムの事で思い出しました。
福島県にも発電のダムや、水利のダムが数多く有ります。
その中で、10年以上位前になりますか、以前の電源開発のダム奥只見の地底発電所を見学しました。
普段一般の人には見られない場所です。
その規模の大きさに驚きました。
今でも活躍している発電所です。
前はいつも小河内ダムを通り小菅まで行きましたので、時間があるときには浮き橋をながめたり、小河内神社へ行ったりしましたが、一度は歩いてみたいと思っていたむかし道は、まだいっておりませんので、いつか。
沢山の方の力と協力で出来上がった小河内があるので我々都民の水は安心していられるのですね。水源林を守ってくださっている方々にも感謝です。
いちどは歩いて見たいですね。
≫10年以上位前になりますか、以前の電源開発のダム奥只見の地底発電所を見学しました
そうですか。
ちか発電所までは見ませんでしたが、この湖を船で渡り、尾瀬の山に行き、1泊して片品村から帰宅したことがありました。
このダムも大きいと思いました。
ここは地底発電だったのですか。
≫多摩川源流の旅、丁寧なレポート拝見・・・・・・・・・・・・・・・。
私が綴るとついこのように長くなってしまいます。
癖なんです。簡単に仕上げればよいのですが気が済むまで追い続けてしまう。
悪い癖です。
この奥多摩湖は都民の水がめですが、
利根川から取水(東京オリンピック時代)するようになって補助的なダムになった・・・と係りの人が教えてくれました。
どらむ缶橋渡ったことありません。
これは奥多摩州誘導路、多摩湖に橋が懸かってからはそちらに足を取られて不要の長物になったようです。
水源涵養林に以前ボランティヤで植樹にいったことがありました。きっと大きくなっていることでしょう。柳沢峠近くでした。
『湖底の故郷』東海林太郎有り難う御座いました。
聞き入りました。
おしえていただきあれこれ聞き入っているうちに、葵ひろ子の歌を見出した。
赤石に『湖底の故郷』と刻み込んだ碑の前に佇んだ数日前。何かジーンときました。
ダムのダイナマイトの発破、私も身を湖底に沈めたい気持ち・・・のナレイションに呑みこまれました。
≫今は観光用でプラ缶のようですね
私も渡っていません。ドラム缶橋なんて人間の知恵はすごい。