座間コミニティー

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◆火災を起こし、それがいばらに燃え移り、

2016年08月24日 17時13分19秒 | 聖書
そのため積み上げた穀物の束、あるいは立穂、あるいは畑を焼き尽くした場合、出火させた者は、必ず償いをしなければならない。(出エジプト二二・六)
 
しかし、邪説の燃え木を散らし、好色の炭火を散らし、人々のたましいに地獄の火をつける者は、どのような償いをするのであろうか。その罪は測り知れず、その結果は取り返しのつかないものである。もしそのような罪を犯した者が赦されるならば、彼は省みて、どれほど悲しむことであろう。彼が起こした災いは、もう取り返せないからである。
回心した人格が何年かかっても消せない炎を燃やしつけるという、ひどい場合もある。他人の食糧を燃やすことはたしかに悪い。しかしたましいを滅ぼすことは、それに比べてさらに極悪である。私たちが過去の邪悪な罪を回想し、現在においても、私たちのうちに身内、友人、隣人のたましいに損害を与える邪悪さがないかを反省することは有益である。
争いの火は、それがキリスト教会の中に起こる時、恐るべき悪をなす。回心者が増加し、神の栄光がたたえられる時、ねたみが最も効果的な悪魔のわざをする。大農夫の労作の結果として黄金の穀物が蓄えられる時、敵意の火が入り、煙と焦土のほかはほとんど何も残さない。そのような罪をもたらす者にわざわいあれ。どうか、それが私たち自身でないように。なぜなら、私たちは償うことはできないが、もし私たちが主な加害者であれば、私たちはたしかに主な苦難者となるからである。火に燃料を投げ込む者は非難に値する。しかし、最初に火を放つ者が最も責められるべきである。不和は、通常いばらに火をつける。そして教会の偽善者や世俗的な信仰告白者たちの間であおられ、地獄の風に吹きまくられて正しい信者に燃えつき、それはとどまるところを知らない。
平和を与えられる主よ。私たちを、平和をつくる者としてください。争う者を助けたり扇動したり、たとえ無意識にでも、あなたの民の中にごく些細な分裂でも生じさせたりすることのないようにしてください。
 
 

「だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。

2016年08月24日 17時12分32秒 | 聖書


それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた」(創世記4:5)

アベルの献げ物が神に受け入れられ、カインの献げ物が受け入れられなかった。
その時、カインはひどく怒った。怒るとは、神に問題があるとする事だ。

神を絶対的に正しいとするなら、受け入れられなかったということは、自分側に何か問題があるはず、それが普通の考え方だ。

しかし、カインはそうでなかった。自分の側の間違いを認めず、受け入れない神に怒りを向けた。
神を正しいと認めないので、アベルをも認めることができない。

それゆえ受け入れられたアベルに嫉妬し、激しい憎悪に燃えた。
「あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる」とあるからには、カインは正しく行なっていなかった。

もし動機が正しければ、良心に何のやましいところなく、真っ直ぐに立っておれる。
「あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている」もし間違っているなら、悔い改めなければ、罪に支配されてしまう。

罪は大きくなり、罪に罪を重ねてしまう。
悔い改めない罪は、カインをして、アベル殺害へと発展してしまった。
しかし、殺害後も、神は「アベルはどこにいるのか」と、尚も悔い改めのチャンスを与えられる。

神は慈しみあわれんでいて下さる。
神の尽きないあわれみがあるのだから、又特に、対人関係での憎しみや妬み、敵対心があるなら、今すぐに悔い改めよう。
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自分が受け入れられれば嬉しい。受け入れないと怒る。
自己中心の罪が苦い思いに変わって行く。
悔い改め、悔い改め、謙遜に御霊に従って行こう。


