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多摩川源流バスツアー  その4

2010年06月20日 | 紀  現場にアタック、何でも

湖底に沈んだ故郷&村

≪ふるさとは遠きありて思うもの≫
湖底に沈んでは・・・・どうすることもできない。

♪小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷(ふるさと)


湖底に沈んだ村の歴史が刻んであります


 


「水とみどりのふれあい館」から

鶴の湯温泉(鶴乃温泉)は、古くからの湯治場として栄えていたそうですが、
昭和32年、ダム建設に伴い、村ごと湖底に沈んでしまった。
しかし、泉源だけは残してあり、湖底からパイプで湖畔まで引かれている。
長らく、その湯は使われていなかったのだが、
10数年前に鶴の湯温泉を復活させ、
今では何軒かの宿にタンクローリーで源泉を運んでいるとのこと。


湖底にあった家々が、山の中腹に移転された。
ダム湖堰堤から見上げる

おまけ

≪みずと緑のふれあい館≫にて

  
太鼓&祭りの出し物の着物

 
背負いた、千歯こき



、とうみ、

  
炭俵&編み掛け炭俵

    
木挽き用巾広ノコ&アワ棒&鎌

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日のメモ

湖底に沈んだ村、新たに住処を求めて移転した家々が山の中腹に
ダムを見つめながらの暮らし・・・・がある。

ふるさと秩父にも合角(かっかく)ダムの築造により移転を余儀なくされた
家々があります。
成田空港建設工事に伴い、農家の強制移転に反対した農民が先祖伝来の土地だから・・・と、
生木に身体を縛り付けて『断固動かない』の闘争姿を目の当たり見た。

小河内ダム工事にも数々のドラマがあったことでしょう。
見下ろす家々の人も時代とともに代が変わり、ふるさとを思う気持ちも癒えたであろうか。
だが・・・歴史だけはいつまでも残る。

次回、その5(コンクリートバケット)、  その6(水源涵養林)と続きます

 

 

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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
多摩川源流へ (Nakatsuji)
2010-06-20 11:36:14
こんにちは
3回にわたる多摩川源流へのバスツアーのレポート。興味深く拝見しました。

滔滔と水をたたえる湖面を見下ろすところに移転した村落があるのですね。ちょっとほっとした気分になれます。
当初の複雑な気持ちも年月とともにじょじょに癒されやがて人々の誇りともなっていく。そのためにもダムのおかげを日々こおむっている人たちの認識と感謝の気持ちが大事ですね。
意味のあるツアーでしたね。
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ダムはムダか (とくさん)
2010-06-20 12:35:27
こんにちは
今はダム建設や空港建設に、反対闘争と言う言葉が出て来なくなりました。
果たしてダム建設や、空港建設が無駄ではなかったのか。
それによって犠牲になった人達も多いはずである。

今尚建設しなければならないダムも有るでしょう。
果たして必要な物であるかどうか検証しなければならないですね。
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似たような話 (自然を尋ねる人)
2010-06-20 19:42:28
温泉まではありませんが
我が地方でも芦田川の渇水対策でダムがきずかれました。
JR福塩線が湖底から山の中腹まで移設されました。一昨年か渇水でその湖底が浮かび上がり昔はこうだったのかとたたずみ眺めたことがありました。
私のところはこのダム成功で、今では我が地の水もこの川のものを飲んでいます。
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nakatsujiさん (縄文人)
2010-06-20 20:54:48

八ツ場(ヤン場)ダムがいま矢表に立たされています。ダムも必要なものは作ってもよいと思います。

今回≪湖底に沈んだ故郷、村≫を取り上げましたが、若干筆足らずで移転された農家のかたがた側の応援に立とうという気持ちはさらされありません。
人はふるさとと持ち懐かしむものです。
そのふるさとというものにスポットを当ててみたかっただけです。
きっと移転された人々の中には、都民の水瓶になるのだと喜び勇んで賛成された方もあるでありましょう。
・・・が、しかし、わがふるさとは湖底にありという気持ちは一生持ち続けたでありましょう。
そしてふるさととは如何なるものかに焦点を当てて考えたかっただけです。
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とくさん (縄文人)
2010-06-20 21:03:29

↑nakatsujiさんのところで描きましたが、≪故郷≫というものにスポットを当てて考えてみたかっただけです。
私も日に一度はなんらかの関係でふとふるさとを振り返ることがあります。

道なんでしょうか。昔と違って市民感覚、十便の受け止め方が多様化されてきたのでしょうか。
若かりしころは何かといえば国会を取り巻き、銀座を隊伍を組んでデモ行進が華やかでした。
アメリカに追いつけ追い越せで目標とするものがなくなり、焦点がぼけたのか、若者にエネルギーがなくなったのか・・・その辺の分析は分かりません。

ダム一杯に水が堪り、新緑がとてもきれいであったことは新鮮でした。
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自然を尋ねる人さん (縄文人)
2010-06-20 21:09:51

ダム建設のよしあしは専門家に任せるとして、
最近関東地方でも水害による被害がなくなりました。
ダム建設はもとより河川環境の変化(災害対策)の現れでしょう。

≫我が地方でも芦田川の渇水対策でダムがきずかれました
そうですか芦田川の渇水。ここ多摩川は90%以上の満水で今年は水不足は絶対にありませんと係りの方が説明されていました。
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ダムのおかげで (横浜のおーちゃん)
2010-06-21 08:55:06
水や電気の恩恵にあずかっている身としては、ダムを批判するのも躊躇されます。
谷あいは川の流れとまわりに田畑や雑木林があることで農村になっていたわけで、
中腹に移転したのではガラリと生活が変わったでしょうね。
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ダム建設にまつわる物語 (どんこ)
2010-06-21 11:20:07
悲喜こもごもの歴史を秘めて
ダム湖の水はあくまで静かなようですね。

熊本ではかつて「蜂の巣城の戦い」として有名な下筌(しもおけ)ダム建設反対運動闘士・室原知幸さんが
伝説の人として今も語り継がれていますよ。
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横浜オーちゃん (縄文人)
2010-06-21 19:46:01

湖底に沈んだ家々にスポットを当てましたが、違った角度から見たら、水道水の恩恵という面からも考えを求めなければ・・・と思いました。

ダムから水害を守る、水道の恩恵はオーちゃんが仰るとおりです。移転された方々の上によって成り立っている。
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どんこさん (縄文人)
2010-06-21 19:51:13

最近八ッ場ダムで俄然クローづアップされたダム問題。これは経費節減、ダム効果とその必要性・・・など総合的に判断されたことなのでしょう。
「蜂の巣城の戦い≫何回かTV,新聞などで聞きましたが運動闘士・室原知さんについては初めてです。
一つの大きなものが出来上がるまでにはそれなりの歴史があるものです。
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