座間コミニティー

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今日は

2012年05月20日 19時02分05秒 | 日記

午後一で座間ふるさとガイドの会の例会に出てきました。

会員さんは、圧倒的に父親の世代の先輩方です。

会は、教育委員会の連携があります、今日身分を証明する会員証を貰いました。

 

それから、ニューハーベストチャーチの礼拝に出席してきました。

礼拝後・夕食をいただきました。

                   

 


新宿区ホームレス生活保護裁判(新宿七夕訴訟)裁判傍聴のお願い

2012年05月20日 08時53分26秒 | 予定・告知

 2012年5月16日(水)11時30分~@東京高裁101号大法廷で、新宿七夕訴訟控訴審の第二回口頭弁論期日が行われます。
100人は入る大法廷ですので、多くのみなさんの傍聴をお待ちしております。
当日は、1審原告本人による意見陳述、代理人弁護士による意見陳述を行う予定です。
よろしくお願いします♪

日時:2012年5月16日(水)11時30分~

場所:東京高裁101号大法廷

 
1 新宿七夕訴訟とは~「ホームレス」だと生活保護が受けられないの?

本件は、2008年6月、東京都新宿区内でホームレス状態にあった一審原告(当時57歳)が、アパート等での居宅保護による生活保護をもとめた生活保護申請に対し、新宿区福祉事務所長が「稼働能力不活用」(生活保護法4条1項)を理由に同保護申請を却下したことから、新宿区を被告として、生活保護却下処分の取り消し、生活保護開始決定の義務付け、生活保護費の支給を求めて提訴した行政訴訟です(提訴日が、2008年7月7日であったことから「新宿七夕訴訟」と呼ばれています。)。

2 第1審は全面勝訴判決!!しかし、被告新宿区は控訴

2011年11月8日、東京地裁民事第2部(川神裕裁判長)は、処分行政庁の行った生活保護却下処分が違法であることを認め、生活保護の開始申請を却下する旨の決定の取消し、申請時からの居宅保護の方法による生活保護開始決定の義務付けを処分行政庁である新宿区福祉事務所長に対して命じる原告勝訴判決を言渡しました。
原告、原告弁護団は、被告新宿区に対して、東京地裁判決を受け入れ控訴をしないように求めていましたが、被告新宿区は、判決を不服として控訴をしました(係属部:東京高裁民事20部春日通良裁判長)。控訴審第1回期日は、2012年3月7日午後16時~@東京高裁101号法廷で行われます。

3 本訴訟の意義と重要性~最後のセーフティーネットのあり方が問われています~

本件訴訟は、ホームレス状態にある人々に対する生活保護制度の適用の問題、稼働能力活用要件の恣意的適用によって貧困状態にある人々を生活保護制度から不当に排除している生活保護行政の問題を社会に問う重要な意義を有する訴訟です。
昨今の生活保護を巡る厳しい情勢の中、本件訴訟の帰趨は、今後の生活保護行政の在り方へも少なからず影響を与えるものと思われます。


2012年5月16日(水)11時30分~@東京高裁101号大法廷にて第2回口頭弁論が行われます。

100人は入る大法廷ですので、多くのみなさんの傍聴をお待ちしております。

当日は、1審原告代理人弁護士による意見陳述を行う予定です。


レビ記14章1-9節

2012年05月20日 08時48分28秒 | 聖書

14:9 「七日目になって、彼はすべての毛、その髪の毛と口ひげとまゆ毛をそり落とす。そのすべての毛をそり落とし、自分の衣服を洗い、水をそのからだに浴びる。その者はきよい。」
  人が汚れた場合に、どのように清められるのかということが、この章の問題です。
特にここでは、先に、1週間あるいは2週間の後、「清い」と宣言された人々はそれで良いのですが、その他の重い皮膚病の人々が清くなったことが分かった時に、どのような儀式を行うのかということが語られています。
  まず、その人はまだ清い者とは公に宣言されていませんので、初めに祭司が出ていって、幕屋の外で彼に会います。
そして彼に、2羽の清い鳥、即ち、野にいる鳥と、杉の木と緋色の撚り糸、さらにヒソプを持ってこさせます。
わき水を入れた器の上で、その内の1羽の鳥を殺して、その血を器の中に入れ、中に撚り糸やヒソプを入れます。
その後、清められた者の上に、この水を7度振りかけます。
その後、残りの1羽の鳥を野に放すのです。
 彼はその後、自分の服と身体を洗い、7日目にすべての毛と体と着物とを洗います。
まず初めの、儀式です。


