奥多摩湖(小河内ダム)を訪ねる
出発前
葛飾区の人たちは、利根川水系(金町浄水場)
にお世話に成っています。
見聞を広めるため多摩川水系小河内ダム(奥多摩湖)訪ねることにした。
湖を更に遡上して、多摩川現流域の景観や渓谷
そして山里に暮らす人たちの様子を見学することとしました。
丹波川渓谷沿いのくねった道路、土砂流出防止の砂防ダム、水源涵養林
などなどつぶさに見て大変勉強になりました。
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◎事前準備勉強会
6月12日、葛飾郷土と天文博物館のスタッフにより
▲地形関連資料▲多摩川(江戸名所図解を読む)▲多摩川のアユについて
▲近世前期・多摩川の景観を探る・・etc豊富な資料にもと図いてスライドを交えて
分かりやすい教示で大変参考になりました
「ドームかつしか」
葛飾郷土と天文博物館前のモニメント
博物館玄関が映っています
◎6月18日バスツアーgo
=早めに到着、付近散策=
ニッコウキスゲ
葛飾区郷土と天文博物館前には
むかし≪曳舟川≫がありました。
現在は『曳舟親水公園』として区民の潤いの場所として花や稲が植えられて
彩を添えています。
むかし人(鷹狩りモニメント)もバスツアー
一行を見送ってくれました。
博物館前に駐車した大型バス。
全員参加でいよいよ万緑の多摩湖にgo・・・・。
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今日のメモ
初めての参加ですから時間に余裕を見て早めに集合した。
自転車で40分、・・・・・にしてユトリと思いながらチョイト早かった。
そんなことで出発前の曳舟川を散策して
公園の彩をupしました。
その2に続きます。
ダムに沈む村人の話でした。昔はダム建の設が決まると
「有無を言わせず」でした。小河内ダムはどのように
作られたか、今の人は知らないでしょう。奥多摩湖は
都内の水瓶として重要な役目をになっていますが
必要でないダムも建設されようとしている。それに
踊らされるのはいつも住民です。
http://www.youtube.com/watch?v=h6Q2fhirTiY&feature=related
昭和13年647戸の人が丹波川に別れを告げ散っていきます。そのうち28戸が八ヶ岳清里高原に、酷寒の地で作物も取れず苦労したそうです。酪農で何とかやってけるようになったのは昭和30年代以降だそうです。
何倍も興味が湧き、その後の見学に大いに役立ちますね。
現地での見学記事に期待してます~♪
何でも宗ですが、そのものの歴史を振り返ると悲喜こもごもがあるものです。
『コンクリートから人へ』変わったようですが、奥多摩湖は都民の水道水として大きな役割を果たしています。
係員の説明では、
利根川の取水(利根用水)ができてからその貢献度が若干薄れたといってました。
利根用水→東京オリンピック→河野一郎建設大臣
いい歌をupしてもらいました。
レコードのジャケットといい食い入るように聴きました。また東海林太郎が泣かせます。
湖底といえば
秩父にもダムが3つあります。
合角(かっかく)ダムで湖底に沈んだ方々が、耕地の近くに引っ越してきました
奥多摩湖は満々と水を湛えていました。
目のほうの治療はいかがですか。
無理は禁物、ゆったり生きましょう。
今年の水枯れは大丈夫のようです。満々と湖面にあふれんばかり。
今月は日曜に休みが取れないので葛ハイはアウト、このようなところで暇をつぶしています。
何もかもが新鮮です~!
東京都の水源ですよね~
バスツアー 続きを楽しみにしています。
学校でならったのだと思います。
我々の子供のころはダムというのは社会発展の象徴みたいでもありました。
奥多摩湖の周辺を青梅街道が通り、また奥多摩周遊道路が走る。
低山歩きをするのでこの辺はよく使います。
東京の水源も最近は利根川から取水していますから万全体制だといっていました。
奥多摩はその補完的なやめ目になりつつあるようです。
なんと言ってもここは小学生や中学生の社会勉強にもってこいの場所でしょう。
当日も小学生がお弁当を食べていました。
最近は政治もコンクリートから人へと舵を切り
ダムが標的になっていた。
さて参院選挙は如何に