座間コミニティー

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リニア新幹線計画に反対する/共産党:志位委員長が会見

2012年05月18日 15時48分06秒 | 公共・政策

              

優先課題は
◎東海道新幹線の地震津波対策
◎大震災の鉄道復興

この時代に、こんな大型開発が必要と思いませんね。
あきらかに、時代は変わっているんです。
新幹線で十分で、これ以上の速度がいるとは思えません。

リニアの使用電力が、新幹線の3倍というのは、知らない人が多いでしょうね。
私も知りませんでしたよ。
これって、今の時代、致命的な弱点でしょう。

大型開発で地域の振興。。。
やめたほうがいいですよ。
山ほど、失敗の例がありますもんね。
幻影をおうのは、致命的です。

ゴンザレスです。

2012年05月18日 15時32分15秒 | 日記

                                     

今日は、たまさんが退院してきました。

ガンガン元気に動いていました。

入院する前よりガンガン元気になっています。

びっくりぽんぽんです。


レビ記13章47-52節

2012年05月18日 06時57分00秒 | 聖書

13:51 「七日目に彼はその患部のある物を調べる。それが衣服でも、織物でも、編物でも、皮でも、また皮が何に用いられていても、それらにその患部が広がっているときは、その患部は悪性のらい病で、それは汚れている。」
  皮膚病との関係で最後に扱われているのが、カビの問題です。
カビは、日本のように湿気の多い所ではよく出来ます。
このイスラエルの地でも、同じです。
 こうしたカビの問題は、カビが細菌であって、同じような被害をもたらしますので、ここで同類に扱われているのです。
又、そのことによって、その広がりがないように、注意を促しているのです。
  ここでは、カビに侵される物のことを語って、「衣服でも、織物でも、編物でも、皮でも、また皮が何に用いられていても」 と、語られています。
これらの物にカビがついたならば、又、それが広がりを見せるようなものであれば、火をもって焼けと命じています。
広がらないためです。
ところが、それほどにひどいカビでないならば、その衣服を洗って、そのカビを落としなさいと命じているのです。
カビは、人に被害をもたらすからです。


◆死を逃れる道

2012年05月18日 06時44分53秒 | 聖書

知恵のある者のおしえはいのちの泉、
これによって、死のわなをのがれることができる。(箴言一三14)

不確実時代とか、不確定時代といわれている現在、その中にあって、ただ一つの確実なことは、あなたも私も、やがて死ぬということです。しかし、この聖書のことばは、「死のわなをのがれる泉」があると言います。それによって、死を乗り越え死に打ち勝ち、いのちへ至るのです。それは、「知恵」だといわれます。どんな知恵であり真理なのでしょうか。
私のごく近しい友人から、子ども時代の思い出話を聞きました。家で飼っている山羊を、彼が世話をしていたそうです。子山羊だけ連れて草を食べさせに行くと、ツツジを食べて必ず下痢をします。ところが親山羊といっしょに連れていくと、親が教えるのでしょうか、ツツジを食べないので下痢をしないというのです。自然界には、神が与えてくださったこんな知恵があって、親から子に伝えられているのです。
ところが人間は、神に造られながら神に背いてしまい、神を離れ、神を捨て、この知恵を捨ててしまいました。そして私たちは一人残らず、神のない永遠のさばきを経て、死へと落ちこんでいくのです。しかし、背いた人間がその罪をゆるされて、もう一度、この神の愛のふところにもどる道があるのです。
それは、十字架の血によって開かれたいのちの泉です。罪を悔いて、身をかがめてへりくだった人に開かれています。狭き門・狭き道かもしれませんが、それは永遠のいのちへの道です。これこそ、死のわなから逃れる道です。これは、聖書の中の中心的メッセージであって、聖書は、そのいのちの道を指し示そうとしているのです。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ一四6)。わたしによってでなければ、だれもこの永遠のいのちの道に至ることはできないと、聖書は告げています。

 


◆キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。

2012年05月18日 06時43分32秒 | 聖書

そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。(コロサイ二・九、一〇)

キリストの神としての、また人としてのすべての恵みは、私たちに自由に与えられる。満ち満ちている一切の神の恵み――この驚くべきことばがどのような意味を含んでいるにせよ、これは私たちを完全にするために、私たちのものとして与えられている。
主は神の属性そのものを私たちに与えることはできない。しかし、主はできることはすべてなされた。ご自分の神としての権能と神性すら、私たちの救いの手段として役立たせられた。その全能、全知、偏在、不変性、無謬性が、すべて私たちを守るために結合せられたのだ。立て。そして尊い神性のすべてを救いの車に結びつけてくださった主を仰げ。主の恵みはなんと広いことだろう。また主はなんと忠実であり、その不変性はなんと堅固であり、その力はなんと無限であろう。主の知識はなんと際限なく広いことであろう。これらの一切は主イエスによって救いの宮の柱とされ、その無限性をいささかも減じないで、永久の資産として私たちに与えられたのである。救い主の胸中にある大海のような愛は、最後の一滴までも私たちのものである。全能の御腕のすべての筋肉、荘厳な冠のすべての宝石、無限の神の知恵、厳粛な神の義、これらはすべて私たちのものであり、私たちのために用いられる。
神の子であるキリストの尊い品性のすべては、キリストご自身によって豊かに私たちに与えられる。主の知恵は私たちの導き、主の知識は私たちの教訓、主の力は私たちの保護、主の義は私たちの保証、主の愛は私たちの慰め、主の不変性は私たちの信頼である。主は惜しむことなく神の山の奥深い所を開放し、その鉱山を掘り、隠れた宝を探すように命じられる。主は言われる。「すべてことごとくあなたのものだ。あなたがたは主の恵みとあふれるばかりのみこころに満足せよ」と。ああ、このようにイエスを見、主がすでに忠実に約束されたものを求めるのだとの確信に立ち、主の愛と御力を求めるのはなんとすばらしいことか。