今日の聖人の記念日

2016年08月24日 12時47分57秒 | キリスト教

聖バルトロマイ使徒

1世紀

 バルトロマイは、イエスの12使徒の1人である。別名、ナタナエルとも呼ばれ、イスラエルのカナに生まれ育った。
 友人フィリポの勧めでイエスと出会ったとき、イエスは「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(ヨハネ1.47)とバルトロマイのことを言った。この出会いをきっかけに、彼は弟子としてイエスに従った。

 伝承によると、イエスの復活後、彼はインドとアルメニアで宣教し、アルメニアで殉教した。彼の遺骸は、983年にローマに移され、聖堂に安置された。職人の守護の聖人とされている。肖像画は、皮をはがれて殉教したことから、それを象徴して腕にコートをかけているように描かれている。日本では、キリシタン時代にとても尊敬されていた聖人であり、最初のキリシタン大名大村純忠が洗礼を受けた際に、バルトロマイを守護の聖人に選んだといわれる。


◆馬か、救い主か

2016年08月24日 12時46分29秒 | 聖書

馬は戦いの日のために備えられる。
しかし救いは主による。      (箴言二一31)
 
人生を戦にたとえることができましょう。人生の戦には、戦闘と戦争があります。戦闘に勝っても、戦争に負けては何にもなりません。
自分の息子娘たちが苦しい受験勉強を経て、それぞれ大学受験にいどみます。ある子はうまく入学でき、ある子はうまくいかず浪人します。そんな年代を迎え、友人の子が一流大学に入ったなどと聞くと、正直なところ、「うらやましいな」と心のどこかで思うのです。しかし、人生における受験・就職・事業などというものは、戦闘であり、局地戦だといえます。
昔は戦闘に勝つためには、馬や戦車や槍や刀や弓矢がものをいいました。私たちも、人生の局地戦をしのいで乗りきるために、勉強や金や才覚やいろいろのものが必要となりましょう。私の息子娘たちも、人並に、そのような人生の局面を雄々しく正攻法で乗り越え、進んでいってもらいたいと思います。頭が切れる者も切れない者も、体力のある者もない者も、それぞれに応じて十分馬を備え、できるだけのことをして戦闘にも勝ってもらいたい。――これも親心でしょう。
しかし、私たちが最後的に真に必要なのは、神の祝福と主の救いではないでしょうか。人生の戦争における最後的な勝利と祝福は、主から来ます。この単純な真理を私は深く悟りたいと心から願い、息子娘たちの上にも、そのことを祈るのです。
刀折れ矢尽きたような人生の局面に立つ人々にも、神を知り、神の愛の中に身を投げ入れ、神のみこころに沿って悲しみ、神のみこころに沿って苦しみ、神のみこころに沿って祈り、神のみこころに沿って従う時、救いがあり大勝利があります。これは、何という慰めでしょうか。
 
 

◆打ち破る者は、

2016年08月24日 12時45分45秒 | 聖書
彼らの先頭に立って上って行き……。(ミカ二・一三)
 
イエスが私たちの先頭に立って行かれる限り、私たちの行く道は安全である。主は、行く手をふさぐあらゆる敵を征服された。雄々しくあれ。気の弱い戦士よ。キリストは進まれたばかりでなく、あなたの敵を殺された。
あなたは罪を恐れているか。主はそれを十字架につけられた。あなたは死を恐れているか。主は死を打ち破られた。またあなたは地獄を恐れているか。主はご自身の子どもがそこへ行くのをとどめておられる。彼らは決して滅亡の淵を見ることはないであろう。
クリスチャンの前にどのような敵がいようと、それはすでに征服されている。獅子はいるが、その歯はすでに折られている。へびはいるが、その毒牙はすでに抜き取られている。川はあるが、橋がかけられているか、あるいは歩いて渡れる程度である。炎はあるが、私たちは火にも焼けない無比の衣をまとっている。私たちを害するために鍛えられた剣は鈍刀となり、敵が準備した戦いの武器は、すでにその鈍い切っ先をくじかれた。神は私たちを害するすべての武器をキリストによって除かれた。それゆえ軍隊は安全に前進することができ、あなたも喜びながら、勇んで旅を続けることができる。なぜならあなたの敵はすべて、すでに征服されているからである。
あなたのなすべきことは、ただ前進を続け、戦利品を獲得することだけではないか。敵は打ち破られ、敗北している。あなたのしなければならないことは、分捕り品を分けることだけである。なるほどあなたはしばしば戦うであろう。しかしそれはすでに征服された敵との戦いである。敵のかしらは砕かれている。敵はあなたを傷つけようとするかもしれない。しかし、その悪巧みを実行するだけの力がない。あなたは容易に勝利を得、かつその戦利品は山積みされるであろう。
 救い主の御名を声高くたたえよ
 主は不思議な名をもち、打ち破る者と呼ばれる
 これはまことに麗しく、主にふさわしい
 この世の罪と死と地獄を打ち破られたからだ
 