◆忠 実 な 使 者

2012年05月20日 08時39分24秒 | 聖書

悪い使者はわざわいに陥り、
忠実な使者は人をいやす。     (箴言一三17)

使者は、口上を述べる人です。この使者によって、大悲劇が起こることもあるし、万万歳の喜ばしい結果がもたらされることもあります。
たとえば、勝海舟は西郷隆盛と会って、肝胆相照らし、心から心へ真実の口上を述べることによって、大江戸を火から免れさせ、民を塗炭の苦しみから救いました。近ごろはキッシンジャーなども、名うての使者として、その回想録はベストセラーになりました。
私は使者でもなければ、仲人でも外交官でもない、私の知ったことかと思わないでください。聖書は、私たち一人一人を使者と呼んでいるのです。神は私たちに、それぞれ愛と真実のことばを預けられました。私たちは、素直に正直に真実をこめて口上を言うべきです。
夫としての私がいます。世界に何十億の男がいても、私の妻にとって夫は私一人です。私の真実で愛と忍耐のこもったことばだけが、私の妻を幸福にするのです。隣のだんなさまのことばではありません。また、私には四人の子どもがいます。世界中には何十億という親がいましょう。しかし、私たちの子どもがお父さんお母さんと呼べるのは私たち二人だけです。この二人が、四人のために祈らないでだれが祈るのでしょうか。この二人が、愛と励ましと教えのことばを四人に伝えないで、だれが伝えるのでしょう。
神から預かった愛と真実のことばを正しく伝える使者は、人の心をいやします。あなたは、神から預かった愛のことばを知っておられますか。

 


◆あなたの奇しい恵みをお示しください。

2012年05月20日 08時37分58秒 | 聖書

(詩篇一七・七)

私たちが施す物とともに心をも与えるというのは、よいことであるが、この点において私たちはしばしば失敗をし、弁解しなければならない状態に置かれることがある。しかし、私たちの主にはそのようなことはない。主の好意は常に心からの愛をもってなされる。
主はそのぜいたくな食事のテーブルから、冷えきった肉や食べかけの食物を与えるようなことはなさらない。主は私たちの食物の一きれをご自身の皿にひたし、香ばしい愛の薬味をつけて与えられる。主がすばらしい恵みのしるしを私たちの手に置かれる時には、その贈り物とともに温かい握手をも与えてくださる。それは、与えられた物と同様に尊いのである。
主は親切に私たちの家を訪ねてくださるが、貧しい人の小屋を訪れる貴人のようにはなさらない。私たちの貧しさをさげすまず、弱さを非難せず、私たちのかたわらに座ってくださるのである。愛する友よ。主はなんという微笑をもって語られることだろう。なんと尊いみことばがその恵み深いくちびるからもれることだろう。なんと愛情こもる抱擁を私たちに与えられることだろう。仮に主が一円を与えるだけであっても、その一円貨幣を金でめっきして与えてくださる。しかしそれどころではない。高価な施し物を金のかごに盛って、私たちに差し出してくださる。
主のすべての恵みの上には血のにじむような真情が捺印されているので、その思いやりの誠実さを疑うことはできない。主は自由に与え、私たちを非難されることはない。主にとって私たちが煩わしい存在であることを示すようなそぶりを一つも示さず、その恵みにあずかる者をただ一度でも冷たい目で見られることはない。むしろあわれみを注ぐことを喜び、私たちのためにいのちを注ぎながら、優しく御胸に抱かれる。その香料の中には、主のみが与えることのできる芳香がある。その蜂の巣には、主の愛が混じっていなければ、出すことのできないすばらしい甘さがある。
このような誠実のもたらす楽しい交わりよ! 絶えずその祝福を味わい、親しく知りたいものである。