座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

レビ記13章5-8節

2012年05月11日 09時54分25秒 | 聖書

13:5 「祭司は七日目に彼を調べる。もしその患部が祭司の目に、そのままに見え、患部が皮膚に広がっていないなら、祭司は彼をさらに七日間隔離する。」
 皮膚が白く変化して、また毛が白くなり、病気が皮下組織に及ぶ病のことをここで扱っています。
これが、通常のツァラートの始まりであるとされています。
 これが発見された時には、祭司の所に連れて行って、その人物は神の前に汚れていると宣言をされます。
宣言をされますと、神の前で汚れた者とされて、礼拝に出ることも出来なければ、社会における交わりからも疎外される者とされます。
 しかしその時、皮膚は白く変わっていても、周りの毛が白くならないし、また皮膚の深くに進んでいななければ、祭司はこの人を7日間隔離しておいて、その後、再度検査をすることを命じています。
そのことによって、はっきりした判断がつくようにさせたのです。
  汚れているかいないかの判断は、祭司という公的に立てられた人が行い、またそれが慎重に成されることが命じられています。
人の存在に関わる問題であるからです。


◆偽りのくちびる

2012年05月11日 09時41分44秒 | 聖書

偽りのくちびるは主に忌みきらわれる。
真実を行なう者は主に喜ばれる。  (箴言一二22)

かつて、「私はけっしてうそを申しません」という大うそをついた総理大臣がいました。私たちの社会は、上は首相から下は幼い子どもまで、うそでいっぱいです。大人同士では「うそも方便」といいますが、子どもには「うそつきはどろぼうの始まり」といましめます。いったい、うそとは何でしょう。事実でないことがうそ、ほんとうでないことが偽りであるわけです。そして、「心と違う口のことば」がうそではないでしょうか。
イエス・キリストのたとえ話の中で、お父さんが二人の息子に言います。「きょうはぶどう園へ行って働いてくれ。」兄息子は調子よく、「はい」と答えましたが、実際は行きませんでした。弟息子のほうは、「ぼくいやだ」と言いましたが、後で悔い改めて行きました。兄息子は口先ではいいことを言っても、心の中では、初めから畑に行く気がなかったのです。調子のいいなめらかなことば。――しかし、これがうそです。
なぜ、人はうそを言うのでしょうか。
第一は、自分をよく見せようという見えのため、第二は、ほんとうのことを言うと都合が悪いから自分の立場を守ろうとするたくらみのため、第三は、自分の罪や悪がばれて恥をかかないための保身術です。
うその特徴は、二つあります。
第一は、一つうそを言うと、第二、第三のうそで塗り固めなければならないことです。第二は、いつかは必ずばれることです。一つ残らず白日のもとにさらされ、神のさばきを受けます。めっきははげます。神は偽りのくちびるを忌みきらわれます。
真実な心を持ち、真実を行う人は、主に喜ばれます。聖書は、「心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」(ローマ一〇10)と申します。心と口を一つにし罪を悔い改めて神の胸に飛びこむことから、真実な者の歩みが始まるのです。

 


◆見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

2012年05月11日 09時39分54秒 | 聖書

(マタイ二八・二〇)

永遠に変わることなく、常に共におられる方があるのは幸いである。人生の大海の波間に、ただ一つ、揺るがない岩があるのは幸いである。ああ、私のたましいよ。おまえの愛情を、虫とさびで傷物になる宝の上に置かず、おまえの心をおまえに永久に忠実であられる方の上に置け。おまえの家を、偽り多いこの世の崩れやすい砂の上に建てるな。おまえの望みを、大雨や大洪水が襲っても動かないこの岩の上に置け。
私のたましいよ。おまえに命じる。その宝を唯一の安全な宝庫に収め、おまえの宝石を決して失われることのない場所に蓄えよ。おまえのすべてをキリストの中に置け。すべての愛を主の人格の上に、すべての希望を主のいさおしの中に、すべての信頼を主の贖いの血に、また、すべての喜びを主のご臨在の中に置け。そうすればおまえは損失をあざ笑い、破壊を軽蔑することができる。
この世の花園にあるすべての花は、みないつかはしぼみ、黒い冷ややかな土のほかは何も残らない日が来ることを記憶せよ。まもなく、黒い死がおまえのともしびを吹き消す。ああ、ともしびが消えた後に日光のあることは、なんとすばらしいことか。やがて、暗い洪水が、おまえと、おまえのもつ一切のものとを隔てる。それゆえ、決しておまえのもとを離れられない方に、おまえの心をささげよ。黒く波立つ死の川を共によぎり、安全に天国の岸辺に上陸させ、そこで永遠におまえをみそば近くに置かれる方に信頼せよ。
行け。悩みのために悲しむ子よ。肉親よりも親しい友にあなたの秘密を告げよ。決してあなたから取り去られることなく、また離れず、さらにあなたを離れさせない方に、あらゆる憂慮をゆだねよ。
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」だれが私を捨てようと、私のたましいよ、このお約束で十分ではないか。