立石の縁日とその歴史取材。
調査を進めて行くうちに、アウトラインが明確になってきた。
①始まりと終わり、②出店の場所と範囲、③開催日、
④縁日最盛期、⑤立石の縁日は都内でも最大であった、⑥縁日はなぜ開催され、
何故消えて行ったか…等々概略が分かってきました。
しかし、当時の画像を集めていますが全くと言って手掛かりがない。
今と違い、カメラは庶民にとって、高嶺の花であった。
取材をお願いした蕎麦屋玄庵店主、岡島古本店店主の取材で、いろいろ教えて頂きました。
有難うございました。
喜多向観音菩薩、元は此処のお祭り。
奥戸街道立石通り
7の付く日が縁日、歩道の交互に出店した。
昭和10年当時の奥戸街道、立石付近。
左上に7日、17日、27日と記してある。縁日開催日。
左右の歩道に交互に露店が出た。町の賑わいを平均化した。
ボンネットバスが走り、リヤカーが車道に置かれる。
本奥戸橋~雷門のバス開通は、昭和9年11月3日。20人乗り。
昭和40年当時の奥戸街道。
信号が設置され、車も多く走っています。
モターリゼイションの到来。
1962年にはわずか14%にすぎなかった乗用車需要に占める個人比率が、
67年には39%、70年には50.6%に達しました。
この1970年代前後が、日本の本格的なモータリゼーションの確立期といわれています。
縁日には警察の「道路使用許可」が必要となりますが、
警察当局は、交通事情を勘案してのことで、モータリゼーションという流れに、
”縁日”が許可されなかったことが考えられる。
取材風景
縁日班リーダーの葛探団員、Kさん詳細に取材した。
岡島書店
↓ 2枚は、四つ木西光寺付近の縁日の様子。
昭和36年当時
昭和26年当時
縁日は、隣町四つ木の街が古いらしい!! 当時の写真、西光寺付近が賑わった。
探検団の取材は進行中です。
葛飾にお住まいの方で、何か情報がありましたら一報ください。
いろいろ勉強されていると
奥が深いことが分かります。
みなさん、勉強意欲が旺盛で
本当に頭が下がります。
早朝散歩の後、公園の草刈りボランティアに行ってきましたよ。
柴又帝釈天から、一転立石に飛びました。
第2弾は、「消えゆく立石の面影を負って!立石再開発」です。
≫みなさん、勉強意欲が旺盛で
率直に申せば、年寄りの暇つぶし。
草刈ボランティヤ。
・草刈が出来る程なり元気かな
草刈は中腰、左右の手の運動、肩に力が入ります。
この地区は再開発されるのですか~
是非 防災に強い街づくりを考慮してほしいところですね。
何時ものことながら、良く勉強されているのには驚かされます。
晴耕雨PC、休んでいる暇がありませんね。
立石の縁日とその歴史、良くわかりました。
縁日が開かれなくなったのは、モータリゼーションが大きな原因ですね。
こちらに伺うと色々な事が学べますね。
凄いですね~
色々調べられて知らないことが教えていただけます。
田舎にいると、縁日とは無縁でした。
昭和26年・36年の賑わいは驚きですね!
お仲間との活動に👏👏
皆さん一生懸命頑張っています。
吾も皆さんの後に続いているだけです。
≫晴耕雨PC、休んでいる暇がありませんね。
ハイ有難うございます。
仕事を辞めてから、時間が有り余る、これを使わないことはないと思いブログの毎日更新は、
心掛けています。
毎日が日曜日、のほほんと過ごしていたのでは、お天道様に申し訳が立たない。
縁日の割り振り、その筋の人たち、何組が仕切っていたか・・・・?
あっちの人、こっちの人に取材、そのままにすると散逸します。
日記風に綴っています。
後から取り出して資料にします。
皆さんそれなりに頑張っています。
取材中のリーダーKさんは、自主出版で3冊本を出しているつわものです。
わたしらはまだ駆け出しです。
いっしょに取材している方々は、、この葛飾団員として10年も頑張っています。わたしは体力的にもう…限界です。
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とか気になる性分ですから こんな色んなとこ見られたらうれしいですね~
古書屋さん 行ってみたい。
今はネットで わかるけれど 書店なら 匂いがあるし
本の形が分かる 重さが分かる
昨日今日 自分の年を忘れて 敬老会のコカリナ吹きです、
縄文人さん いい日でありますように・・
何時も拝読されて、有難うございます。
自分へのハッパと思いながら、毎日編集しています。
それがいいか悪いか、
自己への修身と思いやっています。
いつまで続きますか………………。
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