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金町関所跡

2019年07月17日 | 紀  現場にアタック、何でも

南風や自転車で行く関所跡  
 

 

今回は関所跡見学です。

ここ葛飾区に引越してきて50年程に立ちますが、境界なので初めて出向いた。

むかし賑わった渡船場はどうなっているだろ言うか。

単なる「金町関所跡」の記念碑が1本立っているにすぎなかった。

 


金町関所跡位置


むかしの道と関所の相関関係

 


金町関所は、明治2年(1869)まで、対岸の松戸と舟が行き来していた。
その後江戸川の改修が成されて、ご番所は堤防の下に埋まってしまいました(表示内容)。

 


記念碑


石碑の後方から見る


 右の建物が下水処理場金町ポンプ場、画像奥に鉄塔と外環高速道


左が下水処理の建物


 その昔関所としてにぎわった場所は、
「此処より提外、江戸川河川敷一帯」と記されていましたが、
ゴルフ場、河川敷が広がるばかりでした。

 

江戸時代の関所は、小仏・箱根峠の山、東は利根川沿いの
水関ラインによる川で江戸城を守った。


江戸川にも水戸佐倉道「金町関所地・松戸御関所」にも「小岩・市川御関所」
が設けられました。


この2つの関所は、奥州・房総方面からの陸路で江戸への入る
人たちの関門であり江戸防衛上重視冴えっていた。

金町・松戸関所は江戸川河川敷のゴルフ場付近に有りました。
構造は間口3間半(6、37M)奥行(5、46M)で、玄関の出入り口には黒く塗った木戸門が
設けられ、番所前には自然石が置かれていた。

この石の上で、交通手形を拡げさせ調べたりして「手形改め石」として
「手つけ石」と言われたそうです。
        
(かつしかむかし道から抜粋)


 


松戸宿場の街へ行って見たくなりました

以前「金町関所とその時代の賑わい」の特別講義を受けたことが有りました。

その後是非見たいと思っていた場所を見る事が出来た。

そうなると、対岸の松戸関所跡の面影も是非見てみたい。

ググってみたら、もっと大々的に松戸宿としてにぎわっていた様子が伺えた。

 

 

 

 

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