 

エステル記9章11-15節

2016年08月24日 12時44分30秒 | 聖書


9:13 エステルは答えた。「もしも王さま、よろしければ、あすも、シュシャンにいるユダヤ人に、きょうの法令どおりにすることを許してください。また、ハマンの十人の子を柱にかけてください。」
9:14 そこで王が、そのようにせよ、と命令したので、法令がシュシャンで布告され、ハマンの十人の子は柱にかけられた。



 命令は、一日限りの限定されたものでした。

王のいたシュシャンの城でも、その日500人の人々と、10名のハマンの子が殺害されました。

王からエステルに、まだ要求することがあるかと聞かれたので、彼女は後1日この命令を延期してくださいと願いました。

そのことが認可されましたので、その日他にいた10名のハマンの子を柱に掛けて殺しました。

エステルがこのようなひどいことを願ったというのは、大変なことです。

しかし、これは主による裁きを、先取りして行ったことであると知るのです。

というのは、終末の時、神の御心に逆らう人々への裁きは、大人でも子供でも関わりなく、神によって裁きが行われることを告げているからです。



ルカの福音書11章29~30節(イザヤ書11章)

2016年08月24日 12時42分32秒 | 聖書


★『さて、群衆の数がふえてくると、イエスは話し始められた。「この時代は悪い時代です。しるしを求めているが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。というのは、ヨナがニネベの人々のために、しるしとなったように、人の子がこの時代のために、しるしとなるからです。』

■O:今日のコラム
この悪い時代、とはいつの事でしょうか?それは、いまだに続いていると思います。むしろ世の暗闇は、主の再臨に向けてますます濃いものになっていくでしょう。
 様々な奇跡も、人々を救いに導くきっかけになると思います。ますます神の栄光が現わされますように!しかし、ヨナのしるしは、最もパワフルに働く証となる事を信じます。それは、死と葬りと復活によって、自分自身が栄光によみがえる事です。
 イエス様ご自身も栄光によみがえる事でこの時代の証となられました。ヨナもただ説教を説いたかのように思われますが、彼自身が証であったのです。三日三晩魚の腹の中にいたのですから、胃液によって白く皮膚は変色し、元の姿とはかなり違っていたでしょう。それゆえに、ただ者ではない雰囲気をまとったヨナの説教は、当時、最も残忍であったといわれるアッシリア帝国の首都、ニネべの民を悔い改めに導いてしまったのです。彼自身が証であると聖書は言っています。
 同じように、私たちが、死と葬りと復活を体験していくなら、周りの人々は、否定できなくなってしまうでしょう。
 復活のイエス様がこの時代の証となり、復活のヨナ自身がニネべに対する証となったように、私たち自身が復活の証となるならば、その地域に悔い改めをもたらす事でしょう!


■A:考えてみよう
い改め、血潮を宣言し、内なるイエス・キリストが形づくられる事を求めよう!
死と葬りと復活によって証となりましょう! 


■P:祈り


イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


8月23日(火)のつぶやき

2016年08月24日 01時32分19秒 | キリスト教