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新八水路水揚げ水車の様子(想像図)
1段階に3台づつ、計9台の足踏み水車が並んだと言う。足踏みの労働は、
住民が交代で行い、交替時間の計測は、線香を用いて、燃え尽きるまでを交代目安とした。
柴又用水路が有ったにも関わらず、
水田の水不足に悩まされた!!(柴又地区)
柴又八幡神社境内柴又用水路記念碑
次郎橋付近の小岩用水から柴又用水への分岐点
柴又帝釈天前の用水路
☝
葛飾探検隊に所属して調べた。
上記と同じように
善兵衛樋&北小岩地区も水不足に悩まされた
(善兵衛と水神碑より)
佐倉道と用水路
水神碑&地蔵堂&石井善兵衛記念碑
赤線・佐倉街道より下方の地域が水不足でした。
石井善兵衛なる人が力を発揮し、江戸川から水を引き込んだ!!
次回はこれを調べます。
石井善兵衛の功績をたたえる碑
江戸時代に石井善兵衛なる人ありき、水元小合溜めから用水路にて水を引いて
それでも水田に導いていましたが、上から流れ来る水だけでは、
不足で稲作を生育に悪影響を及ぼした。善兵衛さんは江戸川からの揚水を
考え一大尽力され村の偉人として功徳をなされた。
小岩親水緑道の入口付近にある地蔵堂。
右写真は道標を兼ねた地蔵菩薩立像で、江戸川区内で最も古い道標とされる。右側面に「是より右 岩附慈恩寺道 岩附迄七里」と刻まれ、この付近で成田街道を分かれてる。
江戸川沿いに北上し、慈恩寺(埼玉県さいたま市岩槻区)へ通じる道を示す。正徳3年(1713年)建立。
上小岩親水緑道水路
◎ 次回は江戸時代に石井善兵衛
なる人の水に対する公徳が如何なるものであったか、どの様にして
江戸川から水を導きて稲作を潤したのであろうか?を
検証します。
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