あの日あの時、思いを胸に
=ふるさとを綴る=
母らる山、武甲山の峰
高校時代に全校生徒全員の登山がありました。1~3年生。
この山は石灰岩の山で、セメントの材料で秩父市を財政的に支えて来た宝の山です。
両神山です。
秩父では、武甲山に対して父なる両神山と呼んでいた。
ごつごつしたのこぎりの歯の様に険しい山です。
この道を100mほど進むと生家が有ります。
稲作を転換して、殆どがブドウの里になりました。
小学校・中学校に通った頃は、
登校時に武甲山を前に、下校の時は両神山を正面に仰ぎ見ながら育った。
夕映えの望郷 (いずれも蔵出し、昔の画像です)
望 郷
晴れた日に、東京ビルの屋上から眺めた
奥秩父の連山は、
夕日に映えてさながら、絵画のようにも見える。
秩父は都会の喧騒な生活の飽きた人々の限りない、郷愁を誘ってくれる、
奥庭のスポットともいえる山峡で癒しの地。
荒川の水源を奥秩父の笠取山に発するが、荒々しくも、ゆったりと流れ、
関東平野を経て東京湾にそそぐ。
ここ山里には、細々と暮らす山村の生活と独特の文化が息づいている。
「秩父は、江戸の文化の吹き溜まり」と表現した人がいる。
耕地(地域の単位を耕地と言った)には、毎日の様にどこかに祭りがあり、
独特の地域文化の催うされていた。
秩 父 望 郷
1
2
3
≪ お彼岸です ≫
(帰郷・墓参出来なかったので、これに代えさせてもらいます)
秩父・金剛院の山門
しばらく行ってない。
行きたい。帰りたい。
生まれ育った故郷への想いの強さがひしひしと伝わります。
駆け巡った山々、水浴びをしたり魚を取った清流・・・育ててくれた山河はどこまでも清らかで美しいのでしょうね!
そして離れた人々を暖かく見守っている!
私は実家から車で20分の変わり映えしない場所に嫁ぎましたから、見る山川もかわりませんが
それでも墓参りに帰ると近所の人たちが見つけてかけてくれる言葉に、何とも言えぬ温もりを感じます。
夕焼けの向こうの故郷の山河は誇りでありましょう!
妙に切なくなりました。
羊山公園横の芝桜公園から眺めた武甲山、
ああこれが縄文人さんが朝夕眺められていた山かと思いましたよ。
ふるさとの山と川は歳を重ねるごとに
幼心を呼び起こしてくれますよね。
あの時8歳だったチョロ2も4月から大学生です。
身長も180㎝になりました。
歳と共に故郷は遠くなりました。
ヒキノさんは時たま、長野の画像up,
わたしは、故郷ごぶさとです。
”ふるさとは、遠きにありて思うもの”
♪
ウサギおいしかの山、こぶな釣しかの川
野山を野兎のように駆け巡ったこと、川で泳いだことなどなど
思い起こせば脳裏の真ん中にこびりついています。
今では車で近くなりましたが、
以前は行くだけで半日かかりました。
ドンこさんが秩父に赴き、武甲山の画像、覚えています。
そうですかあれから、10ねん、
≫チョロ2も4月から大学生です。
身長も180㎝になりました。
エ、エ、エ、180cm大きくなりました、私よりもずいぶん大きいです。
ふるさとがある人はいいな~~
故郷は、遠きにありて思うもの!?
最近はご無沙汰です。
この道を歩く縄文少年 草を1本抜いて草笛を吹き
石ころをけりながら・・ そんな日もあったでしょうね。
折に触れての望郷の念 伝わってきます。
私は生まれた町に70年住んでいますが それでも
子供のころの町の様子 今でも思い出すと胸キュンです。
縄文人さん 宝物ですよね。
昨日今日 小雨の北九州です。
カメラが綺麗に変えてくれたのではなく
真のの故郷良いですね。
生まれも育ちの瀬戸の山奥とは少し趣が
違って見えました。