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歴 史 発 掘 ・ 被害届控え

2020年03月12日 | 技術  道具・伝承・歴史

秩父事件、「事件記録発見…」新聞記事
友人から送られて来ました

 

送り主の友人は、街歩きのk・Hさんです。
病後しばらく休んでいたため、宜しかったら参加をと「3月の街歩き予定&
事件記録発見の新聞切り抜き」
でした。
 ≪秩父事件被害届控え❓発見・脅迫された様子≫ 
記事有難う御座いました。
街歩き一緒にと思っていましたが
新型コロンインフルエンザで中止、又お世話に成ります。



1、秩父事件

 1884年(明治17年)10月31日から11月9日にかけて、 埼玉県秩父郡の農民が政府に対して負債の延納、雑税の減少などを求めて起こした武装蜂起事件。群馬県・長野県の町村にも波及し、数千人規模の一大騒動となった 。

2、暴徒脅迫に付き損失御届け
      ① 被害者 地元酒造会社 「肥土伊興吉」 
      ② 被害品目
        白米2石、清酒3斗5升、脇差し8本、

      ③ 事件概要
        11月1日、3回にわたり暴徒が、刀、やり、鉄砲を持って脅迫し奪った。
      ④ 秩父事件発生当日で、蜂起のため農民らに酒を飲ませ、いわば出陣式
         を行うためであったと推測される」歴史学者。
         肥土家も税金に苦しめられていたので、農民に同情したのではないか。

 困民軍の軍律
  軍律は5条から成っている。金品と酒に関することは下記の通りです。
  軍律厳しい困民軍であった。しかし最初から肥土酒造に押し入り強取
  するは軍律の5ヶ条と実際の行動は守られていなかったのか?

  第1条 私に金品を掠奪するものは斬る。
  第3条 酒宴をなしたる者は斬る。
 


新聞切り抜き記事 

 

3、暴徒が押し入った肥土酒造



〇、肥土伊興吉・昔は肥土酒造と称し、銘酒「晴れ菊」を醸造 
 (現在は秩父菊水酒造所)

   〇、吉田椋神社・秩父事件発祥の地、農民暴徒3千名集結武装蜂起
強取したお酒を武装蜂起と出陣式に飲んだ?。


◎ 吉田椋神社から肥土酒造迄1km弱の距離を困民蜂起軍は、
    神社の長い石段を駆け下りて肥土酒造に押し入り白米2石、
清酒3斗5升、脇差し8本を
強取したものである
 


 明治17年11月お酒を強取された肥土(菊水)酒造。
白壁の2ツ土蔵と手前の瓦屋根の工場です。現在の佇まいです。

筆者が小学生のころ、右現在の工場群と左側に道路を挟んで、販売所が
ありました。町内の資産家で、羽生市内にも工場を有していた。

小中学校には、雨傘を生徒数を寄付して、廊下に保管、突然の雨の時は
被って下校した。

 

 

この新聞切り抜き記事を契機に、
秩父事件をどこまで迫れるか綴ってみたい。

              

 


  劇画・秩父事件=森 哲郎著中心として綴っていきます。
3冊の本を読み進みながら書き綴ります。


.秩父事件を象徴化したブロンズ像・・吉田椋神社

 


吉田椋神社境内に建つ記念碑
秩父事件100周年事件事業の一環として建立された記念碑


秩父市立吉田小学校の沿革

明治9年12月15日,4か村連合椋宮学校開設(椋神社境内)


吉田小学校の沿革を調べると記述した通りです。
椋神社境内に小学校がありました。
広場もあり、集会を開くのには格好の場所在ったと思われる。

 

 


23番音楽寺

音楽寺の境内の一隅にこんな墓石が建てられています。
11月2日、午前8時、--
2千を超える困民軍は、大宮郷を眼下に見下ろす
音楽寺に集結し、郡役所に出撃命令を待ち受ける困民党員の姿があった。



秩父事件は、1884年10月31日から11月9日にかけて、
埼玉県秩父郡の農民が政府に対して負債の延納、
雑税の減少などを求めて起こした武装蜂起事件です。


画像の一部は比企野blogerから
お借りしました。


次回は
秩父事件の発生の背景に迫る。

 

コメ欄は閉めています。

 


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