滝が流れて水路となりて高➡低
≪人は易きに流れる≫ ➡ 三文哲学
水は高きから低きへ、住宅街を抜け町の人々の安らぎを与え、
子どもたちの水遊びの広場を施し低きへ低きへと流れていきます。
暗渠になって果て?さて?…。
滝として高きから低きへ
石井善兵衛の功績をたたえる碑
江戸時代に石井善兵衛なる人ありき、水元小合溜めから用水路にて水を引いて
それでも水田に導いていましたが、上から流れ来る水だけでは、
不足で稲作を生育に悪影響を及ぼした。善兵衛さんは江戸川からの揚水を
考え一大尽力され村の偉人として功徳をなされた。
「井上善兵衛」については、後日に記事とします。
住宅街を流れる水路
水路の中に菖蒲を植え水の流れに変化を持たせる
この用水を河川や溜池などの水源から離れた場所に水を引くために
人工的に作られた用水路で流路に石を配しています。
≪三文哲学≫
水は高きから低きへ『人は易きに流れる』
孟子曰く。
「水の低きに就く如し」
この故事成語の意味は「流れる水は止めようがないこと」とあった。ところが、我々は孟子の言葉から離れ、次のように言い足して使う。
「水は低きに流れ、人は易きに流れる」
この使い方は孟子の主張とは異なっているようだが、この「易き」の解釈について考えた。まず、ネットの解説文を読んで孟子の性善説を自己流に解釈した。
水は東の堰を開ければ東に流れ、西の堰を切れば西に流れる。また、水は高き所から低い方に流れる。しかし、手ですくい上げれば頭上高く跳ね上がるし、堰を作れば山の頂にも達する。それと同様に悪に流れる人間の性が悪いのではなく、水と同様に人間は周りの環境が変える。
振り返る・参考資料
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今朝の一句
行く春や水路の流れ何処へやら (縄)
用水脇散策路を歩いていると、暗渠あり橋があり、思わぬところに
子供の水広場に出会う。
高きから低きに流れる水路に沿って歩いてきたが,あるところから
暗渠!??になってしまった。水の行くす先は・・・。
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